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幼い二人と錬金術師
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カルンの夏は、日の出とともに街の色を変える。
市場通りは朝の光を反射し、果物の赤や魚の銀色がやけに鮮やかに見える。
汗ばむ前の涼しさの中、商人たちは木箱を並べ、声を張り上げ、客たちが早足で品を選ぶ。
そんな喧騒の中に俺とセド、ミレアの姿があった。
今日はアンソワーレの仕入れ日。
店を切り盛りするフレイたちが手が離せない時は、俺が手伝うことになっている。
こうして二人と歩いていると、家族になったような感覚になる。
大きめのカゴを抱えたミレアが香草の束を吟味し、セドは小麦粉を量り売りしている屋台の前で立ち止まっていた。
二人が迷子にならないよう、時折周囲を見渡す――その時だった。
通りの向こうを、黒いバンダナを頭に巻いた男が歩いていった。
その瞬間、セドの肩がぴくりと跳ねる。
「……!」
瞬く間に顔色が変わり、手にしていた袋を強く握りしめた。
セドの目は男を追っているが、どこか焦点が合っていない。
「おい、どうした」
「……あれ、見たことある……いや……」
声がかすれていた。
その男が黒いバンダナのようなものを頭に巻いているのに気づき、セドが何に反応を示したのか察した。
だが、男はただの魚売りらしい。
屋台に立ち寄って会計を済ませ、別の通りへと消えていった。
セドはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて息を吐き、首を振った。
「……ごめん。気のせいだった。あの時に見た人に似てただけ」
――あの時とは、村が襲われた時のことだろう。
表情はすぐに元の落ち着きを取り戻したものの、その指先がまだわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。
「もう大丈夫だ。ここはカルンだ。あいつらはここまで来やしない」
そう言って肩を軽く叩くと、セドは小さくうなずき、再び荷物を抱え直した。
香草の屋台でミレアが迷っていると、店主の女性が笑顔で声をかけた。
「おや、ミレアちゃん。今日は葉の柔らかいのが入ってるよ」
「ほんとうですか? じゃあそれをください!」
「はいよ、まけとくね」
慣れた手つきで紙に包み、代金を受け取る。
ミレアが礼を言うと、隣の八百屋の主人まで顔を出した。
「お、セド坊。昨日のニンジンどうだった?」
「甘くておいしかったです。ミレアがスープにしてくれました」
「そりゃあ良かった! じゃあ今日はおまけにキュウリも持ってけ」
こうして名前を呼び、気軽に話しかけてくる人が、気づけば市場中にいる。
少し前まで、二人はこの街ではただの見慣れぬ子どもたちだったのに。
その日の午後。
アンソワーレに戻るとミレアが荷を運び入れながら、「これ、奥に置いていい?」と当然のように尋ねてきた。
店の奥の棚には、すでにミレアのための小箱が用意されている。
中には自分で選んだ帳簿用のペンや、仕入れのメモ帳がしまわれていた。
セドも工房の作業台の端に、自分の道具をまとめた木箱を置くようになっている。
小道具や計量器、手袋――使い込まれて、すっかり少年の色に染まってきた。
少し前まで、二人はいつでも荷物をまとめられるようにと、最小限しか持たなかった。
それが今では、街のあちこちに二人の居場所が点在している。
まるで根が伸びて、カルンの土に定着を始めたかのようだ。
同じ日の夕方。俺はセドを街はずれに連れ出した。
緩やかな丘を登ると、見晴らしのいい草原が広がる。
夏草の匂いが風に混じり、遠くにはカルンの屋根と港が見えた。
「魔法、覚えたいって言ってただろ」
「……うん。でもぼく、ちゃんとできるかわからない」
「最初から派手なことをやろうとするな。まずは力を制御する感覚を覚える」
俺は手をかざし、掌に小さな火の玉を生み出した。
風に揺れるその光を、セドが食い入るように見つめる。
「炎を大きくするのは簡単だ。だが、小さくするのも同じくらい重要だ」
火をすっと消してみせるとセドは深く息を吸い、自分の手に意識を集中させた。
最初はうまくいかず、指先がわずかに熱を帯びるだけ。
それでも数度試すうち、豆粒ほどの火が生まれた。
「できた……!」
喜びと驚きが混ざった声。だが次の瞬間――
「わっ!」
炎が弾け、勢い余ってセドは尻もちをついた。
わずかに周囲に拡散して、足元の草からは焦げたような匂いがした。
燃え広がらないか確かめた後、座りこんだままの少年に声をかける。
「気合いを入れすぎだ。慌てずに力を抜いて」
「ごめん……でも、まだやるよ」
今度は小さく火を出したまま保とうとしたが、集中しすぎて眉をひそめた瞬間、ぱちっと音を立てて消えてしまった。
それでも諦めず、日が傾く頃には数秒間は保てるようになっていた。
俺はそのたびに修正点を伝えて、時に細かくアドバイスを加える。
セドの表情には、先ほど市場で見せた怯えの影はもうなかった。
数日後の市場。
セドとミレアは顔なじみの八百屋から「セド、今日はこれも持っていきな」とキュウリをおまけにもらい、ミレアは花屋の娘に名前を呼ばれ、笑顔で手を振っている。
肉屋ではミレアが新しい調理法を教えてもらい、パン屋ではセドが粉の配合について質問していた。
通りを歩くたびに、二人の名前が自然と呼ばれるようになったのだ。
アンソワーレの客も、兄妹に直接話しかけることが増えた。
「ミレアちゃん。この間の薬草茶、すごく美味しかったわ」
「セドくん、今度はどんな薬を作るの?」
その光景を眺めながら、俺はふと、自分の立ち位置を意識する。
もともと、俺はこの街に根を下ろすつもりはなかった。
けれど、二人がこうして溶け込んでいくのを見ていると、俺までこの街の一部になっていく気がする。
それが心地いいと同時に、離れる日のことを考える少し怖くもあった。
市場通りは朝の光を反射し、果物の赤や魚の銀色がやけに鮮やかに見える。
汗ばむ前の涼しさの中、商人たちは木箱を並べ、声を張り上げ、客たちが早足で品を選ぶ。
そんな喧騒の中に俺とセド、ミレアの姿があった。
今日はアンソワーレの仕入れ日。
店を切り盛りするフレイたちが手が離せない時は、俺が手伝うことになっている。
こうして二人と歩いていると、家族になったような感覚になる。
大きめのカゴを抱えたミレアが香草の束を吟味し、セドは小麦粉を量り売りしている屋台の前で立ち止まっていた。
二人が迷子にならないよう、時折周囲を見渡す――その時だった。
通りの向こうを、黒いバンダナを頭に巻いた男が歩いていった。
その瞬間、セドの肩がぴくりと跳ねる。
「……!」
瞬く間に顔色が変わり、手にしていた袋を強く握りしめた。
セドの目は男を追っているが、どこか焦点が合っていない。
「おい、どうした」
「……あれ、見たことある……いや……」
声がかすれていた。
その男が黒いバンダナのようなものを頭に巻いているのに気づき、セドが何に反応を示したのか察した。
だが、男はただの魚売りらしい。
屋台に立ち寄って会計を済ませ、別の通りへと消えていった。
セドはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて息を吐き、首を振った。
「……ごめん。気のせいだった。あの時に見た人に似てただけ」
――あの時とは、村が襲われた時のことだろう。
表情はすぐに元の落ち着きを取り戻したものの、その指先がまだわずかに震えているのを俺は見逃さなかった。
「もう大丈夫だ。ここはカルンだ。あいつらはここまで来やしない」
そう言って肩を軽く叩くと、セドは小さくうなずき、再び荷物を抱え直した。
香草の屋台でミレアが迷っていると、店主の女性が笑顔で声をかけた。
「おや、ミレアちゃん。今日は葉の柔らかいのが入ってるよ」
「ほんとうですか? じゃあそれをください!」
「はいよ、まけとくね」
慣れた手つきで紙に包み、代金を受け取る。
ミレアが礼を言うと、隣の八百屋の主人まで顔を出した。
「お、セド坊。昨日のニンジンどうだった?」
「甘くておいしかったです。ミレアがスープにしてくれました」
「そりゃあ良かった! じゃあ今日はおまけにキュウリも持ってけ」
こうして名前を呼び、気軽に話しかけてくる人が、気づけば市場中にいる。
少し前まで、二人はこの街ではただの見慣れぬ子どもたちだったのに。
その日の午後。
アンソワーレに戻るとミレアが荷を運び入れながら、「これ、奥に置いていい?」と当然のように尋ねてきた。
店の奥の棚には、すでにミレアのための小箱が用意されている。
中には自分で選んだ帳簿用のペンや、仕入れのメモ帳がしまわれていた。
セドも工房の作業台の端に、自分の道具をまとめた木箱を置くようになっている。
小道具や計量器、手袋――使い込まれて、すっかり少年の色に染まってきた。
少し前まで、二人はいつでも荷物をまとめられるようにと、最小限しか持たなかった。
それが今では、街のあちこちに二人の居場所が点在している。
まるで根が伸びて、カルンの土に定着を始めたかのようだ。
同じ日の夕方。俺はセドを街はずれに連れ出した。
緩やかな丘を登ると、見晴らしのいい草原が広がる。
夏草の匂いが風に混じり、遠くにはカルンの屋根と港が見えた。
「魔法、覚えたいって言ってただろ」
「……うん。でもぼく、ちゃんとできるかわからない」
「最初から派手なことをやろうとするな。まずは力を制御する感覚を覚える」
俺は手をかざし、掌に小さな火の玉を生み出した。
風に揺れるその光を、セドが食い入るように見つめる。
「炎を大きくするのは簡単だ。だが、小さくするのも同じくらい重要だ」
火をすっと消してみせるとセドは深く息を吸い、自分の手に意識を集中させた。
最初はうまくいかず、指先がわずかに熱を帯びるだけ。
それでも数度試すうち、豆粒ほどの火が生まれた。
「できた……!」
喜びと驚きが混ざった声。だが次の瞬間――
「わっ!」
炎が弾け、勢い余ってセドは尻もちをついた。
わずかに周囲に拡散して、足元の草からは焦げたような匂いがした。
燃え広がらないか確かめた後、座りこんだままの少年に声をかける。
「気合いを入れすぎだ。慌てずに力を抜いて」
「ごめん……でも、まだやるよ」
今度は小さく火を出したまま保とうとしたが、集中しすぎて眉をひそめた瞬間、ぱちっと音を立てて消えてしまった。
それでも諦めず、日が傾く頃には数秒間は保てるようになっていた。
俺はそのたびに修正点を伝えて、時に細かくアドバイスを加える。
セドの表情には、先ほど市場で見せた怯えの影はもうなかった。
数日後の市場。
セドとミレアは顔なじみの八百屋から「セド、今日はこれも持っていきな」とキュウリをおまけにもらい、ミレアは花屋の娘に名前を呼ばれ、笑顔で手を振っている。
肉屋ではミレアが新しい調理法を教えてもらい、パン屋ではセドが粉の配合について質問していた。
通りを歩くたびに、二人の名前が自然と呼ばれるようになったのだ。
アンソワーレの客も、兄妹に直接話しかけることが増えた。
「ミレアちゃん。この間の薬草茶、すごく美味しかったわ」
「セドくん、今度はどんな薬を作るの?」
その光景を眺めながら、俺はふと、自分の立ち位置を意識する。
もともと、俺はこの街に根を下ろすつもりはなかった。
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