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本編

第十三話 余命五日の初夜③(࿇)

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「……甘い……?」
 呆然と見開いたアリーチェの瞳に、訝し気に眉を顰めるクロムの横顔が映り込む。
「……な、ん……? なにを……、して……?」
 アリーチェの腕を取って。
 血の滲む肌、を。
 ――否。腕に滲む血、を。
(舐め……?)
 あまりにも衝撃的な出来事に事態を理解できずにいるアリーチェに、クロムはますます顔を顰めてなにかを考え込むかのようにポツリと洩らす。
「……試食……、ですかね?」
「し、試食……?」
 “試食”とは。
 味見とはこういった時にするものだっただろうかと頭の中が混乱する。
「薬師だって、薬草を舐めて確認したりするでしょう。それと同じです」
「……ちょっと、意味が……」
 本気で意味がわからない。
 呪いに侵食されつつある身体は、血液にもなんらかの変化をもたらしている可能性は確かにあるだろう。そう考えれば理屈としてはわからなくはないものの、クロムが血を舐めてみたところで一体なにがわかるのか。
「それより、もう一度だけ確認させてください」
「なにを……、って……、んゃ……っ」
 言うが早いがアリーチェの答えを待つことなく腕に舌を這わされて、妙な声が出てしまう。
 しかも。
「ん……っ」
 ちゅ……っ、と。
 足りないとばかりに血の滲む部分を唇で吸い上げられて背中がぞくりとした。
「ゃん……っ」
 なんだか妙な気分だった。
 足元がふわふわとして、思考回路あたまがぼんやりとする感覚。
 甘い心地よさに包まれて、そのままなにも考えたくなくなってしまうような。
(……な、に、これ……?)
 この感覚は、なにかに似ているような気がする。
 ――そう。お酒に酔って気分が高揚し始めた時のような。
 否。元々アリーチェはそこまでお酒に弱くはない。
 けれど今は、それよりももっと高揚感は大きくて。
「? やっぱり甘い……?」
 アリーチェの血の味を確認するかのように口の中で舌を転がしたクロムは、ありえないとでも言いたげに眉を顰めて独り言ちる。
「呪いが甘いなんてこと……」
 なにかを考え込むかのようにぶつぶつと呟いて……、それから。
「……あ、れ……?」
 くらり、と。眩暈を起こしたかのように一瞬頭をふらつかせ、クロムは額を手で抑えた。
「……」
 そのままじ、と黙り込み、時が流れること十数秒。
 観念したかのように顔を上げたクロムが、真正面からアリーチェをみつめて口を開く。
「……すみません。やっぱり失敗、したみたいです」
「っえ……っ!?」
 失敗、とは一体なんのことだろうか。
 大きく目を見張ったアリーチェに、クロムはうっすらと上気したアリーチェの表情をまじまじと観察した後、淡々とした口調で問いかけてくる。
「……貴女だって感じているでしょう?」
 なにを? とは聞き返せず、ただアリーチェの白い喉がコクリと鳴った。
 なんだか身体が少しおかしい気がするのは錯覚などではない。
 水分など求めていないのに、まるでなにかを欲しているかのような渇きを覚えた。
「副作用です」
「え……」
「しかも最悪の」
 冷静に分析され、アリーチェの瞳は揺れ動く。
「……さいあく、って……」
 副作用があるかもしれないことは覚悟して望んでいた。
 だが、“最悪”とはついていないにもほどがあるだろう。
 一体なにが起こっているのだろうと不安気に瞳を揺らすアリーチェへ、こんな時でさえ慌てた様子を一切見せないクロムが淡々と事態を分析する。
「どうやら魔力酔いを起こしたみたいです」
「魔力酔い……?」
 確かにアリーチェは魔力持ちだが、そんな言葉を聞いたことも、今までこんなふうになったこともない。
「こんな少量で、滅多にはない現象なんですが……」
 だが、滅多にはないその現象が実際に今起こっている。
「かなりの低確率で魔力の相性がいいと起こる副作用の一つです」
 相性がいい……、とは、一体誰と誰のことだろう。
 頭のどこかでぼんやりと浮かんだ疑問符は、すぐにふわふわとした思考回路の中へ溶けていってしまう。
「これは一番想定外の出来事なので……。正直、困りました」
「そんな……っ」
 全く困ったふうではなく「困った」と告げられて、アリーチェの瞳にはじわりと涙が滲んだ。
 涙腺が弱くなってしまうのも、副作用の一つだろうか。
 じわじわとした熱が昇ってきて、自然と瞳が潤み、零れ落ちる吐息も熱くなる。
「……ぁ……。クロム……」
「っ、そんな表情かおで見ないでください……!」
 どうしたらいいのかわからなくて。どうにかしてほしくて。
 縋るものといえば今目の前にいるクロム以外になく、思わず助けを求めるように顔を上げれば、珍しくも慌てたように視線を逸らされてしまう。
「だ、だって……!」
 そんなことを言われても、一体どんな表情をしているというのだろう。
 ただ、思考がぼんやりとして微かに甘くなり。
 じわじわとした熱に顔も身体ものぼせたようにふわふわする。
「ク、クロム……? その……」
 どことなくむずむずする感覚に、再度潤んだ上目遣いでクロムを見つめた。
「わ、たし……」
 らしくもなくもじもじと、窺うように声をかける。
 今、アリーチェの身体の中に湧く感覚を、どう言葉にしたらいいのかわからない。
 けれど多分、頭よりも身体の方が――、本能的ななにかがきっと答えを知っていて。
「……ク、ロム……」
「……っ」
 目が合うと、クロムは気まずげに息を呑んだ。
 だが、今度は視線を逸らされることのないまま自然と見つめ合って。
「……」
「……」
 目と目が。言葉にならない想いを交わし合う。
 誘ったつもりも、誘われたつもりもなかった。
 ただ、気づけばどちらからともなく自然と身体を寄せていて。
 クロムの指先がアリーチェの頬へ伸び、至近距離に迫ったその意外にも整った顔に、そうすることが当然のように目を閉じた。
「……ん……っ」
 最初に感じたのは、ふわり、としたクロムの香り。
 意外にもクロムからは、爽やかな風の匂いがした。
 唇に、今まで感じたことのない柔らかな感触を感じて。
 驚くほど近い距離感にいる他人の気配に、今、自分が、目の前の他人と触れ合っていることを実感した。
(私……、クロムとキスしてる……)
 そう自覚しても、不思議と全く嫌ではなかった。
 むしろ。
(……気持ち、いい……)
 くらりと酩酊したかのような感覚に、自然とクロムの身体に添えていた指先に力がこもる。
(……もっ、と……)
 こんな心地よさを、今まで感じたことはない。
 ただ唇を触れ合わせだけの行為なのに、心地よいだけの甘さにふわふわと酔いしれてしまう。
(な、んで……?)
 これが、クロムの言う“魔力酔い”。“最悪の副作用”だろうか。
 けれど、こんな副作用ならば何度起きたって構わない。
(もっと、ほしい……)
 もっとクロムを感じたいと思った途端、自然と誘うように唇が薄く開いた。
 婚約者だったハインツとも、こんなことをしたことはない。
 これが、アリーチェにとって、正真正銘のファーストキス。
 にも関わらず、その先の行為を求めるかのように勝手に顎が上向いた。
「……ん……っ」
「!」
 鼻にかかった吐息が洩れ、アリーチェの頬に触れていたクロムの指先がほんの一瞬硬直した。
 が。
「ん……っ!」
 唇を割り、ぬるり……、と入り込んできた弾力のある不思議な感触に、アリーチェはびくりと肩を震わせる。
「ん……」
 おずおずと。遠慮がちになにかを探すような動きをするそれに、もどかしくなって自ら唇を強く押し付けた。
「!」
 なにをどうしてほしいのか、どうしたらいいのかアリーチェにはわからない。ただ、湧き上がる欲求のままにそれ・・を受け入れれば、クロムからは僅かに驚くような気配があって、アリーチェの口腔内に入り込んできたそれ・・の動きは大胆なものになっていく。
「ん……っ、ふ……、ん、ん……っ」
 どうやらそれ・・――、クロムの舌先が探していたのはアリーチェの舌だったらしい。
 歯列を割り、不遠慮に口腔内をまさぐったクロムの舌は、次にアリーチェのそれに絡みついてきた。
「ふ……っ、ぁ、ん……っ」
 くちゅり……っ、と。口の中で鳴る水音が鼓膜に響き、背筋がぞくりと粟立った。
(な、に、これ……?)
 クロムの舌がアリーチェのそれを絡め取る度にぞくぞくして、腰から力が抜けていく。
 もしベッドに腰かけていなかったら、立っていられずにその場に座り込んでいたかもしれない。
「ん……っ、ふ、ぁ……っ)
(どう、しよう……)
 気持ちがよくて、どうしたらいいのかわからずにアリーチェは戸惑った。
 このままこの心地よさに酔っていたい。
 そのためにはどうしたらいいのだろう。
(……も、っと……っ)
「ん……っ」
 もっと欲しくて、絡んでくるクロムの舌に、自らも舌を動かした。
「!」
 クロムからはほんの一瞬驚いているような気配が伝わってきたものの、それは本当に一瞬だけだった。
「ん……っ、ん……っ」
 クロムの動きに応えて舌と舌とを絡め合い、その動きを真似て口腔内をまさぐり合う。
「ふ……っ、ぅ、んっ、ん……っ」
 唾液が溢れて混じり合い、どちらのものともつかない透明な液体が上向いたアリーチェの口の端から流れ落ちていったが、それさえ官能を引き出す刺激にしかならなかった。
「ん……っ」
 クロムの器用な舌先が溢れた唾液を掬い取り、アリーチェの喉の奥へと流し込んでくる。
 それを素直に飲み込めば、アリーチェの白い喉は艶めかしくコクリと動いた。
「は……っ」
 気づけば夢中になって互いの唇を貪り合っていて、乱れた呼吸に息が上がる。
 頭の中がぼーっとする気がするのは、呼吸がままならなかったせいだろうか。
「……クロ、ム……」
 生理的な涙が滲んだ瞳でぼんやりと顔を上げたアリーチェは、ゆっくりと離れていったクロムの唇から銀糸が伸び、それが自分の唇と繋がっていることに気づいて、途端羞恥に襲われる。
「……ぁ……」
 今、自分は、一体なにをしただろうか。
 それでも。
(……足りない……)
 もっと。という欲求が湧き上がり、無意識にキスを求めて顎を上げたアリーチェの唇に、再度クロムのそれが落ちてくる。
「ん……っ」
(……ぁ……っ)
 口を開かされ、素直にクロムの舌を招き入れればぞくぞくとした甘い刺激が背筋を昇ってくる。
「んっ、ん……っ」
 ゆっくりと後ろへ押し倒され、二人分の重みを受け止めた小さなベッドがキシリという音を立てて沈んだ。
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