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俗世

日常のわたし

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 恵美子は頭を上げ、少し乱れた髪を両手で直した。

 慈光は髭を撫でながら、

「それでは、得度式は十一月の二十日にしよう、大丈夫かな?」

「はい。それでお願いいます」

「旦那さんや家族はどうされるんじゃ?」

「夫とは離婚することにしました、娘にも私の覚悟は伝えて、了承してくれました」

「そうか、前もって、家族に……」

 そう言うと慈光は言葉に詰まった。

 恵美子の強い覚悟とそこまで自分の事を整理して自分の前に出て、得度を願い出てきた事に

 心を打たれると同時に感動を覚えたのであった。

「得度させてもらう以上は全てを捨てる覚悟です。もちろん、家族も女性も」

 背筋をまっすぐ伸ばし正座で恵美子は両手を膝の上に置き、右手を指を覆っていた。

 その恵美子の言葉を裏付けるように、左手薬指には指輪がなかった。

 その姿に慈光はある種の神々しささえ感じていた。

「貴女がここの座禅会に来られた頃はまだ、フワフワした気持ちを感じたんだが、今は凛として何の迷いもない

 澄んだ川の水の様じゃ」

「いえ、そんな綺麗なものでは、和尚様ったら、世辞がお上手で」

 緊張が少し解けたのか、ほんの少し目尻が下がっている。



「では、また詳しいお話しは後日」

「本日は有難うございました」

 恵美子がそう言うと、慈光が立ち上がった。

 そして恵美子も立ち上がって深々と頭を下げた。

 寺を辞するため外に出るとすっかり暗くなっていた。

 寺の門を潜り、俗世の街へと出た。

 恵美子はふと空を眺めた。

 空は雲一つない夜空、星々が散りばめられたように美しい輝きを放っていた。

 それは迷いのない恵美子の今の心境を現しているようで、家路につく足取りも軽やかであった。

 あと半年で恵美子は恵美子でなくなる、そんなことが頭に浮かぶ。

 それは得度への迷いではなく、仏道に入る前に女性としての自分への別れが訪れるのだと。

 家に帰ると、普段通り食事を作り、達夫と対峙しながら夕食をとるが、会話などなく冷え切った関係を現しているのだった。

 食事を終えると、洗い物、洗濯をする。

 その間に達夫は風呂に入る。

 達夫が上がりパジャマ姿に濡れた髪、上気した湯気が立っていた。

 それと入れ替わるように恵美子が脱衣所にはいった。

 黒いパンツを脱ぐと白いパンティにパンストが露になる。

 細く長い脚は年齢に不相応なくらい綺麗だった。

 同窓会で温泉旅行に行った際にはかつてのクラスメイトからは褒められ、羨ましがられた。

 身長も166セントと背も高く、大学生の頃はアルバイトでモデルのアルバイトもしたことがあったほどだった。

 ブラウスのボタンを一つずつ外していく、上から順に色褪せていない綺麗な肌がはだけていく。

 ブラウスを脱ぐと白いブラジャーが見える。

 ブラジャーのホックを外すと、押さえつけられた乳房が反動で大きく飛び出しきた。

 白く磁器のような胸、抑圧されたのを裏付けるように背中にはくっきりと跡が刻印のように見えていた。

 そしてパンスト、パンティーを脱ぐ。

 脱いだ服をプラスティックの籠に入れてから、ゴムで髪を纏めて浴室にはいった。

 ボディソープを手に取り、身体を洗う。

 シャワーの蛇口を捻り、身体に纏わりつく泡を落としていく。

 大きな乳房についた泡が洗い流されると、上気した肌が露になり、先端の乳首も柘榴のように美しく映えていた。

 身体を洗い終えると、髪を纏めたゴムを外す。

 扇を開いたように長い髪が背中を包み込む。

 シャンプーを髪に染み込ませると、撫でるようにゆっくりと両手で洗っていく。

 それは眠る愛しい子供をあやすように。

 数十分かけて、洗い終えると風呂から上がり身体についた水分を拭った。

 寝間着に着替えて、自分の部屋に戻った。

 夫婦間が冷え切って以来、恵美子は未知が使っていた八畳の部屋で寝起きをしていた。

 鏡台の前に座って、丁寧にドライヤーをかける。

 乾いていくと美しい黒髪が電灯に照らされて輝く。

 かつてはブラウンに染めていたが、得度を決心して以来、剃髪する日に備えて黒髪に戻していたのだった。


 
 鏡台の鏡に映る恵美子の黒髪は真っ直ぐ伸びていた。

 ブラシを手に取り、丁寧に櫛を入れると、歯が上から下へと流れていく。

 (あと半年で剃髪して、仏門へ入るのかと思うと、この髪も愛おしい)

 そう感じた恵美子は得度が決まったこの日、いつも以上に時間を掛けて髪を手入れした。

 顔の肌艶も座禅を始める前に比べて、良くなっていた。

 化粧をしなくても、十分綺麗であった。

 食べるものも以前に比べて、精進料理や野菜中心の食生活になったこと。

 そして、規則正しい生活をするようになったからかもしれない。

 着る洋服もブランドものが多かったが、シックなものに変わっていた。

 洋服や装身具の多くは処分した。

 友人や娘の未知にあげたりして。
 
 人と比べたり、余計な嫉妬心、欲望がなくなってきたのだ。

 髪の手入れが終わると、座禅布団をベットの横に置いて、座禅を組んだ。

 ただ、無心になって座禅を組む、それは恵美子にとって至福の時間であった。

 一時間あまり、座禅を組んだ後はベットで眠った。

 午前四時、起きると早速おきて、洗顔し、座禅を一時間組む。

 着替えて、食事の支度、洗濯、達夫を送り出すと近くのスーパーに買い物に行く。

 家に変えってお昼を作って、食事を終えると、再び座禅を組む。

 それが終わると、読経をする。

 読経のあとは洗濯ものを取り込み、家の掃除、夕食の支度をする。

 そんな、修行のような毎日が三年あまり続いた。

 それを挫折することなく続けたのは恵美子の意思の強さであった。





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