統巫之番―トウフノツガイ―狐愁晴天譚

i'm who?

文字の大きさ
18 / 69
◇一章前編【系統導巫】

一章……(一)  【泡沫】

しおりを挟む
 ◇◇◇



「──人としてきたい?」

 それは色の失われた世界に再び彩りを与え、優しく響き渡ってゆく声色……。

 みずからさえ見失ってしまうような深淵しんえんの中を、何時までも何処までも、終わり無く彷徨さまよっていた。

 混濁こんだくとした意識と記憶の波。誰彼だれかれの影が墨色すみいろで満たされたうろの底で蜷局とぐろを巻いている。天のとばりが裂けほころびた蒼穹そらの先、禍々しい獣の頭蓋が覗く。それら理解の範疇はんちゅういっした光景が過ぎ去り、幾度いくたびとなく繰り返されて。徐々に墜ち、沈み、没していく。

 たしてじぶんあゆんでいたのか、流れに任せ揺蕩たゆたっていたのか。もし進んでいたとしたならば、何処から何処へ向かい。何処まで行けたのだろう?
 ふと浮かんだ思考は、しばらく水中の気泡のように漂った後に意味を成さずに四散する。
 そんな曖昧で朧気な状態の“じぶん”に対し「応えて」と続け。何者かが投げ掛けるように訊いた。

「──うぅ、ぅ、くぅ……」

 じぶんは、自らは、その声に導かれるように。
もう消失の間際というところだった意識を、辛うじて現実うつつへと浮上させるのだ──。

「…………ッ?」

 ──目を開くと、ぼやけた視界で。
物の輪郭までしか判別できない曇った世界。

「──ッ!」

 次に、頭痛だ。己の頭の内より、脳髄なかみを鷲掴みにでもされているような耐え難い痛み。
 それと呼応するよう、聴覚への苦痛。至近距離で銅鑼でも打ち鳴らされているような。同じく耐えるのがやっとな程の不快な耳鳴りに襲われた。

「──ァ……ぁァッ……!」

 何かの言葉を口に出そうとする。
 けれども意思に反して、口からは乾いた空気が力無く漏れて行くだけに留まる。遅れて焼け付くような喉の痛み。それに伴う吐気。喉で発音する程度すらままならないらしい。加えて、口の開閉をしただけで数時間休まず働き積めたような疲労感。更におまけに、全身になまりでも詰められているかのように指の一本たりとも動かす事が叶わないではないか。

 これは異常だろう。とてもじゃないが、正常な状態であるとは思えない。……今この現状、自らの熱っぽい体温を感じられる以外は、頭の痛み。それと出所の知れぬどこか漠然とした疲労感や倦怠感といった苦しみ以外、殆どの肉体的感覚を失っていた。

 ──風邪か。それも非常に質の悪い風邪。
 苦痛の荒波が過ぎ去って行き。訪れた静寂で「風邪だろう──」思い做し、一呼吸。頭の中「そうだろう」と見当を付けて一度熱い息を吐く。
 あぁ事実として、現在の状態は多少なりとも重症化しているのだろうが風邪の時のソレに酷似しているようにも感じられたからだ。

『──そうか、風邪ならば仕方ない』
そう自己完結。あるいは現実から目を背ける。患ってしまったなら、それは仕方のない事であり。もうどうしようもない。よって苦しみから一刻もすぐに逃れる為、早々に目蓋まぶたを閉じるとする。

 眠りへゆだねれば、苦しみはしまいだ。
すぐさま安らかな眠りへと戻れることだろう。後は、ゆっくりと視界を閉ざして行くのみ……だった。けれどそんな己を現に引き留めるよう、再び何者かが澄んだ声で何かを訊いてくるのだ。

「──人として逝きたい……?」

 夢の中で聞こえた時とは違い、
己のすぐ近くで繰り返された同じ言葉。

「……?」

 言葉が発せられた方向に、現状で唯一動かせる状態だった瞳をそっと向けてみた。
 そうすると、小さな輪郭が控えていた。
 輪郭の正体、言葉の主は、その姿は。始めのうちは未だぼやけてよく解らなかったが……。意識すると徐々に鮮明になる視界で……言葉を発していたのが、床にふせっている己を横から見下ろす形で方膝をついている一人の“少女”なのだと知った。

「……ぁあ──」

 ──唖然。思わず目を見張るほどの可憐な少女。普通の人間とは一線を画す容貌。半人半獣の人ならざる特徴を身体に持つ存在なものの、本当に愛らしいと思わせる白銀色の少女で。彼女はいったい──?

「りんりぃ……。人として逝きたい?」

 ──彼女が呼んでいる、誰彼だれか
その【リンリ】という名を持つ者は誰だ?

 いいや、これは。そうか。
呼ばれているのはじぶんなのだろう。

(……り、ん……り……俺?)

 己に対し、呼びかけているのだ。その名を。
ならばその名が、己の名前だったのだろうかと疑問に思う程にじぶんは壊れてしまっていた。

 その自覚が無い事は、じぶん、リンリにとってある意味で救いだったかも知れないけれど。
 でも同時に、胸が締め付けられるような感覚。
 少女との間に有ったのだろう記憶や思い出。それだけではなく、己と少女の周りに存在していたのであろう“大切な何か”を見失っている。そんな根拠もなにも無いのに確証めいた想像が、数え切れぬほどの罪悪感や自己嫌悪を抱かせる。

「人として……逝きたい?」

 少女は未だに、床の相手が目覚め。視線を向けられている事には気が付いてはいない。
 彼女は涙を溢れんばかりに金の瞳に溜めて、ただ彼の片腕を両手で大切そうに握り締めて、ただ同じ言葉を繰り返していた。
 そんな少女の姿、いじらしくも悲痛な彼女の様子に胸を痛め、伴う苦痛を押し殺して『持ち直そう』と足掻く。結果として、ほんの僅かばかりの自意識を取り戻す事ができた。

「ねぇ、このまま人として、逝きたいの?」

「…………」

 ──リンリに何度もそう訊いてくる彼女。
 ……金の瞳と銀の髪の……頭で揺れる獣の耳や腰で垂れた尻尾を身体に持つ、いと愛らしくも美しい少女。彼女がいったい誰だったのか、そして、投げ掛けられるその“問”の意味すら理解できない。

 どうしようもなく、わからないのだ……。
 リンリは自らの存在にかかずり合っていた筈の事柄の一切が、わからない。その全てが、白く無地のようになっており。それらを失ってしまった理由でさえも喪失し、白紙ハクシなのだ……。

 ──白紙のような状態の己。
 本来なら、自分自身という紙に書き込まれ、描かれていたものは、夢中の深淵に蠢く墨色と同化し溶け込んだのだろうか。意識が浮上する際に、汚染された己の部分を切り離したのだろうか……。

 抽象的で、支離滅裂な考察。

 思考は、そこで途方に暮れる。

 徐々にまた意識が沈み始めた。

 掴みかけた機会は、されど無意義に。

(白紙……はく、し……?)

 ──しかしそこで偶然の光明。
何か、何かが。何かが引っかかった。

 それも理解出来なかったが。理解出来ないという事実が、堪らなくリンリが取り戻した“自意識”を苦しめるのだ。よって『このまま沈むわけにはいかない』という執着がうつつに意識を繋ぎ止めた。
 至らない己に叱責。自我を奮い立たせる。それでも『自分には、まだまだ足りない』そんな自己嫌悪が欠けていた“意思”を揺り動かして行く。

 ……それらは、やがて彼の中で一つに折り重なり、束なり、紡がれ。統巫屋そこに居た、統巫屋そこで得た“意義”を呼び覚まして行く。ほぼなにもわからないままだけれど……でも十分だ。“一つ”は思い出したから。そう……そうだった。もう忘れない。

 ──彼女の名は、白紙。否、否だ。
違う。いや合ってはいるが、正しくは、

 ──ハクシ。

「……ッ!!」

 ……ハッ、と。
彼女、ハクシに返事をしなければならない。
何故だか解らないが、ただそれだけを直感的に判断できた。だからリンリは、感覚も無い自らの身体に可能な限りの力を込めたのだ。

「……!? りんりっ!? りんり!!
其方そなたは今、意識があるのっ?!」

 ──その結果。本当に僅かにだが、ハクシに握り締められている指がぴくりと小さく動かせた。それに気が付いた彼女は、驚きを含んだ声と共に耳と尻尾を跳ねさせて反応する。

「ぅ、ぅ、りんりぃ……う゛う゛」

 ハクシはリンリの目が開いているのを見て、その瞬間に感情の抑えでも効かなくなったのか。その腕に抱き付き、頬擦りをし。息をつまらせるようにしてむせび泣いてしまう。

「うッ……うッ、うぅ」

 愛おしい者との最期の別れを惜しむような悲痛な顔で泣き続けるハクシ。

「グッ……うぅん。……りんりぃ!」

 そのままにしてしまえば、永遠にさえ泣き続けてしまいそうな雰囲気だった。けれど、そう長くは泣いてもいなかった。ハクシは自身の唇を噛んで無理に泣くのを堪える。何故ならば、

 ──泣いていられなかったから。

「りんりぃッ……あのね……!」

 彼女は、強い意を決した表情で真っ直ぐリンリのことを見ると。抑えきれない、堪えきれない涙が自身の頬を濡らして行くのを無視して告げる。

「りんりは──」

 続く『言ノ葉』を声として発してしまえば、もう後戻りは出来ない。彼女ハクシにとってもリンリにとっても。それは此土このよの定めを狂わせ、望まれた天命から逸す禁忌と成りかねない、罪深き忌むべき行為に違いない。

 だけれど──彼女には関係が無い。
構わない。後悔なんて無い。そう自身の神に、天命に誓えた。故に口を開く。だから彼女は、何一つの迷いすら無くその言ノ葉を紡ぐのみ。

「──或いは、人を捨ててまで生きたい?」

 即ち、統巫トウフツガイを求めたのだ──。



 ◇◇◇



 ──それは、追憶たいせつなキオクの数々。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の綺麗な夜に終わりゆく君と

石原唯人
恋愛
ある日、十七才の春に僕は病院で色のない少女と出会う。 それは、この場所で出会わなければ一生関わる事のなかった色のない彼女とモノクロな僕の 秘密の交流。 彼女との交流によって諦観でモノクロだった僕の世界は少しずつ色づき始める。 十七歳、大人でも子どもでもないトクベツな時間。 日常の無い二人は限られて時間の中で諦めていた当たり前の青春へと手を伸ばす。 不器用な僕らの織り成す物語。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...