聖女だった私

山田ランチ

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5 愛しい人の居るお城

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 馬車はゆっくりと城門の前で止まると、ハイスが先に降りて手を差し出してくれた。久し振りに見る大きな城門も、その奥に聳える豪華な城も、出迎えてくれる多くの人々にも萎縮してしまう。いつまで経っても慣れない待遇と立場に気後れしながらハイスの大きくて厚い手を掴むと、少しだけ緊張が解れた気がした。後ろから飛び降りるようにネリ―も出てくると三人で階段を登って行った。
 視線を僅かに巡らせてみると、横からネリ―が少し不貞腐れたように言った。

「リアム殿下はいないのかな? ちょっと薄情じゃない? せっかく命を掛けて国を救った恋人が帰って来たっていうのにさ」

 不敬とも取れる発言を掻き消すようにネリ―の口を塞ぐ。暴れながらネリ―はごめんごめんともがき、気まずそうにへへッと乾いた笑いを浮かべた。

「お待ちしておりました。聖女様はこちらへ。聖騎士団長様はあちらへお着替えの準備をしております」

 初めて見る侍女に男女分けて連れて行かれる。心細くて振り返ると、ハイスもこちらを振り返っていた。

「聖女様、それではまた後で」

 そう言って微笑んでくれた笑みに頷くと、振り返らずにどんどん進んでいく侍女の後を追った。


「これを着るんですか?」

 用意されていたドレスに思わず怯んでしまう。そこには目を瞠る程豪華な衣装が用意されていた。青いドレスは薄い青から下にいく程濃い青へ美しい濃淡がついている。そして全体には輝く糸が編み込まれ、まるで光を浴びてキラキラと輝く水面のようだった。胸元はそこまで開いてはいないが、その代わりに総レ―スでむしろ目立つ気がしてしまう。その横には、とても庶民では一生働いても手に入れる事が出来ない大粒のアクアマリンが付いた首飾りが準備されている。

――もちろんこれも付けるのよね。

 恐る恐る侍女を見ると、表情の読めない顔で奥の浴室へと促してきた。

「まずは長旅で荒れているお体の手入れをさせて頂きます」

 ブリジットは城の侍女に逆らえるはずもなく、言われるままに浴室へと入って行く。侍女は容赦ない手付きで肌を磨いてきた。広い浴室というだけでも緊張するのに、こうして身体を洗われる事に慣れていないブリジットは、身体を隅々まで見られる事に抵抗があり自然と縮こまってしまうと、侍女は年の割に強い力で起き上がらせてきた。

「あの、この後は陛下への謁見ですよね?」
「そうです。お待ちですので手早く致しますよ。どうぞご協力下さいませ」

 早く終るのはこちらとしてもありがたい。ブリジットは諦めると力を抜いてされるがままに身体を磨かれた。

「うわ――! 綺麗だよブリジット!」

 侍女達の技術は素晴らしいものだった。ぱさついて見える赤銅の髪の毛には光沢が浮かび上がっている。日差しや風と砂に晒されていた肌も塩と香油のオイルで磨かれれば信じられない程に滑らかな肌触りへと変化していた。しかしこうして見ると胸元の日焼けの跡が嫌でも目に入ってしまっていたので、だからこそレースで隠す事が出来て内心ほっとしていた。

「あの、このドレスはどなたがご準備下さったのですか?」

 単純に礼を言いたくて出た言葉だったが、侍女は僅かに眉を潜め素っ気なく言った。

「殿下とリリアンヌ様です」
「リリアンヌ様?」
「リリアンヌ・ロ―レン様です。ロ―レン家の伯爵家のご令嬢です。ご存知ありませんか? 社交界でお召になった物はすぐに流行するという、とても気品に溢れたお美しいお方でございます」
「そうなのですね。社交界だなんて私には縁がない世界でしたから存じ上げませんでした。お礼をさせてもらえるでしょうか」

 侍女は笑顔を浮かべているだけだった。




 促されるままに部屋を出る。ネリ―は陛下との謁見中は留守番の為ずっと文句を言っていた。城の侍女ばかりが集まる部屋にネリ―を置いてくるのは不安だったが、当のネリ―は全くお構いなしのようにヒラヒラと手を振って見送ってくれた。
 久し振りの城も、国王への謁見も、もちろん久し振りのリアムとの再会も、その全てに緊張してきてしまう。逸る心を抑えながら侍女の後を追っていく。広い廊下と慣れない重たいドレスに四苦八苦しながらなんとか置いていかれないよう、ドレスの裾を踏まないように下だけを向いて歩いていると、頭上から声が降ってきた。

「ブリジット様? どうされました、下に何か……」

 頭上には神官の正装をしたハイスが驚いた顔のまま見下ろしてきていた。目に入ったのは肩から掛けている帯の色。白い衣装の上に垂らさている帯の色は藍色。藍色は神官の階級で言えば最上級だった。白から始まり五段階を経て辿り着く階級。何年も側にいたので当たり前に思っていたが、こうしてみるとハイスも本来はこうして気軽に言葉を交わせるような立場の人ではないのだと、まざまざと思い知らされた気がした。ハイスも目を見開いたまま何も言わない。恐る恐る声を掛けると、我に返ったのか小さく咳払いをした。

「……失礼致しました。ドレスを着てこられたのですね」
「リアム殿下がご準備下さったようなのです。あと、リリアンヌ様というロ―レン家のご令嬢の方がお選び下さったそうです。……あまり見ないでください。私には素敵過ぎて少し恥ずかしいんです」
「そんな事ございませんよ。とても良くお似合いです。どうぞ胸を張ってお進み下さい。あなたはこの国をお救いになった聖女様なのです。そんなあなたの前ではどんなドレスも霞んでしまうのが些か気の毒ですがね」

 かっと頬が熱くなる。真っ直ぐに照れる言葉を言われ返す言葉を見失っていると、ハイスは堪えきれないとばかりに小さく吹き出していた。

「う、酷いです! からかいましたね!」
「まさか! ブリジット様をからかうなど決してそんな事は致しません」

 そう言いながらも笑いを堪えているハイスをもう一度笑いながら睨みつけると、いつの間にか不安は吹き飛んでいた。王の間の前で待機していた兵士がハイスの合図で扉を開いていく。

「……リリアンヌ嬢か」

 ハイスの不穏な気配も言葉も、扉の向こうにいる恋人を想うブリジットには届いていなかった。




 窓から陽の光が差し込む王の間に足を踏みれた瞬間、目に飛び込んできた姿にブリジットは思わずドレスの端を握り締めた。

――リアム様。

 国王の隣りに並ぶその姿に視線が釘付けになる。遠目からでも分かる美しい金髪に、細いけれど鍛えた身体の線が正装をより美しく見せている。真っ直ぐな姿勢の良い背中。視線が合った気がした瞬間、胸が激しく鳴り、走り出したい衝動を抑えるので精一杯だった。
 玉座はまだ遠い。やがてその姿がはっきりと見えた。リアムも緊張しているのか、半年振りに会うその表情は幾分固く見える。ようやく国王とリアムの前に辿り着き、膝を曲げて挨拶をしようとした時だった。つま先がドレスの中で裾を踏む。それは一瞬の事で、ドレスが引っ張られ前に倒れそうになってしまう。一瞬、腰を上げかけたリアムと目が合いながら衝撃に備えて目を瞑った。しかし身体に走ったのは力強い腕の感触だった。

「大丈夫ですか聖女様」

 ハイスは優しく微笑むと膝を突いてさり気なくドレスの裾を直してくれる。そしていつも通り一歩後ろに下がった。ブリジットは恥ずかしさを押し込めて、何度も頭で繰り返した通りに礼を取った。

「フィリップ・クライン陛下に申し上げます。水の精霊ウンディーネ様の名の元に、この国に蔓延っていた邪気は祓われました」

 一語一句間違えずに言えた事に安堵したのも束の間、声が震えていたようにも思える。王の間は信じられない程に静まり返っていた。自分でも気がついていないだけで粗相をしてしまったのかと不安になり、僅かに首を動かしてハイスを振り見ると優しく頷かれる。その後、陛下は深い溜息をついた。

「やっとこの時が来たか。聖女ブリジットよ、よくやった。国王として、この国に住まう国民として礼を言うぞ」

 その瞬間、王の間に集まっていた貴族達から歓声が上がった。

「そしてハイスよ、そなたも聖騎士団長として今までよく聖女を支えてくれた」

 ハイスは拳を胸に当てると深く礼をした。

「お前達も久し振りの再会だろう。リアムは此度の遠征に着いて行くと言ってきかなかったからな。後で十分に再会を喜び合うといい。だがまずは神殿に向かうのだろう?」
「精霊ウンディーネ様にお礼の祈りを捧げに行って参ります」
「神殿での祭事は神官達に任せよう。ハイス、後は頼んだぞ」
「かしこまりました」

 陛下が立ち上がるとその後にリアムも続き階段を降りていく。真っ直ぐに目の前を過ぎようとした瞬間、自分でも半ば無意識にマントを掴んでいた。驚いた視線が美しい金髪の隙間から向けられる。それだけでどうしようもなく胸が高鳴った。

「あの、少しだけお話を……」
「まだ聖女としての仕事が残っているのだろう? 私もこの後は公務が立て込んでいるんだ」

ブリジットはとっさにマントから手を離した。

「今宵の晩餐会で存分に話すとよい」

 国王は嬉しそうに笑いながらどんどん先を進んでいく。離れていくリアムの背中を見つめながら、いつまでもその場から動けなかった。

「殿下もお久し振りの再会で緊張なさっておいでなのでしょう。半年前にあれだけブリジット様から離れるのを拒んでいたのに、今は立派に王太子としての顔をしていらっしゃいましたね」
「王太子の顔……そうですね。私もリアム様を見習ってちゃん最後までお勤めをしなくてはいけませんね!」
「そうです、共に祈りを捧げましょう」
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