聖女狂詩曲 〜獣は野に還る〜

一 千之助

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 解放された王女 2

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「……美味いな。これを美味というのか?」

 満足げに人心地ついた顔をして、デザアトが手の甲で口の汚れを拭う。

「左様ですね。ここではかような食事が主体です。王宮とは違います。私どもがおりますから、今後、デザアト様のお手を煩わせることはいたしません」

 鉄面皮でも彼女の内心が分かる。好奇心の煌めく瞳や目尻に浮かぶ微かな朱。本人に自覚はないかもしれないが、安心して食べられる美味しい物に歓喜しているのだろう。
 そんなデザアトの汚れた口元をナフキンで拭うと、バルバロッサは彼女の小さな手も拭いてやった。
 痩せこけ節の目立つ細い指。
 思わず、ぐっと奥歯を噛み締めた彼の耳に、微風のごとき軽やかな声が聞こえる。

「そうか。あんたらと居たら、こうして美味いものが食せるのだな。期待しよう」

 ……期待。その意味も分かっておられないのは見え見えですよ?

 バルバロッサは心のなかでだけ嘆息した。

 デザアトの周りには罵詈雑言の嵐しか存在せず、ろくすっぽ読み書きも出来ない。だが、そんな汚濁の中にあっても彼女は学んだ。
 侍女らの罵りや嘲笑。立ち居振る舞いや所作。殴る蹴るの暴力や尊大な態度。
 体格差が失われて侍女らに反旗を翻せるようになるまで、彼女は独自の解釈と聡い知能で独学していたのだ。そのアンバランスさが今のデザアトにはある。
 美味なものを食すなど、言い回しは知っていても食事という単語は知らない。地下で彼女が食べていた物を侍女らは餌と呼んでいたらしい。そのためだ。
 そなたや、貴方と呼ばずに、あんたと呼ぶのもそう。全てが、あの外道な侍女らを見本にして培われたため、会話内容がそのまま彼女の言語としてスライドしている。
 ただここでの救いは、あの侍女らも高貴な家の令嬢だったこと。聞くだに悍ましい罵詈雑言も、滑らかな言い回しの丁寧語。迂遠だったり、褒め殺し的な言葉もあったのだろう。デザアトは独自の解釈で、そのような言葉を自分風に使っていた。
 世話をしなかったとはいえ、高位の貴族令嬢らしか見たことのないデザアトは姿勢も仕草も悪くない。尊大な態度とて、王女である彼女なら当然のこと。

「これから学べば良いのです。ここは安全ですから。王宮のように無体を働くものはおりません」 

 優しく微笑むバルバロッサ。それに首を傾げて疑問顔なデザアト。
 そして、その二人を唖然と凝視し、黙っていられない兄貴ーズ。

「ちょ…っ! ちょっと待てっ! それではまるで王宮が危険極まりない場所のようではないかっ?!」

「……実際、そうでございましょうが。王子方が率先して王女殿下を虐げておられたのですから」

「そうだな。そう聞いている。国王も王子も、誰もが、あたしの死を望んでいると。死ねると思ったが死に損なったようだ。あんた達には悪いことをしたな」

 さらりと王家の内情を暴露し、したり顔な家庭教師。
 それを肯定して、悪びれた風もなく死に損なって悪かったと宣う妹。

「……あの時。両手から沢山の血が出てきて、これで死ねるのだと思ったんだけど。変な模様が出来ただけで死ねなかったんだよ」

 両手を目の前に伸ばして、デザアトは忌々しげな顔をする。

 ……それは聖痕だ。聖女を決める尊い御印だ。変なて…… しかも、死ねると思った? 死にたかったのか?

 ぞ……っと顔色を失う王子たち。

 今さらながら、己の仕出かしてきた愚行に血液が凍る気持ちなのだろう。あっけらかんとしたデザアトの態度が、その冷気をさらに煽った。
 彼女は死にたかったわけではない。ただ、生きているのが面倒だっただけだ。疲れていたと置き換えてもいいだろう。野生動物にはない思考。それが今、この場に彼女を座らせていた。
 再び聖女を失う寸前だったのだと理解し、凝固した顔の三兄妹。そんな彼らに気づきもせず、デザアトは新たに差し出された料理に眼を輝かせている。

 そしてふと、彼女は思いついたことを口にした。

「そういえば…… 国王陛下とやらがおられぬな。やはり、あたしのような者の顔は見たくもないか」

 家族で晩餐をしたいと王宮から報せがきたと、そのようにバルバロッサはデザアトに伝えたが、ここ数日のバルバロッサの努力により、彼女はその家族に国王が入っていることを理解している。
 打てば響く賢い王女だ。今日の晩餐とてマナーを教えることは可能だった。……が、それを良しとせず悪辣な意趣返しを企んでいたバルバロッサが、あえて教えなかったのである。
 言葉の内容に、なんの感慨もなさそうな妹の姿。それに憤り、次男のスフィアが口を開いた。

「……父上は亡くなられたよ。先月のことだ。知らないのか?」

「知らぬな。誰も言ってはおらなんだ。そうか、死んだのか。ならば、ここに居らぬも道理よ」

 ふんふんと一人得心げな妹。それに激しい怒りが湧き、スフィアはカトラリーをテーブルに打ち付けた。
 がしゃっと耳障りな音が室内に響き渡る。

「父親が死んだんだぞっ? もっと他に言うことはないのかっ?!」

「そう言われてもなあ。あたしは国王陛下とやらの顔も存ぜぬのだ。なにを思えと?」

「そうですね。国王陛下には申し訳ないが、これも御本人の不徳。娘御の窮状も知らぬまま天に召されたのは幸いかと。……お知りになったら、それこそ自戒の果てで苦しまれたことでしょうから」

 不敬にも取られかねないバルバロッサの発言。

 その全てはお前らのせいだと、暗に含ませた刃で滅多斬りにされ、スフィアは湧きあがった憤怒を呑み込む。

「だいたい、兄上様やら父上様やら、あたしには分からない。名前の区分以外に何かあるのか? 何もあるまい? 国王と王子は、あたしの死を望み地下牢へ幽閉した。だから、さっさと死ね。そのようにしか聞いておらん。それが、あたしの家族なんだろう? 違うのか?」

 本気で疑問顔のデザアト。

 妹の言葉に凍りつく兄貴ーズ。

 違わないのが困りものだ。子供の頃の戯れ言とはいえ、上の二人が下した命令である。しかも、その中に亡き父王も加害者として含まれていた。当人の自業自得とはいえ、あまりに不憫すぎる。

「父上は…… そなたの死など望んでおられなかったよ。私達が望んだのだ。……無知な子供だった。申し訳ない」

 ガイロックの絞り出すような声音を耳にして、さらに疑問顔を深めるデザアト。

「この王宮で一番偉いのは国王陛下でないのか? 子供が国王陛下の発言や命令を撤回出来るのか? 大人達が言うことをきく? 国王陛下の命に背くは叛逆というのではなかったか? バルバロッサ」

「そのとおりです、デザアト様。貴女は賢いですね」

 えらく口達者で頭の回る妹の姿を、王子達は信じられない顔で凝視する。

 それに、うっそりとほくそ笑む家庭教師と護衛騎士。
 
 離宮が整うまでの間。デザアトと一日中共にあった二人は、過不足無く必要な知識を与えた。
 家族の概念。王侯貴族のしきたりや常識。侍女らの吐いた言葉の意味や階級の仕組み。
 基礎となる知識からみっちり説明し、その概念を嬉々として彼女に叩き込むバルバロッサ。
 粗野な口調も改めさせた。

 側にバルバロッサという分かりやすい見本があるのだ。デザアトは、みるみる粗野な部分を消していく。
 悪意を悪意とも知らず、ただ真似ていただけの少女。ならば、その上書きも容易い。

『大きな声は必要ございません。私はそんな物言いをしないので。むしろ静かにしていないと私の言葉が聞こえないかもしれませんよ?』

『なるほど……たしかに』

 がなりあいしか知らなかったデザアト。その彼女にバルバロッサは対話から始めた。少し控えめで静かに。彼女が自分の言葉に耳をすませるように。
 そしてデザアトもバルバロッサの真似をして、口調や言葉を変えてゆく。どんどん進化する王女殿下に家庭教師は夢中だった。

 立ち居振る舞いや所作。日常的なことから季節の移ろいや花の香便りなどの抽象的なものまで。毎日、デザアトが飽きないよう、興味を持ちそうな玩具も与える。
 絵本の読み聞かせや、文字の手習い。教えることは山ほどあれど、彼は焦ることなく、デザアトが自ら呑み込んでいくよう心を配った。
 側にいるスチュワードをも巻き込み、笑う二人につられて彼女も時折口角をあげる。
 その微かな変化すら嬉しく、暗い地下牢で感涙する家庭教師と護衛騎士。

『なぜに泣く? まるで侍女たちのようだな。どこか痛いのか?』

 デザアトは、自分が叩きのめした時に見た侍女らの顔を思い出す。恐怖に引きつり醜く歪んだ泣き顔を。
 金切り声が煩かった。それを止めようと、さらに殴った。
 しかし眼の前の二人は違う。彼等の涙は静かで温かそうだ。そう、冬の寒い日にあたった、蝋燭の灯のように。

『いえ、嬉しいのですよ。王女殿下が微笑まれたので……』

 ……微笑んだ? 笑ったというのか? あたしが?

 思わず惚けるデザアト。

 その惚けた姿すら感無量である。バルバロッサは、満面の笑みで目尻に涙を滲ませた。

 こうして過ぎた暖かな日々がデザアトを変える。
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