魔王殿

神泉灯

文字の大きさ
上 下
62 / 72

62・それぞれの戦い

しおりを挟む
 竜人の口内から火炎が噴出された。
 その高熱は大地を焼き石畳は赤銅色に輝く。
 周囲の魔物が灼熱に巻き込まれ、一瞬にして灰燼と化した。
 しかし教授はその中にあって泰然として火傷も、衣服に焦げ痕一つ付いていない。
 ならばと、可聴領域を超えた音波を放ち、それは振動波となり、高熱し半ば融解している石畳が分解し破壊され、液状のそれが飛び散るが、しかし教授は無傷だ。
 なんだ?!
 竜人はうろたえた。
 結界を張っているわけではなく、攻撃は確かに直撃している。
 だが揺ぎ無い磐石の如く、死神になんの影響を与えていない。
 多少の攻撃が通用するとは思っていなかったが、しかし完全に効果とは考えていなかった竜人は戸惑い、次の行動が遅れた。
 もし目茶苦茶にでも連続した攻撃をしていれば、あるいはもう少し良い勝負をしたかもしれない。
 だが教授にとってこれは戦いではなく、ただの作業だった。
 そして教授は竜人たちと違い、戦闘を好んでなどいない。
 背後から教授は、竜頭に刃を突き刺した。
「がっ!」
 正面にいる筈の教授が、同時に背後にいるという事実が信じられず、その理由に思い当たる間もなく、本来あるべき死が感染し、竜人の澱んだ魂は彼岸へ転移した。
 そして肉体が急速に崩壊する。
 同時に正面に佇んでいる教授の姿が消えた。
 幻影の一種だ。
 相手に幻を見せる種類ではなく、そこに映像を投影する手法。
 周囲の魔物が警告することも考慮に入れて、全員に見える形の方法を取った。
 戦士を自称する者は卑怯と非難するかもしれないが、光の戦士などという呼称は、他者が勝手につけたものだ。
 そして教授はそんな名前になんの価値も見出してはいなかった。
 死には名誉も汚名も意味を成さない。


 サリシュタールは背後に庇う王女が戦闘の影響で離れてしまうことを恐れて、王女を取り込んだ防壁結界を展開した。
 少年の遺体を魔物が連れ去り、それで自分では奪還できないと判断したのか、もしくはただの疲労か、現在は安定し沈静化している。
 しかしいつ勝手な行動を取るかわからず、もし自分から離脱されれば守るのは絶対に不可能だろう。
 BUBUBUBUBU……
 拘束具を連想する密着した皮製の衣服を纏った蠅頭が、不気味な笑い声を上げる。
「王女を庇いながら戦えるか? 魔術師」
 サリシュタールは沈黙したまま、魔術の弾丸を連続して撃ち込んだ。
 それは蠅男の結界によって軌道を変化され一発たりとも命中しない。
 逸らされた魔弾は背後の魔物に当たり、その肉体が四散するが蠅男は意に止めずに同じ攻撃をかけた。
 しかしそれもサリシュタールの結界が軌道を変え、石畳を穿つだけに終る。
 その石畳が槍のように突出し、サリシュタールを貫こうとするが、事前に察知した魔術師は、蠅男の操る力の作用そのものに干渉し、槍の出現場所を大きく変えた。
 結果、大地の槍は、他の魔物を突き刺す。
 力の作用に直接干渉を受けた蠅男は、ならば逆にサリシュタールに対して同じことを試みるが、それも予想していたのか即座に抵抗された。
 二者の間に力の干渉による軋轢が生じた。
 力をどれだけ深く浸入させ干渉できるか。緻密な作業と精錬度が勝負の分岐点になる。
 膨大な力が中間点に蓄積され、周囲に多大な被害をもたらす。
 放電が魔物たちを打ち据え、衝撃波が吹き飛ばし、重力異常に捉えられた体が浮遊し、空間の撓みに巻き込まれた者は体が押し潰され、引き千切られる。
 そして次の瞬間には蓄積された膨大なエネルギーが爆発的に放出され、百体近くの魔物を消滅させた。
 静寂が訪れた中で、蠅男とサリシュタール、そして魔術師の背後にいる王女にはなんの影響もなかった。
 錬度、精密度は同等。
 サリシュタールは王女を重力中和領域に取り込んで浮遊し、蠅男と同じ高度に移動した。
 そして魔術の杖を取り出すと、それを一本の槍に変形させ、蠅男に向けて投擲した。
 しかし蠅男の念動力でその槍は中間で止められ、逆にサリシュタールに向かって一直線に走らせた。
 だがサリシュタールもまた念動力によって槍の突進を止める。
 両者の間で再び力の軋轢が生じた。
 しかし今度は互いの力の干渉の速度と精密さではなく、単純に力の強大さによる攻め合いだ。
 しかし蠅男はこの押し合いには勝利を確信していた。
 自分は一人だけに重力中和領域を展開しているが、魔術師は自身だけではなく、王女にも力を割かねばならない。
 必然的にその総量は減少しており、全力を費やすことのできる自分には及ばない。
 確信を立証するかのように、槍は少しずつサリシュタールに向かって進んでいった。やがて魔術師の眼前にまで到達する。
 勝った。
 蠅男の内心の声を聞き取ったかのように、美貌の魔術師が不意に嫣然と微笑した。
「これで全力なの?」
「なに?」
 疑問に疑念で答えた蠅男は、その瞬間、高速度で向かってくる槍を目にした。
 そして避ける間もなく槍は体内に宿る霊魂諸共も貫き、そして槍には光の戦士の力を純粋化したものを付加されていた。
 BOBOBOBOBO……
 蠅男の体が小刻みに痙攣し、振動音に似た奇声を上げ、体が急速に消滅していく。
 そしてサリシュタールは背後で浮遊している王女を腕に抱きかかえると、地上に舞い降りた。
 実のところ単純な力の総量では圧倒的に自分が上で、王女と共に浮遊しても格段の差があると分かっていた。
 だが魔術の弾丸を逸らす結界は厄介で、それをまず解決しなければ戦闘が長期化してしまう。
 しかし技術的な攻防はほぼ対等であり決着が付かなかったので、単純な力比べに持っていく必要があった。
 その為に王女と共に浮遊したのだ。
 力が分割されて最大威力が発揮できないと、相手に先入観を持たせ、結界に頼らずに真っ向勝負をする精神状態に仕向ける。
 もっともこれは相手の精神が事前に人間とさして差異はないということがわかっていたから構築できた作戦で、もし異質な精神構造をしていれば別の方法を考案する必要があっただろう。
 もう、終ったことだが。
「マリアンヌ様、大丈夫ですか?」
 優しく語り掛ける彼女に、残留している魔物は攻撃を仕掛けようとはしなかった。


 巨人がその体構造を激変させ、戦闘に適した形状に変身する。
 下半身は巨大な蠍、上半身は人型だがその皮膚は同じように硬質化しており、四つの腕はやはり蠍の鋏と化している。
 全身は禍々しく紅く、尻尾の先からは毒液が垂れており、地面に付着したそれは、音を立てて石畳を溶かしている。
 ゴードは不敵な笑みを浮かべる。
「おまえ、頭の中身まで筋肉なんじゃないか?」
 言葉が通じたのか、意味がわからなかったのか、三つ目の蠍巨人は答えずに前進し始めた。
 答えを期待していなかったゴードは、即座に剣を一文字に振るった。
 大気の断裂による真空の刃が無数発生し、蠍巨人の表皮を走る。
 しかし結果は表面の光沢が微かに変化した痕跡だけで、なんの痛痒も与えていない
 拙いな。
 ゴードは内心呟く。
 鎌鼬の威力は、大剣の斬撃と同等の攻撃力だ。
 もし直接剣を叩きつけても、あの外骨格を破壊できない。
 通常、この種の敵には関節部分などの可動域の隙間を狙うのだが、硬質化した皮膚が発達してその部分も覆い隠しているのでそれも不可だ。
 残りは眼球だが、その部分だけしか弱点がないとなると、敵も承知しているだろうから、下手に攻撃すれば防御するか、回避するかして、即座に反撃に転じて来るだろう。
 GuOOOOO!
 蠍巨人が猛突進し、四つの巨大な鋏でゴードを切り裂こうと腕を振り回す。
 石畳の床に突き刺さり、空を斬れば突風が発生し、時折周囲の魔物を弾き飛ばし、あるいは切断する。
 尾の針から飛び散る毒液は床を急速に腐食させ、迂闊に浴びてしまった魔物がのた打ち回り溶解した。
 ゴードは猛攻撃を避けながら、装甲を破る方法を考える。斬撃は強硬度にて弾かれる。
 打撃も厚みによって内部に浸透せず、同じ理由で突撃も貫くのは不可能に近い。
 炎は一瞬怯ませるぐらいの効果はあるかもしれないが、表皮で弾かれ蠍巨人そのものが発火するには至らないだろう。
 効果の期待できる攻撃法は二つ。
 蠍巨人が疲労したのか、動きが停滞した隙を狙って、最大威力で雷撃を食らわせた。
 膨大な電力は空気を伝達し、蠍巨人に直撃する。
 しかし蠍巨人は、轟音と光度に驚いただけで、電気による神経麻痺や細胞レベルでの過熱は見られない。
 強固な表皮を覆う液体の膜が電気誘導の役割を果たし、脚部から地面に電気を散らしてしまったようだ。
 蠍巨人は大きく空気を吸引し、吐き出したのは紫色の毒霧だ。
「この!」
 精霊の剣で空気の流動を制御し、霧がゴードから避けるよう分かれた。
 その毒の霧を吸い込んだ魔物が血の泡を吐いて次々と倒れていく。
 毒の噴霧が終った頃には、周囲の魔物の数が随分減少した。
 ゴードは大気操作で致命傷は免れたが、微量の毒の霧を吸い込んでしまい、胸の内部で焼け付くような痛みが生じる。
 少しだけ口許から血が流れた。
 GuRyiurururu……
 人とは異質な声は、嘲笑に聞こえた。
「この蠍野郎!」
 毒霧に対して毒づくと、ゴードは精霊の剣を大地に突き刺し、全霊を剣に込める。
 剣は朧な輝きを放ち始め、蠍巨人の周辺の空気が急速に低下する。そして大地に霜が降り、蠍の足が凍結し始めた。
 蠍巨人は力任せに地に張り付いた足を引き剥がして、前に進み出る。しかし一歩進むごとに足が地面に凍り付いてしまう。
 身動きが取れないと判断した蠍巨人は、遠距離攻撃をかけようと、再び毒霧を吐き出した。
 しかし噴霧される先から空気中で凍結し、結晶化したそれは地面に落下する。
 ならばと尻尾から毒液を放出するが、それも一瞬で凍りつき氷の塊になる。
 しかし人体を改造し調節した戦闘専門魔人の生命力は、例え全身が凍り付いても停止することはないだろう。
 Uu……
 だが蠍巨人は体の感覚に違和感を覚え始め、同時に装甲の如き表皮が肉から剥離し始めた。
「おい、頭の悪い蠍野郎。膨張率って知ってるか?」
 水というのは他の物質と違い奇妙な性質を備えている。
 通常の物質は液体から固体に変化すると体積が減少するが、水だけは何故か増加するのだ。
 それは些細な膨張に過ぎないが、建築物の土台を崩壊させることさえある。
 そして蠍巨人が体内に蓄積している水分の量は、撒き散らしている毒の量から推測して、人間より遥かに多い。
 その全てが凝固すれば、体の内側から膨張する結果となり、外骨格は強固であるがゆえに柔軟性に欠け、肉から剥がれる。
 蠍巨人の体液が油分であれば効果はなかったが、狩人であるゴードはその毒が水分に属していると判別した。
 獲物の識別は狩猟の基本だ。
 そしてゴードは見聞きしたことを絶対に忘れない記憶力を持っており、またサリシュタールは事ある毎に薀蓄をする性癖がある。
 今の蠍巨人は、隙間だらけの鎧を纏っている状態と同じだ。
 ゴードは手にする銀の片刃の小剣を投擲した。
 それはゴードの意思に従い、空間を自在に飛行する。
 そして開いた関節部分の隙間から蠍巨人の体内に侵入し、さらに体内で暴れ回る。
 OGOOOO!
 体内に入り込んだ異物に苦しみ悶え、しかしそれを排除することができない。
 重要器官を全て破壊した銀の小剣は、さらに表皮の裏側に移動して、肉との接合部分を切り裂いた。
 胸部の外骨格が剥がれ、床に落下し乾いた音を立てた。
 今や装甲は完璧を失った。
 ゴードは蠍巨人に向かって疾走する。
 装甲を失った危険を理解しているのだろう、蠍巨人は四本の鋏を振り回して近づけさせまいとするが、しかし関節の隙間を狙った斬撃で切り落とされる。
「死ね」
 短く告げてゴードは、剥き出しの胸部に大剣を深く突き刺した。
 そして霊核に光の戦士の力を伝達させた。
 次の瞬間、蠍巨人の体は灰燼と化して消滅した。
しおりを挟む

処理中です...