哲学科院生による読書漫談

甲 源太

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遊女の文化史―ハレの女たち(5)

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文学において遊女が登場すると必ずと言っていいほど、その美声がセットになります。遊女の芸能はセックスだけではなく歌舞も含むのですが、歌に関する記録が圧倒的に多いのです。
これは何を意味するのでしょうか?
まずは後白河法王が編集した遊女の歌謡集である『梁塵秘抄』を参考にしてみましょう。歌というものはそれまで口伝されたもので、「古より今にいたるまで、習ひ伝えたるうたあり。これを神楽催馬楽風俗といふ」と由来を示しています。そして神楽は天照の篭った岩戸を開かせたのに始まり。催馬楽は大蔵の省へ貢物を運び入れる民が口ずさんだものとし、これらは「天地を動かし、荒ぶる神を和め、国を治め」と視聴覚的快楽だけではなく、宗教的社会的効用を表しています。
さらに興味深いことに、神楽において発せられる言葉は神語であると明言しています。つまり歌そのものが「神語」で発せられた呪術であると言え、その歌により病が治った、目が見えるようになったなどの霊験話も少なくないのです。歌は呪文であり、それによって神と交信するのです。
現代にも残る神楽、他にも能や狂言の独特な発声。伸びやかで重く、地の底から湧き出でてくるような響き。小学生の頃、昔の人はああいう声でしゃべっていたのかと思っていました。しかし、あれは昔においても非日常的な神語であったのですね。神と接触する技術としての声は全身の筋肉を総動員して行われる非日常的発声法であったのです。声だけでなく歩き方など、日常のそれとは大きく異なるわけですが、異なるからこそ人ではない存在を表現できるということです。
おそらく『梁塵秘抄』に収められた遊女も重く響くような声で歌っていたのでしょう。

歌の宗教的重要性はわかりましたが、では舞はどうなのでしょうか。能の大成者のひとりである世阿弥の『花鏡』には次のようにあります。
舞は、音声より出でずば感あるべからず。・・・五臓より声を出すには五体を動かす人体、是、舞となる初め也。
語り、歌が舞に先行したと述べています。声に由来する舞でなければならず、腹から声を出すと自然と身体が動く、これが舞の由来であるとしています。
これは非常に興味深い主張ですね。舞や踊りというものはほとんどが音楽とセットになっています。逆に無音のダンスというものもなくはないですが、前衛芸術などの極少数派です。
世界中の音楽の歴史を研究したクルト・ザックスの『音楽の起源』によると、歌は身体の活動そのもの、我々の全存在であり胃から頭に至るまでのほとんどの筋肉を働かせ、未開人においては手や腕までが用いられるとのことです。
歌が身体的動作の原動力となり、舞や踊りがなぜその動きなのかを決定付けているとも言えるかもしれません。つまり、ダンスと音楽がマッチしているか否か、我々は判断することができます。もちろんその基準というか判断の結果は文化圏や個人によっても違うと思いますが、少なくとも判断はできるのです。しかし、その判断をどのような心の作用で行われているのかはわかりません。
この歌から舞へという観点を持つと、表現者として歌を歌っている時に自然と身体が動き出すわけですから本人にとってはそれがマッチしているのでしょう。そして観客は歌と舞がマッチしているか、自身の経験から判断できるのではないでしょうか。自分がこの歌を歌うときにはこう身体が動くなという経験から、目の前の表現者を批評できるのではないでしょうか。
これと似たことが音楽にも当てはめられるなら、このメロディにはこの動きとなにか決定的な根拠のようものが身体に秘められているということです。
ダンスは音楽を身体性に反映させたもの。ものすごく簡単にいうと、
音楽を聞けば体が勝手に動きだす。
ということです。散々言葉を費やして出てきた結果がこれとは、なんか涙が出てきそうですね。

『悲劇の誕生』を記したニーチェは、世阿弥やクルト・ザックスと同じように合唱は劇に先行するとした上で、合唱は群集を「ディオニュソス的興奮」に陥らせるとしています。「ディオニュソス的興奮」とは神々との一体感に酔う祝祭的陶酔であり「遊び」の興奮ということです。
歌を歌うのも遊びなら、聞くのもまた遊びであります。どちらもその美しさ、快楽によって興奮を得るのです。
折口信夫の『日本文学の発生』には次のようにあります。

魂を迎えることがこひであり・・・男女の間に限られたのが恋ひであると考えている。歌垣の形式としての魂ごひの歌が、「恋ひ歌」であり、同時に相聞歌である。

神の魂を求める乞いと、恋愛の相手を求める恋がもともとは同じであったという大変面白い見解ですね。ちなみに歌垣というのは男女が集まって恋歌を歌い合ってパートナーを見つけ合う、現代で言えばお見合いパーティーのようなものです。ただ違うのは相手が決まればその場で交わることもあったことですね。そのような場で、男女がお互いの魂を呼び合い、交わることが神話のパロディであったのです。
このように歌が本来芸術ではなく、聖なる性の基点にあるものであったからこそ、遊女は同時に歌姫でもあったのです。
『梁塵秘抄』におさめられた歌に、

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ

というものがあります。2012年の大河ドラマ『平清盛』のOPで流れていたのでご存知の方もいらっしゃるかと。
この遊び、遊ぶ子供とあるので、通常の遊びと捉えるのも当然といえば当然なのですが、その声を聞いて「我が身さへこそゆるがるれ」つまり感動すると言っていることに注目すると子供の可愛さ愛らしさを表現しただけの歌ではないことが分かります。身体全体を振るわせるような感動、聖なるものの臨場感が声によってもたらされることを表しているのです。遊び、戯れは食事や睡眠などのように生きる上で不必要なものです。遊びがなくとも生きることは十分可能なのです。しかし、だからこそ生きる理由になるのです。食事や睡眠をするのは生きるためです。自らの命を絶やさないための宿命づけられた行動です。そして生きるのは楽しむために、快楽を味わうために生きるのです。
食事→生きる→遊ぶ
という図にすると分かりやすいですかね。もしくは NO MUSIC, NO LIFE みたいなことですね。遊び、幅の広い意味での芸術が生きる根本であるということです。
不必要な行動をわざわざ行うのはそれを強く欲するからで、だからこそそれが生きる目的となるわけです。その最も分かりやすい例が子供の遊びなのです。子供は何が楽しいのか意味もなく走り回ったりするわけですが、意味がないからこそ、それは遊びなのです。それ自体が目的ということです。
ちなみに大河ドラマの平清盛の母、吹石一恵さん演じる白拍子は、白川院の子を身篭り、最終的には平忠盛に子を託し果てました。
白川院は自分で『梁塵秘抄』を編集するほど、白拍子の歌舞を好んでいましたが、白拍子というのは簡単に言うと売春をする踊り子です。踊りといってもストリップのようなものではなく、男装をして神楽のような舞をしていたのです。

巫女の舞をその起源にするともいわれ、それゆえにその歌舞は神聖なものとされ貴族の寵愛を受けていました。
当時は貴族と白拍子の間に子を設けることは珍しいことではなく、白拍子のような遊女を母に持つ者がそれを負い目にすることもなく、大変高い地位にまで出世した人もいました。遊女というものの社会的地位を伺うことができますね。
英語ではサノバビッチ son of a bitchという侮蔑語がありますが少なくとも平安時代の日本では通じない言葉なんですね。そうだけど、だからなに?みたいな。まあ、細かいことをいうとbitchは本来、雌犬という意味であって売女というのは俗語なんですがね。また、現在の英語ではbitchという言葉の用法も様々で必ずしも侮蔑の意味合いを持たない例もあるようです。しかし、過去にはテレビで放送できないNGワードの一つでもありましたので、使用しないほうが無難でしょう。

話を戻しますと、歌舞の美しさが人々を聖なる世界へと誘い、身体を通じて魂へと働きかけたのです。それが遊びなのです。また遊女の歌舞を見聞きするだけでなく、時には自身が念仏踊りなどを実践する場合もあったのです。
このような宗教的儀礼の際には遊女が不可欠であり、だからこそ宮中の年中行事を遊女に手伝ってもらう必要があります。
中世の被差別民の話になると朝廷と遊女の関係が取り上げられますがそれはこのような宗教儀礼によるつながりがあるのですね。
時代にもよると思いますが、朝廷が常に「正社員」として巫女を手元においておくわけではなく、普段はフリーで各地を遍歴して性的な宗教儀礼を司る歩き巫女を必要に応じて「派遣社員」として雇ったということでしょう。

以上、『遊女の文化史』を呼んだ感想などを本書の内容を引き出しながら徒然なるままに書き出してみました。古代、中世の性という中学、高校の歴史でまず扱われることのない内容でありますので、1987年に出版されたものながら非常に新鮮なものだったかと思います。古文の授業においてはいわばラブレターの芸術性や、妻問い婚などの風習、男が浮気して女が怒る程度の内容しかやりません。現代とは根本的に異なる性のあり方など、非常に魅力的なコンテンツには触れないのが本当にもったいないんですよね。

このエッセイが、少しでも読者の方々の歴史や日本に対するイメージを変え、新たな視点もつきっかけとなればと幸いであります。

ありがとうございました。
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