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真珠の話。
真珠の話。
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本当は内緒なんだけど、綺麗な人魚の絵を大金で買ってくれた人の話をしてあげるよ。
俺は自称売れない画家気取りの、くそったれな男だった。
兵器を作るのはやめろって、散々反対したのに誰にもその声は届かずに、俺の声は何にも聞こえていなかった。
――美しい人魚の彼女に出会う前までは。
それから俺は、ただ汚れていく海を眺めながら、あの国に帰る恐怖と戦っていた。
俺は相変わらず貧しい暮らしをしていたけど、美術館の掃除夫として生活をしていた。ひとつ違うのは、綺麗な人魚の絵を見るとまた明日頑張ろうと思えたこと。
あの時に気づいた思いを忘れずに精進しようって。そう思って暮らしていたのに……。
ある夜、みすぼらしい俺の家に訪問者が来た。人魚の絵を描いたあの日から1年と2ヵ月と数日が経った日の夜だった。
その訪問者は艶やかな金髪に、整った人形みたいな綺麗な顔で、仕草や話し方が高貴で凛々しく俺の家に来るのは場違いだった。
少年の面影をまだ色濃く残した若々しい青年は、俺を見つめて、瞳を不安げに揺らした。不思議に思いながらも「どなたですか?」と、聞いてみた。その青年は、気まずそうに顔を背けて答えず、変わりに言った。
「……絵を買いにきました」
俺の絵をこんな高貴な人がか? とやはり不思議に思ったし、同時にとても胸騒ぎがした。
「どんな絵をお探しですか?適当に見繕って来ますよ」
俺は壁掛けからアトリエの鍵を取り、その青年の横を通り抜けようとした。その時、その青年の腕が、震えながら、弱々しく俺の服を掴んだ。
「違うんです。私は――人魚の絵を……」
消えそうな震える声で言うと、目を苦しそうにぎゅうっと閉じた。
弱く脆く、壊れる様な声だった。
なぜ人魚の絵を知ってるんだ―?
頭が真っ白になる。この一年と2ヵ月と数日……俺は人魚の絵の事は誰にも言った事はないし売り場になんて絶対持っていった事はない。
「ここにあるのは分かってるんです」
思い詰めた顔つきで、その綺麗な顔を苦痛に歪めながら俺にすがりつく。
「これは、売り物ではないんですよ」
俺のささやかな希望なんだ。頼むから奪わないでくれよ。
「お金ならあるんです」
「お金の問題じゃない」
俺は冷たく切り捨てる。何故この人魚がこの絵の中に入っているのか、その意味を知らないくせに。
「お願いします。せめて、せめて彼女に会わせて下さい」
彼の頬を涙が伝う。
「ああ―…私のせいなんです。私のせいで人魚さんは絵の中に―…」
苦痛の表情で頭を抱えながら崩れ落ちる。やっと顔をあげると彼は俺を見た。
「国を捨ててきました」
ポトリ、ポトリと涙と同じ早さでゆっくりと彼は話し始めた。
この金髪の高貴な青年は、あの大きな蛇口の工場の島の現王子で、海を汚した張本人だった。そして、人魚とは恋人同士だったと言う。彼女が消えた後、世界中で彼女を探した。
「彼女は汚れて泥と化した海になっても、私の傍を選んでくれました。なのに……私は蛇口を、閉めることはできなかった」
彼女を苦しめながらも、島を守る王子様。彼女は俺にこう言っていた。
『私の住める海を描いて下さい』と。
ワタシ達ノ 愛シアッタアノ頃ノ澄ンダ海ヲ――……。
あの蒼色の瞳が暗く濁っていたわけが今なら分かる気がする。もうあの頃に戻れないくらい時が経ちすぎてしまったから、人魚は多分、思い出の中へ自分を閉じ込めてしまったのだろう。
「お願いします。この絵を売って下さい。もう私が彼女にしてやることは何もないのです」
島の人々の為に蛇口を閉めることは出来なくて、澄んだ海と愛する人を失った王子様。
あの時の俺と同じだった。あの時、蛇口を閉められなかった弱い俺とこの王子さまは同じ。この絵は最後の希望なんだ。この光を閉ざされたら真っ暗な世界でずっと一人きり。
「分かった。いくらで?」
王子に小切手と書類を渡された。
「国全てを」
――…売ります、と言った。
王子は、私は国民を全て平等に愛すなんて綺麗事はもう出来ないから、と言った。もうこの一人で十分です、と。
「私は未熟な身で、愚かに旅に出て、死んだことにしてください。そして貴方に助けられ、あなたに国を託したと」
俺は皮肉と自虐的な思いを込めて笑ってしまった。どんなに後悔しても、もう過去は戻らないんじゃねえの?
決して美しいとは言えない過去は。ずっとずっと裏切ってきたくせに。それは俺も同じだった。どこまで似てるんだろうか。でもこの青年は、壊す事のない道を選んだ。恋人が居なくなった事に気づくのが数日。国を捨てるのに2ヵ月。恋人を探すのに一年。その期間が、彼の愚かで、だけど尊い「時」間だから。
「ありがとうございます。確かに代金を頂戴します」
そして人魚から渡された真珠を2つ、渡した。
「どうしてここが分かったんですか?」
最後に、絵を渡す瞬間聞いてみた。彼は初めて俺に微笑んだ。
「とても長い旅でした。その旅の中、一番穏やかな海がここに見えたんです」
絵画を抱きしめながら、泣き崩れながら、王子だった青年はそういった。
海を汚してきた王子様の流した涙は、俺の目の前で、世界一小さい美しい海になった。
けれどちっぽけすぎて、人魚は絵画から出てこなかった。
俺には光なんてもう現れない。俺は全力で走った。ただひたすら確かめたくて。
ああ、絵画が光った。この一年と数か月と数日、俺ではこの絵画を癒すことはできなかったのに、裏切り者の王子でも手を伸ばしたら光るんだ。
俺は彼女のためにたとえ、この命に代えてもあの蛇口をしめなければいけないと立ち上がった。誰にも俺の叫びが聞こえなくても、立ち上がらないといけない。
あの汚れた兵器を作る国の、追放された王子なのだとしたら猶更だ。
俺が、彼女を絵に閉じ込めた張本人だ。
俺が弱いから、俺が弱くて誰にも声が届かないからだ。
もう一度、本当の青い海を取り戻すために俺は、あの国に再び戻った。
国の権利書は再び俺の手の中に戻ったのだから。
最初は小さな願いだった。この綺麗な海と、その海を愛す国を守りたいと思っていた。
守るためには力は必要だった。その力が、いつのまにか国を守るたびに海を汚していた。
もう、やめよう。
そう口にした。もう、やめて、海が泣いていると訴えた。
けれど俺の声は届かず、国から追放された。
父の手に抱かれた小さな赤ん坊が、俺の代わりに王子になった。
あれから数年さ迷って、力がないと分かった俺は、あの汚れていく海を見る絵描きになった。
10年以上も時間が経って、やっと今、俺は蛇口を閉めた。
沢山の兵器が工場の中で眠っている中、俺は明日、この工場の島の王子に戻る。
本当の王子さまがどこに行ったか聞かれたら、王子様が死んだ話をする。
王子として蛇口を閉められず、自分を殺していた王子様が、どうして死んでしまったのか。
死んだ王子は、世界平和でもない、戦争をの憎む気持でもない、生への執着でもない。
これでまた人魚の住むエメラルドグリーンの海が、また蘇る未来を願うだけだった。
そんな寂しくてきれいな話を、俺は夜が明けたらする。
「昨日、王子は死んだ。その死んだ話をするよ」
一つ、悲しくて美しい夢物語を話すよ、と。
そのために数年振りに家に帰った。
やはり、変わってなくて当たり前なのに笑ってしまった。
「帰ったよ」
目の前の親父を睨み付けた。
「ああ。帰ったか馬鹿息子。どうだ? お前の馬鹿な絵は売れたのか?」
赤く鋭い目で馬鹿にしながら言う。
それが余りにも懐かしくて、俺は現実に戻ってしまった。
俺は不敵に笑って王子様からもらった物を見せた。
「ああ。―国が買える程度にな」
もう戻るしかないなら、間違って進んでやるよ。
俺の後ろにはほら、
沢山の犠牲の花が散っている。
俺は自称売れない画家気取りの、くそったれな男だった。
兵器を作るのはやめろって、散々反対したのに誰にもその声は届かずに、俺の声は何にも聞こえていなかった。
――美しい人魚の彼女に出会う前までは。
それから俺は、ただ汚れていく海を眺めながら、あの国に帰る恐怖と戦っていた。
俺は相変わらず貧しい暮らしをしていたけど、美術館の掃除夫として生活をしていた。ひとつ違うのは、綺麗な人魚の絵を見るとまた明日頑張ろうと思えたこと。
あの時に気づいた思いを忘れずに精進しようって。そう思って暮らしていたのに……。
ある夜、みすぼらしい俺の家に訪問者が来た。人魚の絵を描いたあの日から1年と2ヵ月と数日が経った日の夜だった。
その訪問者は艶やかな金髪に、整った人形みたいな綺麗な顔で、仕草や話し方が高貴で凛々しく俺の家に来るのは場違いだった。
少年の面影をまだ色濃く残した若々しい青年は、俺を見つめて、瞳を不安げに揺らした。不思議に思いながらも「どなたですか?」と、聞いてみた。その青年は、気まずそうに顔を背けて答えず、変わりに言った。
「……絵を買いにきました」
俺の絵をこんな高貴な人がか? とやはり不思議に思ったし、同時にとても胸騒ぎがした。
「どんな絵をお探しですか?適当に見繕って来ますよ」
俺は壁掛けからアトリエの鍵を取り、その青年の横を通り抜けようとした。その時、その青年の腕が、震えながら、弱々しく俺の服を掴んだ。
「違うんです。私は――人魚の絵を……」
消えそうな震える声で言うと、目を苦しそうにぎゅうっと閉じた。
弱く脆く、壊れる様な声だった。
なぜ人魚の絵を知ってるんだ―?
頭が真っ白になる。この一年と2ヵ月と数日……俺は人魚の絵の事は誰にも言った事はないし売り場になんて絶対持っていった事はない。
「ここにあるのは分かってるんです」
思い詰めた顔つきで、その綺麗な顔を苦痛に歪めながら俺にすがりつく。
「これは、売り物ではないんですよ」
俺のささやかな希望なんだ。頼むから奪わないでくれよ。
「お金ならあるんです」
「お金の問題じゃない」
俺は冷たく切り捨てる。何故この人魚がこの絵の中に入っているのか、その意味を知らないくせに。
「お願いします。せめて、せめて彼女に会わせて下さい」
彼の頬を涙が伝う。
「ああ―…私のせいなんです。私のせいで人魚さんは絵の中に―…」
苦痛の表情で頭を抱えながら崩れ落ちる。やっと顔をあげると彼は俺を見た。
「国を捨ててきました」
ポトリ、ポトリと涙と同じ早さでゆっくりと彼は話し始めた。
この金髪の高貴な青年は、あの大きな蛇口の工場の島の現王子で、海を汚した張本人だった。そして、人魚とは恋人同士だったと言う。彼女が消えた後、世界中で彼女を探した。
「彼女は汚れて泥と化した海になっても、私の傍を選んでくれました。なのに……私は蛇口を、閉めることはできなかった」
彼女を苦しめながらも、島を守る王子様。彼女は俺にこう言っていた。
『私の住める海を描いて下さい』と。
ワタシ達ノ 愛シアッタアノ頃ノ澄ンダ海ヲ――……。
あの蒼色の瞳が暗く濁っていたわけが今なら分かる気がする。もうあの頃に戻れないくらい時が経ちすぎてしまったから、人魚は多分、思い出の中へ自分を閉じ込めてしまったのだろう。
「お願いします。この絵を売って下さい。もう私が彼女にしてやることは何もないのです」
島の人々の為に蛇口を閉めることは出来なくて、澄んだ海と愛する人を失った王子様。
あの時の俺と同じだった。あの時、蛇口を閉められなかった弱い俺とこの王子さまは同じ。この絵は最後の希望なんだ。この光を閉ざされたら真っ暗な世界でずっと一人きり。
「分かった。いくらで?」
王子に小切手と書類を渡された。
「国全てを」
――…売ります、と言った。
王子は、私は国民を全て平等に愛すなんて綺麗事はもう出来ないから、と言った。もうこの一人で十分です、と。
「私は未熟な身で、愚かに旅に出て、死んだことにしてください。そして貴方に助けられ、あなたに国を託したと」
俺は皮肉と自虐的な思いを込めて笑ってしまった。どんなに後悔しても、もう過去は戻らないんじゃねえの?
決して美しいとは言えない過去は。ずっとずっと裏切ってきたくせに。それは俺も同じだった。どこまで似てるんだろうか。でもこの青年は、壊す事のない道を選んだ。恋人が居なくなった事に気づくのが数日。国を捨てるのに2ヵ月。恋人を探すのに一年。その期間が、彼の愚かで、だけど尊い「時」間だから。
「ありがとうございます。確かに代金を頂戴します」
そして人魚から渡された真珠を2つ、渡した。
「どうしてここが分かったんですか?」
最後に、絵を渡す瞬間聞いてみた。彼は初めて俺に微笑んだ。
「とても長い旅でした。その旅の中、一番穏やかな海がここに見えたんです」
絵画を抱きしめながら、泣き崩れながら、王子だった青年はそういった。
海を汚してきた王子様の流した涙は、俺の目の前で、世界一小さい美しい海になった。
けれどちっぽけすぎて、人魚は絵画から出てこなかった。
俺には光なんてもう現れない。俺は全力で走った。ただひたすら確かめたくて。
ああ、絵画が光った。この一年と数か月と数日、俺ではこの絵画を癒すことはできなかったのに、裏切り者の王子でも手を伸ばしたら光るんだ。
俺は彼女のためにたとえ、この命に代えてもあの蛇口をしめなければいけないと立ち上がった。誰にも俺の叫びが聞こえなくても、立ち上がらないといけない。
あの汚れた兵器を作る国の、追放された王子なのだとしたら猶更だ。
俺が、彼女を絵に閉じ込めた張本人だ。
俺が弱いから、俺が弱くて誰にも声が届かないからだ。
もう一度、本当の青い海を取り戻すために俺は、あの国に再び戻った。
国の権利書は再び俺の手の中に戻ったのだから。
最初は小さな願いだった。この綺麗な海と、その海を愛す国を守りたいと思っていた。
守るためには力は必要だった。その力が、いつのまにか国を守るたびに海を汚していた。
もう、やめよう。
そう口にした。もう、やめて、海が泣いていると訴えた。
けれど俺の声は届かず、国から追放された。
父の手に抱かれた小さな赤ん坊が、俺の代わりに王子になった。
あれから数年さ迷って、力がないと分かった俺は、あの汚れていく海を見る絵描きになった。
10年以上も時間が経って、やっと今、俺は蛇口を閉めた。
沢山の兵器が工場の中で眠っている中、俺は明日、この工場の島の王子に戻る。
本当の王子さまがどこに行ったか聞かれたら、王子様が死んだ話をする。
王子として蛇口を閉められず、自分を殺していた王子様が、どうして死んでしまったのか。
死んだ王子は、世界平和でもない、戦争をの憎む気持でもない、生への執着でもない。
これでまた人魚の住むエメラルドグリーンの海が、また蘇る未来を願うだけだった。
そんな寂しくてきれいな話を、俺は夜が明けたらする。
「昨日、王子は死んだ。その死んだ話をするよ」
一つ、悲しくて美しい夢物語を話すよ、と。
そのために数年振りに家に帰った。
やはり、変わってなくて当たり前なのに笑ってしまった。
「帰ったよ」
目の前の親父を睨み付けた。
「ああ。帰ったか馬鹿息子。どうだ? お前の馬鹿な絵は売れたのか?」
赤く鋭い目で馬鹿にしながら言う。
それが余りにも懐かしくて、俺は現実に戻ってしまった。
俺は不敵に笑って王子様からもらった物を見せた。
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