空もよう

優木悠

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その三

三の三(完)

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 下城の刻限になって、勘定所の玄関をでると、雨はすっかりあがっていて、空はもうそのほとんどが青い色で満ちていた。
 風もわずかにしかなく、雨にぬれた石畳に力づよく陽が照りつけている。上空の風はまだ強く吹いているようで、こま切れになった雲が、西から東へと、軽快なはやさで流れていった。
 春原城は平山城なものだから、大手門をでると眼下に広がる城下町の家並が、雨にぬれてきらきらと輝いて見えた。
 三之助は、ふと立ちどまり、すいよせられるように、空をながめた。
 ――空というものは、こんな色をしていたのか。
 なにか不思議な違和感をおぼえた。
 生まれてから今まで、空など何度も見上げてきたのに、この瞬間にはじめて、空が青く、深い色味をもっていることに、気がついたような思いだった。
 そういえば、こうして空を見あげて物思いにふけることなど、いつぶりのことだろう。ひょっとすると、ずっとずっと昔、子供の頃まで記憶をたどらなければいけないかもしれない。
「よう、ずいぶん派手に、ぶちかましたそうじゃないか」
 後ろから、むやみに大きな声で話しかけられた。
 三之助はふりむいた。
 ふりむくまでもなく、その声のぬしは、田村新太郎だとわかっていたが……。
「なんだ、もう普請方にも聞こえているのか」三之助は別段の感情もこめずに答えた。
 新太郎は、三之助の横に並び、いっしょに歩きはじめ、破顔して云う。
「いやはや、爽快爽快」
「なにが」
「なんせ、あの陰険で名をはせる藤川氏だ。あれをのし・・ちまうなんぞ、爽快でなくてなんだ」
「爽快なものか。怒りにまかせて不用意にうらみを買って、俺の明日からの人生がどうなるか、うれいの海でおぼれそうだよ」
「よし、三之助、爽快祝いに、団子をおごれ」新太郎はおぼれている人間を意にもかけない顔をして、たかってくる。
「なぜ俺がおごらねばならん、おごるとすればお前だろう」
「かたいことは云いっこなしだ。はよ、いこまい(いこう)」
 三之助は苦笑して、新太郎とともに城下の団子屋へむかった。
「しかし、なんだな、今をときめく神谷家老のお覚えめでたき藤川氏をやっつけたんだからな、この先、ろくな人生は歩めまい」
 さっきの三之助のぼやきをうけての言葉かと思えば、新太郎は友達の不幸が楽しくてしかたがないといったふう。
「うん、そこだな」三之助はため息まじりに答えた。「藤川が俺の上役になるのがはやいか、神谷家老の退陣がはやいか、だがな」
「俺は、まあ、最低でもあと五年は神谷の天下だとにらんでいる。藤川が出世するのが三年後とすれば、だ。おまえはたっぷり二年間もいじめ続けられる、という計算になるな」
「お前、他人の心配ばかりしていていいのか」
「なにが」
「もうすぐ丸依川の改修工事がはじまるぞ。あれは、作事、普請、勘定が手を組んでやる大事業だからな。お前もそうとうコキ使われるぞ」
「あは、わかったぞ」と新太郎は、かみあわない返事。
「なにが」と三之助は、むっとする。
「藤川が出世するまでもない、神谷家老の鶴のひと声で、お前は工事監督係なんぞに命じられてだな、日がないちにち、人足たちにまざって、汗水たらして働くハメになるんだ」
「ははは、勘定方から監督役になるとは思えんが、なるのなら、それもいいかもしれん」三之助は、心の底からそう思った。「毎日毎日、書類とにらめっこの生活にも、いささか飽きてきたからな」
 男ふたりが、ならんで城下を闊歩する。
 闊歩しながら雑談を続けているうちに、いつのまにか茶屋についていた。
 店の表の、まだ雨にぬかるんだ地面にすえられた長椅子に、三之助と新太郎は並んですわる。供のものたちも、離れた場所にすわって、世間話をしはじめたようだ。
 新太郎の供の食べたぶんまで、俺が払うのだろうか、と三之助はいささか口をとがらせたい気持ちだったが。
 やがて、団子と茶がはこばれ、新太郎は、満面に笑みを浮かべながら、団子を口に運ぶ。
「ただで食う団子ほど、うまいものはないな」
 新太郎のたわごとを聞き流しながら、三之助も団子をほおばる。
 まだ十代なかばの町娘がふたり、三之助たちの前を、かるくおじぎをして横ぎって、店の中に入っていった。新太郎は、その若くてぴっちりと張った尻をながめているようす。三之助は苦笑する。
「ときに、小野どの」
 と妙にあらたまった態度で、新太郎がこちらに振り向き、話しはじめた。
「じつは困ったことになった」
「どうした」
「史絵のことだ」
「史絵さんがどうした」
「結婚せんそうだ」
「なに?」
 三之助はどきりとした。
「先日、さる……、そこそこの格の家から、縁談の申し込みがあったんだが、史絵はけんもほろろにことわった」
「ふむ」
「ことわっただけじゃあない。それにくわえて云うには、だ。わたしは結婚はいっしょういたしません、死ぬまで独り身でとおします、お父様もお母様も、それをおゆるしいただけないなら、私は尼になります。と来たもんだ」
 いやはや、こまったのなんの、と云いながら、新太郎はうまそうに団子を食べる。
「それのなにが問題だ」
 と三之助は、安堵して云った。安堵すると同時に、不意にこみあげてきた笑いをかみころす。
「お前、にやけている場合ではないぞ。他人の家の災難だと思って」
 ふむ、と三之助は、うなずいた。これはちょっと急いだほうがいいかもしれない、組頭の高沢を、明日もういちどせっついたほうがよさそうだ、と思った。
「大丈夫さ」
 三之助は、ほほ笑んで云った。
「史絵さんは、きっと、次にくる縁談は断らないだろうよ」
 その笑顔をながめる新太郎はしんそこけげんな顔つきで、
「なぜお前に言いきれる。お前に史絵のなにがわかる」
 気色ばんで云うのに、三之助は、
「わかるさ」
 ちょっと空を仰ぎ見た。
 加代は云った、悔恨をかかえながらも自分の人生を歩け、と。幸い、三之助には、いっしょに歩いてくれそうな女性ひとが、身近にいたことに気づいた。
「俺にはわかるんだよ、あにうえ」
 三之助の目にうつる空は、どこまでも青い。



(完)
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