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翠の章
第67話「薄明に動く」
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ソレがあったのは、その2日後から3日後にかけての事だった。
野道に分け入っていたルドヴィグ配下150騎は、日が落ちての野営にあたり5騎前後の小隊に分かれ、分散しながら過ごしていた。
各小隊はルドヴィグを中心に展開されており、ルドヴィグの傍近くには彼の右腕たるウォーデンや騎士長のイネスも控えていた。
件の川は日中に越えており、翌日には余裕をもって街道に合流できるかといったところ。
ここまでほとんど山道とも言っていい険しい道程であり、加えて念のために襲撃者への警戒もしつつ、といった状況だったが、それにしても騎士、騎馬ともに疲労は少なく、意気軒高たる様子だった。
これもひとえに、日頃の訓練の賜物だろう。
また、今夜の夜空には満月に近い月が昇り、それを遮る雲さえほとんどない。
そのため、昼日中とは言わないまでも周囲は明るく、余計な光源は全くいらない。
――まともに考えれば、こんな状況でこの一団に挑む襲撃者がでることなどあり得ない、とまで言える状況だ。
だがそこに。
数十人にもなるゴロツキたちが雄たけびと共に襲い掛かってきたのだ。
気配から既に察していた寝ずの番が、鋭く笛を吹く。
時刻は夜明けも近いころ。
油断もなかった騎士らは、仲間の上げた警戒音に素早く反応。小隊ごとに固まり、危なげなく迎え撃った。
恐らく襲撃者と騎士らの数を比べれば、その利は騎士らにあるようだ。だが、激しい剣戟の音からは、ほぼ全方位に襲撃者がいると窺えた。
そんな状況報告を受け、顔を顰めてルドヴィグは言った。
「妙だな」
「はい」
忙しない怒号が飛び交うなか、その中心部で馬に跨ったルドヴィグとウォーデンは静かに言い交す。
――何しろ、彼らからすれば、現状のほとんどが不可解だった。
例えば、月が沈み、日が昇るまでの薄明を狙ったのはひとまず妥当だが、襲撃にあたって雄たけびを上げながら向かってくるなど素人の極みだ。
ただでさえ相手にするのはそこらの一般人などではなく、戦闘に特化した騎士。可能な限り夜陰に乗じて接近し寝首を掻く、というのがまともな策というものだろう。
また、数で劣っているなら一点集中で包囲を抜くのがセオリーだ。
にも拘わらず、襲撃者たちはほぼ全方位に薄く広がっているらしい。これでは万が一にも襲撃者たちに勝ち目はない。
そういった事柄の1つ1つがあまりにも稚拙すぎて、逆に不気味とさえ言えた。
「殿下、どういたしますか」
抑えながらも問いかけたイネスに、しかしルドヴィグは数秒唸って言った。
「…………予定通りだ」
「はっ」
すなわち、戦闘に拘らず、各小隊が程よいところで切り上げ、この場を離脱する、という方針を言っていた。
敵が本当にいるかも定かじゃない時点で共有した方針であり、相手の姿が知れた今となっては殲滅戦に切り替えても問題なく叶いそうな状況ではあった。が、それでも正体不明の敵を相手に長期戦は悪手と判断しての事だ。
戦力分散のリスクはあるが、騎馬の速さを頼みに逃げ切る算段。
更には、ルドヴィグ自らがいつまでもこの場に残っていては騎士たちも離脱できないため、彼は近侍を引き連れいち早く離れる手筈だった。
ちなみに。
これほど柔軟な手を使えるのは、オルシニアに数ある騎士団の中でも、ルドヴィグ直下の騎士たちだけだ。大概は外聞やらプライドを気にして“逃走”などまず選ばないし、選べない。
一方、ルドヴィグ配下の彼らも、もちろん騎士として各人の名誉は重んじているが、何より主の意思を優先する者たちだった。ましてや今は人目もない。
そんな状況で、更には主に望まれることであるのなら、どんな不名誉なことでも平気でやってのけるような人間ばかり。
主が「逃げよ」と命じるのであれば、そして、その主の傍に彼らが信を寄せる騎士長がいるのであれば、あとは騎士ら各人の勤めを果たすのみだった。
そんなこんな、真っ先にこの場を離れるルドヴィグに付き従うにあたり、その騎士長イネスが副官へ言った。
「レント、指揮権をお前に預ける。くれぐれも殿下の御下命を忘れるな」
「は。お任せください。隊長は殿下を」
「ああ」
端的に言い交わし、イネスはルドヴィグを振り返る。
「では」
「ああ。行こう」
そうしてルドヴィグ以下、8騎がまずその場を離れた。
向かうは、一早く退路を確保できた南東側。そのまま下ればアレイア街道に合流できるはずだった。
彼ら8騎は、まだ夜も明けきらず、足元も整わないなか、巧みに馬を駆っていた。速度は常歩(なみあし)から速歩(はやあし)程度。焦る必要などなく、彼らは着実に距離を開けた。
そうしながらも、ルドヴィグは追随するウォーデンへ向けて不審げに言う。
「……どうにもこの襲撃、街道の橋を落としてまで整えたにしては片手落ちだな」
「はい。……何らかの事情、あるいは意図があるのかと」
ウォーデンの返しに、ルドヴィグもまた頷く。
「――例えば、この先に更に一隊がいる、とかか?」
「ええ。……しかし、それほどの人員を一朝一夕に、しかも秘密裏に集められるとは思えません。……仮にそんなことがありうるならば、周辺領主の裏切りも疑われる事態です」
幾分声を抑えたウォーデンの言葉だったが、ルドヴィグも考えは同じだった。
「…………少なくとも、そんな兆候はないはずだったが、な」
彼が独自に敷いた情報網を思い返しての言葉だった。中々に優秀な働きを見せるその部下たちからは、そんな話を聞いていない。
そうしたなか、先導していた騎士が短い合図と共に腕を上げた。停止を促す動作だ。
「殿下、ここを下ります」
「ああ。――ッ!」
全員が止まったのち、新たに示された進行方向。
だが、ルドヴィグはそちらへ視線を向けたその瞬間、息を呑み、緊張した。
彼の、魔力に敏感な視覚が何か異変を捉えたのだ。
何事かと他の騎士らも同じ方向へ目を凝らす中、特に視力に優れたイネスが真っ先にその大きな影を正確に捉える。
――それは、とにかく大きい影だった。
姿はずんぐりと、そして黒々とし、体長は3mを超えているようだ。図太い四つ足を突き、炯々と赤く光る眼光が、薄明の中でこちらをはっきり見つめてくる。
「……あれはッ」
イネスの口から呻くように出た言葉に、ルドヴィグは言った。
「魔物、だろうな。しかもかなりの魔力量だ。……チッ! こんなときにっ」
らしくなくルドヴィグが吐き捨てたその瞬間。
――ヴォォオッ!
魔物が吠えた。
まだ彼我は十数メートルの距離があったが、その重低音の唸りは腹に響くような迫力がある。
「殿下、お下がりに――っ!」
咄嗟に放たれたイネスの言葉は、しかし、馬の方が魔物の威嚇音に恐慌をきたしたことで遮られた。
「うわ!」「クソ!」
周囲でも数騎が動揺を見せ、訓練された騎馬が抑えがたい怯えを見せる。
首を振るモノ、跳ねようとするモノ、中には手綱を無視して逃げようとするモノ。
一方、それを操る人間もまた操作に意識を取られながら、魔物から放たれ続ける低い威嚇音にジワジワと平常心をなくしていく。
その状況はルドヴィグもまた同じだった。
仮にも王族が騎乗する騎馬はさすが肝が据わっていたが、それでも足を細かに踏みかえ平時通りとは言い難い。
ましてや、このまま魔物に少しでも動きがあれば、現状の緊張状態はあっというまに最悪の形で切れるだろう。
その前に、魔物から一旦距離を取るべきだとルドヴィグは判断した。
――もちろん、その選択が最大の悪手とも知らずに。
対する魔物は、斜面の下方からじっとりとした視線を彼らに向け続けている。遭遇した相手が己の獲物たるかどうか、見定めようとしているのだ。
その気配を感じつつ、ルドヴィグは努めて平静を意識して言った。
「……総員、あの魔物から距離を取る。決して慌てるな。騎馬の動揺が酷い者から下がってよい」
「……聴いたな。別の道を探せ。トラス、先導しろ」
「は!」
イネスからの指示に、悔し気に顔を歪めながら4騎がすみやかに馬首を返して引き下がる。続いて、イネスやウォーデン、残りの騎士がルドヴィグを下がらせようと心なしか前に出た。
「殿は我らです。殿下もお下がりを」
ウォーデンがそう言った、その、一瞬の隙の事だった。
「ああ、むろん――ッ!」
再び、異変を察知したルドヴィグが息を呑んだ。
――それは、ドドッ!という地響き。
本能的にルドヴィグが魔物へと視線をやれば、そこに映ったのは斜面を猛然と駆け登る大きな影。
腹に響くような地響きを伴い、巨体が瞬く間に迫りくるッ。
その事実を遅れて理解した瞬間、彼は馬の手綱を反射で引いた。魔物に背を向け逃げに徹する。
イネスやウォーデン、そしてもう1騎も同時だ。
もはや彼らの間で言葉が交わされる暇もない。
魔物の体高は馬よりも多少低く、四つ足も短かったが、そのぶん上り坂でも悪路でも、その走行は安定感が違う。
更には、地響きを立てて走る分厚い巨体は、その存在感からして脅威だった。
体毛も真っ黒なその魔物は、完全にルドヴィグら8騎を獲物と定めたらしく、ものすごい速度で追ってくる。
その速さは明らかに魔物が上。
それを補うため、ルドヴィグらは木立の間を縫うように駆け、魔物に直線で加速させないよう、辛うじて彼我の距離を保つ状況。
既に日も昇り、視界は徐々に確保されているが、いつこの均衡が崩れるかわからなかった。
そうして、10分強といったところか。もはやどこを走っているのかわからず、周囲の木立の密度が上がってきた頃。
「「「!!」」」
「チっ!」
「殿下!」
彼らは突如立ちふさがった露頭に阻まれ、手綱を引かざるを得なくなった。
うまい具合に木立に紛れ、その土壁を目前にするまで気づけなかったのだ。
急な停止命令に騎馬が不満を訴え、8頭もの嘶きが早朝の山間に響き渡る。
真後ろに魔物が迫っているのは地響きからして窺えた。
だが前方には土の壁。素早く視線を走らせ、左右へ活路を探すも圧倒的に遅い。
――遂に、背後の地響きが途切れたのだ。
途端に静寂の支配した空間に、馬首を返したイネスが剣を抜いて呟いた。
「……斯くなる上は」
スラリ、スラリと他の者も剣を抜く。
足が止まった時点で、もはやこれ以上の逃走は叶わない。何しろ、速度では既に負けているのだ。これまでなんとか保っていた彼我の距離も既にゼロと言っていい。
ならば、あとはもう闘争を選ぶしかない。
相変わらず彼らの騎馬は怯えているが、それを無理やり抑えつけ、彼らは主を守るため、反転、闘志を漲らせた。
「ハア、まったく。…………だが、切り抜けるぞ」
「「「はッ!」」」
まるで仕組まれたような不運続きにルドヴィグは嘆息するも、彼もまた眼差しを引き締め、剣を抜いた。同時に、魔法を放つ準備もする。
ちなみに、ルドヴィグの魔力の属性は“火”だ。そしてこの属性の人間は空気――より正確に言えば酸素を操り魔法を放つ。また、その派生として、ルドヴィグは気体を操り風を喚び起こすことも可能だった。
しかし乱発はできない。上手くいけば十分に魔物へダメージを与えられるが、不定形なモノを扱う性質上、自らも巻き込まれる可能性が高いのだ。
その繊細な制御を叶えるため、ルドヴィグは自身の力に意識の大半を傾ける。
一方、執拗に彼らを追ってきた魔物は、様子の変わった獲物たちに対し、一瞬の躊躇があったようだ。
だが、それもほんの瞬き程度。
やがて魔物は至極のっそりと一歩を踏み出した。
今度は威嚇の声もなく、その歩みはひたすら鈍重。
ルドヴィグらを警戒しているのか、はたまた、最後に獲物を甚振っているつもりなのか――。
しかし、実のところ、そんなことを感じさせたのは最初のみ。
一瞬後、魔物は全身の筋肉を緊張させ、次いで目にもとまらぬ速さで走り出した。
その速度には魔力も関係しているのか、巨体に似合わぬ瞬発力だ。ましてや、大きな口内には鋭い牙、その四肢には鋭利な爪。それを十全に振るう顎と四つ足の分厚い筋肉。
まともに人間がぶつかれば、為す術なく吹っ飛ばされ、八つ裂きにされるだろう。それがありありと伝わってくる威容。
対して、そんな敵に立ち向かう人間たちは、タイミングを図るルドヴィグを守ろうと咄嗟に周囲を固めていた。
白目を剝きかけている馬を無理やり動かし、せめて肉の壁になろうとその身を滑り込ませる。
そうして魔物が後ろ足で立ち上がり、最も前方にいた騎士に覆いかぶさろうとした――。
そこに。
――ヴォオウッッ!!
もう一体の黒い影が、魔物の首元へと飛びかかってきた。
野道に分け入っていたルドヴィグ配下150騎は、日が落ちての野営にあたり5騎前後の小隊に分かれ、分散しながら過ごしていた。
各小隊はルドヴィグを中心に展開されており、ルドヴィグの傍近くには彼の右腕たるウォーデンや騎士長のイネスも控えていた。
件の川は日中に越えており、翌日には余裕をもって街道に合流できるかといったところ。
ここまでほとんど山道とも言っていい険しい道程であり、加えて念のために襲撃者への警戒もしつつ、といった状況だったが、それにしても騎士、騎馬ともに疲労は少なく、意気軒高たる様子だった。
これもひとえに、日頃の訓練の賜物だろう。
また、今夜の夜空には満月に近い月が昇り、それを遮る雲さえほとんどない。
そのため、昼日中とは言わないまでも周囲は明るく、余計な光源は全くいらない。
――まともに考えれば、こんな状況でこの一団に挑む襲撃者がでることなどあり得ない、とまで言える状況だ。
だがそこに。
数十人にもなるゴロツキたちが雄たけびと共に襲い掛かってきたのだ。
気配から既に察していた寝ずの番が、鋭く笛を吹く。
時刻は夜明けも近いころ。
油断もなかった騎士らは、仲間の上げた警戒音に素早く反応。小隊ごとに固まり、危なげなく迎え撃った。
恐らく襲撃者と騎士らの数を比べれば、その利は騎士らにあるようだ。だが、激しい剣戟の音からは、ほぼ全方位に襲撃者がいると窺えた。
そんな状況報告を受け、顔を顰めてルドヴィグは言った。
「妙だな」
「はい」
忙しない怒号が飛び交うなか、その中心部で馬に跨ったルドヴィグとウォーデンは静かに言い交す。
――何しろ、彼らからすれば、現状のほとんどが不可解だった。
例えば、月が沈み、日が昇るまでの薄明を狙ったのはひとまず妥当だが、襲撃にあたって雄たけびを上げながら向かってくるなど素人の極みだ。
ただでさえ相手にするのはそこらの一般人などではなく、戦闘に特化した騎士。可能な限り夜陰に乗じて接近し寝首を掻く、というのがまともな策というものだろう。
また、数で劣っているなら一点集中で包囲を抜くのがセオリーだ。
にも拘わらず、襲撃者たちはほぼ全方位に薄く広がっているらしい。これでは万が一にも襲撃者たちに勝ち目はない。
そういった事柄の1つ1つがあまりにも稚拙すぎて、逆に不気味とさえ言えた。
「殿下、どういたしますか」
抑えながらも問いかけたイネスに、しかしルドヴィグは数秒唸って言った。
「…………予定通りだ」
「はっ」
すなわち、戦闘に拘らず、各小隊が程よいところで切り上げ、この場を離脱する、という方針を言っていた。
敵が本当にいるかも定かじゃない時点で共有した方針であり、相手の姿が知れた今となっては殲滅戦に切り替えても問題なく叶いそうな状況ではあった。が、それでも正体不明の敵を相手に長期戦は悪手と判断しての事だ。
戦力分散のリスクはあるが、騎馬の速さを頼みに逃げ切る算段。
更には、ルドヴィグ自らがいつまでもこの場に残っていては騎士たちも離脱できないため、彼は近侍を引き連れいち早く離れる手筈だった。
ちなみに。
これほど柔軟な手を使えるのは、オルシニアに数ある騎士団の中でも、ルドヴィグ直下の騎士たちだけだ。大概は外聞やらプライドを気にして“逃走”などまず選ばないし、選べない。
一方、ルドヴィグ配下の彼らも、もちろん騎士として各人の名誉は重んじているが、何より主の意思を優先する者たちだった。ましてや今は人目もない。
そんな状況で、更には主に望まれることであるのなら、どんな不名誉なことでも平気でやってのけるような人間ばかり。
主が「逃げよ」と命じるのであれば、そして、その主の傍に彼らが信を寄せる騎士長がいるのであれば、あとは騎士ら各人の勤めを果たすのみだった。
そんなこんな、真っ先にこの場を離れるルドヴィグに付き従うにあたり、その騎士長イネスが副官へ言った。
「レント、指揮権をお前に預ける。くれぐれも殿下の御下命を忘れるな」
「は。お任せください。隊長は殿下を」
「ああ」
端的に言い交わし、イネスはルドヴィグを振り返る。
「では」
「ああ。行こう」
そうしてルドヴィグ以下、8騎がまずその場を離れた。
向かうは、一早く退路を確保できた南東側。そのまま下ればアレイア街道に合流できるはずだった。
彼ら8騎は、まだ夜も明けきらず、足元も整わないなか、巧みに馬を駆っていた。速度は常歩(なみあし)から速歩(はやあし)程度。焦る必要などなく、彼らは着実に距離を開けた。
そうしながらも、ルドヴィグは追随するウォーデンへ向けて不審げに言う。
「……どうにもこの襲撃、街道の橋を落としてまで整えたにしては片手落ちだな」
「はい。……何らかの事情、あるいは意図があるのかと」
ウォーデンの返しに、ルドヴィグもまた頷く。
「――例えば、この先に更に一隊がいる、とかか?」
「ええ。……しかし、それほどの人員を一朝一夕に、しかも秘密裏に集められるとは思えません。……仮にそんなことがありうるならば、周辺領主の裏切りも疑われる事態です」
幾分声を抑えたウォーデンの言葉だったが、ルドヴィグも考えは同じだった。
「…………少なくとも、そんな兆候はないはずだったが、な」
彼が独自に敷いた情報網を思い返しての言葉だった。中々に優秀な働きを見せるその部下たちからは、そんな話を聞いていない。
そうしたなか、先導していた騎士が短い合図と共に腕を上げた。停止を促す動作だ。
「殿下、ここを下ります」
「ああ。――ッ!」
全員が止まったのち、新たに示された進行方向。
だが、ルドヴィグはそちらへ視線を向けたその瞬間、息を呑み、緊張した。
彼の、魔力に敏感な視覚が何か異変を捉えたのだ。
何事かと他の騎士らも同じ方向へ目を凝らす中、特に視力に優れたイネスが真っ先にその大きな影を正確に捉える。
――それは、とにかく大きい影だった。
姿はずんぐりと、そして黒々とし、体長は3mを超えているようだ。図太い四つ足を突き、炯々と赤く光る眼光が、薄明の中でこちらをはっきり見つめてくる。
「……あれはッ」
イネスの口から呻くように出た言葉に、ルドヴィグは言った。
「魔物、だろうな。しかもかなりの魔力量だ。……チッ! こんなときにっ」
らしくなくルドヴィグが吐き捨てたその瞬間。
――ヴォォオッ!
魔物が吠えた。
まだ彼我は十数メートルの距離があったが、その重低音の唸りは腹に響くような迫力がある。
「殿下、お下がりに――っ!」
咄嗟に放たれたイネスの言葉は、しかし、馬の方が魔物の威嚇音に恐慌をきたしたことで遮られた。
「うわ!」「クソ!」
周囲でも数騎が動揺を見せ、訓練された騎馬が抑えがたい怯えを見せる。
首を振るモノ、跳ねようとするモノ、中には手綱を無視して逃げようとするモノ。
一方、それを操る人間もまた操作に意識を取られながら、魔物から放たれ続ける低い威嚇音にジワジワと平常心をなくしていく。
その状況はルドヴィグもまた同じだった。
仮にも王族が騎乗する騎馬はさすが肝が据わっていたが、それでも足を細かに踏みかえ平時通りとは言い難い。
ましてや、このまま魔物に少しでも動きがあれば、現状の緊張状態はあっというまに最悪の形で切れるだろう。
その前に、魔物から一旦距離を取るべきだとルドヴィグは判断した。
――もちろん、その選択が最大の悪手とも知らずに。
対する魔物は、斜面の下方からじっとりとした視線を彼らに向け続けている。遭遇した相手が己の獲物たるかどうか、見定めようとしているのだ。
その気配を感じつつ、ルドヴィグは努めて平静を意識して言った。
「……総員、あの魔物から距離を取る。決して慌てるな。騎馬の動揺が酷い者から下がってよい」
「……聴いたな。別の道を探せ。トラス、先導しろ」
「は!」
イネスからの指示に、悔し気に顔を歪めながら4騎がすみやかに馬首を返して引き下がる。続いて、イネスやウォーデン、残りの騎士がルドヴィグを下がらせようと心なしか前に出た。
「殿は我らです。殿下もお下がりを」
ウォーデンがそう言った、その、一瞬の隙の事だった。
「ああ、むろん――ッ!」
再び、異変を察知したルドヴィグが息を呑んだ。
――それは、ドドッ!という地響き。
本能的にルドヴィグが魔物へと視線をやれば、そこに映ったのは斜面を猛然と駆け登る大きな影。
腹に響くような地響きを伴い、巨体が瞬く間に迫りくるッ。
その事実を遅れて理解した瞬間、彼は馬の手綱を反射で引いた。魔物に背を向け逃げに徹する。
イネスやウォーデン、そしてもう1騎も同時だ。
もはや彼らの間で言葉が交わされる暇もない。
魔物の体高は馬よりも多少低く、四つ足も短かったが、そのぶん上り坂でも悪路でも、その走行は安定感が違う。
更には、地響きを立てて走る分厚い巨体は、その存在感からして脅威だった。
体毛も真っ黒なその魔物は、完全にルドヴィグら8騎を獲物と定めたらしく、ものすごい速度で追ってくる。
その速さは明らかに魔物が上。
それを補うため、ルドヴィグらは木立の間を縫うように駆け、魔物に直線で加速させないよう、辛うじて彼我の距離を保つ状況。
既に日も昇り、視界は徐々に確保されているが、いつこの均衡が崩れるかわからなかった。
そうして、10分強といったところか。もはやどこを走っているのかわからず、周囲の木立の密度が上がってきた頃。
「「「!!」」」
「チっ!」
「殿下!」
彼らは突如立ちふさがった露頭に阻まれ、手綱を引かざるを得なくなった。
うまい具合に木立に紛れ、その土壁を目前にするまで気づけなかったのだ。
急な停止命令に騎馬が不満を訴え、8頭もの嘶きが早朝の山間に響き渡る。
真後ろに魔物が迫っているのは地響きからして窺えた。
だが前方には土の壁。素早く視線を走らせ、左右へ活路を探すも圧倒的に遅い。
――遂に、背後の地響きが途切れたのだ。
途端に静寂の支配した空間に、馬首を返したイネスが剣を抜いて呟いた。
「……斯くなる上は」
スラリ、スラリと他の者も剣を抜く。
足が止まった時点で、もはやこれ以上の逃走は叶わない。何しろ、速度では既に負けているのだ。これまでなんとか保っていた彼我の距離も既にゼロと言っていい。
ならば、あとはもう闘争を選ぶしかない。
相変わらず彼らの騎馬は怯えているが、それを無理やり抑えつけ、彼らは主を守るため、反転、闘志を漲らせた。
「ハア、まったく。…………だが、切り抜けるぞ」
「「「はッ!」」」
まるで仕組まれたような不運続きにルドヴィグは嘆息するも、彼もまた眼差しを引き締め、剣を抜いた。同時に、魔法を放つ準備もする。
ちなみに、ルドヴィグの魔力の属性は“火”だ。そしてこの属性の人間は空気――より正確に言えば酸素を操り魔法を放つ。また、その派生として、ルドヴィグは気体を操り風を喚び起こすことも可能だった。
しかし乱発はできない。上手くいけば十分に魔物へダメージを与えられるが、不定形なモノを扱う性質上、自らも巻き込まれる可能性が高いのだ。
その繊細な制御を叶えるため、ルドヴィグは自身の力に意識の大半を傾ける。
一方、執拗に彼らを追ってきた魔物は、様子の変わった獲物たちに対し、一瞬の躊躇があったようだ。
だが、それもほんの瞬き程度。
やがて魔物は至極のっそりと一歩を踏み出した。
今度は威嚇の声もなく、その歩みはひたすら鈍重。
ルドヴィグらを警戒しているのか、はたまた、最後に獲物を甚振っているつもりなのか――。
しかし、実のところ、そんなことを感じさせたのは最初のみ。
一瞬後、魔物は全身の筋肉を緊張させ、次いで目にもとまらぬ速さで走り出した。
その速度には魔力も関係しているのか、巨体に似合わぬ瞬発力だ。ましてや、大きな口内には鋭い牙、その四肢には鋭利な爪。それを十全に振るう顎と四つ足の分厚い筋肉。
まともに人間がぶつかれば、為す術なく吹っ飛ばされ、八つ裂きにされるだろう。それがありありと伝わってくる威容。
対して、そんな敵に立ち向かう人間たちは、タイミングを図るルドヴィグを守ろうと咄嗟に周囲を固めていた。
白目を剝きかけている馬を無理やり動かし、せめて肉の壁になろうとその身を滑り込ませる。
そうして魔物が後ろ足で立ち上がり、最も前方にいた騎士に覆いかぶさろうとした――。
そこに。
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異世界で早速遭遇したゴブリンを一撃で倒し、チート能力を実感した健一は、くたびれた人生を捨て、最強のセカンドライフを謳歌することを決意する。
定年間際のおじさんが、女神の気まぐれチートで異世界最強への道を歩み始める、転生ファンタジーの開幕。
異世界でぼっち生活をしてたら幼女×2を拾ったので養うことにした【改稿版】
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自身のクラスが勇者召喚として呼ばれたのに乗り遅れてお亡くなりになってしまった主人公。
その瞬間を偶然にも神が見ていたことでほぼ不老不死に近い能力を貰い異世界へ!
約2万年の時を、ぼっちで過ごしていたある日、いつも通り森を闊歩していると2人の子供(幼女)に遭遇し、そこから主人公の物語が始まって行く……。
―――
当作品は過去作品の改稿版です。情景描写等を厚くしております。
なお、投稿規約に基づき既存作品に関しては非公開としておりますためご理解のほどよろしくお願いいたします。
セーブポイント転生 ~寿命が無い石なので千年修行したらレベル上限突破してしまった~
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枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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