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8 好きだけじゃ駄目な夜
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七年前
「こっちだ! 早くしてくれ!」
「待てよニルス。こっちはもう足がフラフラで……っとと」
騎士団所属の医師は、揺れる視界でニルスの後に続いていた。血相を変えたニルスに無理やり引っ張られ、普段足を踏み入れない平民街へとやってきていた。ニルスは慣れた足取りで進むと、到底立派とは言えない一軒家へと慣れた足取りで入って行った。
「ベルタ! もう大丈夫だ……」
「もしかしてお前の女の家か? ハハッ、真面目だと思っていたのにやるじゃないか」
笑いながら薄暗い部屋の中に入って行くと、ニルスは膝を着いて微動だにしなかった。
「おい、ニルス? どうしたんだよ」
視線の先の床には赤い物が染み付いている。酔いが一気に冷めていく。ニルスを押し退けるようにしてその血に見える物に近付いた。
「おい、一体ここで何があったんだ。ニルス!」
「……どこに行ったんだ? もしかして自力でどこかの診療所に向かったのかも。きっとそうだ、無事だったんだ!」
ニルスは立ち上がろとして足をもつれさせ、その場に倒れた。
「大丈夫か!? 何があったのかよく分からんが、誰か怪我していたのか? そうなんだな? ニルス! しっかりしろ!」
ニルスはもがくように立ち上がると部屋を飛び出して行った。
「おい! 待て!」
医者はとっさに床に付いていた赤い物をハンカチで拭うとニルスの後を追った。
「お、いたいた! 見て来いって団長が……」
「カイそいつを捕まえてくれ!」
前から手を振っていたカイは事態の異変を感じ、ニルスにぶつかるように抱き締めた。
「カイ頼む! すぐに街全部の診療所や医者や薬屋を当たってくれ! 騎士団全員で頼むよ! ベルタが大変なんだ!」
「ベルタって? おい、何があったんだよ」
息を切らして医者が追い付いてくる。大量の酒を飲んだ体で全力疾走したせいか、嗚咽をしながら膝に手を着いていた。
「いい、回らんで、いいから……」
切れ切れにそう言われ、ニルスは医者の胸倉を掴んだ。
「追わなくていいってどういう事だ! ベルタは大怪我をしているんだぞ!」
「だからそれが勘違いなんだよ。ほれ、よく見てみろ」
医者が差し出したハンカチには赤い血痕のような物が付いている。最初は目を逸したニルスだったが、恐る恐るそのハンカチを手に取った。
「それはおそらく血糊だ。だからそのベルタという者は怪我なんかしちゃいないさ。全く人騒がせな……オエェ」
ニルスはまじまじとハンカチを見た。カイが手を伸ばしその液体に触れる。そして小さく零した。
「本当だ。これ血糊だ」
カイはハンカチの臭いを嗅いで怪訝そうに眉を顰めた。
「甘い匂いがする、蜂蜜だ。趣味の悪い悪戯だな」
ニルスは放心したまま飛び出してきた家に戻って行った。
「無くなっている。ベルタが持ち出したんだ」
「ここって、もしかしてお前の恋人の家だったのか?」
カイは居心地悪そうに家の中を見渡した。
「アメジストのネックレスがここにあったんだ。祖母の形見だと言って大事にしていた」
「見てみろ、ほら。自分で出て行った足跡があるぞ」
恐らく血糊を踏んでしまったのだろう。家の中を数歩歩いた形跡と、玄関に続く跡があった。
「気の毒だけどな、お前は振られたんだと思う。そうじゃなきゃこんな風に消えたりなんかしないだろ?」
雨が振り始める。強くなった雨足は薄い屋根を叩き、屋敷とは違い激しいその音を間近で感じる。ニルスはずっとその音を聞きながら動く事が出来なかった。
「こっちだ! 早くしてくれ!」
「待てよニルス。こっちはもう足がフラフラで……っとと」
騎士団所属の医師は、揺れる視界でニルスの後に続いていた。血相を変えたニルスに無理やり引っ張られ、普段足を踏み入れない平民街へとやってきていた。ニルスは慣れた足取りで進むと、到底立派とは言えない一軒家へと慣れた足取りで入って行った。
「ベルタ! もう大丈夫だ……」
「もしかしてお前の女の家か? ハハッ、真面目だと思っていたのにやるじゃないか」
笑いながら薄暗い部屋の中に入って行くと、ニルスは膝を着いて微動だにしなかった。
「おい、ニルス? どうしたんだよ」
視線の先の床には赤い物が染み付いている。酔いが一気に冷めていく。ニルスを押し退けるようにしてその血に見える物に近付いた。
「おい、一体ここで何があったんだ。ニルス!」
「……どこに行ったんだ? もしかして自力でどこかの診療所に向かったのかも。きっとそうだ、無事だったんだ!」
ニルスは立ち上がろとして足をもつれさせ、その場に倒れた。
「大丈夫か!? 何があったのかよく分からんが、誰か怪我していたのか? そうなんだな? ニルス! しっかりしろ!」
ニルスはもがくように立ち上がると部屋を飛び出して行った。
「おい! 待て!」
医者はとっさに床に付いていた赤い物をハンカチで拭うとニルスの後を追った。
「お、いたいた! 見て来いって団長が……」
「カイそいつを捕まえてくれ!」
前から手を振っていたカイは事態の異変を感じ、ニルスにぶつかるように抱き締めた。
「カイ頼む! すぐに街全部の診療所や医者や薬屋を当たってくれ! 騎士団全員で頼むよ! ベルタが大変なんだ!」
「ベルタって? おい、何があったんだよ」
息を切らして医者が追い付いてくる。大量の酒を飲んだ体で全力疾走したせいか、嗚咽をしながら膝に手を着いていた。
「いい、回らんで、いいから……」
切れ切れにそう言われ、ニルスは医者の胸倉を掴んだ。
「追わなくていいってどういう事だ! ベルタは大怪我をしているんだぞ!」
「だからそれが勘違いなんだよ。ほれ、よく見てみろ」
医者が差し出したハンカチには赤い血痕のような物が付いている。最初は目を逸したニルスだったが、恐る恐るそのハンカチを手に取った。
「それはおそらく血糊だ。だからそのベルタという者は怪我なんかしちゃいないさ。全く人騒がせな……オエェ」
ニルスはまじまじとハンカチを見た。カイが手を伸ばしその液体に触れる。そして小さく零した。
「本当だ。これ血糊だ」
カイはハンカチの臭いを嗅いで怪訝そうに眉を顰めた。
「甘い匂いがする、蜂蜜だ。趣味の悪い悪戯だな」
ニルスは放心したまま飛び出してきた家に戻って行った。
「無くなっている。ベルタが持ち出したんだ」
「ここって、もしかしてお前の恋人の家だったのか?」
カイは居心地悪そうに家の中を見渡した。
「アメジストのネックレスがここにあったんだ。祖母の形見だと言って大事にしていた」
「見てみろ、ほら。自分で出て行った足跡があるぞ」
恐らく血糊を踏んでしまったのだろう。家の中を数歩歩いた形跡と、玄関に続く跡があった。
「気の毒だけどな、お前は振られたんだと思う。そうじゃなきゃこんな風に消えたりなんかしないだろ?」
雨が振り始める。強くなった雨足は薄い屋根を叩き、屋敷とは違い激しいその音を間近で感じる。ニルスはずっとその音を聞きながら動く事が出来なかった。
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