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2ー8 襲われた町①

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 クマは泉の手前で佇んでいるヘルムートを追い越すと、縁に座り込んだ。空は間もなく暮れようとしている。昼夜問わず人が寄りつかない魔獣の森には、木々の合間に闇が広がり始め、更に不気味さを増していた。

『辛気臭い顔をしやがって』
「……あいつはどうしてた?」
『眠っているぞ。シロが側についている』
「お前までシロと呼ぶのか? 変わった兄妹だな」
『互いを分かっていれば名前など何でもいい』
「そういうものか」
『夜中にいなくなるとあいつが心配するだろ』
「昔の事を思い出していた。ついこの間の事の様にも思うが、まさか敵国に数ヶ月もいるとは思いもしなかった」
『生きていると、思わぬ事が起きるだろう?』
「今の私は私じゃない。魔力が戻ればいつもの、銀の狼と呼ばれる獣になる」
『まあそれは魔力が戻った時に分かるさ』
「早く戻られねば。このままではヴィルヘルミナ帝国は崩壊する。残っているのは屑ばかりだからな」

 クマは溜息の様に小さく鳴いた。

『国はいつか崩壊するものだ。永遠じゃあない。まあヴィルヘルミナ帝国の奴らは今頃は必死になってお前を探しているだろうな、生かすにしても殺すにしてもお前の生死は重要だ』
「だが今は帰れん。魔力がこんな状態ではな」

 つまらなそうに笑う瞳に緑や赤色、青色が流れ始め、揺らいだ。

『抑えるのはきついんじゃないか』
「お前には関係ない」

 髪で隠す様に銀髪が揺れる。細く息を吐くと瞳は黒に戻っていた。

『なけなしの魔力を常に使っている様なもんだろ?』

 すると鼻で笑った声がした。

「この程度で音を上げるとでも? 全く問題ないな」
『いやいや問題ある、大ありだ。お前が死ねばエーリカも死ぬんだぞ。お前が国に帰っても死んじまう。そばにいないと駄目なんだ』
「私が国に連れて帰るというのはどうだ?」
『馬鹿げた事を言うな』
「どちらにしても互いの為にここへ入ろうとしているんだ。でも二ヶ月も拒まれている」

 泉の底にはぼんやりとルートアメジストの陰影が見えている。指先を水面に浸けようとすれば、拒絶する様に水面は小波を立てた。

『ヴィルヘルミナがお前を拒絶しているんだ。何したんだよ』
「つまらん事を言うと消し去るぞ。おそらくヴィルヘルミナ女王は全ての男を拒絶するんだ。一人目の夫がどうなったか知っているか? 性行為の後にズタズタに斬り殺されている。二人目の夫はさすがに他国の王族だったから殺さなかったが、生涯軟禁だったようだ。夫以外に男妾は沢山いた」
『男が嫌いなのに?』
「魔力のせいでな」

 クマは唸りながら呟いた。

『ならなぜエーリカは平気なんだ? ほとんど影響が出ていなかったぞ』
「それがヴィルヘルミナ女王に好まれる理由だ。ここに入れるのはおそらくエーリカただ一人。でも入れば自らヴィルヘルミナ女王を受け入れた事になる。もう二度と魔力を手放す事は出来ないだろうな」
『危惧するのはそれだけか?』

 ヘルムートは答えない。その代わりにクマが泉に向かって吠えた。

『あの子を自分の物にする気なら、ただじゃおかないからな!』

 ヘルムートはクマを一瞥すると踵を返した。

『戻るのか?』
「この顔を見たくないだろうが、そばにいないといけないからな」
『目覚めたらまた平手打ち決定だ』
「まさかこの私が抱かない女をそばに置く日が来るとは」

 溜め息混じりの声は小さく、風に攫われていく。クマも付き合うようにゆっくりと歩いていた。



 薄いカーテンから差し込む光に、いつもよりゆっくり寝ていた気がして起きると、太陽は真上に向かおうとしていた。動こうとして何故か重たい左手を見ると、ヘルムートがぎっちり手を握ったまま床に転がっていた。そのせいでヘルムートの腕は妙な方向を向いている気がする。慌てて起きると頬を叩いた。

「しっかりして! ヘルムート! 具合いでも悪いの?」

 バシバシと叩く手をもう片方の手で止められる。目頭をこれでもかと寄せると、手は繋いだまま大きく寝返りを打った。つられて寝台からヘルムートの上に落ちると、下からくぐもった声が漏れる。急いで上から降り、隠れている顔を覗き込んだ。

「ッ」

 半身を起こしたヘルムートが鼻先に軽い口付けをする。とっさに平手打ちをしようとした手は避けれて胸に飛び込んでしまった。

「っと、積極的だな」

 見上げると意地悪そうに笑っているヘルムートの胸を押して体を引き離した。

「おい、言っておくがお前から抱きついてきたんだぞ」
「悪かったわよ! 大体手なんか繋いでいるからでしょ!」

 振り返らずに部屋から出ていくと、からかうような笑い声が聞こえていた。
 家にいる時、ヘルムートは常に側にいる。と思えば勝手にどこかへ行き、ふらりと帰ってくる時もあった。昨晩も喧嘩した後だったというのもあり、なかなか寝付けなくて結局意識を失うように眠りに落ちたのは明け方近くだったと思う。どこにいっていたのか、なんとなく聞きづらくて今まで口にはしなかった。

「どこへ行くんだ?」

ーーそれなのに、あなたは平気で聞いてくるのよね。

「……町よ。借りていた籠を返してくるの」
「一緒に行く」

 食べかけのパンを急いで飲み込むと、上着を手に取る。頭の先から足の先まで庶民の格好だというのに、この皇太子ときたら何故か無駄に輝きを放っている気がする。腹ただしくてじっと見つめると、明らかにくだらない妄想を思いついたような顔で笑った。

「まさかお前も私に落ち……」
「てません!」

 ヘルムートを押し退けて玄関から出ると、クマとシロが待っていた。人懐こいクマは足にすり寄ってくる。そしてそのクマとは正反対のシロはと言えば、ツンとしているが付かず離れずで付いてくるらしかった。

「さすがにクマは無理よ。街の人達がびっくりしちゃうわ」

 するとクマは驚いたように目を見開いた後、シロを見ながら姿を消した。

「クマ? どこ?」
「お前が邪魔だっていうから姿を消したんだろ」
「別に邪魔なんて言ってないじゃない。ただ、目立つから……」

 その時、足に少し硬い毛が当たった。しかし見ても何もいない。

「あくまでついて来るのね」

 見えないどこかに手を伸ばすと、掌にぐりりと頭を押し付けてきた。

「たまには町で美味しい物でも食べましょうか」
「俺は肉」
「はいはい。シロちゃんには何か可愛い首輪なんかどう?」

 するとシロは拒否するかの様に飛び上がると遠くに行ってしまう。そこから様子を伺う様に立ち止まっていた。

「あれに首輪とかって正気かよ」
「お洒落用よ。たまには可愛いリボンでも巻いていたらと思ったの。嫌ならいいわ、そんな事しなくても十分に可愛いしね」

 籠をおばさんに帰してからの帰り道、立ち寄った食堂でのご馳走は本当に久しぶりの贅沢だった。どれも庶民の食事。エーリカはオルフェンの食事を自ら作ったりもしていたので、侯爵令嬢では珍しく庶民の食事には抵抗がない。それでもヘルムートは帝国の皇太子。それなのに文句一つ言わずに皿を平らげる姿に思わずフォークが止まってしまう。クラウスならばきっと、音一つ立てず綺麗に食べるのだろう。ヘルムートを見ながらクラウスの事を考えていた時、不意にヘルムートと目が合った。

「その顔、不快だな」
「それは失礼したわね。生まれてからずっとこの顔なのよ」
「そうじゃなくて、私以外の事を考えていただろう」

ーー鋭いわ。野生の勘かしら。

「……全く抵抗なく食べるなぁと思って」

 するとヘルムートはフォークを静かに置くと口を拭いた。

「戦地にいる時は、もっと粗悪な物を食べる事もあったからな」
「文句は言わなかったの?」
「言う訳ないだろ。戦場なんだ。食うのは戦う為で満足する為じゃない」

 しばらくじっと見つめると、背もたれに寄りかかりながら舌打ちをした。

「言いたい事があるならはっきり言え」
「……意外とちゃんとしているのよね」
「お前、喧嘩売っているのか?」
「今は負けるわね」

 小さく笑うと、ヘルムートも鼻で笑った。

「それじゃあまるで以前なら負けなかったと聞こえるぞ」

 そろそろ帰ろうとした時、後ろから聞こえてきた話し声に体が固まってしまった。

「陛下がとうとう側室を迎えるそうよ」
「え、正妃じゃないの?」
「側室を何人か迎え入れるみたい。まだお若いからかしら。でも戴冠式の後のお披露目行列を見に行ったけれど、とても素敵なお方だったの!」
「あぁ、妾でもいいから立候補したいわ」

 女達の世間話に組んでいた手が震え出す。聞いていたくないのにただ俯くしかなかった。

「側室を何人もか。あの男もなかなかやるな。年頃の男が四ヶ月前も我慢したんだ。保った方じゃないか?」

 他人事のように気楽そうな言葉も今は耳に入って来ない。ただ、押し込めたはずのクラウスの事が頭を何度も廻り始めていた。

「もう出ましょう」

 返事を聞かずにお金を机の上に置くと足早に店を出る。ヘルムートはなぜか嬉しそうにあとを着いてきた。

「あたしのせいだわ」
「なんだ?」

 ヘルムートは聞こえなかったのか、体を前に乗り出してきた。

「あたしが生きているから、だから正妃を迎え入れられないの」
「誓約書の話か? 魔術師が多いからとはいえお前達は厄介なものを交わすよな。まあ王族だから側室を迎えるのは珍しくはないだろ。特にもう王位を継いだんだ。うちの皇帝は正妃から妾まで合わせたら何十人もいるぞ。それ以外にもお手付きを入れたら把握しきれないだろうな」
「よく皆平気ね。私なら耐えられないと思う」
「耐えている訳じゃないさ。だから王宮ではよく人が死ぬんだ」

 驚いた顔を向けると頬を掴まれた。

「だから私はお前が正妃になるなら側室は持たん。お前一人だ。だから毎日私に抱かれて沢山子を産め」
「なにいふぇるのよ、はなひふぇ」

 掴んでくる腕を振り払おうとしていると後ろから笑い声が聞こえた。

「やっぱり仲良しなのね!」

 シルビアとマッテオも買い物をしてきたのか、籠には色々な物が入っていた。

「あまり旦那さんを見かけないけれどお久しぶり」
「久しいな」

 良くも悪くも皇族らしいヘルムートの高圧的な態度にもシルビアは嫌な顔一つせずに微笑んでいた。

「どちらが先か楽しみね、同時というのも嬉しいわ」

 なんのことか分からずにいると、シルビアは楽しそうに笑っていった。

「子供のことよ」
「それには激しく同意する」

 エーリカは真顔で答えるヘルムートの腕を思い切りつねった。

「そういえばさっき聞いたんだけれど、クラウス陛下もご側室を取られるそうね。陛下のお子の誕生と同じ年だったらそれこそめでたいわね!」

 無邪気なシルビアの言葉に作り笑顔も出来ないでいると、マッテオがシルビアの腕を引いた。

「せっかく夫婦水入らずなのだがら邪魔をしては悪いぞ」
「そうね、ごめんなさい。ただずっとお一人だった陛下が誰かを娶ろうとされたのが嬉しくて」
「……陛下がそうだと嬉しいものなの?」

 恐る恐る聞くと、満面の笑みが帰ってきた。

「そりゃそうよ。お国が安泰ということだもの。アメジスト王国が出来て以来最大の危機が襲ったでしょう。これから結界がない世界で皆不安だから、王家からおめでたい話が出ればそりゃ嬉しいわよ」
「そうね、私も嬉しい」

 シルビア達と別れてすぐは放心状態にあった。

「あの者の期待に答えて早速励むとしようか。エーリカ? ……エーリカ、おい!」

 肩を掴まれて我に返るとシロの腹が押し付けられていた。モフモフとした感触に思わず笑みが込み見上げてくる。その後はずっとシロを抱きしめたまま家に帰った。その日は珍しく、シロも嫌がらずに抱かれたままだった。



 その日の夜、毛布の上で眠っていたシロは毛を逆立てて腹の上を飛び跳ね出した。

「シロ? 一体どうしたの」
「エーリカ! 早く起きろ!」

 無遠慮に部屋に入ってきたヘルムートはすでに服を着ている。エーリカは寝巻の胸元を引き寄せると毛布を引き上げた。

「クマが知らせてきた。町が襲われているらしい。今のうちに逃げるぞ」

 ヘルムートは適当な服を投げつけてくる。外はまだ暗く、夜明けにはまだ時間があるのだろう。何が起きているのか分からないまま急いで服を着て手当たり次第に荷物を詰めていく。シロは急かす様に周りを走り回っていた。ヘルムートが食材を詰めた籠を持った瞬間、玄関の扉が激しく叩かれた。

「ヘルムート……」

 口を手で押さえられる。クマが前に立ち、ヘルムートが玄関を開けようとした時だった。

「エマさん! いないのか? エマさん!」

 ヘルムートと目を合わせると扉を開いた。倒れるように入ってきたのはマッテオだった。暗くてよく分からないが怪我をしている様にも見える。町から逃げてきたのかと、暗がりの後ろを見たがシルビアの姿はなかった。

「何があったの? シルビアさんは?」
「シルビアが、連れて行かれた」
「誰に!」
「野盗達だ。町は荒らされて、女達の何人かが連れて行かれたんだ!」

 息をのむと、縋るようにマッテオが掴まってきた。

「頼む、シルビアを助けてくれ! お願いだ! 君達は友人だろう?」
「でもどこに」
「町長の家が占領されて奴らしばらく居座るらしい。町の出入り口は奴らに封鎖されたし、王都からの援軍はまだ見込めないんだ」
「そんな……」

 その時、ヘルムートはマッテオを引き離した。

「なおの事この隙に行かせてもらう。町に注意が向いているならそのうちに逃げるぞ」
「待ってくれ! 頼む、シルビアを助けてくれ!」
「町の自警団はどうしたんだ!」

 マッテオは床に額を擦り付けた。

「自警団の拠点は早々に制圧された。奴ら戦い方を知ってやがった。……だから結界魔術師のエーリカ様にお頼み申し上げる。どうか妻を助けてください」
「あなた、気付いていたの?」

 マッテオは申し訳なさそうに頷いた。

「ただご事情があるのかと思っていた。あなたは行方不明だと噂があったから。そして男とこの町にいるという事は触れない方がいいだろうと。俺も家を捨てた身。気持ちは分かるつもりだった」
「……黙っていてくれてありがとう。でも私にはシルビアさんを助けられないわ」
「なぜ!」
「私にはもう魔力がないのないの。ごめんなさい」

 落胆したように床に座り込むマッテオの肩に触れようとした時、思い切り腕を掴まれた。

「他の男に触れる事は許さん」
「ヘルムート、こんな時になにを……」
「っはは、そうだよな。何もかも捨てて男と駆け落ちした女に頼った俺が馬鹿だったよ。守護山が落ちて王都があんな事になっていた時に、結界魔術師のあんたは男とお楽しみ中だったって訳だ」

 ヘルムートがマッテオの肩を蹴飛ばした。床に転んだマッテオは息を荒くしてヘルムートに殴りかかってきた。体躯の差は一目瞭然。しかしヘルムートはマッテオの巨体を軽く避けると拳を腹にめり込ませた。呻きながらしゃがみ込む肩を蹴り、頬をつま先で起こした。

「もうやめて!」
「くだらん。向かっていく相手が違うだろうに」
「あんたなら、あんたならあいつらを倒せるかも。一緒に来てくれ! 頼む、礼はするから!」
「あんたの言う通り私達は駆け落ちの最中でね。面倒事には……」

 エーリカはヘルムートの腕を掴んだ。

「そんな事言っている場合じゃないわ! 早くシルビアさん達を助けに行きましょ!」
「まさかお前も行く気か?」
「街の人達皆で行くのよ! 散らばっている自警団の人達と合流しましょう」
「駄目だ。どうしてもと言うなら私が行くからお前はここで待て」

 それを無視して玄関に出る。

「話している暇はないわ。行きましょう!」



 エーリカ達の家の方に抜け出る道にも見張りが二人立っていた。林の間から覗き見ると襲われる訳ないと高を括っているのか、酒を飲んでいるようだった。

「さっき見張りはいなかったのに」
「クマ、行ける?」

 姿は見えないが横を通り抜けていく感覚を見送ると、程なくして見張りの二人は前に弾き飛ばされる様にして倒れた。そのまま横に引き摺られていく。唖然としているマッテオに説明をしている暇はない。申し訳ないが、先を行くヘルムートの後に続いた。
 小さな町の中は静まり返っていた。全ての戸口は締まり、明かりも灯っていない。町長の家の前だけは騒がしく、松明の灯りに照らされていた。男達は町中から集めた物で飲み食いをしていた。玄関からは入れそうにない。仕方なく庭の方、裏口に回ってみた所でヘルムートがとっさに出てきた者の腕を掴んで地面に押し倒していた。

「待て待て待て、俺は敵じゃない!」

 地面に押し付けられていたのは、よく野菜をくれるおばさんの旦那だった。ふくよかな体を動かして必死にヘルムートの下から逃げ出そうとするが抑える力は増すばかりで、エーリカが袖を引いてようやく背に乗せた足を離した。

「あんたまるで野生の肉食動物みたいだな」

 息を切らしながらマッテオの後ろに隠れた男は怯えた目でヘルムートを見た。

「おじさん今はどういう状況なの?」
「どうもこうも耐えるしかないさ。王都から兵士が来るまでには丸二日はかかると思っていいだろうよ。なにせ知らせに行った者は徒歩で行ったからな」
「なぜだ! なぜ馬を使わなかった! そんなに時間がかかれば妻がどんな目に遭うか……」
「そんな事したら奴らにすぐ見つかっちまう。それにあいつらはすぐに俺達の足を奪う為に厩を制圧してきたんだよ。自警団の拠点を抑えられて武器もあまりないしな。今は皆バラバラさ」
「野盗のくせに統制は取れていると言う訳だな。だから今はお楽しみ中という訳か」

 マッテオは頭に血が昇ったように走り出そうとした。その足にヘルムートが足をかける。よろけたマッテオはそのまま地面に突っ伏した。

「落ち着け。戦況は冷静さを失った方が負けるものだ。だからお前は一人で突っ込まずにこいつを頼ってきたんだろう?」
「妻が、妻が酷い目に遭っているかもしれない時に冷静でなどいられない! あんたならどうなんだ!」

 するとヘルムートは冷ややかな視線を町長の家に向けた。瞳は黒色なのに、なぜかそこは魔力を纏った空気が過ぎた様に冷えた。

「私なら皆殺しだ、その一族もな。だから危ない目には遭うなよ。周りの為だからな」

 思わず返事に困る。この人はあの帝国の皇太子で、戦場の死線を幾つも越えてきた男なのだ。やると言ったら本当にしてしまうだろう。でも今は魔力がない。いくら魔力なしで戦えるとしてもあれだけの人数は相手に出来ないだろう。

「町の男の人達はどこにいるの?」
「怪我人も多いから診療所に集まっている。戦える男達もほとんどそこだ。他の者達は家から出てこようとしていないから廃墟の様に静まり返っちまったよ。あいつら店や家を壊したり、滅茶苦茶なんだ」
「おじさんはどうしてここに?」
「妻が連れて行かれちまったからに決まっているだろ!」

ーーえ???

 三人の顔を見ると顔を真っ赤にして答えた。

「多分飯の世話をさせる為に連れて行かれたんだ! 変な想像をするな!」
「食材は奪えても料理は出来ないと言う訳か。外に集まった奴らだけでも二十人くらいだな。どのくらいで襲ってきた?」
「色んな方向から襲ってきたから分からないが、中にいるのはおそらく十人いないと思うぞ。町の見張りを全部合わせても五十人位だと思うが分からん。あぁ、どうすりゃいんだ、女達が人質に取られてしまったからな」
「統制が取れ、武器が扱える野盗ねぇ」
「話し合いはもういい! 無駄だと分かっていても助けにいく」
「私も行くわ!」

 腰に腕を回されてエーリカは思わず上ずった声を出した。

「やめてよ! こんな時にいや!」
「こんな時じゃなかったらいいみたいだな」

 自然に後ろに追いやられると、ヘルムートは手をひらひらと振った。

「私一人でいい。ああ、間違えた。私達だけでいい」

 ヘルムートの横にはいつの間にか大きなクマが現れていた。驚くマッテオ達には一瞥も向けず、ヘルムートは釣りにでも行くような軽い口調で行った。

「一応聞いておくけど、中にいる奴らを殺ったらもうここにはいられないぞ。それでも助けたいのか?」

 確かに数日で王都から兵士達が来るだろう。そうすれば町はくまなく調べられるだろうし、当然助けに入った者についても話は普及するはず。それでも、エーリカは頷くとヘルムートに一歩近付いた。

「私は大丈夫だからあなたも気をつけて」
「私が野盗ごときに負けるか」

 不敵な笑みだが今は不安で一杯だった。

「おい、こいつを安全な場所に連れて行け。なにかあれば俺がお前達を滅ぼすからな」
「俺も行く! 妻を助けたいんだ」
「剣は?」
「扱える」
「人を殺した事は?」
「ない」
「躊躇わずに斬れ。……それと、何を見ても後悔するなよ」

 ヘルムートの言葉にマッテオは息を飲むと頷いた。

「こうしちゃいられん。皆に知らせに行こう!」

 エーリカは急ぐ男について町の中を走った。

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