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思い出の呪縛
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居酒屋の賑やかな喧騒に包まれる雰囲気の中、俺の気分はとても滅入っていた。それでも、そんな気持ちを押し殺してでもやらなければいけないことがある。だってそれは、今はそういう役回りだからだ。
席を立ちあがり、取り繕うような笑顔を作った。
「えー、皆さん。お手元に飲み物はお揃いでしょうか? 本日は西病棟三階看護師の佐藤みちるさんの送別会にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
座敷の大部屋に集まった40人ほどの視線が集まる。背中にじわっと汗が滲む感覚を無視しつつ俺は言葉を続けた。
「佐藤さんは皆さんご存じの通り、まだ若手のホープでありながら――」
佐藤さんという人物について面白可笑しく列挙して場を盛り上げる。このセリフを考えるのに3時間を要した。
「――というわけで、この度は呼吸器科の長谷先生とご結婚される、ということで退職の運びとなりました。いよっ!! 玉の輿っ!!」
今日一番の笑いがその場を満たす。キャラじゃないな、と内心苦笑いを浮かべながらビールジョッキを手に取り、乾杯の音頭で自分の役目を終えた。
周りがそれぞれ歓談し始める様子を眺めつつ、深いため息とともに席につく。なんとか幹事としての大一番を終えた安堵で胸が満たされた。
「お疲れ様です。鷹司さん」
隣に座っていたもう一人の幹事の白石さんがニコニコ顔で声をかける。
ミディアムショートを揺らしながら愛嬌たっぷりの笑顔を振りまいている元気いっぱいの看護師さんで、その人気は患者・スタッフ共に高い。『妹系白衣の天使』なんて呼ばれているのを聞いたことがある。
昨年中途採用で地方から来たが、職歴は俺よりも一年長く、年齢は一つ下。そんな彼女は、この病院の経験が長い俺のことを先輩のように慕ってくれていた。
「ああ、ホントにもうこんな役回りは御免だよ」
俺は本当に気怠い様子で白石さんに応えた。
「意外とウケてましたよ。鷹司さんもやればできるじゃないですか」
「内輪だけでやるならまだしも、呼吸器の先生たち来てるんだから中途半端なことできないだろ」
「そこはごめんなさい! 私もこんなに先生方が集まるとは思ってなかったんですよね……」
白石さんは両手をぱちんと顔の前で合わせる。
佐藤さんの寿退社を受けて幹事を名乗り出たのが白石さん。転職して間もなく、白石さんは佐藤さんにとても世話になったのだとか。
そこから話が膨らんでいき、他部署の俺のところまでその知らせが届いた。挙句の果てに、佐藤さんの相手である長谷先生から直接幹事をお願いされたのだから断れるわけがない。
それから話がどんどん進んでいき、今のような状況に至るのである。
「次、同じ手使ってきたら俺は白石さんを許せないかもしれない」
「あーはは……肝に銘じておきますね……」
渋々幹事を引き受けた後に分かったことだが、俺に幹事をやるように長谷先生を仕向けたのは白石さんの仕業である。医師の頼み事は断りづらいからこういう手口は勘弁してほしい。
ふと本日の主役の方へ目を向ける。
佐藤さんは横に並んだ長谷先生とともに、いい感じにもみくちゃにされていた。同僚看護師や呼吸器の先生たちだけではなく、他部署のコメディカルたちにも囲まれ、手に余るほどの祝福を受けている。
そんな二人の様子はどこか照れながらも、本当に幸せそうに見えた。
「羨ましいですか?」
そんな様子を見ていた白石さんが声をかける。
「別に。そういうのじゃないよ」
「鷹司さん、結婚とか興味なさそうですもんねー」
「そうだね」
俺が流すように答えると、白石さんは何かを期待するような目でこちらを見続けていた。
「……なに?」
「え? 私には聞いてくれないのかな、って」
「白石さんは結婚に興味あるのか聞けってこと?」
「私ですか? どこか近くにいい人いないかなって毎日思ってますよっ!」
まだちゃんとした質問の形式をとっていないにも関わらず白石さんは勝手に答える。
「少なくとも近くにはいないだろ。でも白石さんならすぐにいい人見つかるって」
「そーゆーことじゃないんだけどなぁー」
白石さんは俺の返答に納得がいかない様子でレモンサワーを一気に流し込んだ。
俺は再び佐藤さんと長谷先生の方へ目を向ける。
今日一日俺の気分が滅入っていたのは幹事が嫌だったというだけではなく、一番の理由は主役の二人を見ていれば明らかだった。
仲睦まじく祝福される佐藤さんと長谷先生を見て、何も思うことがないのだ。
二人の姿が羨ましいとも思わない。
俺も今年で27にもなるのだから、少しでも結婚に対するビジョンがあってもいいはずなのに、幸せな二人を見ていても焦りの感情すら沸いてこない。
だから俺は、そんな自分と向き合うことになるこの状況がとても億劫だった。今まで恋愛経験が0の俺には、あんなふうにはなれないんだと、見せつけられている気分だった。
俺だって。俺にだってあったんだ……。
人並みの恋愛ができそうだった時期が……。
でもそれは12年も前の話。もう、あの頃には戻れない。
ビールをちびちびと飲みながら自虐的になっていると白石さんが話を振ってきた。
「鷹司さん知ってますか? あの二人、幼馴染なんですって」
白石さんは佐藤さんと長谷先生を見ながら言う。
「……マジで?」
「ええ、小学生からずっと一緒なんだとか」
「へえ、そういうこともあるんだな」
「お互い、いつから好きだったかとかは知らないですけど、長年の想いが形になるって素敵ですよね」
「……そうだな」
「ふぅん、そこは同意するんですね。あ! もしかして鷹司さんもそういうのに憧れてたりするんですか!?」
「まあ……悪いもんじゃないとは思うよ」
白石さんはそういった俺の横顔をじーっと見つめる。
「なんだよ……」
「いえ、別に……」
そうして白石さんは少しだけ遠い目をしながら、呟くように言った。
「思い出って、呪いみたいですよね。その頃の想いが強ければ強いほど、その時間に縛り付けられる」
「……なんだよ、急に」
「いえ、ただの独り言です。気にしないでください」
白石さんが放った何気ない一言は俺の心を深く抉った。
思い出は呪い、とはよく言ったものだ。まさに今の自分そのものじゃないか。
そう、俺は未だにあの頃の思い出に縛られている。
だから俺の時間はあの頃から全く動きださないのだ。
そうしてまた、いつものようにあの二人のことを思い出す。
席を立ちあがり、取り繕うような笑顔を作った。
「えー、皆さん。お手元に飲み物はお揃いでしょうか? 本日は西病棟三階看護師の佐藤みちるさんの送別会にお集まりいただき、誠にありがとうございます」
座敷の大部屋に集まった40人ほどの視線が集まる。背中にじわっと汗が滲む感覚を無視しつつ俺は言葉を続けた。
「佐藤さんは皆さんご存じの通り、まだ若手のホープでありながら――」
佐藤さんという人物について面白可笑しく列挙して場を盛り上げる。このセリフを考えるのに3時間を要した。
「――というわけで、この度は呼吸器科の長谷先生とご結婚される、ということで退職の運びとなりました。いよっ!! 玉の輿っ!!」
今日一番の笑いがその場を満たす。キャラじゃないな、と内心苦笑いを浮かべながらビールジョッキを手に取り、乾杯の音頭で自分の役目を終えた。
周りがそれぞれ歓談し始める様子を眺めつつ、深いため息とともに席につく。なんとか幹事としての大一番を終えた安堵で胸が満たされた。
「お疲れ様です。鷹司さん」
隣に座っていたもう一人の幹事の白石さんがニコニコ顔で声をかける。
ミディアムショートを揺らしながら愛嬌たっぷりの笑顔を振りまいている元気いっぱいの看護師さんで、その人気は患者・スタッフ共に高い。『妹系白衣の天使』なんて呼ばれているのを聞いたことがある。
昨年中途採用で地方から来たが、職歴は俺よりも一年長く、年齢は一つ下。そんな彼女は、この病院の経験が長い俺のことを先輩のように慕ってくれていた。
「ああ、ホントにもうこんな役回りは御免だよ」
俺は本当に気怠い様子で白石さんに応えた。
「意外とウケてましたよ。鷹司さんもやればできるじゃないですか」
「内輪だけでやるならまだしも、呼吸器の先生たち来てるんだから中途半端なことできないだろ」
「そこはごめんなさい! 私もこんなに先生方が集まるとは思ってなかったんですよね……」
白石さんは両手をぱちんと顔の前で合わせる。
佐藤さんの寿退社を受けて幹事を名乗り出たのが白石さん。転職して間もなく、白石さんは佐藤さんにとても世話になったのだとか。
そこから話が膨らんでいき、他部署の俺のところまでその知らせが届いた。挙句の果てに、佐藤さんの相手である長谷先生から直接幹事をお願いされたのだから断れるわけがない。
それから話がどんどん進んでいき、今のような状況に至るのである。
「次、同じ手使ってきたら俺は白石さんを許せないかもしれない」
「あーはは……肝に銘じておきますね……」
渋々幹事を引き受けた後に分かったことだが、俺に幹事をやるように長谷先生を仕向けたのは白石さんの仕業である。医師の頼み事は断りづらいからこういう手口は勘弁してほしい。
ふと本日の主役の方へ目を向ける。
佐藤さんは横に並んだ長谷先生とともに、いい感じにもみくちゃにされていた。同僚看護師や呼吸器の先生たちだけではなく、他部署のコメディカルたちにも囲まれ、手に余るほどの祝福を受けている。
そんな二人の様子はどこか照れながらも、本当に幸せそうに見えた。
「羨ましいですか?」
そんな様子を見ていた白石さんが声をかける。
「別に。そういうのじゃないよ」
「鷹司さん、結婚とか興味なさそうですもんねー」
「そうだね」
俺が流すように答えると、白石さんは何かを期待するような目でこちらを見続けていた。
「……なに?」
「え? 私には聞いてくれないのかな、って」
「白石さんは結婚に興味あるのか聞けってこと?」
「私ですか? どこか近くにいい人いないかなって毎日思ってますよっ!」
まだちゃんとした質問の形式をとっていないにも関わらず白石さんは勝手に答える。
「少なくとも近くにはいないだろ。でも白石さんならすぐにいい人見つかるって」
「そーゆーことじゃないんだけどなぁー」
白石さんは俺の返答に納得がいかない様子でレモンサワーを一気に流し込んだ。
俺は再び佐藤さんと長谷先生の方へ目を向ける。
今日一日俺の気分が滅入っていたのは幹事が嫌だったというだけではなく、一番の理由は主役の二人を見ていれば明らかだった。
仲睦まじく祝福される佐藤さんと長谷先生を見て、何も思うことがないのだ。
二人の姿が羨ましいとも思わない。
俺も今年で27にもなるのだから、少しでも結婚に対するビジョンがあってもいいはずなのに、幸せな二人を見ていても焦りの感情すら沸いてこない。
だから俺は、そんな自分と向き合うことになるこの状況がとても億劫だった。今まで恋愛経験が0の俺には、あんなふうにはなれないんだと、見せつけられている気分だった。
俺だって。俺にだってあったんだ……。
人並みの恋愛ができそうだった時期が……。
でもそれは12年も前の話。もう、あの頃には戻れない。
ビールをちびちびと飲みながら自虐的になっていると白石さんが話を振ってきた。
「鷹司さん知ってますか? あの二人、幼馴染なんですって」
白石さんは佐藤さんと長谷先生を見ながら言う。
「……マジで?」
「ええ、小学生からずっと一緒なんだとか」
「へえ、そういうこともあるんだな」
「お互い、いつから好きだったかとかは知らないですけど、長年の想いが形になるって素敵ですよね」
「……そうだな」
「ふぅん、そこは同意するんですね。あ! もしかして鷹司さんもそういうのに憧れてたりするんですか!?」
「まあ……悪いもんじゃないとは思うよ」
白石さんはそういった俺の横顔をじーっと見つめる。
「なんだよ……」
「いえ、別に……」
そうして白石さんは少しだけ遠い目をしながら、呟くように言った。
「思い出って、呪いみたいですよね。その頃の想いが強ければ強いほど、その時間に縛り付けられる」
「……なんだよ、急に」
「いえ、ただの独り言です。気にしないでください」
白石さんが放った何気ない一言は俺の心を深く抉った。
思い出は呪い、とはよく言ったものだ。まさに今の自分そのものじゃないか。
そう、俺は未だにあの頃の思い出に縛られている。
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