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翠の章
第83話「衝撃」
しおりを挟む「よし!やるぞ!」
引き続き、バリオット宮のとある一室。
その床に座り込んだ少女は、抑えながらも景気づけに声を出す。
時刻は夜。未だ月も沈まない明るい闇夜。
そして、少女が真剣な表情で手にしているのは、数枚のシーツを縛ってつなげた白いロープ、のようなもの。
シーツは室内の寝台からむしり取ったのは明らかで、厚みのある掛布以外は全て縛ってつなげたようだ。
ちなみに、少女はここ最近冷え込んできたのを口実に、シーツの追加を何度も要求、計6枚も調達したという経緯があったりする。
よくもまあ、それだけ大胆なことを、といったところだが、その本人は今、世にも情けない表情で呟いていた。
「……うー。ホントにこれで大丈夫なのかなぁ」
そうしながらも、少女は最後のシーツどうしを可能な限り硬く結び、その調子を確かめるようにピンと張る。
彼女的には強度充分と感じる手ごたえ。
長さもこれで十分足りるだろう……たぶん。
そうして少女は、空中を見上げ言った。
「――でも、ここから出なくちゃいけないのは確実、だもんね。やるしか、ないよね!」
相変わらず、少女は小声で自分を鼓舞し続ける。その様子には悲壮感もありながら、しかし微妙に、高揚感もありそうだった。
実際、少女の感覚としては、ありがちなスパイ映画に入り込んだような、ある意味で現実感が乏しいような、なんとも危うい気分でその作業を行っている。
何しろ、彼女がこれからやろうとしているのは、地上10 m以上はあるだろう3階テラスからの脱出だ。
そして彼女の計画?では、手にしたシーツのロープを、テラスの手すりに縛り付け、シーツを伝って地上に降りる、という至ってシンプルな流れが思い描かれている。
率直に言って、映画の展開としては使い古されているうえ、地味と言わざるを得ないだろう。……ムササビのようにシーツで滑空しての脱出、などよりは現実感があるものの。
だが一応、少女がこの部屋に閉じ込められて以降、頭をひねりにひねって考えた方法ではあった。現に、策を弄してシーツも調達し、遂に今日、実行しようと準備しているわけなのだ。
そうこうするうち、少女は手にしたロープをズルズルと引きずり、テラスの外へと踏み出していく。ちなみに、手にしているのは用意したロープだけでなく、この世界では異様に映る肩掛けのカバン――女子高校生がよく持っている、あの紺色の通学バック――だ。
中身が詰まった重そうなそれを片手に提げ、少女は重い両開きの扉を肩で押す。
まさか、こんな方法での脱出は彼女を閉じ込めた側も想定外であり、テラスへの出入りが自由だったことを少女は感謝するべきだろう。ついでに、ぞんざいな開け方をされながら、扉が比較的きしまず、静かに開いたことも、誰ぞに感謝しておくべきだ。
そうして肌寒い外気に晒された少女は、身に纏う制服に心もとなさそうな視線を向ける。さしずめ、「上着でもあったらよかったな」といったところか。
彼女はタッタカとローファーを鳴らしながら手すりに近づき、カバンを脇に置いたのち、ロープの端をテラスの外に放りだす。危うく、もう片方を落としかけながらそれを手すりの柱に結び付け。長い髪を耳にかけ直した少女は軽く息を吐く。
もはや彼女の心中に不安感はほとんどないらしい。むしろ、これから始める試みに、ワクワクと胸躍る方が大きいよう。
シーツはギリギリ地上に達しなかったが、残りは飛び降りられると判断し、少女は思い切りよく、まずはカバンを下へ放り出す。
ドサリと、思いのほか大きな音が鳴り、その瞬間は反射で首をすくめたが、しばらく待っても異変はなし。
「よかった。気づかれてない」と呟きつつ、少女は遂に、柵の外へと身を乗り出した。
さすがにその瞬間は、地上までの高さに多少怯えたものの持ち直し、努めて下を見ないよう、少女は石材に結び付けたシーツに手をかける。
「……こんなことをやるために、制服の下をスラックスにしたんじゃないんだけどなぁ」
そんなことをぼやいた少女は――。
――しかし。
ようやく自身の計画の甘さを痛感し、動きを止める。
何しろ、彼女が用意していたシーツには、足掛かりとなる結び目など一切ない。つまり彼女は、その両腕のみで全体重を支え、地上まで降りなければならないのだ。付け加えれば、2階にもテラスはあるが、その間、足掛かりになるようなものは何もない。
至って普通の女子高生である少女には、到底無理な話だろう。最後まで耐えられるとは思えない。
では、今から結び目を作ればいいかと言えば――そうでもない。今度は長さが足りなくなるのは明白だ。恐らく長さは半分以下になる。
ならば、脱出は中止、更なるシーツを調達するべく日を変えるべき――と思えども。
そこで彼女は、痛恨のミスに思い至る。
――そう。
大事なカバンを、彼女は既に地上へ落としてしまった後なのだ。
まさに、後悔先に立たず。
さあ、どうしよう。
「っ!……やるしか、ない!そうでしょ、麗奈!」
…………。
まことに無謀なことながら、少女は計画続行を選んだらしい。
先程より細かく震える腕で、懸命にシーツを握り締め、彼女はなんとか一本の命綱に身を任せる。
そうして。
再度彼女が痛感するのは、シーツで作ったロープの頼りなさだ。フラフラと揺れる身体もさることながら、どこか結び目が緩んでいればそれだけで、彼女は地上へ真っ逆さま。
それをアリアリと想像できてしまい、少女は懸命に頭を振って否定する。
そんな微細な動きでも左右に揺れる身体に慌てつつ、少女はなんとか地上を目指す。
――しかし、早晩もたなくなるのは明らかだ。
既に腕は緊張以外の理由で震えており、寒さも相まって今にもシーツを離しそう。だが、地上との距離は一向に縮まる気配はない。
何しろ、ほとんど少女が動けていないのだから当然だ。なんとか3階テラスの下に頭が来る程度には動けたものの、それ以上は落ちる恐怖と極度の疲労で腕が動かず、身体を引き寄せた姿勢を保つのだけで精一杯。
やがてはガクガクと腕が震えはじめ、握力も急速に失われていく。
降りることも、元の位置に戻ることもできず、少女は静かに絶望していた。
先ほどまでの高揚感など既に欠片も残っていない。せめて、少しの足掻きと震える腕になけなしの力を籠め続ける。
もちろん、数秒ともつはずもなく、とうとう少女の身体はロープの上を滑り始め、その摩擦熱にたまらず手を放してしまえば、もはや為す術はない。
少女の身体は空中に放り出され、あとはただ、10 mちょっとを落下する。それしかない。
――だが2点だけ、少女が褒められるべきことがあった。
それは、悲鳴を一切上げなかったことだ。
そして、頭を守るために身体を丸められたこと。
数秒後には高い確率で死にゆくとはいえ、最後まで生存をあきらめない、彼女のせめてもの悪あがきだった。
そして、その悪あがきは――。
ものすごい奇跡のもと、彼女の命を繋げることになる。
――ドサリと衝撃を受ける身体。
しかし、その感触は硬い地面に打ち付けられるようなものではなく。
反動のある、頼りなくもしっかりとした2本の腕に、受け止められたモノだった。
「?!?!」
ここでも奇跡的に声を出さなかった少女は、次いで目を開け、自分を抱える存在をその瞳に映す。
「シー」
腕が塞がれているために表情しか使えなかったが、彼女を抱える黒髪黒目の人物が、顔を顰めながらも歯の間から息を漏らす。
その鋭い視線も相まって、意味するところは明白だ。すなわち「黙っていろ」とのメッセージに、少女は混乱しながらもしきりに頷くことで反応する。
そうして、ゆっくり少女の身体を足から下ろしたその存在は、押し殺した声音で一言。
「――ナニやってんだ、このアホ」
「!!」
初対面で罵られながらも、辛うじて反論を抑えた自分を、少女――麗奈は後に自画自賛したものだった。
==========================================================================
それは、第1城壁内部に黒衣の男――宵闇が侵入してより、3回目の夜のこと。
彼にとっては、最後のチャンスとなる夜だった。
何しろ、明日はレイナを含む3台の馬車が王都を出る日だ。そのタイミングに合わせ、彼もまた王都を出ようと思っていたのだ。もちろん、方法は侵入時と同じく、レイナの操縦する馬車に紛れ込んでの脱出。
実のところ、今世の自分という存在にある程度慣れてきた宵闇は、今では実体を形成しないまま、暗闇に紛れ込むことが可能なのだ。要は、同化と同じようなものだ。違いは、対象が生物か、無機物かというだけ。
ただ、今までは“己”への固定観念から、彼的には考えもしないことだったのだが、とあることをキッカケにその“こだわり”も彼の中で崩れつつあり――。そうして、初めて可能になった方法であったりする。
幌が暗幕のため、馬車の荷台にはいくらでも潜める暗がりがある。万が一、検問されたとしても、そうして身を隠せば問題ない。
ただ、1つ懸念となるのは同化する瞬間だ。
実体を崩す関係上、魔力が漏れ出てしまうのだ。
その瞬間を感知され、レイナに気づかれたのは記憶に新しい。
とはいえ、今度はそのレイナの承諾の元 (もちろん、例によって交渉を挟んだものの)、大手を振って馬車に潜り込めるため、その点の心配を宵闇はしていない。
一方。
問題なのは、それだけ手を尽くして第1城壁内に侵入したにも関わらず、大して収穫がないことだった。
レイナがオルシニア王都中心部に出入りし、ましてやグスターヴとつながりがある、という情報自体が大きな収穫と言えばそうだが、しかしそれ以上の情報がない。
レイナとの“おしゃべり”で多少の推測は立ったものの、欲を言えばそれを裏付けるような別視点での情報が欲しいところ。
しかし、闇雲に探ろうと、たった3日程度で核心を突く情報を得られるはずもなし。宵闇は「そりゃそうだよな」と半ば諦めつつ、今夜もグスターヴの寝起きする宮――バリオット宮に張り込んでいた、という次第。
宮の近場に潜み、彼が待ち望むのは、月が沈んで闇夜が深まる夜半過ぎ。そうして暗闇が深まったところで動き出し、実体を崩して屋敷内に侵入。
それを繰り返すこと二晩。
既に要所の目星はついており、細かな収穫も多少はありつつ、最後のチャンスとなる今夜――恐らくは、グスターヴの執務室と思われる場所へ、遂に忍び込もうと算段していたところ。
――しかし、そんな彼は。
目撃してしまったのだ。
尖塔も備えた豪奢な3階建てのバリオット宮、その最上階の一室から、ただならぬ気配を発した少女が歩み出てくるところを。
更には、強烈な違和感とも既視感ともつかない衝撃の事実――要は、どうみてもその少女が女子高生としか見えない制服を纏っていたこと――を確信するに至り、彼は声を出さずに呻くしかない。
ちなみに、遠目にも彼女が身に着けているのはスカートではなくスラックスとわかる。
――そういや、俺が死んだ頃、一部の高校じゃ選択できるようになったって聞いたなー。
現実逃避気味に、そんなプチ情報を思い返していた宵闇は。
しかし、テラスへ出てきたその少女が次から次へと行う“奇行”に対し、今度は口元を引き攣らせざるを得なくなる。
第一、未だ月明りもあるのに、あまりにも大胆すぎるその行動。
足掛かりもなく、明らかに長さが足りないシーツ製のロープ。にもかかわらず、ぞんざいに放り投げられる重そうな通学バック。
無関係な宵闇でさえ危うくなりかねないその大胆不敵な行動に、咄嗟に彼は周囲を見回し、他に気づいている者がいないことを確かめる。
かなり慎重に周囲を探り、まさに天文学的な確率でバレていないようだと、胸をなでおろしたが、次の瞬間――。
彼は、視線を戻して硬直した。
何しろ、少女の身体が既に空中にあったからだ。
彼が見た瞬間には、既に彼女の両腕はシーツから離れ、背中を下にした体勢で落ち行くところ。
もうソレは、反射以外の何物でもなかった。
もはや、他人に見つかるかどうかなど、二の次、三の次。
宵闇は潜んでいた茂みを瞬時に飛び出し、予測される落下点へと最速で滑り込む。
幸い、数秒の余裕をつくることに成功し、体勢を整えた瞬間――。
ドサリ、と、決して口に出してはいけない類の衝撃を受けつつ、宵闇は何とか堪えきる。
うまく受け止められたと自画自賛しながら、黙っているようジェスチャーし、その受け止めた荷物――もとい女子高生を地面に下ろす。
しかし、そうしながらも。
宵闇は、これだけは口から出さずにいられなかった。
「――ナニやってんだ、このアホ」
「!!」
何事か言いかけながらも口を抑えた少女に対し。
それだけは褒めてやってもいいかな、と、宵闇は嘆息と共に考えた。
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