「夢」探し

篠原愛紀

文字の大きさ
23 / 56
紋章の話。

紋章の話。

しおりを挟む
化物と蔑まれ、人殺しと罵られ、右腕の紋章を深く傷つけられた俺は、

「時」の中をさ迷って、気づけば海岸に打ち上げられていた。

そんな、話。


余りにも血を流しすぎて、波の音がどんどん遠ざかっていって、死へと一歩一歩踏み出していたんだ。
紋章を深く切られ力がコントロールできなくて、諦めかけていたんだ。

そんな時に、声をかけてくれた人がいた。

あの「時」、俺が東の国の王女に捕まった時に助けてくれたように。

「大丈夫!?」

なんで、皆助けようとするんだろう……。俺に優しくする必要はないのに。

お願いだから、夢を見せないで。

そう思いながら、俺はその声を聞きながら、意識を手離したんだ。

全身が熱い……化物でも、熱が出るんだなぁ。

――大丈夫?

大丈夫。だからほっといて。

傍に来ないで。

――熱、なかなか下がらないわね……。

化物だからだよ。
だからしょうがないよ。

――大丈夫だから、ね?

――おやすみなさい――

冷たい、優しい手が俺の額を触る。

人の温もりなんて、いつぶりだろうか。

あぁ……、お願いだ。

優しくしないで。

優しくされるなんて……赦されるわけが……。


「起きたわね?」

視界は真っ白。
一瞬、自分がどこにいるのか思い出せなかった。

真っ白な天井に、真っ白な石の柱に真っ白で深々なベッドに寝ていた俺。

窓に腰をかけた、白いドレスの女性が、
眩しい太陽の光を背に、俺に問いかけた。

「3日3晩魘されていたわよ。何があったのかしら?」

少し茶化す様に問うので、気が緩んだ。

そして、深々のベッドに埋まった体が、ビクリとも動かない事に気が付いた。

「酷い怪我よね。全身打撲、なんて可愛いものじゃなかったわ。よく生きていたわね」

生きて………生きている事に少し安堵した。
簡単に死んだらいけないから。

「この包帯、本当にありがとうございました。迷惑もかけてしまって……」

俺は体の悲鳴を無視して、無理に起き上がろうとする。

でも、自分の体じゃないみたいに動かない。

「その体で帰ろうとしてるわけ? 私は命の恩人だから、私は貴方を帰さないわよ」

この、白い世界で、色鮮やかに笑う、女性。

色がない世界なのか、光が眩しすぎて色が見えないのか……透き通るような眩しく白い世界。
その人は優しく俺に話しかけてくれた。

その仕草、その口調、その笑顔、何も知らないはずなのに、俺はその女の人を知っているような気がした。

そして、間違いでは無いのなら、この建物も知っている。
ここみたいに、綺麗で新しくなくて、この空もこの町も全てまだ汚れていない。

「俺、出ていきます」

早く出ていかなければ、
俺はここに居たらいけない。

存在さえしては―…

「何を言っているのよ。そんな瀕死の体で出ていけるわけ、ないでしょ?」

その女性は、冷静に言ったけれど、俺の本気に少し戸惑っていた。

「…何を言ってるんですか? 貴方が包帯を巻いたのなら、分かるでしょ? この右腕の紋章を」

庇う必要も守る必要もない存在の、証を。

「そのタトゥーが何なの? 紋章?」

彼女は首をかしげて、本当に真剣に考えながら聞いてきた。

これ、を知らない?

何故――?

化物の証なのに。

「しかも傷が深いから紋章だなんてわからなかったわよ」

そうか。剣で切られたから紋章の力が弱くなったんだ。

だから俺の意思とは関係ない場所に来てしまったんだね。

「包帯、変えるわよ」
ベッドのそばの椅子に腰かけて、包帯を変える彼女の手の温もりを、俺は怯えながら感じていた。

「どこでこんな怪我したの?」
包帯を解きながら、彼女はゆっくり俺に尋ねた。

「…………」
卑怯な俺は黙ったまま、手当されることにした。

彼女は淡いため息をついたけれど、何も言わなかった。

太陽の光しか窓から差し込まない。
ここは、光で溢れすぎている。

「今回の戦争は、とても長くなりそうだからね」

俺の傷だらけの腕を見て、ソッと優しく触りながら、
彼女は溢すように囁いた。

「今は、どちらが勝っているのかしらね」 

遠くぼんやりとした何かに触れながら、彼女は白い世界で悲しく揺れた。答えられないけれど、結末なら知ってるよ。

西の国の王子様の一言で、全て死んだ。
それは分かってたけど、俺は黙っていた。

だって、俺は存在さえ、人を傷つけるからさ。

「あのまま、海岸に倒れていたら死ねたかな」

あの日、消えてゆく意識の中で、戦場で血を流し、倒れてゆく人々を思いだした。

愚かな戦いで、命を落としてゆく人々を、思い出した。

その戦いで生き残った俺を思い出した。

だから、疲れてこの体は動かないんだよ。

目の前の女性は、静かに瞳を閉じて、俺の話を聞いていた。

その手は、怒りで震えていたけれど。彼女は、そのまま窓辺に歩いてゆき、佇んでいた。

窓辺から、海の向こうの遠い彼方を見つめながら。

「死ぬ、なんて言う人なんて大嫌い。見苦しくても、汚くても、卑しくても、
足掻いて、足掻いて、死なないで欲しい。家に、帰ってきて欲しいわよ」

私はこの国の為に何もできないもの。

何もできないけれど、孤独と戦うしかないのよ、


「戦争なんて大嫌いよ。それを正しいと信じて殺しあうなんて私は信じられない。でも戦ってる人たちは、国や愛する人の事を考えて戦っているのでしょう?」

だから、私も孤独と戦い続けるの。
だから、貴方を助けたの。

「私が助けたいと思った、貴方自身の価値ある存在を認めて欲しい。ね?」

強気に笑って、俺に歩みより、俺の手をとってくれた。彼女は、俺の光だった。
白黒の世界に、鮮やかな色をつけるよりも、眩しい光の様な人。

彼女には沢山の勇気をもらった気がする。

誰よりも優しくて誰よりも美しくて誰よりも正義感が強くて、なんて思ったりしていた。

惹かれていたんだ。
分かりやすい程に。
彼女の笑顔で俺の心は溢れていた。

そして、誰かに似ていた。

俺はこの人を見たことがあるんだ。

そう、ずっとずっと昔から毎日。

そう言うと、彼女は笑った。

――――それって運命って言いたいの?

と茶化しながら嬉しそうに笑っていた。

苦しい事とか、辛い事とか無理に忘れて、笑っていた。

俺を知らないこの世界が、
彼女といるこの世界が、
居心地が良かった。

ねぇ、俺には君を受けとめる事は、絶対無理な事なのかな?

必死に足掻いて足掻いて足掻けば

君の辛さ、苦しさ、
全て受け止められるかな?

だから、だから毎日海を見て、祈らないで?

「婚約者がいるの」
って彼女は言った。

「戦争に行ったっきり2ヶ月帰ってないけれど」
っていう。

だから、無事であるように祈らずにはいられない。

見苦しくても生き抜いてほしいから、だから少しでも、私の気持ちが届くなら……毎日毎日、貴方がいる戦場を思って祈るわ。

……そうだよね。
君には、もう大切な存在がいるんだね。

「貴方も早く出会えるといいね」

そう、言われて俺は寂しさを感じながら笑った。

君はなってくれないんだね。

俺のただ一人に……だったら、もう俺は行かなきゃ……もう、彼女のお陰で心も体も癒された。

もう、行かなければいけない。

紋章を、俺を、知らない世界なら、幸せになってもいいかな、なんて。図々しい身勝手で浅ましい事だから……。

「名前、聞いてもいいですか?」
俺は最後に勇気を出して聞いた。

普段なら絶対聞かないけれど、聞いたらいけないんだけれど。

名前を聞いたら、もしかすると君が誰なのか分かるかもしれないから。



「私? 私の名は……」
彼女は少し教えるのを嫌がっていた。
指先で口を押さえながら、悪戯っぽく舌を出した。


私の名前は―……『         』

「そんな」

そんなはず、ないよ。

『神』様、

なんて甘美で残酷な嘘、なんだ。

喜んでいいの?

絶望すればいいの?

だって、その名前は、毎日、一人で……一人ぼっちで……汚れた空と町に佇む城の中で首が痛くなる程眺めていた肖像画の女性。

汚い小さな世界で、綺麗だと思った肖像画。

この人が、この城にいたら、俺は一人じゃなかったのになって、この人がそばにいたら寂しくないのになって

毎日眺めた、暖かい肖像画。

俺の師匠が初めて描いた肖像画。

「ん?どうしたの?」
俺が黙り込んでしまい、様子が変な事に彼女は気づいた。 

「あ、私の正体分かっちゃたんでしょ?」

そして、申し訳なさそうに笑った。
「いえ……俺の……」

まだ現実を直視できなかったけれど。

「俺の御婆様と同じ名前……だったから」

上手く、笑えたかな?
嬉しい、なんて感情が湧かない程に驚いているのに。

「そうなんだ! 凄い偶然だね」

「肖像画でしか見た事ないから、違和感あるんですけど」

俺が生まれる前にとっくに亡くなっていたし。

「肖像画ね。私も婚約者が帰ってきたら頼もうかしら」

関心したように言うから、俺は肖像画を描いて貰うなら町はずれの美術館で働いている師匠を、と紹介しておいた。
この時代なら、まだ売れない画家のはずだ。

師匠じゃなければ、貴方に恋焦がれなかったかもしれないから。

その時、部屋の外が慌ただしくなった。

ドタバタと走り回る音。
鎧が動いて擦れる音もする。

その時、一人の兵士が部屋にやってきた。

俺の傷も、紋章も全て治った、この「時」に。

「王女様、王が生還致しました」

残酷に、幸せな夢から覚める時間を知らせに。

プツン

そこで、映像が途切れる様に、「時」を飛んだ。

少しまた迷ったり、彷徨ったりしながら、彼女にはもう会えなくても、もしかしたら、彼女の魂には再会できないかな?

とか馬鹿げた夢を見ながら、適当に歩み続けて、適当に生き続けた。

時には化物に捕まらないように、醜く足掻きながら、ね。捕まるわけにはいかないからさ。

そして。
気づいたら、俺はこの小さな島の、この小さな町に辿りついていた。

そして岬で、君がお墓を見て泣いているのを見つけたんだ。

――――少女よ。
君を見つけたんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!! お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。 皆様、お気に入り登録ありがとうございました。 現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。 辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...