だから、わたしが、死んでしまえばよかった

すえまつともり

文字の大きさ
16 / 28

義妹ハレゼナ

しおりを挟む


 母亡きあと、おまえは屋敷の庭に自分だけの花壇を作っていた。

 自分で耕し、自分で種をうえ、自分で水をやり、育てる。

 さまざまな野菜や花、森から採取した珍しい植物なども植えられている。

 そのなかには、セージと呼ばれる薬草も含まれていた。

 そう。

 幼い頃、森の中で出会ったあのセージの栽培に、おまえは挑戦している。

 それは決して楽な道ではなかった。

 何度やっても、発芽すらしない。

 様々な本で調べたり、学者や薬師に話を聴きにいったりして試しても、駄目だった。

 ある年老いた薬師はこう言った。

「セージの栽培は無理じゃよ。あれは人嫌いの植物だからのう」
「へそ曲がりだから、人の視線を感じたら芽を引っ込めてしまうんじゃよ」
「水や肥料をいくらやったところで、ダメダメ」

 その老薬師は、近所の人からは「変わり者」だとか「ほら吹き」とか呼ばれていた。

 だが、おまえにはわかる。

 老薬師は真実を話している。

 セージの精と話したことのあるおまえは、彼の気性がよくわかっている。

 そう。きっと彼ならこう言うだろう。

(てやんでい バーロー ちくしょう!)
(このオレさまが ニンゲンごときに 育てられっかよ!)

 それはわかっている。

 わかっているのだ。

 だが、おまえはどうしても、もう一度、彼と話がしたい。

 あの声が、無性に聞きたくてたまらないのだ。





 その日の朝のことを、おまえはのちに、くりかえし思い出すことになる。





 春のうららかな陽気に包まれた朝のことだ。

 学校に行く前の日課として、おまえはセージの種をまいた花壇を見に行った。おまえのくるぶしまでしかない低い柵で囲っただけの花壇だ。その粗末さに、屋敷の庭師は「もっと立派なのをお作りになればよろしいのに」と言っていたし、おまえも最初はそうしていたのだが、「このくらい質素にしないとセージは恥ずかしがって芽を出してくれないのではないか」と考えて、できるだけ目立たない花壇を作ったのだった。

 それほど期待していたわけではない。

 これまで1年以上、365日ずっと空振りだったのだ。

 今日もだめかなぁと思いながらしゃがみこんで花壇を見つめると、そこには今までとは異なる変化があった。

「あら? これは?」

 ならされた黒い土のなかに、ほんの微かな、緑の点――。

 芽生えと呼ぶにはあまりに弱々しい、ほんの微かな緑の息吹が、確かにそこにはあった。

「雑草じゃないわよね?」

 おまえは学院制服のスカートが汚れるのも厭わず、朝露で湿った土にじっと顔を近づける。

 雑草――ではない。

 確信はもてない。

 だが、かつて幼い日に見たセージと、葉の色が似ている気がする。

「も、もっとよく調べてみなくちゃ!」

 書庫にある薬草図鑑を取りに行くため、おまえは駆けだした。

 屋敷の正門を横切ろうとしたその時、蹄の音と車輪の音が近づいてくるのに気づいて、足を止める。

 豪華な装飾の施された真っ赤な馬車が、正門に横付けされた。

 父の馬車ではない。

 地味で臆病な性格の父は、公爵のわりには質素を好む。母が亡くなってからは特に、華美な贅沢には興味を示さなくなっていた。

 だが、この馬車は違う。

 豪勢と豪奢を絵に描いたような、絵本のなかに出てきそうな真っ赤な馬車だった。

 馬から下りた御者がうやうやしく扉を開いて、そこから現れたのは――燃えるような炎だった。

「……!?」

 炎、のようにおまえには見えた。

 鮮やかな真紅の長い髪が風にたなびくのが、おまえの目には燃えさかる炎のように映ったのだ。

 それは、炎のかたちをした少女だった。

 呆然と立ち尽くすおまえを見て、その少女は唇を「にやぁっ」と歪めた。

 その唇も、赤い。

 天の三日月が鮮血に染まったならば、きっとこんな風だろう。そう思わせるような、はっとするような赤の唇。

 その唇が、動く。

 声を出さずに動く。

 たった2文字。



〝ぶす〟



 ぶす、とその赤い唇は形作ったのだ。

「はじめまして。カヤお姉さま」

 次の瞬間、その少女はにっこりと微笑んでいた。

 さっき見せた嘲りの表情は消えて、そこに現れたのは、人好きのする美しい微笑みであった。

 女のおまえにも、わかる。

 こんな風に微笑まれたら、世のほとんどの男性は恋に落ちてしまう――そう思わせるほど、可憐な微笑。

「あたしはハレゼナ・ワイト。そして近々『ハレゼナ・ホーリーロード』と名乗らせていただくことになります」
「じゃ、じゃああなたが、お父さまと再婚なさるジルフリーデ様の」
「はい。連れ子ですわ」
「今日いらっしゃるなんて、聞いていなかったわ」
「ごめんなさい。お義父さまやお義姉さまに早くご挨拶したくって、あたしだけ先に参りましたの」

 ご迷惑でした? なんて、急にしおらしくうなだれて見せる。

 人の良いおまえは、それだけで慌ててしまう。

「そ、そんなことないわハレゼナさん。ちょっと驚いてしまっただけ」
「さん、なんて止めましょうお姉さま。これからあたしたち、姉妹になって一緒に暮らすのですから」
「わかったわ、ハレゼナ」

 お姉さま、かあ――。

 その甘い響きに、おまえは嬉しくなる。

 頭は良くても根が単純なおまえは、ただそれだけで、さっき見た嘲りはきっと何かの間違いだと考えてしまう。

 ずっと孤独だったおまえは、人の見せる好意に、あまりに、弱い。

「じゃあ、まずはお父さまにご紹介するわね」
「ありがとうございます。でもお姉さま、今から学校なのでは?」
「大丈夫。走ればきっと、間に合うわ」
「あらまあ、あたしにはとても元気のよいお姉さまができるのね。頼もしいわ」

 おまえは張り切って歩き出し、ハレゼナが後に続く。

「お姉さま、この小さな花壇は?」
「わたしが世話している花壇よ」
「えっ。お姉さまが手ずから? なんて素敵なの!」

 その言葉に、おまえはますます嬉しくなる。

「実はね、今日ずっと挑戦していたセージの発芽に、成功したかもしれないの」
「セージ? あれってもう絶滅した植物なのでは?」
「ほとんどはね。でも、それを人の手で栽培できないかと考えていて――」

 その時だ。

 後ろを歩いていたハレゼナが、すっ、とおまえを追い越した。

 低い柵で囲われた花壇のなかに、足を踏み入れてしまう。

「あっ……」

 止める暇もなく、ハレゼナの履いた革靴が土を踏み荒らした。ぎちっ、ぎちちっ、そんな音がしそうなほど強く踏みしめて、必要以上に強く踏みしめて、踏みにじって――それからようやく、立ち止まった。

「あらっ? ここ、もしかして何か植えられてました?」
「……あ、あぁぁ……」

 おまえは崩れ落ちるように両膝をつき、地面に顔を近づける。

 さっき見た緑の点が、せっかく芽を出したかもしれないセージが、よじれた糸くずのようになり果てていた。

「ごめんなさいね。なにしろ初めて来た家で、慣れないものですから」

 頭上から、謝罪の言葉が降ってくる。

 だが、そこには申し訳ないという感情など一片も含まれていない。

 もし――。

 おまえの背中に目がついていたとしたら、義妹がまた嘲りを浮かべているのを見ただろう。

 それを見ずにすんだのは、ある意味、幸せだったかもしれない。

「ほんとうにごめんなさい。お姉さま、ごめんなさい――」

 謝罪を繰り返しながら。

 義妹の真っ赤な三日月のくちびるが、ふたたびあの2文字を形作る。



 ――ぶす。



 続いて、声もなくささやく。




 ――なにもかも、奪ってあげる。
しおりを挟む
感想 54

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

悪役令嬢として断罪? 残念、全員が私を庇うので処刑されませんでした

ゆっこ
恋愛
 豪奢な大広間の中心で、私はただひとり立たされていた。  玉座の上には婚約者である王太子・レオンハルト殿下。その隣には、涙を浮かべながら震えている聖女――いえ、平民出身の婚約者候補、ミリア嬢。  そして取り巻くように並ぶ廷臣や貴族たちの視線は、一斉に私へと向けられていた。  そう、これは断罪劇。 「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前は聖女ミリアを虐げ、幾度も侮辱し、王宮の秩序を乱した。その罪により、婚約破棄を宣告し、さらには……」  殿下が声を張り上げた。 「――処刑とする!」  広間がざわめいた。  けれど私は、ただ静かに微笑んだ。 (あぁ……やっぱり、来たわね。この展開)

「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです

ほーみ
恋愛
 「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」  その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。  ──王都の学園で、私は彼と出会った。  彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。  貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

処理中です...