α上司の最善ではない恋

空気綺麗

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大海の朱い一滴

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「そうだ、船に乗りましょうよ!」

 ふと思いついて、司馬さんに声をかける。

「この先のほうで、水中が見られる観光船が出てるんです。
 船底がガラス張りになってて、魚とか岩場とか見えるんですよ。結構面白いんです!」

 説明しながら、俺は司馬さんの腕を引いた。
 俺の馴れ馴れしい態度にも、だんだん慣れてきたのか、司馬さんは抵抗せずについてくる。

 乗り場には、休日ということもあって家族連れやカップルばかりだった。

「……本当に乗るのか?場違いじゃないか?」

 不安げに俺を見つめてくる司馬さん。

「大丈夫ですよ。誰も俺らのことなんて気にしてませんって」

 本当はちょっと浮いてる自覚もあるけど、それは言わないでおく。
 ぐずられる前に乗船手続きを済ませて、船に乗り込んだ。

 スポットに着くまでは船内で待機することにした。
 デッキに出てもよかったが、子供が多くて賑やかだったので避けた。

 人の少ない船内でベンチに座ると、司馬さんは落ち着かなさそうに辺りを見回していた。

「……やっぱり、場違いじゃないか?
 男2人でこんなところに来るなんて、周りにどう見られてるか……」

 その声は、少しだけ震えていた。

「俺、実はあんまり海って好きじゃないんですよ」

 唐突にそう言うと、司馬さんが怪訝そうにこちらを見た。
 ちょっとだけ笑いそうになる。

「広すぎて、なんか無力感を感じるっていうか。
 俺なんて何しても意味ないなーって、時々思うんですよね。
 でも、司馬さんってたぶん、色々考えすぎちゃうタイプじゃないですか。だから今日は、そんな広い海を見て気が抜けるといいなって思って、誘ったんです。
 周り、見てくださいよ。誰も俺たちのことなんて見てないですよ」

 ――実際には少し見られてる気もするけど、たぶんそれはどのカップルや家族にも言えることだ。

 やがて船が減速し、目的のスポットに到着した。
 船内に人が増え、子供たちが俺たちの目の前まで押し寄せてくる。
 でも、誰もが窓の外に夢中だった。

「ほら、見てください司馬さん!魚の群れですよ!
 よくぶつからずに泳げますよね、あんな狭いとこで」

 水中は少し濁っていたけど、それでも魚が目の前を横切ると興奮してしまう。
 ちらっと司馬さんを見ると、真剣な顔で窓の外を見つめていた。

「……これは、なんて魚だろう」

「うーん、俺、基本食べる専門なんで。捌かれてない魚はよく分かんないです」

 その言葉に、司馬さんが少しだけ笑った。

 帰りはデッキに出て、外の景色を眺めることにした。
 カモメの餌が売っていたので、せっかくだからと2人で購入してあげてみる。

 餌に釣られて近づいてきたカモメに、司馬さんがちょっとびくっとして後ずさる。
 つい面白くて、その瞬間を写真に撮ってしまった。

 その後はぶらりと散策して、日が傾く前に帰ることにした。

 帰りの車の中で、「今日はどうでしたか?」と聞こうか迷った。
 けれど、あえて聞かないことにした。
 きっとこの人は気を遣って、「楽しかった」と答えてくれるだろう。

 でも、楽しくても、つまらなくても関係ない。
 これは俺が勝手に踏み込んだ勝負だ。
 この人のプライベートに、無理やり入り込もうとしてるのは俺なんだから。

 だから、言葉を求めるのはやめた。
 何も言わず、淡々と車を走らせる。

 ――けれど、司馬さんの家が近づいた頃。

「今日は……思ったより、楽しかった」

 ぽつりと、司馬さんが呟いた。
 視線は前を向いたまま。こちらを見ようとはしない。
 それでも俺は、その言葉がすごく嬉しかった。

 
 今日1日で、何かが変わるなんて思っていない。
 それでも、長い司馬さんの人生に対して、小さな変化を起こせていたらいいなと思う。
 
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