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Countdown.6

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 それから二ヶ月が経った。

 おまえへのいじめは、あいかわらず続いていた。教師にはわからないよう、巧妙に、全員が一丸となっておまえをいじめていた。それは、奇妙な一体感を教室にもたらしていた。おまえという「敵」をいじめ抜くために、爵位も階層も能力も美醜もばらばらの生徒達が、ひとつにまとまっていたのだ。

 普通の少女であれば、決して耐えられなかっただろう。

 だが、おまえは耐え抜いた。

 その胸に秘めた夢と恋――後者はいまだ、おまえに自覚はなかったけれど――が、孤独なおまえを支え続けたのだ。

 おまえは迫害を受けながら、客観的に事態を観察している。

「きっと、17年前の戦争の時も、こんな感じだったのでしょうね」

 当時、王国では内乱がいくつも起きていた。人心が乱れ、諸侯の叛逆や平民の蜂起などが頻発していた。その期に乗じて侵略してきたのが「呪われた国」だ。そして皮肉にも、その侵略によって、ばらばらだった王国は団結することができたのだという。

 だが――。

 おまえは、こんな風に思う。

 もし、原因と結果が「逆」だったなら?

 戦争が起きたから団結したのではなく、団結するために戦争を起こしたのだとしたら?

 侵略したのが「呪われた国」ではなく、王国のほうだとしたら?

「…………」

 確証は、ない。

 あくまで、状況証拠から導き出した仮説にすぎない。危険な仮説だ。もし仮説が正しいなら、国家が虚偽の歴史をねつ造しているということになる。国王が嘘をついていることになる。公爵令嬢という立場のあるおまえが「王様は裸だ」と叫べば、決して放置はされない。憲兵隊の取り調べを受けることになるだろう。そうなれば、父が悲しむ。娘が国家反逆罪などを着せられたら、いくら公爵家といえど、決して安泰ではなくなる。

 だからおまえは黙っている。

 家でも、学院でも、じっと口を閉ざして耐えている。

 だが――。

 そんなおまえが、黙ってはいられなくなる時がある。

 かつて、母の看病をしようと父に食ってかかった時のように。

 自分がどんな目に遭っても怒らないのに、愛する人のためならば、激しく感情を高ぶらせる。

 その感情のほとばしりが、いったい何をもたらすのか――。





 その日の昼休み。おまえは自分の席で読書をしていた。

 以前は静かな裏庭で読書をしていたのだが、こうして休み時間も教室にいないと教科書を捨てられたり机や椅子に落書きされてしまうから、席を離れられないのだ。

「えーっ、本当かよ? それ」

 教室の一角で、大げさに驚く男子の声があがった。

 ちらりと視線をやれば、そこには女子二人と男子三人のグループがおしゃべりをしていた。女子はかつておまえによく勉強を習っていたナーラとノエルだ。今や二人は上級グループの仲間入りをして、服装も化粧も派手になっている。特にナーラは、髪型もしゃべり方もハレゼナをそっくりそのまま真似するようになっていた。

 今、教室にハレゼナが不在のため、ナーラがまるで彼女のように振る舞っているのだった。

 おまえは読書に戻ろうとしたが、

「本当ですとも。呪われた国では、腐った豆を食べるんですのよ」

 ナーラが得意げに言ったその言葉を耳にとめ、再び視線を彼女らに戻した。

「ナーラのお父さんって、確か外務省のお役人だったよな?」
「ええそうよ。だから詳しいの。かの国では糸をひくほど腐った臭い豆を、ありがたがって食べるのだって言ってましたわ」
「ひぇーっ、さすが後進国だな」

 げらげら、男子の下品な笑い声が起きる。

 ナーラが得意になって続ける。

「そればかりじゃありませんわ。時にはウジを食べることもあるんだとか」
「う、ウジ?」

 男子たちが、目をぱちぱちさせる。

 ノエルが苦笑いを浮かべる。

「ちょっとナーラさん。さすがにそれは嘘でしょう? 話を盛ってない?」
「いいえ事実です。むせかえるような悪臭ただよう白いウジを炊いたものを、ハシでかきこむんだとか。時にはその腐った豆をかけてね」

 オエッ、と男子が吐く真似をする。

「最悪だな。同じ人間とは思えない」
「暗黒の大地ですもの。きっと亜人どもの血が混じってるんですわ」
「大河(ベツノカ)を隔ててるとはいえ、そんな国がお隣にあるなんてねえ」
「前の戦争で侵略してきた時、逆に滅ぼしてしまえば良かったのに」

 そこまでで、おまえは耐えられなくなった。

 立ち上がり、ナーラたちのほうへと歩み寄っていく。

 おまえの突然の行動に、教室の空気がハッとしたように凍りつく。

「――あら、なんですの? カヤさま」

 ナーラは一瞬ひるんだような顔を見せたが、すぐにハレゼナの真似をして胸を張った。無視したほうが良かっただろうに、反応して虚勢を張ってしまうところが、ナーラの変えることのできない臆病さだった。

「ナーラさん。今のお話に少し訂正させて欲しいの」
「えーっ? 訂正ってなんでしょう? ふふふっ!」

 嫌な笑い方をするようになった。

 こんな笑い方をする子ではなかったのに、とおまえは思う。

「あなたのいう腐った豆というのは、おそらくナットウのことだわ」
「ナットウ?」
「大豆を発酵させた食品よ」
「ハッコウ?」

 ナーラは目を白黒させる。

 この時代、王国でも発酵食品は食べられていたが、その仕組みを正しく理解している者は少ない。農民や商人の子供ならいざ知らず、貴族の少女でそれがわかるのは、本当にごくごく一部の者だけだ。

「発酵と腐敗は同じ現象だけれど、人間にとって有益なものを『発酵』と呼んでいるの。だから、食べてもお腹を壊したりはしないわ。ナットウは漢皇国では一般的に食されていて――」
「漢皇国? 呪われた国と言いなさいよ」

 軽蔑するような声で、ノエルが口を挟んだ。

 おまえは無視して続ける。

「それから、白いウジのことだけれど、それはきっとおコメのことよ。小麦と同じ穀物なの。炊きたては確かに独特の匂いがするけれど、それが好きという人も大勢いるそうよ。漢皇国では主食として食べられていて――」
「呪われた国よ」
「いいえ。漢皇国よ」

 おまえは譲らなかった。

 頭のなかの冷静な部分は、自分自身にこう警告している。

『冷静になりなさい』
『こんなところで皇国を擁護したところで、何かが変わるわけではないでしょう?』

 だが、おまえの心の熱い部分がそれを許さなかった。無意味だとわかっているのに、目の前であの黒髪黒瞳の皇帝の国を馬鹿にされることだけは、我慢ができなかったのだ。

 その時である。

「ずいぶん議論が白熱しているようですわねえ? お姉さま?」

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