家事力底辺の私を捨てた元カレが復縁を迫ってきましたが、年下スパダリ彼氏に溺愛されてるのでもう手遅れです

久留茶

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【8】出来る男と見せかけだけの男

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 灯里のLINEを見て、きっと慌ててアパートを飛び出して来たんだろう。
 額から汗を流し、ハァハァと肩で荒く息をするエプロン姿の叶多に灯里は目を奪われていた。
 こんな時だと言うのに、自分を心配する叶多の男らしく必死な姿に、灯里は胸をきゅんと、ときめかせていた。

 そんな灯里の様子に気付いていない叶多は、地面に倒れる宏哉を冷たい目で見下ろしながら、さりげに自分の背中に灯里を庇った。

「ってぇな……。何すんだよ! 」
「汚い手で砂原さんに触るな。一体どの面下げて自分が手酷く振った女の前に顔を出せるんだ」

 いつもの温和な口調ではなく、吐き捨てるような荒々しい言葉と雰囲気の叶多を、灯里は背中越しに内心驚きながら見つめた。

「あんた、俺が介護士の分際で砂原さんを養えないって言ってたよな。――見ろよ」

 そう言って叶多は地面に倒れている宏哉の目線までしゃがみ込むと、上着の内ポケットからスマホを取り出し、銀行アプリを開くと、宏哉の前に画面を掲げて見せた。

「なっ……!? 」

 スマホに映る叶多の通帳の預金残高を見て、宏哉は絶句した。
 それは、とても社会人二年目の介護士が稼げる金額ではなかった。

「あのさ、この金額見れば分かるだろうけど、俺、今の仕事、辞めようと思えばいつでも辞められるんだよ。でも、あんまり介護士をバカにするなよ。確かに給料は高くないけど、俺はそれなりにこの仕事に誇り持ってるし、灯里さんのそばにいられるから続けてるんだ。あんたさ、一応福祉用具事業所で働いてんだろ?  確かに給料は安いけどさ、医療や福祉の現場がどれだけ大変かって全然分かってないよな」

 叶多が呆然とする宏哉の耳元で、低い声でぼそりと告げる。

「そのうちバチが当たるよ、あんた」

 宏哉の人間性を見下すように、捨て台詞を吐きながら、叶多がスマホをさっとポケットにしまい込む。
 そしてふっと、宏哉に向けて不適な笑みを浮かべて見せた。

「それと、さ」

 叶多はすくっと勢い良く立ち上がると、灯里の元へと戻り、彼女を自分の腕の中に強く抱き締めた。

「叶多く……」

 突然抱き締められて驚いた様子の灯里の顎を、叶多は指で掴むと、上向きにし、元カレの見ている目の前で、強引に彼女の唇を塞いだ。

 深く、濃厚に。一度離してまたすぐに角度を変えて口付ける。

「んぅっ……!?」

 宏哉の目の前でまるで見せつけるようにキスをする叶多を、灯里は制止するようにドンと背中を叩いた。
 灯里の制止を無視するように、更に行為はエスカレートし、叶多の舌が灯里の口の中に無理矢理ねじ込まれる。

「や、……っ!? 」

 必死に拒もうとしても、胸の奥から込み上げる熱が灯里の身体を支配していき、抵抗する力が抜けていく。

(もう、立っていられない……っ)

 カクンと膝が折れそうになって、「おっと」と叶多が灯里の身体を支えた。

 くたりと叶多の腕にもたれながら、灯里のキスで蕩けた表情が宏哉の目の前に晒される。

 そんな灯里の姿に、思わず宏哉はごくりと唾を呑んだ。

(なんだ、よ。そんな顔、俺の前で見せたことなかったじゃないか――)

 ギリっと宏哉は悔しさに奥歯を噛み締めた。

(こんな優男に収入でも負けて、女も獲られた)

 灯里の髪の毛にチュッと何度も優しいキスを落としながら、自分には勝ち誇った表情を向ける叶多に、宏哉のプライドがズタズタに引き裂かれる。

「砂原さん、運転できる? 俺がしてもいい? 」
「お、お願いします……」

 未だに腰砕け状態の灯里が、涙目で叶多に懇願する。

「ふふ。はい、分かりました」

 いつもの口調と雰囲気に戻った叶多が、にっこりと灯里に人懐こい笑顔を向ける。

 叶多は灯里を優しく横抱きにすると、灯里のキーを受け取り、助手席のドアを開くと優しく灯里をシートへと座らせた。
 そして自分も運転席へと素早く回ると、早く灯里と二人になりたいと云わんばかりに、エンジンをかけると早々にレストランを後にした。

 暗闇の駐車場に一人取り残された宏哉は、その場で

「ちくしょう!! 」

 と悔しそうに地面を叩くと、よろりと立ち上がった。


 宏哉の帰る場所は最早一つしかなかった。
 重い足取りで宏哉は妻の待つ我が家へと歩みを進めた。


 * * *


「ただいま……」

 自宅に戻った宏哉を出迎える声はない。
 いつものことだが、今日に限って宏哉はそれがとてつもなく腹立たしかった。

「くそっ!」

 玄関で乱暴に靴を脱ぐ。
 普段は靴棚にしまうよう、妻から口うるさく言われてたが今日は全てがどうでもよく思えた。

 ダンダンと室内用のスリッパも履かず、靴下で床を鳴らすように歩く。

 リビングのドアを開けると、ふわりと夕食の美味しそうな香りが宏哉の鼻を掠めた。

 妻はいつものように料理の動画を撮っていた。
 撮影中は邪魔をしないようにと釘を刺されている。
 ゴミ一つ落ちていないリビングに設置されたお洒落なアンティークのソファーに、宏哉はドカリと乱暴に腰を下ろすと、スーツの上着を脱いでわざと床へと投げ捨てた。

 キッチンで料理を盛り付ける妻が、チラリとそんな宏哉を視界に入れる。

 盛り付けが終わると、手元のカメラを止めて妻が静かに宏哉へと近付いた。

「――これから、ご飯を運ぶシーンを撮るからそれ、片付けてくれませんか? 」

 穏やかな笑顔を浮かべて、抑揚のない口調で妻が宏哉へ告げる。

「なんだよ、たまには生活臭い場面を入れるのもいいんじゃないか? 」
「片付けてくれませんか? 」

 宏哉の言葉を綺麗に無視し、妻が畳み掛けるように告げる。

「っく……」

 妻の圧に押され宏哉は渋々床に投げた上着を拾う。

「……お仕事、良いところ見つかったの?」
「いや……」

 笑顔で問われ、宏哉は気まずそうに視線を反らした。

「私以上に稼ぎたいからって、前の仕事を辞めたのではなかった?。大企業で働くって言ってから何社落ちてましたっけ?  いつまでたっても仕事を見つけられないくせに、よくも私の動画の邪魔が出来ますね」
「わ、悪かったよ……」

 実は失業中の宏哉であったが、妻はそんな宏哉を見捨てることはしなかった。
 最初は自分を愛しているからだと宏哉は思っていたが、それは全くの思い違いだった。

 仕事がなく、朝、遅くまで寝ている宏哉を妻は無理矢理起こすと、出勤用のスーツを着せた。
 毎日のルーティンとなっている、妻の作る朝ご飯を二人で食べる動画を取り、自分はあたかもこれからいつものように会社に出掛けるように、玄関先まで甲斐甲斐しい妻に見送られる。

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 このお決まりの一連の流れが、毎日撮影される。
 そして宏哉がいなくなり、閉じられた玄関のドアは再び開けられることはなかった。
 仕方なく宏哉は就活へと赴くのだった。

 妻にとって自分はただの動画の風景の一部。
 仕事をしていようがしていまいが関係ない。
 妻の動画の中で、良い夫を演じる自分がいればそれで良いのだ。

 人気動画配信者の妻は、一人でも充分生きていけるほどの収入を稼いでいる。

 動画に寄せられる賛辞や、羨望のコメントが妻の生き甲斐であり、生活を乱すリアルな夫は妻にとって不要の産物であった。

 毎日小綺麗な妻ではあったが、どこか女性としての魅力は感じられず、灯里のように抱きたいとは思わなかった。
 妻はまるで人形のようだ、と宏哉は思った。

 灯里を振ってまで手に入れたかった人生がこれだったのか、と宏哉は絶望感に襲われた。
 叶多のキスで蕩ける灯里の姿を思い出す。

(灯里、灯里……お前が恋しい……)

 宏哉は深い後悔に襲われながら、ハローワークへと今日も足を運ぶのであった。

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