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サフィニア『あなたがそばにいると心が和む』サボテン『枯れない愛 秘めた熱情』
サフィニア『あなたがそばにいると心が和む』サボテン『枯れない愛 秘めた熱情』
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「おい、この問題、全然答えがあわねーじゃないか」
「岳理君、スパルタは其処までにして。紅茶でも如何ですか?」
楠木みかど17歳。現在受験を控えた夏休み。大学受験に気持ちを切り替えたみかどだったが、希望大学院が今の状況なら危ういと、連日のごとく日替わりで皆が家庭教師をしてくれていた。千景だけは、ギリギリで受験に受かった過去があり家庭教師は無理だと逃走し、こうして岳理と店長が交代で教える日が出来ている。みかども、生活費はきちんと毎月振り込まれているので、バイトの必要はないのだが,皆と会えるこのカフェが居心地が良いのか毎日此処で勉強している。
「そういえば、麗子さんがもうすぐ日本へ戻って来られるらしいですよ」
「お、お土産はもうあんなには買って来られませんよね!? まだ、消化しきれていないお菓子もありますよ」
みかどが焦るが、店長はのんびりと首を傾げるのみだった。彼女のちょっとしたお土産、と言い張る量には、カフェの皆が大体諦めているのだ。
「こんなに理系が弱いんじゃあ、うちの寺で合宿させるぞ、ごら」
「ひいい」
みかどが目指す大学は、店長たちが通っていたT大には足元にも及ばないが、みかどの学力では合格圏内の場所。もっと合格率を上げて余裕を持ちたいのならば学力を上げる必要があった。
「岳理さんのお寺って――」
不意に、みかどがあの階段の事を思い出す。だが、こうして血が繋がった兄妹だと分かった今、あの階段の出来事は夢の中で起こったことだと思うしかなかった。
「みかどちゃん、僕で良ければ教えますよ」
「お兄さんっ ありがとうございます」
喜び問題集を開くみかどに、店長は甘いクッキーの匂いを漂わせながら、勉強を教えていく。その姿を、岳理はただただ黙って紅茶を飲みながら見つめていた。
「ねえ、みかどちゃんって岳リンと何があったの?」
そんなツッコミが来たのは――岳理が帰って、カフェで一人問題集をしている時だった。
みかどを心配してくれているのは、トールとリヒトだった。
口止めをされているわけではないが、言っていいのか分からず視線をさ迷わせる。
「みかど女史と岳リンが、兄妹だったんだよねー」
「わ、葉瀬川さん!」
カフェの入り口でゆらりと現れて、言ってしまったのは葉瀬川だった。その言葉に、トール
「――それ、ホント?」
「俺達、岳リンから何も聞かされていないけど」
「写真が……お兄さんと岳理さんが私の母と写真を撮っていて、その岳理さんがそう言ったんです」
「それって、岳理さんのお父様は知ってるのかしら?」
サークル帰りの千景まで、その話しに割り込んで来た。
「僕もそう思います。岳理君、まだ何か隠してる。僕の発作のせいで」
店長も寂しげな表情で溜息を吐く。
「つまり、まだ妖しいのよね」
千景が更に疑った目を向けた。
「ねー、岳リン今、どこ?」
「呼び出しちゃおうかー」
「男たるもの、はっきりせねばならん」
「そう言えば・・・・・・」
皆が盛り上がる中、店長が不思議そうな声を上げた。
「一度、岳理君が、長髪の黒髪が美しい女の人と駅に入って行くのを見たことがあります」
その言葉に、みかどのシャーペンを持つ手が震えた。
「何それー? 詳しく詳しく!」
「や、凄く最近ですよ。後姿だがか違うかもしれませんが――」
岳理は、不器用ながらも、顔も良いし面倒見も良い、そして仕事も出来るし機転も利く。内面の良さが分かれば惹かれていくのも仕方ない。みかどはそう思いつつも、シャーペンを持つ手が震え、力が入らなかった。店長の監禁事件が解決した今、本当はみかどの勉強を教えるのではなく、自分の幸せを見つける方が、きっと岳理は忙しいのかもしれない。
「私、もう部屋で勉強しますね」
無理に笑ったみかどの手を、店長が掴んだ。
「今、みかどちゃんが動揺するかなって思って、大袈裟に言ってしまいましたが、本当ですよ。岳理くんに、彼女が居たら駄目ですか?」
「だっ駄目じゃないです。駄目なんかじゃ! だって岳理さん、凄く良い人だし、不器用だけど、優しいし。意地悪だけど――暖かいし。岳理さんを、岳理さんを良い人だと気づいてくれた人がいるなら、妹の私としては嬉しいです」
それは、本当だった。みかどの『妹』としての立場では本当の気持ちだ。偽れないのだから。
「でも、――泣いてますよね。泣いてますよ、心が」
店長はそう言うと、みかどの持っていた勉強道具全てを奪い、テーブルに置いた。そして、カバンを携帯カメラで撮ると、誰かに送信する。
「お兄さん?」
「岳理君が、貴方に自分が兄だと言ってから、誰か孔礼寺に入った人、居ますか?」
店長の質問に、従業員は全員首を振った。
「つまりそれは、孔礼寺に誰も入らせたくない秘密があるんじゃないですか」
みかどは、いつぞやのお酒の事件の時に会話した住職を思い出した。岳理に良く似たお茶目な人だった。
「岳理さんのお父さんには、まだウチの母のことを何も聞けていません」
聞けていないのではなく、聞く暇がないほど、毎日日々更新されて行く新しい環境になれるのだけが精いっぱいだった。それにきっと、岳理が兄だと言う事実を、どこかで否定したくて真実を遠ざけていたのだろう。
「そうですよね。だから、今から岳理くんをおびき寄せるので、貴方は一人で向かって下さい。岳理くんのお寺へ」
「お兄、さん?」
首を傾げたみかど以外、周りの皆がにたりと笑うのが分かった。それとほぼ同時に、店長の携帯が鳴りだした。店長は大きく息を吸い込むと、その電話をとる。
「岳理君!」
慌てた、落ちつきのない演技の店長。
「そそうなんです! みかどちゃんが居なくなっちゃって。カフェに勉強道具とカバンはあるんですが、はい。携帯も繋がりません」
みかどの後ろで、みかどの携帯の電源を切りながら千景が不敵に笑っている。
「ど、どうしましょう。警察、警察に連絡を! あああ、でもそんな事になれば受験に差し支えるかもしれませんっ」
みかどは、皆がニヤニヤしているこの状況がまだよく理解できていなかった。だが、リヒトとトールが笑顔でみかどの肩を叩く。
「本当に知りたいなら、その足で行っておいで。俺らがあの馬鹿、足止めしとくから」
その言葉に漸く、震える体を奮い立たせる。店長の携帯が切れると、次に葉瀬川の携帯が鳴った。
「えー……みかど女史? 見たよ、見た。思い詰めた目で、『海に行く』とか言ってたなー」
葉瀬川はパラパラと漫画を読みながら、適当に話を合わせる。
「どこの海って……? ん~……樹海?」
樹海は海ではないのだが葉瀬川は適当に時間を繋げていく。
「あー……。電話切れちゃった」
そう言って、漫画を読みながら椅子に座りなおす。すると、次々に携帯が鳴りだした。すると、今度はリヒトが電話に出る。
「ああ。孔礼寺くん。どうしたの?」
冷ややかな声で告げると、向こうで岳理さんは叫んでいるのが伺えた。
「俺たちは知らないよ。だから馬鹿な事するなって反対したんだよ」
そう言って、携帯をトールに渡す。
「孔礼寺くんはやる事が陰湿なんだよ。俺に彼女のふりを頼んで、鳴海んに目撃させようとしたでしょ? それって、みかどちゃんの気持ちを軽んじてる、不誠実な事だからね。もう4回程死んで生まれ変わってくれば?」
そう一方的に言うと、電源を切った。
「あ……、あの、今のは……?」
「孔礼寺くんに頼まれて彼女のフリしようとしたんだ。途中で馬鹿らしくて辞めたけど」
申し訳なさそうにトールが頭を下げるとドラガンは携帯の画面を見た瞬間に出もせずに切る。
「本当に、岳リンはヘタレだよねー」
ヤレヤレといった様子でみかどの携帯の電源を入れると千景が着信拒否にした。だが履歴は残るのか画面には着信が18件。
「どうせ、岳リンの事だから、格好つけて身を引いたつもりだろうけどさ」
座ったまま、葉瀬川が少年スキップをゴミ箱へ投げ入れる。
「でもこうして、馬鹿みたいにみかど女史を探してるなら、無駄な努力だよね」
そう言って、ゴミ箱のスキップを大事そうに取り出す。
「みかどちゃん、鳴海んに遠慮したって、気持ちは正直だよ」
「悔しいけどさ、今もこうしてみかどちゃんを想って、色んな場所を探してると思うよ」
「それって『愛』を感じるますよねー」
店長の言葉にみかどは言葉を失う。
「が、岳理さんがお兄さんなら私、私、なんて幸せモノ何だろうって――」
そう感謝の言葉を言おうとして、みかどはポロポロと涙を零す。それは『真実』、だけれど『嘘』でもある。本音は違う。だが、血が繋がっているのならばそう思うのが一番幸せだとみかどは思っていた。その時、丁度、カフェのドアベルが鳴り、部活帰りの皇汰が様子を見に来た。
「どうしたの? 全員集合して」
「皇汰、自転車貸して!」
「姉ちゃん!?」
皆の優しさで背中を押して貰ったみかどは、何も持たず身一つで自転車に飛び乗ると、孔礼寺を目指した。勇気づけられ、蓋をして逃げて、忘れて行った気持ちをきちんと拾ってどうするか考えなければいけない。それは真実を知ってからでも遅くないはずだ。様々な車とすれ違い、遠くの山を目指した。山を登りだすと自転車ではきつくて、途中のバス停で止めて鍵をかけると、今度は山を走って登りだした。足が痛くて、途中で靴の底が擦れても、みかどはただただ走った。冷たくて大きな階段を一段一段登り、真実に近づくのは怖かった。だが、誰も逃げ出していない。逃げていた店長も、みかどが引きずりだしたのに、自分だけ安全な場所で隠れているのはずるいのではないか。みかどはただただ、足の皮が擦れても良いと登った。見上げた夜空はあの日の夜空に良く似ていた。ただ一目だけ、会いたかった夜の空。店長の事で悩む時、支えて抱きしめて貰った夜。本当は抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて、離さないで欲しかったのを、隠すのは辞めよう。
登り切った先で、戸締りをしようとしていた住職が、そのみかどの様子に駆け寄って来る。ふらふらな身体で走り寄ると、住職の袈裟を掴んだ。岳理の父親が、みかどの足を見て慈しむように微笑む。それが、みかどの此処まで走ってきた意思を包み込むようなう優しい笑顔だった。縁側で手当てしながら聞いたソレは、みかどの気持ちを揺さぶる。此処まで背中を押してくれた、アルジャーノンの皆のお陰だった。真実は、言葉にすれば痛みが広がり、涙が込み上げて――みかどを安堵と悲しみに染めた。同時に岳理の優しさに、足の痛みが飛んで行く。そう言う人なんだろう。不器用な、岳理と言う男は。みかどは住職に御礼を言うと、一人、階段の落し物の場所へ座り込んだ。此処で、落とした気持ちごと岳理が来るのを信じて座る。暫く星が瞬くのを見ていた後、バイクが猛スピードで突っ込んで来ると、みかどの目の前で止まる。バイクを投げ出すように降りると、その人はみかどの横に倒れ込んだ。
「……お、まえっ」
ヘルメットをとると、その人はセクシーに髪をかき肩で息を整える。ハァハァと荒い息を吐き出し、汗が頬を伝い落ちながら、ぐるんと大の字に寝転んだ。
「か……、んべんしろよ」
元気なみかどを見た瞬間、倒れ込んだその人は、心の底から声を絞り出す。ぽたぽたと、冷たい石の階段に汗が染み込んでいく。
この人は、どこまで探しに行ったのだろうか? この人は、どれほど心配してくれたのだろうか? この人は、みかどと店長の為にどれほど自分を殺し嘘を吐いたのだろうか。今なら、みかどでさえ倒せそうな程に、フラフラで情けない悪役。
「人がど……んだけ心配したか」
っち、と舌打ちすると、視線だけみかどを捉える。
「……私の気持ちを、『彼女のふりして貰った』ぐらいで消せると油断したからですよ」
「おまえ……」
「私は『おまえ』じゃないです」
そう言って、――岳理の顔を見つめた。
「岳理さんのお母さんは、うちの母が担当していた患者さんだったんですね」
「……っち」
「聞きました。住職さんから聞きましたよ。岳理さんのお母様は今、療養で此処には居ないって。知って……知ってしまいました」
胸がきゅうぅぅッと痛み、みかどは胸を押さえる。
「こうやって、自分に彼女ができたふりをすれば、私とお兄さんが離れることはないって悪役になってくれようとして。つまり、私には本当の兄は居なかったんですね。何処にも――本当の兄なんて」
岳理は、みかどより先にその真実に気づき、傷付かないようにそう演技した。それでいいとさえ思ったのは、気持ちがないからか。
「お、兄さんは好きですが、それは、家族だったら嬉しいなってそんな、尊敬を込めた好きです。でも、私はど、どんどん勝手に、強引に私の心に侵入してきた岳理さんも、大切なんです」
岳理は深く目を瞑り、小さく息を吐く。
「守ってくれなくても、良いです。突き放してくれて、構いません。私とお兄さんをくっつけたいなら、今ここで、メッチャクチャに振って下さい」
これが最後の、岳理さんへの甘え。突き放してくれたならば、もう甘えたりしない。前を進んで歩いて行く。最後にどうかこれ以上、優しくしないで欲しいと。
「わ、私、優しくされる度、守ってもらう度、意味深な言葉を告げられる度、――抱きしめられた瞬間、切なくて、苦しくて、泣き出しそうで、胸が痛いほど、甘く貴男を想っていました。だから、そんな私が迷惑ならば、お兄さんと上手くいって欲しいならば、今すぐ振って忘れさせて下さい」
ぎゅううと堅く閉じた目で、みかどは最後の判決を聞く。
「――まじ、かぁ……」
岳理はゴロンとうつ伏せに寝返ると、やはり起き上がる体力はないのか倒れ込む。
「俺が強引にしたから、つられただけとかじゃねぇの?」
「そ、そこまで、私は自分がないわけじゃありません!!」
そう言うと、二人は目が合う。やっぱり目が合うと、身動きできない程に、怖い。真っ直ぐ目で想いを告げている岳理がみかどは怖かった。
「こんなに我慢したのが、馬鹿みてぇ。……んだよ、頑張ったんだぞ、俺は」
「ざまぁみろ、です」
そう言うとズボンのポケットを漁るが、煙草は見つかってもライターは見つからない。諦めた岳理は、煙草をぽーいっと階段下へ投げ捨てた。
「俺は、鳴海と違って綺麗じゃねえぞ。どろどろしてんぞ」
そう言って、上半身だけ起き上がった。鋭い目は、しっかりみかどを捉えている。分かっている。その目は冷たく見えて、青い炎でメラメラ燃えていて、ゆっくりゆっくり火傷をつくる、『秘めた熱意』があることを。
「振れるワケねぇだろう? ――こんなに好きなんだから」
そう、舌打ちもせず言うと手を伸ばす。それは、みかどの胸に火傷を作るには、十分な、熱い熱い言葉だった。フラッと立ち上がった岳理は、晴れ晴れといや、ふてぶてしい程に開き直った顔で、右手を差し出す。
「この階段に忘れていった俺への気持ちは、みかどのだろ?」
そう言われ、みかどは泣いていいのか、笑っていいのか、複雑な顔になっていた。
「んだよ、その顔」
クッと岳理が笑って、んっと右手を出すように促され、おずおずと右手を、岳理の右手に乗せた。スイッと掴まれて私は立ち上がらせられ、キツく、キツく、抱きしめられた。
「拾ったから」
そう言われ、みかどの胸は壊れてしまいそうだった。優しく髪を撫でてくれるその腕に、飛び込んでわんわんと泣く。本当の兄だけを心のよりどころにしていた部分もあったかもしれないが、店長にも岳理にも、アルジャーノンの皆にも受け要られてた今、真実は嘘でももういい。確かな自分の場所を見つけたのだから。
「岳理君、スパルタは其処までにして。紅茶でも如何ですか?」
楠木みかど17歳。現在受験を控えた夏休み。大学受験に気持ちを切り替えたみかどだったが、希望大学院が今の状況なら危ういと、連日のごとく日替わりで皆が家庭教師をしてくれていた。千景だけは、ギリギリで受験に受かった過去があり家庭教師は無理だと逃走し、こうして岳理と店長が交代で教える日が出来ている。みかども、生活費はきちんと毎月振り込まれているので、バイトの必要はないのだが,皆と会えるこのカフェが居心地が良いのか毎日此処で勉強している。
「そういえば、麗子さんがもうすぐ日本へ戻って来られるらしいですよ」
「お、お土産はもうあんなには買って来られませんよね!? まだ、消化しきれていないお菓子もありますよ」
みかどが焦るが、店長はのんびりと首を傾げるのみだった。彼女のちょっとしたお土産、と言い張る量には、カフェの皆が大体諦めているのだ。
「こんなに理系が弱いんじゃあ、うちの寺で合宿させるぞ、ごら」
「ひいい」
みかどが目指す大学は、店長たちが通っていたT大には足元にも及ばないが、みかどの学力では合格圏内の場所。もっと合格率を上げて余裕を持ちたいのならば学力を上げる必要があった。
「岳理さんのお寺って――」
不意に、みかどがあの階段の事を思い出す。だが、こうして血が繋がった兄妹だと分かった今、あの階段の出来事は夢の中で起こったことだと思うしかなかった。
「みかどちゃん、僕で良ければ教えますよ」
「お兄さんっ ありがとうございます」
喜び問題集を開くみかどに、店長は甘いクッキーの匂いを漂わせながら、勉強を教えていく。その姿を、岳理はただただ黙って紅茶を飲みながら見つめていた。
「ねえ、みかどちゃんって岳リンと何があったの?」
そんなツッコミが来たのは――岳理が帰って、カフェで一人問題集をしている時だった。
みかどを心配してくれているのは、トールとリヒトだった。
口止めをされているわけではないが、言っていいのか分からず視線をさ迷わせる。
「みかど女史と岳リンが、兄妹だったんだよねー」
「わ、葉瀬川さん!」
カフェの入り口でゆらりと現れて、言ってしまったのは葉瀬川だった。その言葉に、トール
「――それ、ホント?」
「俺達、岳リンから何も聞かされていないけど」
「写真が……お兄さんと岳理さんが私の母と写真を撮っていて、その岳理さんがそう言ったんです」
「それって、岳理さんのお父様は知ってるのかしら?」
サークル帰りの千景まで、その話しに割り込んで来た。
「僕もそう思います。岳理君、まだ何か隠してる。僕の発作のせいで」
店長も寂しげな表情で溜息を吐く。
「つまり、まだ妖しいのよね」
千景が更に疑った目を向けた。
「ねー、岳リン今、どこ?」
「呼び出しちゃおうかー」
「男たるもの、はっきりせねばならん」
「そう言えば・・・・・・」
皆が盛り上がる中、店長が不思議そうな声を上げた。
「一度、岳理君が、長髪の黒髪が美しい女の人と駅に入って行くのを見たことがあります」
その言葉に、みかどのシャーペンを持つ手が震えた。
「何それー? 詳しく詳しく!」
「や、凄く最近ですよ。後姿だがか違うかもしれませんが――」
岳理は、不器用ながらも、顔も良いし面倒見も良い、そして仕事も出来るし機転も利く。内面の良さが分かれば惹かれていくのも仕方ない。みかどはそう思いつつも、シャーペンを持つ手が震え、力が入らなかった。店長の監禁事件が解決した今、本当はみかどの勉強を教えるのではなく、自分の幸せを見つける方が、きっと岳理は忙しいのかもしれない。
「私、もう部屋で勉強しますね」
無理に笑ったみかどの手を、店長が掴んだ。
「今、みかどちゃんが動揺するかなって思って、大袈裟に言ってしまいましたが、本当ですよ。岳理くんに、彼女が居たら駄目ですか?」
「だっ駄目じゃないです。駄目なんかじゃ! だって岳理さん、凄く良い人だし、不器用だけど、優しいし。意地悪だけど――暖かいし。岳理さんを、岳理さんを良い人だと気づいてくれた人がいるなら、妹の私としては嬉しいです」
それは、本当だった。みかどの『妹』としての立場では本当の気持ちだ。偽れないのだから。
「でも、――泣いてますよね。泣いてますよ、心が」
店長はそう言うと、みかどの持っていた勉強道具全てを奪い、テーブルに置いた。そして、カバンを携帯カメラで撮ると、誰かに送信する。
「お兄さん?」
「岳理君が、貴方に自分が兄だと言ってから、誰か孔礼寺に入った人、居ますか?」
店長の質問に、従業員は全員首を振った。
「つまりそれは、孔礼寺に誰も入らせたくない秘密があるんじゃないですか」
みかどは、いつぞやのお酒の事件の時に会話した住職を思い出した。岳理に良く似たお茶目な人だった。
「岳理さんのお父さんには、まだウチの母のことを何も聞けていません」
聞けていないのではなく、聞く暇がないほど、毎日日々更新されて行く新しい環境になれるのだけが精いっぱいだった。それにきっと、岳理が兄だと言う事実を、どこかで否定したくて真実を遠ざけていたのだろう。
「そうですよね。だから、今から岳理くんをおびき寄せるので、貴方は一人で向かって下さい。岳理くんのお寺へ」
「お兄、さん?」
首を傾げたみかど以外、周りの皆がにたりと笑うのが分かった。それとほぼ同時に、店長の携帯が鳴りだした。店長は大きく息を吸い込むと、その電話をとる。
「岳理君!」
慌てた、落ちつきのない演技の店長。
「そそうなんです! みかどちゃんが居なくなっちゃって。カフェに勉強道具とカバンはあるんですが、はい。携帯も繋がりません」
みかどの後ろで、みかどの携帯の電源を切りながら千景が不敵に笑っている。
「ど、どうしましょう。警察、警察に連絡を! あああ、でもそんな事になれば受験に差し支えるかもしれませんっ」
みかどは、皆がニヤニヤしているこの状況がまだよく理解できていなかった。だが、リヒトとトールが笑顔でみかどの肩を叩く。
「本当に知りたいなら、その足で行っておいで。俺らがあの馬鹿、足止めしとくから」
その言葉に漸く、震える体を奮い立たせる。店長の携帯が切れると、次に葉瀬川の携帯が鳴った。
「えー……みかど女史? 見たよ、見た。思い詰めた目で、『海に行く』とか言ってたなー」
葉瀬川はパラパラと漫画を読みながら、適当に話を合わせる。
「どこの海って……? ん~……樹海?」
樹海は海ではないのだが葉瀬川は適当に時間を繋げていく。
「あー……。電話切れちゃった」
そう言って、漫画を読みながら椅子に座りなおす。すると、次々に携帯が鳴りだした。すると、今度はリヒトが電話に出る。
「ああ。孔礼寺くん。どうしたの?」
冷ややかな声で告げると、向こうで岳理さんは叫んでいるのが伺えた。
「俺たちは知らないよ。だから馬鹿な事するなって反対したんだよ」
そう言って、携帯をトールに渡す。
「孔礼寺くんはやる事が陰湿なんだよ。俺に彼女のふりを頼んで、鳴海んに目撃させようとしたでしょ? それって、みかどちゃんの気持ちを軽んじてる、不誠実な事だからね。もう4回程死んで生まれ変わってくれば?」
そう一方的に言うと、電源を切った。
「あ……、あの、今のは……?」
「孔礼寺くんに頼まれて彼女のフリしようとしたんだ。途中で馬鹿らしくて辞めたけど」
申し訳なさそうにトールが頭を下げるとドラガンは携帯の画面を見た瞬間に出もせずに切る。
「本当に、岳リンはヘタレだよねー」
ヤレヤレといった様子でみかどの携帯の電源を入れると千景が着信拒否にした。だが履歴は残るのか画面には着信が18件。
「どうせ、岳リンの事だから、格好つけて身を引いたつもりだろうけどさ」
座ったまま、葉瀬川が少年スキップをゴミ箱へ投げ入れる。
「でもこうして、馬鹿みたいにみかど女史を探してるなら、無駄な努力だよね」
そう言って、ゴミ箱のスキップを大事そうに取り出す。
「みかどちゃん、鳴海んに遠慮したって、気持ちは正直だよ」
「悔しいけどさ、今もこうしてみかどちゃんを想って、色んな場所を探してると思うよ」
「それって『愛』を感じるますよねー」
店長の言葉にみかどは言葉を失う。
「が、岳理さんがお兄さんなら私、私、なんて幸せモノ何だろうって――」
そう感謝の言葉を言おうとして、みかどはポロポロと涙を零す。それは『真実』、だけれど『嘘』でもある。本音は違う。だが、血が繋がっているのならばそう思うのが一番幸せだとみかどは思っていた。その時、丁度、カフェのドアベルが鳴り、部活帰りの皇汰が様子を見に来た。
「どうしたの? 全員集合して」
「皇汰、自転車貸して!」
「姉ちゃん!?」
皆の優しさで背中を押して貰ったみかどは、何も持たず身一つで自転車に飛び乗ると、孔礼寺を目指した。勇気づけられ、蓋をして逃げて、忘れて行った気持ちをきちんと拾ってどうするか考えなければいけない。それは真実を知ってからでも遅くないはずだ。様々な車とすれ違い、遠くの山を目指した。山を登りだすと自転車ではきつくて、途中のバス停で止めて鍵をかけると、今度は山を走って登りだした。足が痛くて、途中で靴の底が擦れても、みかどはただただ走った。冷たくて大きな階段を一段一段登り、真実に近づくのは怖かった。だが、誰も逃げ出していない。逃げていた店長も、みかどが引きずりだしたのに、自分だけ安全な場所で隠れているのはずるいのではないか。みかどはただただ、足の皮が擦れても良いと登った。見上げた夜空はあの日の夜空に良く似ていた。ただ一目だけ、会いたかった夜の空。店長の事で悩む時、支えて抱きしめて貰った夜。本当は抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて、離さないで欲しかったのを、隠すのは辞めよう。
登り切った先で、戸締りをしようとしていた住職が、そのみかどの様子に駆け寄って来る。ふらふらな身体で走り寄ると、住職の袈裟を掴んだ。岳理の父親が、みかどの足を見て慈しむように微笑む。それが、みかどの此処まで走ってきた意思を包み込むようなう優しい笑顔だった。縁側で手当てしながら聞いたソレは、みかどの気持ちを揺さぶる。此処まで背中を押してくれた、アルジャーノンの皆のお陰だった。真実は、言葉にすれば痛みが広がり、涙が込み上げて――みかどを安堵と悲しみに染めた。同時に岳理の優しさに、足の痛みが飛んで行く。そう言う人なんだろう。不器用な、岳理と言う男は。みかどは住職に御礼を言うと、一人、階段の落し物の場所へ座り込んだ。此処で、落とした気持ちごと岳理が来るのを信じて座る。暫く星が瞬くのを見ていた後、バイクが猛スピードで突っ込んで来ると、みかどの目の前で止まる。バイクを投げ出すように降りると、その人はみかどの横に倒れ込んだ。
「……お、まえっ」
ヘルメットをとると、その人はセクシーに髪をかき肩で息を整える。ハァハァと荒い息を吐き出し、汗が頬を伝い落ちながら、ぐるんと大の字に寝転んだ。
「か……、んべんしろよ」
元気なみかどを見た瞬間、倒れ込んだその人は、心の底から声を絞り出す。ぽたぽたと、冷たい石の階段に汗が染み込んでいく。
この人は、どこまで探しに行ったのだろうか? この人は、どれほど心配してくれたのだろうか? この人は、みかどと店長の為にどれほど自分を殺し嘘を吐いたのだろうか。今なら、みかどでさえ倒せそうな程に、フラフラで情けない悪役。
「人がど……んだけ心配したか」
っち、と舌打ちすると、視線だけみかどを捉える。
「……私の気持ちを、『彼女のふりして貰った』ぐらいで消せると油断したからですよ」
「おまえ……」
「私は『おまえ』じゃないです」
そう言って、――岳理の顔を見つめた。
「岳理さんのお母さんは、うちの母が担当していた患者さんだったんですね」
「……っち」
「聞きました。住職さんから聞きましたよ。岳理さんのお母様は今、療養で此処には居ないって。知って……知ってしまいました」
胸がきゅうぅぅッと痛み、みかどは胸を押さえる。
「こうやって、自分に彼女ができたふりをすれば、私とお兄さんが離れることはないって悪役になってくれようとして。つまり、私には本当の兄は居なかったんですね。何処にも――本当の兄なんて」
岳理は、みかどより先にその真実に気づき、傷付かないようにそう演技した。それでいいとさえ思ったのは、気持ちがないからか。
「お、兄さんは好きですが、それは、家族だったら嬉しいなってそんな、尊敬を込めた好きです。でも、私はど、どんどん勝手に、強引に私の心に侵入してきた岳理さんも、大切なんです」
岳理は深く目を瞑り、小さく息を吐く。
「守ってくれなくても、良いです。突き放してくれて、構いません。私とお兄さんをくっつけたいなら、今ここで、メッチャクチャに振って下さい」
これが最後の、岳理さんへの甘え。突き放してくれたならば、もう甘えたりしない。前を進んで歩いて行く。最後にどうかこれ以上、優しくしないで欲しいと。
「わ、私、優しくされる度、守ってもらう度、意味深な言葉を告げられる度、――抱きしめられた瞬間、切なくて、苦しくて、泣き出しそうで、胸が痛いほど、甘く貴男を想っていました。だから、そんな私が迷惑ならば、お兄さんと上手くいって欲しいならば、今すぐ振って忘れさせて下さい」
ぎゅううと堅く閉じた目で、みかどは最後の判決を聞く。
「――まじ、かぁ……」
岳理はゴロンとうつ伏せに寝返ると、やはり起き上がる体力はないのか倒れ込む。
「俺が強引にしたから、つられただけとかじゃねぇの?」
「そ、そこまで、私は自分がないわけじゃありません!!」
そう言うと、二人は目が合う。やっぱり目が合うと、身動きできない程に、怖い。真っ直ぐ目で想いを告げている岳理がみかどは怖かった。
「こんなに我慢したのが、馬鹿みてぇ。……んだよ、頑張ったんだぞ、俺は」
「ざまぁみろ、です」
そう言うとズボンのポケットを漁るが、煙草は見つかってもライターは見つからない。諦めた岳理は、煙草をぽーいっと階段下へ投げ捨てた。
「俺は、鳴海と違って綺麗じゃねえぞ。どろどろしてんぞ」
そう言って、上半身だけ起き上がった。鋭い目は、しっかりみかどを捉えている。分かっている。その目は冷たく見えて、青い炎でメラメラ燃えていて、ゆっくりゆっくり火傷をつくる、『秘めた熱意』があることを。
「振れるワケねぇだろう? ――こんなに好きなんだから」
そう、舌打ちもせず言うと手を伸ばす。それは、みかどの胸に火傷を作るには、十分な、熱い熱い言葉だった。フラッと立ち上がった岳理は、晴れ晴れといや、ふてぶてしい程に開き直った顔で、右手を差し出す。
「この階段に忘れていった俺への気持ちは、みかどのだろ?」
そう言われ、みかどは泣いていいのか、笑っていいのか、複雑な顔になっていた。
「んだよ、その顔」
クッと岳理が笑って、んっと右手を出すように促され、おずおずと右手を、岳理の右手に乗せた。スイッと掴まれて私は立ち上がらせられ、キツく、キツく、抱きしめられた。
「拾ったから」
そう言われ、みかどの胸は壊れてしまいそうだった。優しく髪を撫でてくれるその腕に、飛び込んでわんわんと泣く。本当の兄だけを心のよりどころにしていた部分もあったかもしれないが、店長にも岳理にも、アルジャーノンの皆にも受け要られてた今、真実は嘘でももういい。確かな自分の場所を見つけたのだから。
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