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1ー11 疑惑の夜着

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 王城に戻ってすぐに国王の執務室に呼ばれると、中にはすでに国王と宰相のヨシアス、オルフェンと騎士団長のフェンゼン伯爵、そして兵団長のマイカー子爵が揃っていた。そして、初めて見る金髪の青年がいた。場に似合わぬ笑顔に警戒しつつ、クラウスと少し離れて座ろうとすると、不意にクラウスに手を引かれ、そのままクラウスのすぐ横に収まってしまう。なんとなく全員の視線を感じて目線を下げた。

「して、お前達は勝手にヴィルヘルミナ帝国との争いに向かったそうだな?」
「厳密には盗賊です、陛下。ヴィルヘルミナ帝国の兵士達は襲っては来ませんでした。狙われたのはホフマン辺境伯の領地を更に南下した場所でした。基本的には巡回のみで軍が配備されていない町です」
「だとしても、お前は騎士でもあるが王族なのだぞ。それに結界魔術師であるエーリカを同行させ、万が一にも何かあったらどうするつもりだったのだ!」
「エーリカが死んだら別の誰かが結界魔術師になるだけだ」

 頬杖をつきながら言うオルフェンを珍しく厳しい目で見た国王は、そのままエーリカに視線をずらした。

「結界魔術師が欠ければどうなるのか分かっているのか?」
「申し訳ございません」

 国王は咳払いをすると続けた。

「小言は取り敢えずここまでだ。実際、エーリカの働きで被害が抑えられたとホフマン卿の報告を受けている。その後の報告をしろ」

 クラウスは起きた状況を話していたが、魔力のないクラウスと魔力のあるエーリカでは視えていたものが違う。魔力抜きでは、実際に何が起きたのかは分からないだろう。話す前に、すでにクマから事の詳細を聞いているであろうオルフェンの意思を知りたくてちらりと視線を向けたが、オルフェンがこちらを見る事はなかった。

「後はエーリカ嬢、話せるか?」

 頷くと、躊躇いながらもあの小さな町には不釣り合いの大きな魔術の存在を口にした。

「ヴィルヘルミナ帝国の兵士が襲ってこなかったのは、おそらく太古の魔術が関係しています」

 国王とオルフェン以外は皆訝しげな顔をしていた。太古の魔術など初めて聞くのだろう。視線に耐えきれず、とうとうオルフェンの名を呼んだ。

「師匠、クマが太古の魔術だと言っていました。今は火、水、土など、扱いやすい様に文字やマークを通して発動させますが、遥か昔は全て一つの力だった。そういう事でしょうか?」

 オルフェンは目を瞑ると、諦めたように口を開いた。

「おそらく今回使われたのは太古の魔術で間違いないだろうな。でもそんなものを扱える奴はもういない。俺ですらもう使うのは無理だ」
「前は使えていた?」
「それが普通だったからな。でも効率は悪いし、魔力の保有量がそのまま権力になっちまうくらいに危険なものだった。だから魔力の使い方が決まった訳だ。そして特性を見出し、その力を伸ばす事で他の力は自然と押し込まれていく。だからもう俺でも全ては使えない。その位に滅茶苦茶な力って事だよ」

 その場にいた全員が一体何歳だよ、と驚く視線を向けたが、それ以上に予想外の事が起きている事態に押し黙っていた。

「魔力がある者は気が付き始めているからもう隠しても仕方ないが、結界の力が弱まってきている。最初は結界を維持している柱の劣化かと思ったが、今回の事で確信した。外から攻撃されている。そして太古の魔術を使う者がいるなら、いずれ結界は破られるだろうな」
「そうなれば戦争ではないか!」

 勢いよく立ち上がったのはマイカー子爵だった。それもそのはず、戦争になれば一番に駆り出されるのは兵団。そして次に騎士団だった。結界の力がなければ、小国のアメジスト王国はすぐにヴィルヘルミナ帝国に飲まれてしまうだろう。それ程に戦力は差は明らかなのだ。

「結界が破れた時の為に各地に軍を配備しろ。場所はマイカー子爵に任せる。オルフェンよ、結界はあとどのくらい持ちそうだ?」
「今かもしれないしずっと持つかもしれない。要は柱次第だ」
「先程から柱というのは、何か結界を張る為の柱があると事なのでしょうか? 我々は初耳です」

 国の重要事項を知らされていなかったという苛立ちからなのだろう。騎士団長のフェンゼンは苛立ちを隠さずに言った。

「代々王が受け継ぐ秘密だ」
「恐れながら、それではその柱とやらを守れません!」
「守らなくてよい。知らなければ誰もそこには行かぬ。守れば何かあると分かられてしまう。わしとてどこにあるのか子細は知らん」
「でもヴィルヘルミナ帝国は、どうやってかは分からないがおそらく柱の場所に気が付いている。もう隠しても意味がないな」
「オルフェンよ、お前にも分からないのではなかったか?」
「分からねぇけど、目星はついている。守護の魔法を強化しに行ってくる。エーリカ、お前も来い」

 声を出す前にクラウスが立ち上がった。

「オルフェン殿、エーリカ嬢は俺の婚約者だ。そんな危険な場所には行かせられない」

 はっと笑ったオルフェンに、クラウスは眉を顰めた。

「柱が壊されたら結婚どころじゃないなるぞ。エーリカ、お前が決めろ」

 見上げたクラウスはこちらを見ようとはしないが、目の前にある握り締められた拳に触れると、驚いた様な目と目が合った。

「クラウス様、私は師匠と共に行きます。私は魔術師ですから」

 顔を背ける仕草に胸が苦しくなる。それでもこの力がある限りは選ばなくてはいけない。自分の幸せか、それ以外かを。

 子供の頃は魔力がある事を疎んでいた。父や母と離された寂しさで毎晩泣き、高い魔力が上手く放出出来ずに体で暴れ回り、よく高熱が出た。その度にオルフェンは不器用ながらもそばにいて、額を冷たいタオルで冷やし、手を握っていてくれた。そのオルフェンが自分の力を信頼してくれているのなら、断る理由はない。きっとクラウスは婚約者の義務を果たそうとしてくれているのだろう。一見冷たそうに見えるが、実は優しい人なのだ。それがこの数日で分かった事だった。

「クラウス様、ご心配をお掛けして申し訳ございません。でも大丈夫です。師匠もいますし、無事に戻って参ります」

 安心させるつもりで言った言葉だったが、クラウスは一瞬痛むように顔を歪め、すぐに元通りの表情の乏しい顔に戻った。

「そうとなればオルフェン達が戻り次第、夜会を開くことにしよう。暗い話題ばかりでは皆気が滅入るだろうからな。クラウス、良いな?」
「仰せのままに」

 部屋を出て足早に離れていく広い背を追いかけた。廊下を走るのは令嬢らしくないかもしれないが、それよりも歩幅の大きいクラウスを見失ってしまう事の方が大問題だった。

「クラウス様! お待ち下さい」

 クラウスは立ち止まったが振り返る事はない。急に近付くのが怖くなり足を止めた。

「用がないなら行くが?」
「あの、先程はすみませんでした。今はもうクラウス様の婚約者でもあるのに勝手に決めてしまって」
「そうしたかったのだろ。それならそうすればいい」
「本当に大丈夫なんです。この間も一つ柱を見てきたのですが、本当に守護の魔法を掛けてきただけなのです」
「危険は? 何もなかったと言えるか?」

 エーリカは言い淀んでしまった。

「何かあったのか」
「魔獣に会いました。クマという魔獣の話をしたでしょう?」
「あぁ。手懐けたのか?」
「偶然にですが。今度機会があれば紹介しますね。とてもフワフワで可愛らしいのですよ」
「……確かに、フワフワだな」

 クラウスの言葉に下を向くと、いつの間にかクマが真横に立っていた。膝までの高さの背なので、寄りかかられるとそれなりに重い。頭に手を置くと指が毛に埋もれた。

「これが魔獣? 思っていたのとは違うな」
「可愛らしいでしょう? 力もあって頼りになるのですよ。ヴィルヘルミナ帝国との争いの時も力を貸してくれました」
『やめろよ、照れるじゃないか』
「あなたでも恥ずかしがるのね」
「言葉が分かるのか?」
「分かりますが……」

 そう言いかけたところで、クマの言葉は魔力を含んでいるのだと気が付いた。魔力を持たないクラウスでは聞くことは叶わないだろう。姿はおそらくクマが見せているのだと思う。クラウスの手がクマに伸びてくる。一瞬触る事が出来るのか心配になったが、大きな手がふわりと首あたりの毛に埋もれた時には、内心ほっと息をついた。

「クマありがとう」
『別に』

 そう言うと、気まぐれのように姿を消してしまった。

「見た目はクマだが、猫のようだな」
「私も今そう思っていた所です」

 二人で視線を合わせると、ふっと笑い声が漏れた。

「夜会に着ていくドレスを贈りたい。受け取ってくれるか?」
「もちろんです! ありがとうございます、クラウス様」

 目に涙が溜まっていく。頬にそっと伸びてきた手に手を重ねると、優しい笑みを浮かべたクラウスが目尻に口付けを落としてきた。

「この位で泣くな」
「でも本当に嬉しいんです。もうそれだけで十分です。何も望みません」
「それじゃあエスコートは? 望まない?」
「望みます!」

 勢いよく答えてしまい、はしたなさと恥ずかしさで口を噤むと、今度は声を上げて笑った。

「エーリカ嬢は本当に面白いな」
「それはあまり嬉しくありません」
「可愛らしいと言う意味だったんだ。許してくれ」

 首を傾げたその姿を見た瞬間、クラウスの回りだけ光に包まれたように見えた。心臓が止まりそうになる。格好良くて可愛くて言葉にならない思いが、唇をきつく結ばないと溢れてしまいそうだった。

「エーリカ嬢? どうかした?」
「クラウス様は人たらしですね」

 思いもよらない言葉に驚いたのか、きょとんと見開く目に息をついた。

「エーリカ! すぐに出発するぞ! 早く来い!」

 後ろから口煩くオルフェンが騒ぎ立ててくる。渋々別れを告げると、振り向いた後頭部に口付けが落ちてきた。驚きの連続でもう思考が止まりそうなまま上を向くと、クラウスはそれはもう目眩がするような笑みを浮かべていた。

「気を付けて。俺達の夜会を楽しみにしている」
「はい! すぐに戻って参ります」

 クラウスはエーリカの背中を見送った所で、ふっと笑った。

「なるほどなるほど。友としてこんなに嬉しい事はないよ」

 どこからいつから見ていたのか、フィリップが廊下の先から顔を出してくる。クラウスはとっさに浮かべていた笑みを引くと、冷めた顔を向けた。

「領地には戻らないのか?」
「父上だけで十分さ。それよりも僕は夜会に出席してから帰る事にするよ」
「まだ招待するとは言っていないが」
「そんな! 酷いじゃないか」

 その時、横を見ていたフィリップが誰かとぶつかった。侍女は落とした袋を大事そうに抱え直すと、盛大に頭を下げた。 

「申し訳ございません! 本当に申し訳ございません!」
「いやいや僕も前を見ていなかったからすまなかった。顔を上げてくれないか」

 侍女は今にも泣きそうにしていたが、フィリップの隣りにいるクラウスを見るなり顔を赤くした。フィリップが推し量る様にその顔を見たあと、少し面白くなさそうにクラウスを見た。

「王子様の信者のようだよ」
「なんだその言い方は」
「違います! そんなつもりではございません! 私はアインホルン侯爵様のお屋敷で働かせて頂いておりますアンと申します」
「あぁ、もしや侯爵に用かい?」

 するとアンは困った様に視線を彷徨わせた。

「旦那様ではなく、エーリカお嬢様に会いに参りました。それでは、急ぎますので失礼致します」

 クラウスは、廊下の端を進もうとするアンに声を掛けた。

「エーリカ嬢ならオルフェン殿と仕事に出たぞ。数日は戻らないと思うが」
「そんな! どうしよう」

 アンは今にも泣きそうな顔をして腕の中にある包みを抱きしめた。

「もしやそれをエーリカ嬢に?」

 びくりとして身を固くしたアンを不審に思いながら、包みに視線を落とした。

「よければ戻り次第俺から渡そうか?」
「殿下のお手を煩わせる訳には参りません!」
「しかし、いつ帰るかも分からない。俺なら戻ってすぐに会う事が出来と思うが」

 アンは葛藤しているようだった。

「元はと言えば殿下からの贈り物の物だし? 預けるならこれ以上の方は……」

 ぶつぶつの思案する顔を眺めていると、アンは包みを前に出してきた。

「申し訳ありませんが宜しくお願い致します。あの、お嬢様をお叱りにならないで下さいませ。破ってしまった事にとても心を痛めておいででした。最善を尽くして修繕致しましたので、まだ十分にお使い頂けます」
「何を言っている?」

 アンは、はっとフィリップに視線を向けると深く頭を下げた。

「私はアインホルン家の皆様を敬愛しております! 誓って口外しておりませんので、ご安心下さいませ」

 アンは顔を上げないまま後退して行く。唖然としたままその姿を見ていると、フィリップが興味深そうにアンから渡された包みを凝視していた。

「見せないぞ」
「少しだけ」
「預かり物だ。絶対に駄目だ」

 クラウスはフィリップを置いて自分の執務室に向かった。中では王子付きの文官が二名、書類整理をしていた所だった。

「すぐに決裁が必要な書類がございます」
「着替えてからすぐに確認する」

 奥の仮眠室がもはや自室の寝室より馴染んでいるベッドの上に、先程預かった包みを置いた。隣りに上着を脱ぎ捨てた重みで包みの中身がするりと落ちてくる。

ーー受け取った時から軽いとは思っていたが。

 落ちた物を拾おうとした時、目を疑った。それは紛れもなく女性が身につける夜着だった。実用性など全くなく、ほとんどレースの為着ても全身透ける作りで、かなり扇情的なものだった。

「これは、何かの間違いじゃないのか」

 口振りからするに、アンはエーリカの相手が自分だと思っていたのだろう。自分の家で雇っている者に内緒で修復を頼んだと言う事は、エーリカの物で間違いない。

「相手はオルフェンか? それとも魔術団の誰かか」

 エーリカが男達に人気があるのは知っていた。美しい容姿に加え、少し天然で愛嬌のある性格は見ていて好ましいものだった。しかし相手は侯爵家出の結界魔術師。力も権力も申し分ない令嬢に声をかける勇気のある者はいないと思っていた。

「やはりオルフェンか」

 オルフェンとエーリカは柱の捜索に出掛けたばかり。もしかしなくても今日は泊まりになるだろう。二人きりではなくとも、夜などどうとでも出来る。掴んでいた夜着を包みに押し込むと、頭を掻き毟って手に当たった上着を床に叩き付けた。
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