19 / 44
思い出の乖離
5
しおりを挟む
「先週、碧生に会ったよ」
でもそれは、そう思っただけで。俺の口からは無情な言葉が飛び出した。
「え……? アオイって……アオイだよね?」
碧生はあからさまに困惑した表情で言う。
「うん、宮藤碧生」
「へえ……そうなんだ……」
夏花は控えめに相槌を打つ。
どうして俺はまだ、二人の関係にこだわっているのだろうか?
夏花の心中を察して、ここは控えるべきではないのだろうか?
今更掘り返していい話じゃない。そう遊崎にも言われたじゃないか。
それでも、俺は止まることが出来なくなっていた。
「碧生は製薬会社の営業の新人だった。ウチの担当に付いて挨拶回りをしているところで偶然会ったんだ」
「すごい偶然もあったもんだね。アオイ、元気してた?」
「健康面では元気と言って差し支えないと思うけど、前よりも少し暗くなっている印象はあったかな。本人も以前よりも人付き合いが苦手だと言っていたし」
「……それで営業やってるなんてすごいね」
「苦手を克服するためとか言ってたけどな。あの様子でやっていけるかは正直心配なところだけど」
「そんな……感じなんだね」
やはり夏花の反応は芳しくない。表情も次第に重苦しく、暗いものに変わっていくのが分かる。碧生ほどではないにしろ、夏花にとってもあまり思い出したくない相手なのかもしれない。
「なあ、夏花。碧生と一体何があったんだ?」
それでも俺は――――核心に迫る一言を放った。
「何かあったって……なんでそんなことを聞くの……?」
本来なら三人の昔話で盛り上るべき場面でそうはならなかった。俺がそこに疑問を抱いているのではなく、その他に明確な理由があるというのは夏花も察しているところだろう。そしてそれが、触れられたくない過去であるということも。
「碧生に夏花の話をしたんだ。そうしたら急に気分が悪くなったみたいで、早々に帰宅することになってしまった。そして――――帰り際に、もう夏花の話はするな、と言われた」
こんな直接殴りつける様な言い回しではなく、もっと遠回しな聞き方はいくらでもあったのではないだろうか。そう思ってはいても、俺は最短距離しか選べない。
俺は一体――――何に焦っている。
夏花は俺の言葉に目を伏せ、しばらく押し黙っていた。
そしてやがて、深いため息とともに声を漏らす。
「はあ……そっか……そうだよね……」
俺はそんな夏花を見つめ、続く言葉を静かに待った。
「何があったか、だったね。でもごめん。詳しくは私の口からは言えない」
それは、私から話していいことではないから――と付け足す。
「コータが引っ越してからそんなに時間は経ってなかったと思う。中学三年の時、ある事件が起こった。それがきっかけで、私のせいで、アオイを深く傷つけた。それ以来――私とアオイは絶縁当然の仲になってしまったの」
夏花は淡々と言葉を吐き出していた。
「中学ってもう10年以上前の事だろ? そんな前の事は水に流して、また昔みたいに三人で仲良くすることは……無理なのか……?」
夏花は静かに首を横に振る。
「無理だよ。アオイがその様子なら、未だに私に対する恨みは消えていない」
「夏花は、それでいいのか?」
「一度切れた縁だし、今更どうこうしようってのはないかな。もう私たちはいい大人になってそれぞれの道を進んでいる。切れて分かれたものを再び元に戻そうってのは、とっても難しいことなんじゃないかな」
そんなことを、夏花は控えめに笑って言った。
確かに夏花の言う通り、それは難しいことなのだろう。それでも俺は、素直にその言葉を飲み込めないでいた。
「……そろそろ、帰ろっか」
追加で頼んだアルコールやつまみには手を付けずに夏花は席を立つ。
俺たちは会計を済ませて店の外に出た。少し冷たい風が頬を撫で、頭が冷えっていくのを感じる。
「なんか、悪かったな。夏花が別れたって聞いた時、こんな話をするべきじゃないと思っていたんだけど、どうしても聞かずにはいられなかった」
自分でも先ほどの様子は普通じゃなかったと思う。どこか冷静に夏花の様子を観察しているにも関わらず、出てくる言葉はそれとはまったく別の物だった。
俺の言葉に、夏花は驚いたように目を丸くする。
「へえ、一応そういうとこは気遣ってくれてたんだ?」
「だから謝ってるじゃないか」
「まあ、私としてもアオイのことは気になっていたから、今どうしているのか分かっただけでも良かったかな。だから気にしないで」
笑ってそういう夏花の表情は、相変わらず無理をしているようにも見えた。
「本当に、ごめん」
改めて、先ほどの自分の言動を反省する。
「だーかーらー、気にしないでって言ってるでしょ! それに、私もこれでフリーになったんだから、コータには今後とも酒飲み相手として付き合ってもらうからね!」
言葉尻だけを拾って少しだけ勘違いしそうになるが、別に深い意味はないんだろう。
「俺で良ければいくらでも付き合うよ」
俺の返事に、夏花はとても満足そうな笑みを浮かべた。とりあえず今の俺たちは、たまに酒を飲み明かすような間柄が丁度いいのかもしれない。
俺たちは駅に向かって歩き出す。
「それと、ひとつお願いがあるんだけどさ」
歩きながら夏花が言う。
「もし今度、アオイと会うことがあったら、私との間に何があったかは聞かないで欲しいんだ。きっと――アオイはあの時の事、思い出したくないだろうから」
「分かった。約束するよ」
そもそも碧生の前で夏花の話はするなと言われている。だからこそこの話を夏花に聞くしかないと思ったのだが、やはり不完全燃焼感は否めない。
先ほどの俺の様子からすると――その約束は果たされるか自分でも不安なところだった。
夏花と碧生の思い出を壊してはいけない。
あの頃のまま、綺麗なままに。
これはまるで強迫観念のように俺の精神を蝕んでいる。
俺はそれに、何故か抗うことが出来ない。
俺が望むことは――――それとは真逆のことだと、本当は知っているのに。
でもそれは、そう思っただけで。俺の口からは無情な言葉が飛び出した。
「え……? アオイって……アオイだよね?」
碧生はあからさまに困惑した表情で言う。
「うん、宮藤碧生」
「へえ……そうなんだ……」
夏花は控えめに相槌を打つ。
どうして俺はまだ、二人の関係にこだわっているのだろうか?
夏花の心中を察して、ここは控えるべきではないのだろうか?
今更掘り返していい話じゃない。そう遊崎にも言われたじゃないか。
それでも、俺は止まることが出来なくなっていた。
「碧生は製薬会社の営業の新人だった。ウチの担当に付いて挨拶回りをしているところで偶然会ったんだ」
「すごい偶然もあったもんだね。アオイ、元気してた?」
「健康面では元気と言って差し支えないと思うけど、前よりも少し暗くなっている印象はあったかな。本人も以前よりも人付き合いが苦手だと言っていたし」
「……それで営業やってるなんてすごいね」
「苦手を克服するためとか言ってたけどな。あの様子でやっていけるかは正直心配なところだけど」
「そんな……感じなんだね」
やはり夏花の反応は芳しくない。表情も次第に重苦しく、暗いものに変わっていくのが分かる。碧生ほどではないにしろ、夏花にとってもあまり思い出したくない相手なのかもしれない。
「なあ、夏花。碧生と一体何があったんだ?」
それでも俺は――――核心に迫る一言を放った。
「何かあったって……なんでそんなことを聞くの……?」
本来なら三人の昔話で盛り上るべき場面でそうはならなかった。俺がそこに疑問を抱いているのではなく、その他に明確な理由があるというのは夏花も察しているところだろう。そしてそれが、触れられたくない過去であるということも。
「碧生に夏花の話をしたんだ。そうしたら急に気分が悪くなったみたいで、早々に帰宅することになってしまった。そして――――帰り際に、もう夏花の話はするな、と言われた」
こんな直接殴りつける様な言い回しではなく、もっと遠回しな聞き方はいくらでもあったのではないだろうか。そう思ってはいても、俺は最短距離しか選べない。
俺は一体――――何に焦っている。
夏花は俺の言葉に目を伏せ、しばらく押し黙っていた。
そしてやがて、深いため息とともに声を漏らす。
「はあ……そっか……そうだよね……」
俺はそんな夏花を見つめ、続く言葉を静かに待った。
「何があったか、だったね。でもごめん。詳しくは私の口からは言えない」
それは、私から話していいことではないから――と付け足す。
「コータが引っ越してからそんなに時間は経ってなかったと思う。中学三年の時、ある事件が起こった。それがきっかけで、私のせいで、アオイを深く傷つけた。それ以来――私とアオイは絶縁当然の仲になってしまったの」
夏花は淡々と言葉を吐き出していた。
「中学ってもう10年以上前の事だろ? そんな前の事は水に流して、また昔みたいに三人で仲良くすることは……無理なのか……?」
夏花は静かに首を横に振る。
「無理だよ。アオイがその様子なら、未だに私に対する恨みは消えていない」
「夏花は、それでいいのか?」
「一度切れた縁だし、今更どうこうしようってのはないかな。もう私たちはいい大人になってそれぞれの道を進んでいる。切れて分かれたものを再び元に戻そうってのは、とっても難しいことなんじゃないかな」
そんなことを、夏花は控えめに笑って言った。
確かに夏花の言う通り、それは難しいことなのだろう。それでも俺は、素直にその言葉を飲み込めないでいた。
「……そろそろ、帰ろっか」
追加で頼んだアルコールやつまみには手を付けずに夏花は席を立つ。
俺たちは会計を済ませて店の外に出た。少し冷たい風が頬を撫で、頭が冷えっていくのを感じる。
「なんか、悪かったな。夏花が別れたって聞いた時、こんな話をするべきじゃないと思っていたんだけど、どうしても聞かずにはいられなかった」
自分でも先ほどの様子は普通じゃなかったと思う。どこか冷静に夏花の様子を観察しているにも関わらず、出てくる言葉はそれとはまったく別の物だった。
俺の言葉に、夏花は驚いたように目を丸くする。
「へえ、一応そういうとこは気遣ってくれてたんだ?」
「だから謝ってるじゃないか」
「まあ、私としてもアオイのことは気になっていたから、今どうしているのか分かっただけでも良かったかな。だから気にしないで」
笑ってそういう夏花の表情は、相変わらず無理をしているようにも見えた。
「本当に、ごめん」
改めて、先ほどの自分の言動を反省する。
「だーかーらー、気にしないでって言ってるでしょ! それに、私もこれでフリーになったんだから、コータには今後とも酒飲み相手として付き合ってもらうからね!」
言葉尻だけを拾って少しだけ勘違いしそうになるが、別に深い意味はないんだろう。
「俺で良ければいくらでも付き合うよ」
俺の返事に、夏花はとても満足そうな笑みを浮かべた。とりあえず今の俺たちは、たまに酒を飲み明かすような間柄が丁度いいのかもしれない。
俺たちは駅に向かって歩き出す。
「それと、ひとつお願いがあるんだけどさ」
歩きながら夏花が言う。
「もし今度、アオイと会うことがあったら、私との間に何があったかは聞かないで欲しいんだ。きっと――アオイはあの時の事、思い出したくないだろうから」
「分かった。約束するよ」
そもそも碧生の前で夏花の話はするなと言われている。だからこそこの話を夏花に聞くしかないと思ったのだが、やはり不完全燃焼感は否めない。
先ほどの俺の様子からすると――その約束は果たされるか自分でも不安なところだった。
夏花と碧生の思い出を壊してはいけない。
あの頃のまま、綺麗なままに。
これはまるで強迫観念のように俺の精神を蝕んでいる。
俺はそれに、何故か抗うことが出来ない。
俺が望むことは――――それとは真逆のことだと、本当は知っているのに。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる