鎖の少年

MEIRO

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 淡い光が照らす石壁に囲まれた部屋の中央で、クラウンとプリメラは硬い石床の上に座り、向かい合っていた。
 沈黙が流れる中、プリメラがおもむろに、何かを掴んでいる右手を少し開き、その中にクラウンの鼻を包み込んだ。
 途端、鎖をジャラリと鳴らし、クラウンの体が急に跳ね上がりだす。
 そして、強張ったクラウンの全身から、一気に力が抜けていった。

「だ……大丈夫、ですか?」

 プリメラは心配げな声で、クラウンに尋ねる。
 だが、クラウンはすぐに顔を上げると、何事もなかったかのように返事をした。

「――っ。ん? どうかした?」

「え? どうかしたというか……。いえ、なんでもないです」

 困惑気味に答えるプリメラ。
 数十分ほどの間、ある匂い――“悪臭”を手の中に握り、嗅がせ続けているのだが、クラウンはそのたびに、何事もなかったかのような反応をしていたのである。
 クラウンの様子に違和感を覚え、プリメラがぼんやりと考え事をしていると、

「もう、終わりにする?」

「……っ」

 クラウンの言葉に、プリメラは言葉を失う。

「素敵な匂いだった。……なんて言うには無理があるけど、プリメラのだと思えば、……その、僕は平気だよ」

「……本当に?」

 伺うような視線を向けるプリメラに、クラウンは答えた。

「もちろんだよ」

「……演技、なんじゃないですか? 本当は、やせ我慢をしてるんじゃないですか?」

 信じられなさそうな表情をするプリメラに、クラウンは苦笑いを浮かべた。

「まったく、プリメラは本当に疑り深い人だね。まあ、匂いはアレだけどさ……。プリメラのだったら、僕は何度だって、喜んで受け止めるつもりだよ」

「匂いがアレって……どういうことですか?」

「プリメラは、意地悪だね」

 クラウンは肩をすくめて笑う。

「はっきり言わないのであれば……もっと続けちゃいますよ?」

「別に、僕はそれでもかまわないよ。むしろ、望むところさ。君の中の抑圧していた気持ちは、僕が全部受け止めてあげるから、遠慮なく吐き出していったらいい」

「…………」

 沈黙するプリメラ。
 そして、プリメラは部屋の壁にかけられた砂時計を見ると、ため息を吐いた。

「けど……そろそろ帰らないと」

 その砂時計は、上の砂が全部落ちきると魔力が反応し、自動的にひっくり返るように魔術が込められた、『ジュップン』と呼ばれる魔法の道具――“魔具”であり、ひっくり返るたび、白、黄、赤、青、緑、金、茶、と砂の色が変わっていくのが特徴である。
 プリメラがこの部屋に入った時には白だった砂の色が、今茶色に変わったところで、その砂が落ちきる頃には、プリメラはこの部屋を出なければいけないのだった。

「ああ、もうそんなに時間が経ってたのか」

 クラウンは今思い出したように言うと、プリメラに尋ねた。

「気晴らし程度には、なったかな?」

「…………」

 どう返事をしたらいいのか分からず、考え込むプリメラ。
 クラウンとの時間は悪くないものだとは思っているが、その気持ちがどういったものなのかうまく理解できず、プリメラは複雑な気分になっていく。
 しばらく沈黙が続いたあと、プリメラは口を開いた。

「……またここに来ても、いいですか?」

「うん、いつでも遊びに来てよ」

「……は、はい。時間ができましら、またお願いします」

 そう言ってお辞儀をするプリメラを見て、クラウンは肩を苦笑した。

「なんだか、まだ堅っ苦しい感じが少し残ってるね。それにまだ少し時間があるけど、今日はもう終わりってことでいいのかな?」

 クラウンの言葉にプリメラは「いえ」と首を横に振ると、おもむろに自分の腹部をさすり始めた。

「話しながら、貯め込んでました。最後にとっておきのを……その、嗅いで欲しかったので」

「へ、へえー」

「どのような匂いか、気になりますか?」

「うん。まあ……」

「本当に、クラウンさんは変わった人ですね。まあ、私が言えたことではないのですが」

 プリメラは言葉を区切ると、少し困ったような顔をした。

「あと、これでもくだけているつもりですよ。ただ、慣れていないだけで、クラウンさ……いえ、クラウンのことを、まだ他人のように思っているとかではないんです。けど、今後は少し、気をつけてみようと思います」

「いや、別にそこまでしなくても大丈夫だよ。僕はただ……」

「――私、クラウンともっと、仲良くなってみたいですから」

 プリメラは言いながら背後へ右手を回すと、ある準備を始めた。
 嫌がらせのような、イタズラのような行為の準備である。
 だが、嫌われるためではない。
 酷いことをしたうえで、プリメラはクラウンに笑顔で受け入れて欲しいのである。
 なぜそんな風に思ってしまうのかは、プリメラ自身にも分かっていない。
 気付いてしまった時にはそういった気持ちが芽生えていて、プリメラは心に、飢えのような気持ちを感じるようになっていたのだった。

「本当に……いいんですよね?」

 確認するように尋ねるプリメラに、クラウンは目を閉じて頷いた。

「うん。僕が全部もらうから、心配しないで」

「……分かりました」

 テイミはそう言うと、右手に魔力を集中させていく。
 そして、詠唱のいらない程度の、簡単な風魔法――『ビーニル』を使い、風の膜を作り、手を覆った。
 膜の中には、プリメラの右手とお尻があり、

「……んっ」

 プリメラは息み、声を漏らす。

 ~ プスゥ……

 空気の漏れるような音が鳴ったあと、プリメラの耳が、見て分かるほどに真っ赤になっていった。

「……くふぅ」

 プリメラはさらに息む。

 ~ フッ……スゥ

「……っ!」

 続けて、息む。

 ~ スッ……カァァ

 音が鳴り止むと、プリメラはお尻に当てている右手を柔らかく握った。

「……ふう。手の中が、とても暖かいです。……それじゃあクラウン、準備はいいですか?」

「ああ」

 短く返事をするクラウン。
 プリメラは柔らかく右手を握ると、その手をクラウンの鼻先へと持っていった。
 すると、大きな泡の玉のような風の膜がクラウンの顔を包み込んでいき、クラウンの鼻をプリメラの右手が、
 ――覆った。

「――――」

 クラウンの口から、短く小さな声が漏れる。
 そして、クラウンは唐突に、全身の力を抜いていった。
 クラウンの体はだらりと垂れ下がり、鎖は音を立ててクラウンの体を引っ張り上げる。

「あの……本当に、大丈夫ですか?」

「…………」

「……クラウン?」

 プリメラはクラウンの鼻から右手を放す。

「……嘘でしょ? ……ね」

「――ん? どうかした?」

 クラウンは何事もなかったかのように、体を起こした。

「…………」

 呆然とするプリメラを見て、クラウンは苦笑いを浮かべる。

「ごめん、また心配かけちゃったみたいだね。けど言ったでしょ? 大丈夫だって。だから、プリメラは気兼ねなく、欲求をぶつけていいんだよ」

「……だって」

 苦笑いを浮かべるクラウンに、プリメラは何かを言いたげに口を開く。
 だが、平然としているクラウンを見て、プリメラは言葉を飲み込むことにすると、小さく息を吐き、その場に腰を下ろそうとした。

「ちょっと待って」

「へ? ……どうかしましたか?」

 プリメラが座るのをやめると、クラウンはポケットから真っ白なハンカチを取り出した。

「これ、よかったら使って」

「ありがとう。でも、別によかったのに」

「まあ、部屋はいつも、メイドが綺麗にしてくれてるんだけどね」

 言いながら、クラウンは鎖をじゃらりと鳴らし、少し恥ずかしそうに頬をかいた。

「へえ……」

 かっこつけのつもりなんだろう。
 プリメラはなぜだか、つい笑ってしまいそうになるのをこらえると、プリメラはハンカチ床に敷き、その上に座った。

「ねえクラウン。その鎖って、クラウンが悪い事をしたから……とかじゃ、ないんですよね?」

「うん。これは、ただの飾りみたいなものだよ。こういうシチュエーションが好きな人もいるからね」

「私は、あまり好きではないのですが……」

「まあ確かに、プリメラにそういったのは似合わないね。……そんなことより、本当に僕に気を使ったりしなくてもいいからね」

「はあ……」

 鎖について気になるが、話を変えられてプリメラは複雑な気持ちで頷く。
 クラウンは両腕を軽く上げると、自分が元気であることをアピールした。

「ほら、今別に、おかしなところなんて見当たらないでしょ?」

「……でしたら次回は、色々と準備して来ちゃいますけど、それでも大丈夫ですか?」

 ただのやせ我慢であるなら、次回はもっと酷い目にあうことになる。
 そういう意味を含んだ言葉に、

「もちろんだよ」

 クラウンは即答して頷く。

「わかりました。次からは、もっと思いっきり発散したいと思います」

「うん。その日を楽しみに、ここで待ってるよ」

「はい。楽しみにしていてください」

 嘘を感じさせない自然な表情で笑うクラウンを見て、プリメラは内心で胸を撫で下ろした。
 自分の欲求に、クラウンは無理をして付き合ってくれていたのではないだろうか。
 その考えが杞憂だったと、安心する。
 きっと、クラウンは嗅覚がおかしいに違いない。
 プリメラはそう思考をまとめると、床に敷いたハンカチから腰を上げた。
 そして、また来たときに洗って返そうと、ハンカチをポケットにしまう。

「名残惜しいですが、そろそろ帰ります」

「ああ」

 クラウンはじゃらじゃらと鎖を鳴らし、右手を持ち上げた。

「それじゃあ、気をつけて帰るんだよ」

「はい。今日は、ありがとうございました」

 プリメラはそう言って部屋の扉を開けると、部屋を後にしたのだった。
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