魔王殿

神泉灯

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61・対死神戦用魔物

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 なんだあの力は。
 教授は少年の行使した力を正確に捉えることができなかった。
 それは唐突に行われたために対応が間に合わなかったということもあるが、同時にこちら側に転移した際書き込んである基底知識にないパターンの力でもあったからだった。
 いや、少し違う。
 教授は自分の考えを否定した。
 あるパターンに酷似しているが、異質な力だ。
 まさか。
 教授は一つの仮定に至った。
 だがその仮定を自身で確信するには疑問点が多い。
 なによりその行動理由が不明だ。
 そんなことをする必要がどこにある。
「オットー! ダメよ! オットー!」
 精神の安定を崩し、完全に混乱しているマリアンヌは、泣き叫び少年の場所へ向かおうとしている。
 教授は少女に意識が移り、その行動をとめようと考えるが、その時にはサリシュタールが無謀な行為に走らないよう、腕に力を込めて抱き留めていた。
 最強の魔術師でも、もがく王女を抱えながら、群がる周囲の魔物を足技だけで迎撃するのは多大な困難を伴うが、しかし大切な者を奪還したからには、二度も強奪されるつもりはない。
 昆虫標本のように針金で留められた少年は既に息絶えているようだ。
 仮定が真実だとしても、もう魔物にも自分たちにも意味のないことだろう。
 だがマリアンヌ王女は、名前を呼べば答えてくれるのだと信じているように、叫び続ける。
「アルディアス、その子を早く助けて!」
「今している!」
 魔術師に促された聖騎士は、剣先の音速突破による衝撃波によって人の顔をした蜘蛛を一撃の下に打ち倒し、次は教授の伝授に従って彼らの霊核に剣を差し込んで力を伝達させる。
 途端に霊魂が強制転移され、その肉体が一瞬で灰燼と化した。
 教授の話は真実だと確信したが、しかし少年との間には、まだ十数体の人蜘蛛が立ち塞がっている。
 さらに空から怪鳥が飛来し巨大な鉤爪で攻撃を仕掛けてきた。
 救出は無理だ。
 大規模な攻撃法は少年を巻き込んでしまう。
 だが各個撃破では全てを倒すには時間がかかり、少年が現在も生命活動を維持しているのだとしても、到着する時には確実に死亡している。
「教授! なんとかできないのか?!」
 聖騎士の背後で、敵を相手にしているゴードが、同じく隣で戦っている教授に訊いた。
 魔物はまるでマリアンヌさえ手に入れられれば全てが解決するのだというように、凄まじい勢いで絶え間なく襲撃してくる。
 これではアルディアスの援護に回る余裕もない。
 だが最初の光の戦士を自称している教授が、真実死神であるのなら、状況を逆転させる手段を持っているかもしれない。
 しかし教授は残酷とも言える答えを返した。
「その少年の安否や、攻撃に巻き込む危険性については、もう気にしなくて良い。彼は死亡している」
 冷淡に告げる口調は、三人を慄然とさせた。
 しかし戦闘下では冷静に事態を把握し事実を楽観的な希望を含めずにありのまま認めることが要求される。
 それを理解するだけの修羅場を三人は数え切れないほど突破してきたが、しかしここまで完璧に実践できる人物に出会ったのは初めてだった。
 あるいは彼が死の向こう側からの来訪者だからか。
 どちらにせよ教授の言葉が正しいことを認めるしかなかった。
 少年は助からない。
 しかし今のマリアンヌ王女は冷静とは遥か無縁の状態にあった。
「嘘よ! オットーが死ぬはずないわ! 早く! 早く助けて!!」
 地上の喧騒から離れて、上空で泰然と浮遊していた天使は、右側の翼を消し飛ばされても痛覚がないのか表情を変えずに、針金細工の羽を収縮させ、同時に突き刺していた少年も改めて腕の中に収めた。
 天使は少年の顔をしばらく眺めた後、その姿を消した。
「オットー!」
 マリアンヌの叫び声が虚しく響き渡った。


 ゲオルギウスを連れ帰ったゼフォル・ヴァ・グリウスに残りの魔人が尋ねる。
「生きているのか?」
「心臓が止まっているが、完全には死んでいない。半刻程度なら延命できる」
「なぜ攻撃した? 今こいつに死なれては全て御破算になるのだぞ」
「心配ない。考えてある。それより、マリアンヌを奪回しなければ異界通路を開通できない」
 ゼフォル・ヴァ・グリウスの言葉に魔人がそれぞれに議論を交わす。
「どうする? 直接赴いて戦うか」
「馬鹿な、奴らと戦うなど自殺行為も同然だぞ」
「時間逆行の領域はどうだ? 領域を限定し、重複結界を張れば現在でも可能ではないのか」
「死神に本来の力の使用法を伝授されている。もう役に立たない」
「では尚更表の連中だけでは奪回は不可能だろう。私が出よう。なんとかして隙を作る。その間に確保しろ」
「俺も行こう」
「これも連れて行くといい。魂は入っていないが、脳に戦闘方法を入力しておいた。単純な戦いなら、雑魚よりは役に立つはず」
 やがて二人と一体がマリアンヌ奪回に向かった。
 スナフコフと同じく、戦闘を好む者たち。
 修羅と化したがゆえに地獄に落ち、命ある世界に戻っても、なおその本質を貫こうとする。
 だからこそ、光の戦士たちにとって強敵となるだろう。
 彼らが戦いに赴くのを見送る魔人たちの背後で、ゲオルギウスに蘇生を施しているゼフォル・ヴァ・グリウスは、薄らと邪悪な笑みを浮かべた。
 悪意に満ちた計画が達成するかのように。


 他者を巻き込む危険性がなくなれば、光の戦士たちはその能力を最大限に発揮することができ、そうなれば雑魚など彼らの敵ではなかった。
 アルディアスは手当たり次第に切りつけ、核に力を感染させ、魂を強制転移させていく。
 それでも対応が追いつかないならば、衝撃波を乱発して肉体を破壊する。
 今の魔王殿では、新しい肉体の入手は不可能だ。
 現在の物を破壊すれば魂は新たに宿る肉体を得られずに無力になる。
 ゴードは千体近の魔物に一々感染させることは最初の数匹で諦め、肉体破壊だけに専念していた。
 灼熱の炎で消炭にかえ、極寒の氷風は一瞬にして凍結させ、大地を槍に変えて突き刺し、風は無数の刃と化して切断する。
 サリシュタールは腕に抱えているマリアンヌの防護に集中し、積極的に攻撃を仕掛けようとはしない。
 だが魔物の目的はマリアンヌであり、その目標を抱えているサリシュタールに群がってくる。
 必然的に戦闘を行う必要があるが、それも取り立て脅威といえるほどのものでもない。
 そして教授は、淡々と魔物を屠って行く。
 細い刃を振るえば、光の線が走り、その直線状にいる魔物は一瞬で灰燼と化す。
 体内に潜む霊核に届きさえすれば、数刻前に遭遇した古生物のように手間をかけて肉体を破壊する必要はない。
 その動きは必要最小限に抑えられ、血潮が滾る戦闘というより、害虫駆除における単純作業のようだった。
 戦闘は光の戦士たちの容赦のない一方的な殲滅戦の態を奏して行った。
 その様子を城門の隣で傍観していた黒い騎士の隣に、いつの間に現れたのか魔人の一人が浮遊していた。
 全身を皮製の黒服で包み、要所をベルトで固定しているそれは、拘束具を連想する。人型だが、頭部は蠅だ。
「様子は?」
 蠅の口からどうやって発声しているのか、滑らかな口調で黒い騎士に端的に尋ねた。
「見てのとおりだ」
 それで全ての説明は事足りると、短く答えた。
 実際、それで全て理解できる。
 だが彼らはそれで怯むような者ではなかった。
 戦いこそが彼らの喜び。
 戦闘のための戦闘。
 戦うために戦う彼らは、強敵との戦いは望むところだった。
 戦う者たちは本来目的を持っている。
 ある者は正義の為に、ある者は平和を勝ち取る為に、ある者は信仰心に基づいて、ある者は復讐に、ある者は大切な人を取り戻す為に、ある者は金の為に。
 戦いとは常になんらかの報酬を得る為にある。
 だがスナフコフを始めとした彼らは、戦いそのものに価値を見出しており、際限のない殺戮を繰り広げ続ける。
 だからこそ地獄に落ちる結果となったのだが、その本性は現世に復活を果たしても変わらない。
「ふん、さすがは修羅場を潜ってきただけのことはある。だが、我らを雑魚と同じと思わないことだ」
 次に現れたのは二メートル程の体躯の、蝙蝠に似た巨大な羽と、蜥蜴のような尻尾、そして少し長い首についている頭部は竜に酷似している。
 神聖さを表す白い法衣を纏っているが、魔物特有の禍々しい印象は消えることはない。
 その背後から無言で3メートル以上はある半裸の巨人が現れた。
 以前ゴードが戦った一つ目の巨人と酷似しているが、これは眼が三つある。
 彼らと入れ替わりに、黒い騎士の横を通り過ぎて、人蜘蛛に座する木乃伊が古城の中に戻ろうとする。
「引くのか?」
 木乃伊は首肯した。
 この木乃伊の戦闘能力は低い。
 指揮官としての役割と特殊能力に長けているが、しかし直接戦えばその辺の雑魚と大差はない。
 だから戦闘に参加しないのは理解できるが、マリアンヌを奪回しなければ、どちらにせよ彼らと戦うことになる。
 それがわからない筈がないのだが。
 ゼフォル・ヴァ・グリウスも奇妙な行動を取ったことを思い出す。
 重要人物であるゲオルギウスを殺害しその遺体を回収した。
 用済みと判断したなら死体は必要ないはずだ。
 もし強制的に蘇生させてもあの状態では半刻も持たない。
 異界通路を安定させるのは不可能だ。
「ああ、そういうことか」
 スナフコフは納得して呟いた。
 木乃伊はその呟きに微かに動揺を感じたようだったが、しかし黒い騎士は興味を持たなかった。
「行け」
 端的に告げて、黒い騎士は腰に佩いている剣を抜いた。
「そこをどけ!」
 竜人の声によって魔物たちが四人から一斉に離れた。
 光の戦士たちは声の主に目を向け、同時に魔人たちの姿を確認する。
 黒い騎士がアルディアスの前に進み出た。
「イグラード王国の聖騎士よ、決着をつけよう」
 白い騎士は相対して剣を構えた。
「ああ、これ以上長引かせるのは私の意にもそぐわない」


 三つ目の巨人がゴードの前にでる。
 人体保管所で戦った魔人と同型だ。
 ゴードは、大剣を片手で掲げ、銀の小剣を開いた片手に持った。巨大な大剣は彼にとって羽毛に等しい軽さだった。
「またデカブツかよ」
 蠅頭がサリシュタールに告げる。
「一応伝えておく。もし王女を渡せばおまえたちは見逃してやろう」
 サリシュタールはその交換要求に返答せず、その王女を背後に庇う。
「マリアンヌ様、私から離れないでください」
 そして竜人は教授の前にでる。
「死よ、本来おまえたちに我らは抵抗することは不可能だった。だが人間となった貴様なら、屠ることは可能だ」
 教授は皮肉な言葉を返す。
「三百年前に逃げたものの科白とは思えんな」
 四人と四体の間に、乾いた一陣の風が吹いた。
 戦闘開始は誰かが合図を上げたわけでもなく、唐突に始まった。
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