騎士は愛を束ね、運命のオメガへと跪く

夕凪

文字の大きさ
48 / 127
騎士の帰還

15

しおりを挟む
 王位継承権の話から急に自分に話が飛んで、エミールの混乱はさらに深まった。
 呆然とするエミールを見て、クラウスが眉間のしわはそのままに、唇の端に苦笑をよぎらせた。

「私たちはこの三年、オシュトロークの内情を探り、オメガの村の存在を知り、オメガたちの苦境を知った。すぐにでも救いたかった。だが、戦には持ち込みたくなかった」

 騎士は、自国をまもるために剣を振るう。
 サーリーク王国のおこりは、ひとりのアルファが、おのれのオメガをまもるために築いた城塞からだと言われている。神話の時代だ。聖なる牡鹿に導かれた男が、プーリンフェルの花と囚われのオメガを見つけた。

 初代国王がおのれのオメガのために造った城を中心として、サーリーク王国はその領土を広げてゆくこととなる。それは、主に武力によって成し遂げられた。いまも残る国防壁が、周辺諸国との戦争の歴史を物語っている。

 サーリークは豊かな国だ。気候は温暖で、海にも山にも資源は多い。それらを略奪しようと、虎視眈々と侵略の機会を狙っている国は数多かったが、大陸随一ともいわれる騎士団の活躍で、現在は平和が訪れている。
 国土をこれ以上広げる必要もなく、また、奪われることもない。
 クラウスの父や祖父、曾祖父がまもり通してきた平穏な世だ。

 だが、騎士団は牙を研ぎ続けてきた。いざというときに、おのれの国をまもるために。

 今回の『オメガ解放』は、騎士団の力を大陸諸国に知らしめる良い機会であった。
 ドナースマルク伯もそれを期待していた。
 オシュトローク帝国の非道な奴隷制度を白日の下に晒し、それを圧倒的武力で以って制圧する。その旗印になるのがクラウスだ。
 サーリーク王国の第二王子率いる騎士団が、苦境に喘ぐオメガたちを救済する。その功績を以って王位継承に名乗りを上げるのだ、と。

「荒唐無稽な筋書きだ。だが、それを成すだけの力が騎士団にはある。武力でオシュトロークの中枢を制圧することは、やろうと思えば可能だった」
「でも……しなかった」
「戦になれば、弱い者から犠牲になる」

 オシュトロークでの弱者といえば、奴隷だ。そこにはオメガも含まれる。
 騎士たちの剣が、奴隷たちを切らないとは言い切れない。
 大局を見れば、すこしの犠牲なのかもしれない。だが、クラウスはそうしたくはなかった。

 虐げられているオメガたちの中に、恐らく、エミールを生んだ母が居る。騎士団が武力で踏み込めば、オシュトローク側は奴隷やオメガを肉の盾にする。そこにエミールの母も使われるかもしれない。その可能性を無視することはできなかった。

「オメガの村の存在を知ったとき、私は、真っ先にきみの母親のことを考えた。どこかに、泣きながらきみを落としたオメガが居る。だから探した」

 現在エミールは十八歳。そこから逆算して、当時オメガの村で出産を果たしたオメガは誰だったのか。いまはどこに居るのか。
 アダムの人身売買や、オシュトロークの内情を調査する傍ら、クラウスはエミールの母についてもコツコツと情報を集め続けていたという。

 結局、オシュトロークとの交渉は平和裏に終わった。そのようにクラウスが働きかけた。
 クラウスの主張は、新聞にもあったように『サーリーク王国のオメガがオシュトロークによって攫われた』とするもので、自国のオメガの返還を求めたものだった。
 対するオシュトローク帝国は、そんな事実はないと突っぱねたが、サーリークから居なくなった子どもたちの特徴を詳細にわたって記載した資料を見せ、自国の民をまもるためなら騎士団は剣を振るうことを厭わない、と武力を笠に迫ったところ、兵力で劣るオシュトロークは互いの妥協点を擦り合わせる歩みよりを見せた。

 全奴隷、全オメガの解放までには至らなかったが、アダムらによってサーリークからオシュトロークに売られた子どもたち、そして国防壁の向こうへ赤子の入ったカゴを落とすという悲劇の現場になったオメガの村、その二点に於いてはクラウスの意向が通り、サーリーク王国の庇護下に収めることができた。

「エル。きみが……きみが自分のことを、孤児だと言うたびに、私は、きみの劣等感を払ってはやれないかと思っていた」

 劣等感。自覚していたそれを改めてくっきりと言葉にして告げられ、エミールは顔を歪めた。

「誰しも、生まれる場所を選ぶことなどできない。私とて、王族の一員であること、アルファであることは私の手柄ではない。偶然与えられた環境、それだけだ。エル、エミール」

 低くなめらかな声で名を呼ばれた。エミールは真正面から、男の目を見つめた。

「親が居ないことも、捨てられた子であるということも、なにひとつきみを損なうものではない。だが、きみが気にするなら……その憂いを私がどうにかできないかと、思っていた。エミール、きみは愛ゆえに捨てられた。そして真っすぐ健やかに育った。エミール。ユーリや施設の子どもたちに見せるやさしさも、私をクソ王子と罵る短気なところも、喜びや怒りを素直に表す飴色の瞳も、そのやわらかな声も、貴族たちの嫌がらせに耐え、三年間私を支え続けてくれた芯の強さも、私はきみのすべてを愛しく思っている。きみの母上に負けないほど、きみを愛している」

 真摯なクラウスの言葉を聞きながら、エミールは忙しないまばたきをした。
 瞼を閉じるたびに、ぼろり、ぼろりと涙が落ちた。

 すまない、とクラウスがささやいた。王族の男が、平民のエミールに頭を下げた。

「すまない、エル。私はきみの母上を見つけることができなかった。手を尽くしたが、見つけられなかった。すまない。無力な自分が情けなくて嫌になる」

 両のこぶしをマットレスに押し当てて、深々と謝罪するクラウスへと、エミールは泣きながら抱きついた。

「な、なんで、あなたが謝るんですかっ」
「私はきみの憂いを」
「もういいっ! もういいからっ!」

 胸元にクラウスの頭を抱き寄せ、やわらかな金髪に頬を押し付けた。

「バカ……クソ王子」
「む……私はまたなにか、間違えただろうか」

 言葉が足りない、とロンバードに遠慮のない指摘を受けてきたクラウスが、困惑したように籠った声を聞かせる。
 エミールはそれに泣き笑いになって、抱きしめる腕に力を込めた。

「ラス、ありがとう」

 愛ゆえに捨てられた。
 矛盾するセリフがエミールの胸に沁みて、刻まれている。

 愛ゆえに。
 愛されていた。
 自分は、愛されていたのだ。
 その実感がじわじわと這い上がってくるようだった。

「教えてくれて、ありがとう」

 涙声でお礼を言ったら、クラウスの力強い腕が背中に回った。
 胸元から顔を上げた男が、今度は反対にエミールを抱き込んでくる。

「こんな無力なアルファですまない」

 英雄として帰還を果たしたはずの男が、心底おのれの無力を嘆いていた。エミールにはそれが不思議で仕方ない。

「あなたは立派に役目を果たしたでしょう」
「だがきみの母上を」
「だからもうそれはいいってば」
「だが」
「し~つ~こ~い! 元々ないと思ってたものだから、本当にもういいんです」
「エミール……」

 埒もない会話をするうちに、エミールはふと気づいた。
 そういえば新聞にはひと言も、『国防壁の向こうから落とされた赤子』の存在が出ていなかった。
 どの記事にもサーリークのオメガがオシュトロークに売られていた、とは書かれていたが、そのオメガが過去にオシュトローク側から落とされた赤子だったと言及してはいなかったのだ。

 それもきっと、この黒衣の騎士の配慮なのだ、とエミールは悟った。

 自国のオメガが売られたとする方が、クラウスを英雄として担ぎたい貴族たちの思惑や、オシュトロークとの交渉に有利だったという理由もあるだろうけど、たぶん一番は、エミールのことを気遣ったのだろう。
 新聞で暴かれてしまえば当事者であるエミールにも影響が及ぶ。そう考えて、伏せてくれたのだ。

 なんだろうな、このひとは。
 クラウスに抱きしめられ、彼の匂いを嗅ぎながらエミールは考えた。

 このひとはなんだろう。
 なぜこんなにもエミールを大切にしてくれるのだろう。

 クラウス以外の誰が、エミールの母を探したいという理由で隣国にまで乗り込んでくれるだろうか。そして、母が見つからなかったといって落ち込むだろうか。

 こんなひと、他には居ない。
 クラウス以外には、誰も。

しおりを挟む
感想 157

あなたにおすすめの小説

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

運命じゃない人

万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。 理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。 それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。 家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。 そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。 ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。 誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。 「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。 これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。

嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する

SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する ☆11/28完結しました。 ☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます! 冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫 ——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」 元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。 ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。 その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。 ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、 ——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」 噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。 誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。 しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。 サラが未だにロイを愛しているという事実だ。 仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——…… ☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!

処理中です...