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二 通小町

六道の辻(二)

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 俺は寺に向かう地下鉄の中で、とりあえずさっきのコピーを水本に見せた。
 水本は一通りさらっと読むと、ちょっと首を傾げた。

「この深草少将ってのが、深草陸海の前世ってことなのか?だから、コマチにストーカーしてんのか、あいつは!?」

 いや別にストーカーってほどのことはまだ無いんだけど。

「わかんない。彼が生まれ変わりなのか、彼に少将の幽霊が取り憑いているのかは、はっきりわかんないけど......」

 少なくとも今の状態が俺にも深草くんにも良くない、ということだけは何となく分かった。

「でもさぁ......」

 水本がコピーをパラパラ捲りながら言った。

「百夜連チャンで通ってこい、とか言われたら、その時点でこいつはその気無いな、ってわかんないのかな。まあその時じゃなくても途中で気が付いてリタイアするよな、普通」

「それな!」

 俺は大きく頷いた。

「なんか裏あるよな。誰かと賭けして、引くに引けなくなったとか」

「源氏物語にそういう話あったよな。雨夜の品定めとか...」
 
 水本、お前、ちゃんと勉強してるのね。偉いな。




「違うよ。そういう話だったら、さすがにダメなの分かったら、さっさと諦めるよ」

 傍らから誰かがいきなり話に割り込んできた。ふっと横を見ると、知らない三十代くらいの男の人がこちらを見ていた。品の良い紳士っぽい人だが、なんだか顔色が悪い。

「彼はきっと真剣に恋をしてしまったんだよ。どうにもならないほど、相手が好きになることもある......君だって分かるだろう?
 どれほど離れても、どんなに阻まれても、会いたい。会って互いに心を確かめ合いたい、と心の底から人を恋い、求める気持ちは、男も女も変わらないものだよ」

 紳士は俺ではなく、水本をじっと見つめて言った。


 どれくらい時間が過ぎたのかは忘れたけど、聞いたことの無い駅名のアナウンスが突然、耳に飛び込んできた。まあ京都の地下鉄の駅なんてひとつも知らないんだけどーその紳士は、はっとしたように顔をあげ、力なく微笑んだ。

「.....失礼したね。私はこういう者だ。いずれまた会った時にはよろしく」

 紳士は、名前しか書かれていない、名刺を俺たちに手渡し、十人くらいの人と一緒に地下鉄を降りていった。

「どっかの偉い人なのかな......」

「ヤクザには見えなかったけど」

 俺たちは草書体というか、上質な和紙に流れるような文字で書かれた名前をしげしげと見つめた。

ー白峯 崇徳たかのり

「作家とか学者さんぽいね」

 呟くと、同時に俺たちの降りる最寄り駅がアナウンスされた。俺たちはもらった名刺をそれぞれ適当な場所にしまい、地下鉄を降りた。

 駅の周辺地図で目的地を確かめる俺の傍らで、水本が路線図を前に首を傾げた。

「どしたの?水本」

「さっきのおじさんの降りた駅がない.......」

「気のせいだよ。ほら京都の地名の読み方って変わってるから。......行くよ」

 なおも水本は不思議そうな顔をしていたが、おれはその腕を引っ張って道を急いだ。

 とにかく、早く確かめたかったんだ。




瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
(崇徳院 百人一首 第77番)
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