15 / 59
危険なヴァレ山で恐怖の岩登り
15
しおりを挟む休憩を終えて洞窟の外へ出ると、風は吹いておらず、しんと静まり返っていた。
少し前まで絶えずドラゴンの鳴き声が聞こえていたのに。
白い雪景色が血で染まっている。見ればあちこちにドラゴンの死骸が転がっていて、ぞっとした。頭部を潰されたものや四肢をバラバラにされたものもあり、たまらず吐き気がこみ上げてくる。
「もしかしてシアがやったの?」
「いや、俺じゃない」
――だったら誰が?
突如として胸騒ぎを覚えたアネーシャは提案する。
下山しようと。
「ここまで来たのに。いいのか?」
『そうよアネーシャ、山頂まであと少しじゃない』
アネーシャは口の端をピクピクさせて、髪の毛を引っ張っているコヤを見た。
「コヤ様が来たかったのはこの洞窟でしょ? 山頂まで行く必要ある?」
『山頂の景色は絶景よ。それにもっと進めば大きな湖もあるし』
「絶景なら目の前にある。コヤ様にはこのドラゴンの死骸の山が見えないの?」
『ホント、恐ろしい光景ね。誰がやったのかしら』
知っているくせに、白々しいことを言う。
「確かドラゴンって共食いするんだよね?」
『だから何? アネーシャにはあたしが付いてるでしょ』
「でも……」
『山頂で祈りを捧げるんじゃなかったの? 怖いからって聖女としての勤めを疎かにするつもり?』
結局いつものようにコヤにゴリ押し……説得されて、アネーシャはしぶしぶ山登りを再開した。
シアを促して頂上を目指す。
確かに登るにつれて、見えてくる景色は壮大さを増していた。
迫り来る雪化粧が施された岩山、それからしばらく歩くと、深い紺色をした湖が眼下に現れる。樹木の姿はまるでなく、見渡す限り、雪と岩山と草原の世界が広がっていて、アネーシャは再び鼻歌を口ずさみ始めた。
そしてようやく頂上にたどり着くと、大きく息を吸い込んだ。
だだっ広く、何もないところだが、そこにいるだけで達成感を覚えた。
「それに景色も綺麗だし」
前を歩いていたシアが足を止めて、「しっ」と口の前に指を立てる。
「あそこに誰かいる」
シアの言う通り、隆起した岩陰に隠れて気付かなかったが、先客がいた。
空中に突き出た岩場の先端に立って、景色を眺めている。
ただ立っているだけで絵になる光景だ。
「あの人、まさかあそこから飛び降りたりしないよね?」
『アネーシャ、心配するとこ間違ってるから』
「っていうか、人間なの、あの人?」
ここからでは後ろ姿しか見えないが、長身で大剣を背負っていて、見るからにドラゴンハンターという風体だ。もしかして先ほど見かけたドラゴンの死骸は彼の仕業だろうか。
「ヴァレ山の登頂に成功した人って、一人じゃなかったっけ?」
「違う」
じっと男のほうを眺めていたシアが、珍しく上ずった声を出す。
「彼だ」
「彼って?」
「史上初ドラゴンスレイヤーの称号を得たドラゴンハンター、ウルス・ラグナ」
嘘でしょ、とアネーシャもまた興奮気味に声を上ずらせてしまう。
ということは先ほどのドラゴンの残骸の山は彼の仕業なのだろう。
泣く子も黙るウルス・ラグナの名は広く知られている。
アネーシャが神殿にいた頃も、彼が成し遂げた偉業の数々は耳に入っていた。
ヴァレ山の登頂に成功した以外にも、素手で三頭のドラゴンを倒しただの、町を滅ぼしかけた巨大ドラゴンをたった一人で退治してしまっただの――またその戦い方も壮絶で、鋼鉄の鱗を持つドラゴンに剣を折られ、絶体絶命のピンチに陥っても諦めず、ドラゴンの柔らかな喉もとに噛み付いて、絶命するまで離さなかった等の逸話を残している。
――ものすごい大男か。野獣みたいな人だと思ってたけど。
重そうな大剣と鍛え抜かれた身体以外は、一見普通そうに見える。
「噂じゃ亡国の王子様だって話だけど、本当かな」
「俺は魔人と人間のハーフだと聞いた」
こそこそ話で盛り上がる二人に、コヤが水を差す。
『あんたたちが話に夢中になっている間に、彼、そこまで近づいてきてるけど?』
はっとして顔を上げる。
気配を殺していたのか、全く気付かなかった。
190センチはあるだろう長身と燃えるような赤髪に、鋭い灰色の瞳。
筋肉質だが細身で、無表情のせいか、精巧に作られた人形のように見える。
冷たく整った顔立ちで見下ろされているせいか、凄まじい威圧感を覚えた。
『あら、近くで見たらいい男じゃない』
ぴりぴりとした緊張感の中、コヤだけが色めき立っている。
『アネーシャったら、黙ってないで声かけなさいよ。こんなチャンス、滅多にないんだから』
――コヤ様ったら……全然そういう雰囲気じゃないのに。
心の中で呆れつつ、ごくりと唾を飲み込む。
ちらりとシアのほうを見れば、彼も緊張しているようで、拳をぎゅっと握り締めていた。
ウルス・ラグナといえば、男であれば誰もが憧れずにはいられない、王侯貴族ですらその名を知らぬ者はいないという、人類最強にして最高ランクのドラゴンハンターだ。くわえて神出鬼没の一匹狼、会いたくても容易に会える相手ではない。その点で言えば、コヤの指摘は正しかった。
――そういえば、山では必ず、人に会ったら挨拶しないといけないのよね。
それが登山におけるルールだと市場で聞いた。
今回ばかりはシアの助けは期待できないようなので、アネーシャは意を決して口を開いた。
「こんにちは、ウルス・ラグナさん」
「……俺のことを知っているのか?」
圧が強そうな外見に反して、低く優しい声だった。
それに勇気づけられたようにアネーシャは微笑んで言った。
「もちろん、有名人ですから」
「俺は君たちのことを知らない」
「私はアネーシャ、こっちは護衛のシアです」
護衛と聞いて、ウルスの眉がぴくりと動いた。
「お前が彼女をここまで連れて来たのか?」
「……はい」
「ハンターランクは?」
「俺はドラゴンハンターではありません」
あの生意気で唯我独尊のシアが――というのは言い過ぎだが――敬語を使っている。
演技しているようには見えないので、純粋にウルスのことを尊敬しているようだ。
「ここへ来る途中で焼き焦げたドラゴンの死体を見つけた。それがお前の力か?」
「……ということは俺たちの後から登ってきたんですか?」
「ああ、途中で追い越していたらしい。まさか俺以外に人がいるとは思わなかった」
おそらく洞窟に寄り道した際に追い抜かれたのだろう。
「歳は?」
「十七になったばかりです」
「俺がヴァレ山に登頂したのは今から十一年前、十八の時だ」
嬉しそうな口調でわかる。
どうやらシアのことを気に入ったらしい。
『なんか男同士で盛り上がってるわね』
コヤは退屈そうにあくびをしている。
「ハンターになる気があるのなら、俺が推薦しよう」
「本当ですか」
「良かったね、シア」
「ああ、これで戦利品を正規の値段で買い取ってもらえる」
「そんなにお金いらないでしょ?」
「あって困るものでもないだろ」
二人のやりとりと眺めていたウルスに、
「それで、君たちはなぜこの山に?」
不思議そうに質問されて、ようやく本来の目的を思い出す。
「私たち、巡礼の旅をしているんです」
「巡礼?」
「コヤ教の信者なので」
「……それだけの理由で、この危険な山に足を踏み入れたのか?」
嘘をついてはいないものの、ウルスの言葉にどきりとする。
彼が納得できるような答えを必死に考えていると、
「いや、答えなくていい。詮索はしない」
アネーシャはほっとして頷いた。
「ウルスさんこそ、どうしてこの山に?」
「もちろんドラゴンを狩るためだ。鍛錬も兼ねている」
驚くほどのストイックな姿勢――シアが憧れるわけだ。
ともあれ、いつまでも彼を引き止めるわけにはいかない。
「では、私たちはこれで」
軽く会釈すると、アネーシャはその場を離れた。
先ほどウルスが立っていた場所まで来ると、「はあ」と感嘆の息を吐く。
「すごく綺麗」
どこまでも続く空、今にも手が届きそうな雲海、遥か遠くに見える山々――言葉では言い表せない世界が、そこにはあった。きっと彼もまた、この景色に目を奪われ、立ち尽くしていたのだろう。
ついでに日差しも強烈で、剥き出しの肌がひりひりする。
――でもここなら……。
アネーシャは跪き、大地に口づけすると、両手を組んで祈りを捧げた。ドラゴンの凶暴化が少しでも抑えられるよう、ついでに無事に下山できるよう、熱心に祈り続ける。
そんなアネーシャを、灰色の瞳がじっと見つめていた。
63
あなたにおすすめの小説
失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~
紅月シン
ファンタジー
聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。
いや嘘だ。
本当は不満でいっぱいだった。
食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。
だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。
しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。
そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。
二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。
だが彼女は知らなかった。
三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。
知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。
※完結しました。
※小説家になろう様にも投稿しています
婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします
タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。
悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。
精霊の加護を持つ聖女。偽聖女によって追放されたので、趣味のアクセサリー作りにハマっていたら、いつの間にか世界を救って愛されまくっていた
向原 行人
恋愛
精霊の加護を受け、普通の人には見る事も感じる事も出来ない精霊と、会話が出来る少女リディア。
聖女として各地の精霊石に精霊の力を込め、国を災いから守っているのに、突然第四王女によって追放されてしまう。
暫くは精霊の力も残っているけれど、時間が経って精霊石から力が無くなれば魔物が出て来るし、魔導具も動かなくなるけど……本当に大丈夫!?
一先ず、この国に居るとマズそうだから、元聖女っていうのは隠して、別の国で趣味を活かして生活していこうかな。
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
異世界の片隅で、穏やかに笑って暮らしたい
木の葉
ファンタジー
『異世界で幸せに』を新たに加筆、修正をしました。
下界に魔力を充満させるために500年ごとに送られる転生者たち。
キャロルはマッド、リオに守られながらも一生懸命に生きていきます。
家族の温かさ、仲間の素晴らしさ、転生者としての苦悩を描いた物語。
隠された謎、迫りくる試練、そして出会う人々との交流が、異世界生活を鮮やかに彩っていきます。
一部、残酷な表現もありますのでR15にしてあります。
ハッピーエンドです。
最終話まで書きあげましたので、順次更新していきます。
A級パーティから追放された俺はギルド職員になって安定した生活を手に入れる
国光
ファンタジー
A級パーティの裏方として全てを支えてきたリオン・アルディス。しかし、リーダーで幼馴染のカイルに「お荷物」として追放されてしまう。失意の中で再会したギルド受付嬢・エリナ・ランフォードに導かれ、リオンはギルド職員として新たな道を歩み始める。
持ち前の数字感覚と管理能力で次々と問題を解決し、ギルド内で頭角を現していくリオン。一方、彼を失った元パーティは内部崩壊の道を辿っていく――。
これは、支えることに誇りを持った男が、自らの価値を証明し、安定した未来を掴み取る物語。
追放令嬢、辺境王国で無双して王宮を揺るがす
遊鷹太
ファンタジー
王国随一の名門ハーランド公爵家の令嬢エリシアは、第一王子の婚約者でありながら、王宮の陰謀により突然追放される。濡れ衣を着せられ、全てを奪われた彼女は極寒の辺境国家ノルディアへと流される。しかしエリシアには秘密があった――前世の記憶と現代日本の経営知識を持つ転生者だったのだ。荒廃した辺境で、彼女は持ち前の戦略眼と人心掌握術で奇跡の復興を成し遂げる。やがて彼女の手腕は王国全土を震撼させ、自らを追放した者たちに復讐の刃を向ける。だが辺境王ルシアンとの運命的な出会いが、彼女の心に新たな感情を芽生えさせていく。これは、理不尽に奪われた女性が、知略と情熱で世界を変える物語――。
ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。
食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
公爵家の末っ子娘は嘲笑う
たくみ
ファンタジー
圧倒的な力を持つ公爵家に生まれたアリスには優秀を通り越して天才といわれる6人の兄と姉、ちやほやされる同い年の腹違いの姉がいた。
アリスは彼らと比べられ、蔑まれていた。しかし、彼女は公爵家にふさわしい美貌、頭脳、魔力を持っていた。
ではなぜ周囲は彼女を蔑むのか?
それは彼女がそう振る舞っていたからに他ならない。そう…彼女は見る目のない人たちを陰で嘲笑うのが趣味だった。
自国の皇太子に婚約破棄され、隣国の王子に嫁ぐことになったアリス。王妃の息子たちは彼女を拒否した為、側室の息子に嫁ぐことになった。
このあつかいに笑みがこぼれるアリス。彼女の行動、趣味は国が変わろうと何も変わらない。
それにしても……なぜ人は見せかけの行動でこうも勘違いできるのだろう。
※小説家になろうさんで投稿始めました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる