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第一章

少しだけ、穏やかな日々 7

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 翌朝までぐっすり眠ったレイヴンは村に行った。男達はすでに漁へ出ており、村には女子供しかいなかった。レイヴンは家の外にいた女へ体調が優れない為、数日休むことを伝えると、再び小屋に戻った。山へ向かう際、「体調が優れない程度で罰から逃れるとは、いい身分だな」と口々に言われた。

 過去にも、高熱を発したレイヴンは小屋から出ることができず、数日を寝て過ごしたことがあった。回復した後すぐに村へ行くと、罰から逃れた分だとして、普段よりも激しく責められた。それでも、村人はレイヴンの住む小屋へ押しかけることはしなかった。

 おそらく今回も、小屋にまで様子を窺いに来ることはないだろう。彼らが村で定めたルールに従順なのか、どうせ村からは出られないと踏んでいるせいなのかはわからない。実際、レイヴンはどこにも逃げられない。転生を繰り返す限り、罪の意識がある限り、レイヴンは村に囚われ続ける。

 そんなレイヴンがわざわざ村へ宣言までして、山に引きこもる理由はシンの存在があるからだった。シンが目覚めたことにより、幾分身動きが取りづらくなったのだ。

 村に行く間もシンの傍にいることを優先すれば、その分早く回復し、彼は村から出ていくことができる。逆に滞在を長引かせればその分、村人へ見つかるリスクも高くなる。

 しかしそんな理由は自身に言い聞かせる為の建前であり、根幹は別にあった。シンと共に過ごす時間が、ただただ楽しくなってしまったのだ。もちろん、自分のペースでレイヴンを振り回すシンに困ることもあった。だがそれ以上に、人と話し、人に触れ、人と時間を共有することが、堪らなく幸せだった。

 畢竟するに、人と接して心が穏やかになることが、怨恨に満ちる巣窟へ踏み込むことを躊躇わせているのだ。

 そして何より、シンに自身の境遇について悟られたくなかった。罪を知られることよりも、日々村の男達に抱かれているという事実を知られたくなかったのだ。

 穢らわしい。シンにだけは、そう思われたくなかった。

 複雑な想いを抱えたまま、レイヴンはシンの待つ小屋へと戻った。そんなレイヴンの気持ちなど、知る由もないシンは変わらず、無垢な笑みを向けるのだ。

「お帰り、レイヴン」

「……た、ただいま、戻りました。シンさん」

 この頃、レイヴンにとってシンは聖人のようにも見えていた。シンほど綺麗な笑みを浮かべる人間を、他に知らなかったせいかもしれない。

(うぅ……ずっと寝顔、見られてた……)

 顔を合わせるなり、今朝目覚めたばかりのことを思い出し、赤面する。昨日、いつの間にか眠っていたことにも驚いたが、もっと驚いたのはシンが眠った自分を抱きかかえ、ベッドへ運んでいたことだった。シン曰く、そのまま自分も眠ったとのことだが、その間寝顔を観察されていたのかと思うと、とてつもなく恥ずかしかった。

「どうした? レイヴン」

「な、何でもないですっ…………何でも……」

 顔を覗き込まれ、咄嗟に首を振る。見上げると、シンはやはり綺麗な笑みを浮かべたままだ。

 こんなに綺麗な人間の傍に、自分のような者がいてもいいのだろうか? レイヴンは心中、葛藤していた。

 そんなレイヴンの傍に躊躇うことなく、むしろズカズカと土足で踏み込むシンは、不意に長い棒のような物を差し出した。

「これは?」

「釣り竿。暇だったから、竹で作ってみた」

「釣り……ですか?」

 手に取り、まじまじとそれを見ると、棒の先に綿糸がプランと垂れている。竿というからには、狙う獲物は魚だろう。これで本当に釣れるのかは謎だが、初めて目にする道具にレイヴンは興味津々の様子だ。

「そこの川でやってみようと思ってな。ずっと寝てばかりなのも身体に悪いだろう?」

 まだ寝ていなければならないほどの大怪我なのだが、存外身体が頑丈らしい。レイヴンは小さく笑った。

「釣りがお好きなんですか?」

「いや? むしろ初めてだけど」

「え?」

 きょとんとシンの顔を見上げると、彼は少しだけ照れたように微苦笑する。

「知識だけは無駄にあるんだが、なかなか実践できなくてね。いい機会だから、やってみようかなって。レイヴンもどうだ?」

 その誘いに一瞬、外へ出ることで村の人間に見つかるのではないかという不安が過ぎったが、女子供しかいない今の時分にわざわざ忌むべき存在の下に近寄ることもないだろうと思い直した。

 レイヴンは頷いた。

「じゃあ……ご一緒させてもらいます」

 その日、半日をかけて釣った岩魚は、思わず笑みが溢れるほどの美味さだった。
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