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御曹司は懊悩する(栗生視点)

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 今日も用件があり……いや。正直に言えば『用件を作って』総務課を訪れた僕は、『彼女』を探すという明確な意思をもって周囲を見回した。

 ――ああ、いた。

 大野さんを見つけた瞬間、僕の頬はふわりと緩んでしまう。
 業務時間なのだから、いて当たり前といえば当たり前なのだけれど。
 大野さんは少し退屈そうな表情で、パソコンと向き合っていた。今日の彼女はまとめた黒髪を、ヘアクリップを使ってしっかりと上げている。……少し気温が高いからかな。綺麗なうなじが大胆に露出していて、その白さを目にすると喉がこくりと鳴った。
 大野さんはタンブラーからちびりと飲み物を飲むと、ふっと息を吐く。タンブラーには、なにかのキャラクターらしきものが印刷されているようだ。遠目からでもかなりポップに見えるそれは、彼女のクールなイメージからすると意外な選択に感じる。案外、可愛いもの好きだったりするのだろうか。

「――ッ」

 その瞬間は不意に訪れ、僕は息が止まりそうになった。
 大野さんがタンブラーの図案に目をやって――幸せそうに微笑んだのだ。
 想像していた以上に、彼女の『笑顔』には破壊力があった。それを向けられているのが……どうして『僕』じゃなくてタンブラーなんだろう。そんなバカバカしいことを考えてしまう自分に苦笑してしまう。
 わざわざ理由を作って顔を見に来て、笑顔を見ると嬉しくなって、だけどそれを『僕』だけに向けて欲しいなんて。

 こんなのまるで『初恋』じゃないか。

 そう考えて……その考えが驚くほどにしっくりとくることに僕は気づいた。

 ――そうか、これが。

 彼女は……僕の『初恋』なのか。
 これが正しい結論なのだと、心が震える。
 気づいてしまえば簡単で、心に静かに馴染んでいった。

 ――僕は、彼女が欲しい。

 人生ではじめて生まれた執着は、心を容易に焦がしていく。

「栗生部長、お疲れ様です。最近よくいらっしゃいますね!」

 熱情に駆られるままに大野さんを見つめていると、声をかけられた。
 声をかけてきたのは、いつもの通り『橋本さん』だ。彼女はきっと、この課の女子社員たちのヒエラルキーの頂点なのだろう。声をかけたそうに様子を伺っている女子社員たちが、彼女に先んじて声をかけてくることはほとんどない。

「たまたまだよ。先方からお菓子をいただいてね。営業部だけじゃ食べられないくらいにもらったから、おすそ分けに来たんだ。よければ皆で食べて」

 実際もらいすぎて困っていたお菓子の箱を二つ、橋本さんに手渡しする。

「わぁ、ありがとうございます!」

 すると橋本さんは、計算され尽くされた愛らしい笑顔を僕に向けた。
 大抵の男が、目にした瞬間に胸をときめかせるような笑顔だ。
 だけどそれを見ても――僕の心は少しも波立たなかった。

 ――どうやって、大野さんを手に入れようか。

 高い声音で話しかけてくる橋本さんに上の空で返事をしながら、僕はそればかりを考えていた。
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