心の檻を開ける鍵

宝月 蓮

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もう無視出来ないこの気持ち

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(本当にマリエル嬢と出会ってから調子狂うな……)
 数日前に自身を注意するセシルについて来ていたマリエルと出会ったサシャ。
 マリエルは今までサシャが相手にしていた令嬢達とはタイプが違い、一生懸命だがどこか危なっかしさがあった。
 図書室や研究棟の実験室でマリエルと関わるうちに、サシャの中で彼女の存在が大きくなっているのである。

 この日も放課後、サシャは図書室に来ていた。
(マリエル嬢が読んでいた専門書……確かこの辺にあったよな)
 マリエルがやろうとしていることを知りたいと思い、分厚い専門書を手に取るサシャ。
 しかし専門書を開いてみると、まるで呪文のような見たことのない用語や化学反応式などが多数あり、ぐるぐると目が回りそうになるサシャだ。
(何だこりゃ……!? 何を書いてあるのか全っ然分からない……!)
 ラ・レーヌ学園では最低限の講義しか受けず、あまり勉強に力を入れていないサシャには専門書の内容が理解出来なかった。
「サシャ様……?」
 背後から、絹糸のように細く澄んだ声が聞こえた。
 サシャはハッとして振り向くと、そこにはマリエルがいた。
「マリエル嬢……」
「サシャ様も図書室にいらしたのですね」
 マリエルはふわりと可愛らしい笑みを浮かべた。
 数日前の初めて出会った頃と比べると、サシャに対して少し心を開いてくれているかのように見える。
「今日はマリエル嬢が図書室で勉強するって聞いたからさ」
 ややぎこちないが軽い口調のサシャ。しかし、鼓動は早くなっていた。
(こんなの他の令嬢達にも言っていることなのに……マリエル嬢には上手く言えないな……)
 マリエルといると焦りや戸惑いを感じてしまうサシャ。しかしそれだけではなく、心に火が灯ったように温かくもなっていた。
「サシャ様、何を読んでいらっしゃるのですか?」
 マリエルはきょとんとした様子で小首を傾げている。
 その仕草は令嬢としての品がありつつも、人形のような可愛らしさがあった。
「あ、いや、その……マリエル嬢が何をしているのか気になって、専門書を読もうとね」
「まあ! サシャ様も勉強なさるのですね!」
 マリエルの表情がパアッと輝いた。アメジストの目からはキラキラとした輝きが感じられる。
「あ、まあ、うん。……でも、何が書いてあるか全然分からなくて」
 サシャは気恥ずかしくなり、マリエルから目をそらしてポリポリと頭を掻いた。
「あの、よろしければ教えましょうか?」
 マリエルは控えめな上目遣いでサシャを見上げている。
「と言っても、わたくしも専門家レベルではないのですが……」
 マリエルは少しだけ気まずそうにはにかむ。
「じゃあ、お願いして良いかな?」
 サシャはそう頼むことにした。
 するとマリエルはふふっと微笑み「はい」と頷いてくれたのである。

 こうしてこの日の放課後は、マリエルと勉強会をすることになった。
 マリエルは自身の実験に関する勉強の合間に、サシャに基礎的なことを教えてくれる。
「えっと、マリエル嬢、つまり鉄と酸素が反応した方が安定して、その時に生じたエネルギーが熱になるってこと?」
 サシャはマリエルに教えてもらったことを復唱した。すると、マリエルは頷く。
「はい、そうです。ただ、鉄の酸化反応は非常にゆっくりなので、普段は熱を感じません」
「だからマリエル嬢は、えっと……水と塩を使って、その反応を速くしようと」
「仰る通りです」
 マリエルは満面の笑みである。
 マリエルの説明は分かりやすく、化学系の学問が初心者のサシャでも非常に分かりやすかった。
 少し説明されただけで、スッと頭に入るのだ。
「サシャ様はご理解が早くて素晴らしいです」
「いや、マリエル嬢の教え方が上手なだけだ」
 満面の笑みのマリエルに褒められ、サシャは頬を赤く染めた。
「そうでしょうか……?」
 サシャの言葉に、マリエルははにかみながら微笑む。
「ああ、そうだよ」
 サシャは頷く。
「それは嬉しいです」
 マリエルは鈴の音が鳴るような声で笑った。
(ああ……マリエル嬢の笑顔……ずっと見ていたいな……)
 サシャはマリエルの笑顔を見つめながら、ぼんやりとそんなことを思うのであった。





♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔





「マリエル嬢、そろそろフォワ伯爵家も迎えの馬車が来る時間じゃないか?」
 かなりの時間、マリエルと共に勉強に集中していたサシャ。
 ずっと座ったままなので少し体が硬くなっており、サシャは軽く伸びをしたり肩を回す動作などをおこなった。
「そうですわね。もうすっかり日が落ちていますわ。時間帯的にはまだ早い方ですのに」
 マリエルは図書室の窓の外を見てアメジストの目を丸くしていた。
「読んでいた本を返さないといけませんわね」
 マリエルは帰る準備の為にノートや筆記具類をまとめて、分厚い専門書を返却しようと立ち上がる。
「マリエル嬢、俺が持つから。そんなに分厚い専門書、マリエル嬢が持ったら大変だ」
 サシャはヒョイッとマリエルが返そうとした専門書を取り上げ、自身が読んだ専門書と共に返却場所へ返そうとする。
「サシャ様、わたくしは専門書くらい持てますわ」
 マリエルは少し頬を膨らませ、上目遣いでサシャに抗議した。
 その姿に、サシャは少しだけ口元を緩ませる。
「いや、だってさ、この前俺、マリエル嬢のことを手伝いたいって言ったから。これも力仕事の一種。せめて俺がいる意義をちょうだい」
「……分かりました。では、お言葉に甘えて」
 マリエルは一瞬考え込み、肩をすくめながら微笑んだ。

「もう外は暗いな」
 専門書を返却場所へ持って行った後、図書室の窓の外を見たサシャはそう呟いた。
「そうですわね」
 マリエルもサシャと同様、図書室の窓から見える空に目を向けていた。

 ナルフェック王国の冬は日が短く、図書室の窓から見える空はすっかり暗くなっている。
 紫色の絵の具を溢したような空には、次第に白っぽく光る星が見えるようになっていた。

「冬は空気が澄んでいますから、星が綺麗に見えますね」
「それよく聞くね。何でだっけ?」
「冬は気温が低くて湿度も低いから、空気中の水蒸気や塵が少ないのです。ですから、星の光を遮るものが少ないですし、空気が乾燥していることで星がぼやけずくっきり見えるからですわ」
 星空を見上げているマリエルは、楽しそうな表情である。
 アメジストの目は増え始めた夜空の星々を映しており、いつも以上にキラキラしているように見えた。
 サシャのサファイアの目は、そんなマリエルに釘付けになる。
 するとマリエルはサシャの視線に気付いたようで、きょとんと小首を傾げながらキュッと口角を上げていた。
(この気持ちは……もう無視することは出来ない。俺は……マリエル嬢に惚れているということか)
 心の奥底に鍵をかけて封印していた気持ち。
 しかしその鍵は、マリエルがそっと優しく開けていた。
 マリエルといると心地の良い温かさを感じ、もっとマリエルのことを知りたい、一緒にいたいという気持ちが溢れ出すのだ。
 しかし、それと同時に不安にもなってしまう。

『ええ! サシャ様とセシル様、どちらがヴァランティノワ公爵家を継ぐかまだ決まっていないのですか!? じゃあ私、サシャ様と結婚しても公爵夫人になれないかもしれないということなのですね!? 公爵夫人になれないのなら、サシャ様と一緒にいる意味はありませんわ。せっかく容姿と身分が良いから近付いたのに』

 十歳の頃、好意を抱いていた令嬢からの言葉が脳内に響き渡る。
 サシャはその相手から、自分の容姿と肩書き以外全く興味を持たれていなかった。おまけに、セシルか自分のどちらがヴァランティノワ公爵家を継ぐか分からないと知ると、相手はサシャから離れて行ったのだ。
 サシャは自分の見る目のなさを呪い、それ以降女性は容姿と肩書き以外見ない存在だと思うようになり、軽く適当に扱うようになってしまった。
 誰かに好意を抱かなければ、傷付くことはないと、自身の心に鍵を掛けたのだ。

 ちなみに、その男爵令嬢は風の噂で他の公爵令息との婚約を目論むもトラブルを起こし現在修道院にいると聞いている。

(マリエル嬢はそんな令嬢ではないはずだ。領地の為に頑張っていて、自分の好きなことに夢中で、真っ直ぐで……!)
 出会ってまだ数日だが、図書室や実験室でのマリエルの姿を見ていたサシャ。
 マリエルのことは信じられると思った反面、臆病にもなっていた。
(最近ではこの国でも貴族の恋愛結婚は認められているけれど……マリエル嬢に気持ちを伝えて、受け入れてもらえなくてこの関係が変わってしまうのは……怖い……)
 マリエルへの気持ちが本気であるからこそ、今の関係が切れてしまうことを恐れるサシャであった。
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