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そうだ。新婚旅行へ行こう 【××× side】
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しおりを挟む此奴が俺の家で暮らし始めてからその生活に馴染むのに、そう時間はかからなかった。近所でも人相の悪い男寡と勝手に噂されていた俺に、突如としてチビガキが出入りするようになったもんだから、今度は嫁さんに逃げられたアル中のしがない親父にバージョンが上がってやがった。まあ実際、噂はあながち間違いでもねえけど、このガキは俺のガキじゃあない。どっからどう見ても俺に似てねえだろうに。
それでも、噂を耳にしていないわけがないだろう此奴は、構わず俺に口端を持ち上げて話しかける。元々、おじさん呼びだったそれはいつしか、俺の名前にさん付けをするようになった。
そして口で話せるようになった分、達者にもなり始めた。
『も~! 蒼さん、またお野菜残してる! 駄目だよ、食べないと! メタボになっちゃうよ!』
お前は俺のオカンか。何度そう突っ込み、拳骨を落としたことか……。
なのに、此奴はめげなかった。拳骨を落とそうが、凄んで見せようが、ドスを利かせようが、俺に対して関わることを諦めなかった。
こういうところは花音と璃々子にそっくりだ。俺はこんなのをいつまで預かってなきゃならねえんだと、頭を抱えた。
『しょうがねえだろう? 腐れ縁なんだからよ』
ガキの名と同じ読み方に、「一」のついた男が酒を煽りながらニヤリと笑う。腹が立ったから近くにあった灰皿をぶん投げた。ヒットしていたら俺はコンクリートの下だったろう。
『まあそう睨むなよ。お前だってわかっているだろ? 本来、守るべき野郎が生ける屍になっちまっているんだ。殴って蹴りあげて正気に戻るってんなら、俺はこの手から骨が出ようが構わないさ』
すでにそうしたろ? と。彼奴は俺の拳に視線をやる。当たり前だ。すでに鳩尾につま先を入れてやったわ。
『璃々子が言っていたが、時間がかかるんだとよ。金で解決出来ねえもんはこれだからタチが悪い』
はっ。その所為でガキ一人が放られているってわけか。そりゃあ、花音も報われねえな。
『その通りさな……。形だけでも本当のガキを手放したお前に言える義理かどうかはこの際、置いとくがな』
もういっぺん、灰皿をぶん投げてやろうかと思ったが、その時はタイミング悪くあのガキが帰って来た。
何の嫌がらせかと、俺はこの世にいねえ人間に対して何度恨み事を呟いたことか。
そうして、ガキの小言にも慣れてきた頃、元からガタしか無い俺の身体は重力に耐えられずその場に落ちた。つうか倒れた。珍しく人と会っていた時だ。自宅ではなく、わざわざ他人しかいない近所のファミレスで会っていたというのに、そういう時に限って俺の意思とは関係無く、力が抜けた。目の前が暗くなり、ホットコーヒーが置かれていたテーブルに額をぶつけた。
目の前の人間が俺の名を呼んだが、その呼びかけに答えることが出来ず、俺はそのまま意識を失った。ガキの頃は珍しくもなかった立眩みの類いかとも思ったが、どうやらそうではないらしかった。
意識が戻った後、若い医者から摂生しろと口煩く言われたが、はっきりと病名を言う訳ではなかった。結局のところ体質が問題の話だった。アレが標準値じゃねえだとか、コレが異常値だとか。ごっちゃごっちゃ言われてんのは昔からだが、いよいよ介護が必要になるだろうと、脅すように言ってきやがった。介護? 死んでもごめんだ。俺が何の為に彼奴等を捨てたと思ってる。一人になった後、想定外のモンが居つきやがったが、それは後に離れていくもんだ。介護をされる為に置いてるわけじゃあない。
『だったら、始めから引き取らなければよかっただけの話でしょう? 例え、元妻の頼みであったとしても……』
ファミレスからそのまま、病院にまで付き添った人間が淡々と言ってのけた。消毒液臭えベッドの上で寝転がるしか出来ない俺を、人工的な黒に染めた髪と同じ目の色で、目つきで、見下ろす男が、無表情のままにそう言った。
『貴方に情があったとは思えませんが、結果的に件の彼は貴方の下にいる。しかし、こちらとしてはそろそろ本来あるべき形に戻ってもらわねば困るのですよ』
流暢な敬語が降って来る。昔からこんな奴だったかと、俺は微かに残っている記憶を辿ろうとしたが、途中で止めた。もうどうでもいいことだった。どうにもならないことだからだ。
『機会としてはもう少し後かと思っていましたが、丁度いい。彼もそろそろここに着く頃かと思います。予定が早まっただけのことですから、何も問題ありませんね』
誰に似たのか。誰にも似なかったのか。男はシステム手帳を取り出し、中身に視線を落としていた。もはや、俺のことなど眼中に無い。そういわんばかりだった。
構いはしない。だが、ここでこの男と彼奴が対面していいのか? そんな疑問が過った。
過っただけに終わってしまったが。
『蒼さんっ!』
煩せえよ。病室で大声上げるな。
『だって、倒れたって……だからお酒は控えて煙草も止めてって言ってるのにっ……』
俺との賭けに負けて、わざわざ髪を脱色して金に染めたガキが入室した。校則の緩い私立に進学したからといって、この髪色に長髪を許すなんざ、なかなか話のわかる学校だと嘯いてみせたこともあったが、やっぱりガキに金は早かったかとも若干反省していた。これじゃあ女児と間違われても不思議じゃなかった。典型的な母親似の顔に、同じ男として若干の同情を覚えていた。
『とりあえずね、璃々子さんから聞いて入院するのに必要な荷物を纏めてきたんだけど……あ、お兄さんが救急車を呼んでくれたんですか? ありがとうございます。僕、真藤柳って言います』
『しんどう?』
真藤。それは俺の姓だ。しかしガキは、真藤を名乗るようになっていた。
俺が強要したわけじゃない。このガキが真藤という家から登校しているのに、本名の姓を名乗ったら周りが訝しむ。その面倒を抑える為に、真藤名を貸しただけだ。学校側にもわざわざ許可を取ってな。おかげで、大半の人間がこのガキを俺のガキだと思うようになっていた。違うっつうのに。
『なるほど。真藤ね……』
男は眉を顰めながら呟いた。ガキには見えちゃいなかっただろうが、それで良かっただろう。ガキは俺のだろう荷物を置いて中身を出しながら話し始めた。
『璃々子さんね、後から来てくれるって。先生のお話も一緒に聞くって言ってたよ。それまで、僕もここにいるから。それであの、お兄さんは? また改めてお礼をしたいと思うんですけど……』
必要無い。俺が断った。
『そういうわけにもいかないでしょ! 蒼さんを助けてくれたんだよ。なのに……』
そんな言い方はひどいってか? はっ。目の前の男も、俺と同じ顔、してやがるってのにな。ガキの言葉を遮りながら、男は静かに口を開いた。
『彼の言う通り、礼は必要ありません。当然の務めですから……しかし、こうして貴方に会うのは初めてですね。貴方がどんな人間か、話には聞いていましたが……その髪、まさかとは思いますが、この男からの虐待ではないでしょうね?』
虐待ね。年端もいかないガキの頭髪を弄ったらそうなんのかね。だったら、さっさと俺から引き離せばいい話だろうによ。
ガキは男の言っている意味がわからないとばかりに首を傾げながら俺に尋ねた。
『ぎゃくたい……じゃあ無いと思うけど……蒼さん、この人は誰なの?』
疑問に思うんなら本人に聞け。俺はチッと舌打ちをしながらガキに応えた。
男は俺とガキのやり取りを見ながら、見下す様に言った。
『やはり、このままこの子を貴方の下に置くのは教育上よろしくないようですね。昔からわかってはいたことですが、これではあまりに酷い。直接会ってみてわかりました……真藤柳君』
『はい?』
『私は貴方の父親と私の母親に当たる人間が再婚した為、貴方の兄にあたる者です。最も、血縁上は全くの赤の他人になりますので、私を兄と思わなくて結構です』
思わなくて結構、と奴は言ったが。思えないだろう、こんな冷淡な態度を取られちゃあな。さすがのガキも、目を見開いて兄に当たる人間を見上げていた。
そしてやはりというべきか。しなくていい、いらん情報まで落としてきやがった。
『そしてその男は、かつては私の父にあたる人間でした。今はどう思われているかは知りませんが、血縁上はまぎれも無く実父になります』
『え……? お父さん? 蒼さんが? お兄さんの?』
『海、と言います。宜しく……紫瞠柳君』
――――――…
ああ、花音。
後悔なんざ、俺にはねえと思っていたさ。だが、俺はあの時、きっと倒れるべきじゃあなかったんだよな。
いずれ彼奴等が出会う時が来る。それはわかっていたはずなのにな。
だが……
出会い方が少しでも異なれば。きっと……
きっと、彼奴等は……
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