Ωの魔王の溺愛姫。

予章

３

美しい景色を織り成していた色彩が歪む。
ぐにゃり、と渦巻いて青や緑や茶色が混ざって黒くなる。太陽の恩恵は消え去り、周囲を包み込むのは真っ黒の闇。
光を失い辺りは暗闇だが少女の瞳は男の姿を捉えた。
男の姿は変わらないが、彼を取り巻いていた色彩が暗黒へと変貌している。肌だけが変わらず白く、髪や瞳は漆黒の闇のようだ。

天使から悪魔へと印象ががらりと変わる。
その変化よっての恐怖心はなかった。
今の姿の方がしっくりくる。男を取り巻いていた嘘臭さがなくなった。

少女は人間の形でいることを諦めたから景色や少女の周辺も同様に偽りを解いたのだ。
ここは人間界と魔界からも離れている、普通の人間や魔物では立ち入れない空間であった。
本来は何も形も色も成さない真っ暗な世界。
銀色の毛並みをした小さな獣になると、少女の思惑通り男の手からするり、と抜けて逃れることが出来た。

「ほう、それがお嬢さんのもう一つの姿ですか？子猫のようですね。可愛らしい」

く、と喉を鳴らして男が低く笑う。
嘲笑であると誰もが思うだろう、嫌味を含んだ笑い声。少女は母親しか知らない。初めて他者に感じた気持ちは腹の底がやききれそうな程の怒り。
本来なら手や足にところ構わず容赦なく噛みつきたい。
生まれて初めて他者を傷つけても構わない、という狂暴な感情が目覚めた。
だが、獣の本能でこの男に真っ向から食って掛かって勝てない事を知っていた。
少女は魔力を有する魔物であるが、まだ魔力を身に溜めることが出来ない幼い魔物。
魔力を持たない己の身を牙で守る獣と変わらない。

(こいつ大嫌い！！)

勝てない事を悔しがっている暇はない。後ろを向かず4本足を動かし走り出した。
情けないがこの男に捕まるわけにはいかない。
しかし、普通の人間ではない男は息を一つも乱さず、すばしっこい足に追い付く。今度は手首ではなく首根っこを掴まれた。
魚を盗んだ猫が人間によって掴まえられる時のようだ。
屈辱感で心臓が早鐘打ち顔に全身から血が集まる。
苦しい、辛い、腹が立つ、初めての感情の嵐だ。

今まで母親の愛だけを受けていた。
今まで愛を母親に向けていた。

歓び、微笑み、愛しさ、柔らかさ、
これらの感情は魂が悲鳴をあげることがなかった。

「私から逃げれませんよ。子猫ちゃん」

怒りを煽るような言葉を選んでいる事が明白な台詞。

「はなせ！悪魔！！」

銀色の毛を逆立て牙を剥き出してフーフーと低く唸り威嚇するが男は喉を鳴らして余裕を見せつけるように笑った。