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義妹ハレゼナ
しおりを挟む母亡きあと、おまえは屋敷の庭に自分だけの花壇を作っていた。
自分で耕し、自分で種をうえ、自分で水をやり、育てる。
さまざまな野菜や花、森から採取した珍しい植物なども植えられている。
そのなかには、セージと呼ばれる薬草も含まれていた。
そう。
幼い頃、森の中で出会ったあのセージの栽培に、おまえは挑戦している。
それは決して楽な道ではなかった。
何度やっても、発芽すらしない。
様々な本で調べたり、学者や薬師に話を聴きにいったりして試しても、駄目だった。
ある年老いた薬師はこう言った。
「セージの栽培は無理じゃよ。あれは人嫌いの植物だからのう」
「へそ曲がりだから、人の視線を感じたら芽を引っ込めてしまうんじゃよ」
「水や肥料をいくらやったところで、ダメダメ」
その老薬師は、近所の人からは「変わり者」だとか「ほら吹き」とか呼ばれていた。
だが、おまえにはわかる。
老薬師は真実を話している。
セージの精と話したことのあるおまえは、彼の気性がよくわかっている。
そう。きっと彼ならこう言うだろう。
(てやんでい バーロー ちくしょう!)
(このオレさまが ニンゲンごときに 育てられっかよ!)
それはわかっている。
わかっているのだ。
だが、おまえはどうしても、もう一度、彼と話がしたい。
あの声が、無性に聞きたくてたまらないのだ。
◇
その日の朝のことを、おまえはのちに、くりかえし思い出すことになる。
◇
春のうららかな陽気に包まれた朝のことだ。
学校に行く前の日課として、おまえはセージの種をまいた花壇を見に行った。おまえのくるぶしまでしかない低い柵で囲っただけの花壇だ。その粗末さに、屋敷の庭師は「もっと立派なのをお作りになればよろしいのに」と言っていたし、おまえも最初はそうしていたのだが、「このくらい質素にしないとセージは恥ずかしがって芽を出してくれないのではないか」と考えて、できるだけ目立たない花壇を作ったのだった。
それほど期待していたわけではない。
これまで1年以上、365日ずっと空振りだったのだ。
今日もだめかなぁと思いながらしゃがみこんで花壇を見つめると、そこには今までとは異なる変化があった。
「あら? これは?」
ならされた黒い土のなかに、ほんの微かな、緑の点――。
芽生えと呼ぶにはあまりに弱々しい、ほんの微かな緑の息吹が、確かにそこにはあった。
「雑草じゃないわよね?」
おまえは学院制服のスカートが汚れるのも厭わず、朝露で湿った土にじっと顔を近づける。
雑草――ではない。
確信はもてない。
だが、かつて幼い日に見たセージと、葉の色が似ている気がする。
「も、もっとよく調べてみなくちゃ!」
書庫にある薬草図鑑を取りに行くため、おまえは駆けだした。
屋敷の正門を横切ろうとしたその時、蹄の音と車輪の音が近づいてくるのに気づいて、足を止める。
豪華な装飾の施された真っ赤な馬車が、正門に横付けされた。
父の馬車ではない。
地味で臆病な性格の父は、公爵のわりには質素を好む。母が亡くなってからは特に、華美な贅沢には興味を示さなくなっていた。
だが、この馬車は違う。
豪勢と豪奢を絵に描いたような、絵本のなかに出てきそうな真っ赤な馬車だった。
馬から下りた御者がうやうやしく扉を開いて、そこから現れたのは――燃えるような炎だった。
「……!?」
炎、のようにおまえには見えた。
鮮やかな真紅の長い髪が風にたなびくのが、おまえの目には燃えさかる炎のように映ったのだ。
それは、炎のかたちをした少女だった。
呆然と立ち尽くすおまえを見て、その少女は唇を「にやぁっ」と歪めた。
その唇も、赤い。
天の三日月が鮮血に染まったならば、きっとこんな風だろう。そう思わせるような、はっとするような赤の唇。
その唇が、動く。
声を出さずに動く。
たった2文字。
〝ぶす〟
ぶす、とその赤い唇は形作ったのだ。
「はじめまして。カヤお姉さま」
次の瞬間、その少女はにっこりと微笑んでいた。
さっき見せた嘲りの表情は消えて、そこに現れたのは、人好きのする美しい微笑みであった。
女のおまえにも、わかる。
こんな風に微笑まれたら、世のほとんどの男性は恋に落ちてしまう――そう思わせるほど、可憐な微笑。
「あたしはハレゼナ・ワイト。そして近々『ハレゼナ・ホーリーロード』と名乗らせていただくことになります」
「じゃ、じゃああなたが、お父さまと再婚なさるジルフリーデ様の」
「はい。連れ子ですわ」
「今日いらっしゃるなんて、聞いていなかったわ」
「ごめんなさい。お義父さまやお義姉さまに早くご挨拶したくって、あたしだけ先に参りましたの」
ご迷惑でした? なんて、急にしおらしくうなだれて見せる。
人の良いおまえは、それだけで慌ててしまう。
「そ、そんなことないわハレゼナさん。ちょっと驚いてしまっただけ」
「さん、なんて止めましょうお姉さま。これからあたしたち、姉妹になって一緒に暮らすのですから」
「わかったわ、ハレゼナ」
お姉さま、かあ――。
その甘い響きに、おまえは嬉しくなる。
頭は良くても根が単純なおまえは、ただそれだけで、さっき見た嘲りはきっと何かの間違いだと考えてしまう。
ずっと孤独だったおまえは、人の見せる好意に、あまりに、弱い。
「じゃあ、まずはお父さまにご紹介するわね」
「ありがとうございます。でもお姉さま、今から学校なのでは?」
「大丈夫。走ればきっと、間に合うわ」
「あらまあ、あたしにはとても元気のよいお姉さまができるのね。頼もしいわ」
おまえは張り切って歩き出し、ハレゼナが後に続く。
「お姉さま、この小さな花壇は?」
「わたしが世話している花壇よ」
「えっ。お姉さまが手ずから? なんて素敵なの!」
その言葉に、おまえはますます嬉しくなる。
「実はね、今日ずっと挑戦していたセージの発芽に、成功したかもしれないの」
「セージ? あれってもう絶滅した植物なのでは?」
「ほとんどはね。でも、それを人の手で栽培できないかと考えていて――」
その時だ。
後ろを歩いていたハレゼナが、すっ、とおまえを追い越した。
低い柵で囲われた花壇のなかに、足を踏み入れてしまう。
「あっ……」
止める暇もなく、ハレゼナの履いた革靴が土を踏み荒らした。ぎちっ、ぎちちっ、そんな音がしそうなほど強く踏みしめて、必要以上に強く踏みしめて、踏みにじって――それからようやく、立ち止まった。
「あらっ? ここ、もしかして何か植えられてました?」
「……あ、あぁぁ……」
おまえは崩れ落ちるように両膝をつき、地面に顔を近づける。
さっき見た緑の点が、せっかく芽を出したかもしれないセージが、よじれた糸くずのようになり果てていた。
「ごめんなさいね。なにしろ初めて来た家で、慣れないものですから」
頭上から、謝罪の言葉が降ってくる。
だが、そこには申し訳ないという感情など一片も含まれていない。
もし――。
おまえの背中に目がついていたとしたら、義妹がまた嘲りを浮かべているのを見ただろう。
それを見ずにすんだのは、ある意味、幸せだったかもしれない。
「ほんとうにごめんなさい。お姉さま、ごめんなさい――」
謝罪を繰り返しながら。
義妹の真っ赤な三日月のくちびるが、ふたたびあの2文字を形作る。
――ぶす。
続いて、声もなくささやく。
――なにもかも、奪ってあげる。
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