聖女だった私

山田ランチ

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24 侯爵家のご令嬢

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 城の門に付いたのは、見事な軍馬が引く馬車だった。
 戦場に行くかのような車体は一切の飾りがなく、長期間の移動に適しているように見える。ルイーズ・ネグルアーデリアン侯爵令嬢をひと目見ようと後ろに集まった令嬢達の間からは、クスクスと笑い声が漏れていた。

「見てご覧なさいよ、あの馬車。きっともの凄く男勝りのお方なのよ。どのような格好でいらっしゃるか楽しみね」

 ハイスはそれを一瞥して制すると、馬車を見据えた。
 婚約の申し出をしてからここまでおよそ三ヶ月。異例と言っていい速さで事が進んだのは、相手もこの婚約を望んでいるからに違いない。しかし結局この日までルイーズとの顔合わせは叶わなかった。容姿を選んで結婚する訳ではないのだから問題ない。それでも今になって落ち着かない心に自分自身驚いていた。
 御者が扉を叩いてから開けると、集まった者達の意識がそこに集中する。そして中から降りてきた姿に、王城前は水を打ったような静寂に包まれた。そしてその静寂はすぐに男達のざわめきに変っていった。
 父親のネグルアーデリアン侯爵にエスコートされて現れたのは、誰から見ても文句の付けようのないくらいに美しい令嬢だった。うねりのある長い赤茶の髪はハーフアップに上げられ、淡黄色のドレスは身体の線に沿って美しく流れている。凛とした大きな目が、他の者よりも一歩前に出ているハイスを捉える。ネグルアーデリアン侯爵は娘を連れてハイスの前まで来ると、辺りの様子を満足そうに見渡して頭を下げた。

「初めまして。ハイス・リンドブルムと申します。ネグルアーデリアン侯爵、そしてルイーズ嬢で宜しいでしょうか?」

 ルイーズは馬車から降りる時こそハイスの顔をしっかりと見たが、近づく頃には慎ましく視線は下げていた。いつの間にか後ろからは小さな歓声が上がっていた。

「お初にお目に掛かります。領地から距離があるとはいえ、親子共々今日までご挨拶に伺えませんでした事をお詫び致します」
「あなた方が詫びる必要はありません。本来なら私から会いに行くべきでしたのに忙しさにかまけて本当に申し訳ありませんでした」
「リンドブルム公爵のご多忙さは我が領にも届いております。神官長になられてからは孤児の救済と教育に力を入れられてきたとか。本当に素晴らしい事でございます。そんな貴方様になら娘を託してもよいと思えたのです。親の欲目でお恥ずかしいですが、我が娘ルイーズはこの通り美しいでしょう?」
「お会いに来られなかったという事は、私の容姿にはさほどご興味などお有りになかったという事ですよね?」
「ルイーズ! 会ったばかりで止めないか」

 父親の小声など聞こえていないようにルイーズは更に続けた。

「誤解を与えてしまったのなら申し訳ございません。ですがそれが私の婚約承諾の決めてになったのですからどうかお許しくださいませ」
「どういう意味だろうか。顔を見に行かなかった事が決めてになったというのか?」
「結婚相手に容姿の美しさは求めず、それよりも重視するのは利用価値、という事でございますよね? 今まで申し込んできた殿方達は私の容姿に惚れ込んでの事でした。正直またそういう理由でしたらきっぱりとお断りするつもりおりました。でもそうでないのなら、互いにとっていい関係を築いていけそうだと思ったのです。それだけはまずお伝えしたいと思っておりました。でもこんな事、手紙に書いたら顔が見えない分、いらぬ誤解を招くと思ったのです」
「はははッ」

 周りの者達は内容までは聞こえはしなかったが、何やら話した後に声を出して笑ったハイスに驚いて顔を見合わせていた。

「閣下、お気を悪くなさらない下さい。悪気はなく娘はこういう性格なのですよ。先にお話したところで困惑されるだけかと思い黙っておりました」

 けろっとしたルイーズと、複雑な表情のネグルアーデリアン侯爵の温度差がなんとも言えず、笑いに拍車をかけてくる。それでもなんとか緩んでしまった表情を整えると腕をルイーズの前に出した。

「まずは長旅を労おう」

 予め借りていた城の応接室へと向かうと、集まっていた貴族達もやがて散り散りになっていく。最初はどんな格好の女性が現れるのかと沸き立っていた令嬢達も、いつの間にか寡黙に去って行ったようだった。

――私の出る幕ではなかったか。

 ルイーズは自分の容姿一つで、集まった令嬢達を黙らせてしまった。生まれ持ったその容姿も立派な武器となる。その事を、腕に軽く手を添えて歩く娘は熟知しているようだった。




 ルイーズは不思議な女性だった。顔を見に来ない事が婚約承諾の決め手だったなど、考えもしなかった。むしろわざわざ足を運んで会いに来るという誠意を見せなかったと怒られてもいいところをそんな風に言われ、ハイスとしては好印象しかない。今日はここで顔合わせをし、後日婚約の契約書を交わす事になる。ルイーズは紅茶に合うからと、連れてきた侍女から包み紙を受け取ってそのまま机に広げた。ネグルアーデリアン侯爵はそんな光景は見慣れているのだろう。食べ物を皿に乗せず、包み紙があるとはいえそのまま机に広げた事にあまり気にしていないようだった。中身はどう見ても手作りの焼き菓子。厚みはバラバラで所々焦げている所もある。一見すると苦そうにも見えた。

「途中立ち寄ったお店で厨房をお借りして焼いて参りました。お口に合えば宜しいのですけれど。ご安心ください、この通り毒など入っておりませんから」

 ルイーズは自ら焼き菓子を一つ摘むとそのまま口に入れた。がりっと音がし何度か咀嚼した後、紅茶を口にする。そしてにこりを笑った。そんな事をしても最初から食べる以外の選択肢はなかったが、呆気に取られたままハイスも焼き菓子を口に入れた。飲み込むまでガリガリとする音を立てながら食べ、紅茶を一口含んだ。

「……確かにこの焼き菓子は紅茶に良く合いますね。特に口の中の水分がなくなった所に、紅茶がよく浸透してより一層美味しく感じます」

 今度はルイーズが吹き出す番だった。さすがにまずいと思ったのか自分で口元を隠したが、その隣りでネグルアーデリアン侯爵は額を抱えた。

「まさかそこまで言い当てられるとは思いもしませんでした。さすがは公爵様です」
「堅苦しいのは苦手だから呼び方はハイスで構わない。私もルイーズでいいだろうか」
「それではハイス様と呼ばせて頂きます。私の事はどうかルウとお呼びください。親しい者達は皆そう呼んでおります」
「いきなり愛称というのも気が引けるから、婚約が正式に結ばれたらそう呼ばせてもらおう」
「お言葉ですが、後から呼び方を変える方が難しいと思います。どうぞ今この時からルウとお呼びください」

 そう美しい顔でにこりと微笑まれれば男は頷くしかない。

「閣下、どうかお気になさらないで下さい。うちの領では庭師や侍女、門兵達もルウと呼んでおりますので……」
「そうなのか。それはよい環境のようだな」
「そう仰って下さるのは閣下だけですよ。閉鎖的な事を良い事に領では好き勝手でした」

 恨めしそうにみる父親の視線を笑みで躱すと、自らもう一枚焼き菓子を手に取った。

「やっぱりもう少し甘みがあっても良かったかしら。料理は何度しても苦手です」
「そんな事ございません! お嬢様の焼き菓子は回を重ねる事に味わい深い色と形になっております! 第一号の試作品の時は石にかじりついたのかと思うくらいだったのですから」

 後ろに控えていた侍女は堪らずに声を発したかと思うと口を噤んだ。

「……閣下、何卒娘を宜しくお願い致します」

 ハイスは終始呆気に取られたまま、いつの間にか和やかに茶会は進んでいった。




「何故この婚約を承諾したのか、本当の事を聞いてもいいだろうか」

 ネグルアーデリアン侯爵が退席した所で、ハイスはずっと気になっていた質問を口にした。

「その前になぜ私を選んだのかをお聞かせ願えますか? ハイス様ならば、わざわざ姿を見た事もない娘などを娶らなくても伴侶を選ぶ事は容易かったのではありませんか? 家柄はもちろん容姿も美しい令嬢はお側に多くいらっしゃるはずです」
「今から私が話す事を聞いて、もし気分を害された時はこの婚約は断ってくれてもいい」
「どうぞお話し下さいませ」

 ルイーズの瞳は真っ直ぐにハイスを見つめていた。

「以前から、ネグルアーデリアン侯爵家では隣国の王女の御身を預かっているという噂を耳にしていた。それがあなたではないだろうか」
「この髪色のせいでそういう噂が流れたのでしょうか?」
「髪色ではない。そもそも隣国に接しているネグルアーデリアン領では珍しい髪色ではないだろう? それくらいは王都の者達も知っている。私はネグルアーデリアン領との繋がりを強くしたいと思ってあなたに縁談を申し込んだんだ。更に言えばその奥にある国を見据えている」
「公爵家当主であり神官長のあなたが隣国と関係を深めれば、王家と対立する事になるのではありませんか?」

 ハイスは言葉を選んでいる内に黙ってしまった。確かに謀反と取られてもおかしくはない行動だが、それでもこの行動には大きな意味があった。

「それでも、もうこの国は探し尽くしたんだ。もう後は別の国しかないんだ」
「聖女様の事でしょうか? お噂は私でも耳にしております」
「……結婚をし、子を設け、自分の役割を全うしなくてはというのも本当だ。理由は何であれあなたが妻となってくれれば生涯守り抜くと誓う」
「聖女様が見つかってもでしょうか? なんて意地悪な質問でしたね。……それを伺い、今からお話する事をハイス様にならお伝えしても大丈夫だと思いました。私がこの結婚を受けようとしたのはまさにハイス様が仰った事です」

 ルイーズは立ち上がるとハイスの横に座り直した。

「残念ながら私は王女ではありません。私達はずっと御身をお預かりしていたラウンデル王国の王子の行方を探しております。王女という噂が流れたのは、まだ幼かった殿下のお姿が可愛らしくてそう見えたのでしょう。事情があって殿下をお預かりした我が家ですが、賊に入られ殿下は誘拐されてしまいました。どれだけ探しても発見する事は出来ませんでした。ラウンデル王国の王子を秘密裏に預かっているというのは本来謀反にあたります。それでも私達はあの時命からがら逃れてきた王子を見捨てる事は出来ませんでした」
「なぜ陛下にご相談されなかったんだ?」
「あの時、王城は揺れておりました。八年前の事でございます」
「……ブリジット様が行方不明になられた時か」
「そうです。王都の兵士全てが国中を探し回っていたと聞きました。聖女様の捜索が何年も続いている中、とても言い出す事は出来ませんでした。そんな時に更なる揉め事を持ち出し、もし送り返せと言われでもしたら、殿下は殺されていたでしょう」
「随分と大事に想っているようだな」

 ルイーズは凛とした視線を伏せた。

「あの日殿下は私の部屋にいました。家中の者達が探す中、かくれんぼをして遊んでいたのです。それでも遊び疲れて喉が乾いたという殿下の為に部屋を離れた時、侍従の格好をした者に呼び止められ殿下の事を聞かれました。私は答えてしまったのです。私の部屋にいると。そして部屋に戻った時には、殿下はいなくなっていました」
「自分のせいだと?」
「私のせいです。ですから殿下を見つけるまでは決して自分の幸せは見つけず、必ず探し出そうと心に決めていました」
「なおさら腑に落ちないな。それなら何故私との縁談を受けたんだ?」
「ハイス様が神官長だからです」
「人探しをしろと? 生憎だがそれは成功した試しがないんだ」

 するとルイーズは胸元に下げていた首飾りをそっと見せた。

「これは殿下が持っていた宝石です。精霊サラマンダーの息吹と言われる火の石」
「それはかなり貴重な物だと思うが……」
「ハイス様も持ってはおられませんか? 精霊ウンディーネの水の石を」
「生憎だが持っていないし、目にした事もない」
「そうですか。それならば陛下がお持ちなのでしょうか」
「聞いた事がないな」

 ルイーズは掌の中の石を握り締めた。

「水の石は必ずあります。石が共鳴すれば精霊の力も強まり、殿下の場所を教えて頂けると思ったのです」
「石が共鳴、か。それなら神殿の方が何か分かるかもしれない」

 ハイスとルイーズは顔を見合わせるとすぐに立ち上がった。


 城の門から馬車に乗り込もうとした時、物凄い速さで城門の中へ入ってきた馬があった。
 危なっかしい手綱さばきで馬を止めたグレブは、今まさに馬車へ乗り込もうとしていたハイスの姿を見つけるなり、躓きながらも全力で走ってきた。

「何かあったのか?」 

 珍しく髪を乱しても気にせずに縋ってきたマルクは、涙を浮かべて言った。

「聖女様が、聖女様がお戻りになりました!」
 
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