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◇一章・中編【遁世日和】

一章……(十二) 【心身】

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「――俺が、思い過ごし。それはどういう?」

「……あはは、なんでもないよ!」

 そう言って。ココミは後ろに跳ねるようにして立ち上がってから、尻餅をついた体制で固まっていたリンリに小さな手を差し出してくる。

「ごめんね、お兄ちゃん! できごころ。
だきつき心地をためしてみたくなったの!」

「抱き付き心地を……そ、そうか?」

 抱き付き心地を試す為に飛び付いたと?
その『思い過ごし』とは、リンリの抱き付き心地が彼女にとって満足に足り得るものではなかったという事だろうか。何というか、見た目相応の飛躍した発想と行動と言える。

「むー。でも、お兄ちゃんは骨と皮だけで、かちかち心地。ちぃっともおいしそうじゃないのはいただけないよぅ……。次回のためにしっかり、ねんいりに肥え太っておいてね!」

「次回が有るのか。そいで、抱き付き心地の評価のはずが、美味しそうってのは。その採点基準はなんなんだ……。最終的に俺はキミに喰われるのか?」

「食べていいの?」

「いや、ダメだけどさ」

「なーんだ。今はね、サシギお姉ちゃんの心地がココミのお好みかな。ちょうどいい若さで、ふにふに柔らかで、香りもいい。きっと、すごく~おいしいんじゃないかな? あの、とりにく」

 彼女は、袖で口元の涎を拭う真似をした。

「うわ……カニバリズムぅ」

 リンリは顔を引つらせる。

 サシギが鶏肉。まぁ確かに鳥っぽいが。
 確実に冗談だろうが、聞いてはいけない事を聴いてしまった。なにこの童女、怖い。
 冗談だとしても、とんだ毒吐き童女だ。

「ねぇ、とつぜんのココミの登場。
お兄ちゃん、おどろいた? おどろいた?」

「……うん。驚いたな、腰を抜かす位に」

 登場時よりも、『鶏肉』発言の方に驚いた。

「うわっ、次から気おつけまーす!
お兄ちゃん、ごめんなさーい!」

 身体を引き離した際に、チラリと見た歳不相応な空虚顔が嘘のように。ココミはニコニコと小躍りしながらリンリに詫びを入れてくる。

 見間違い。では、なかったと思うリンリ。

「あははっ」

「…………」

 けれど、今は歳相応の無邪気な笑顔。
 リンリには、ただの幼い女童に“あの空っぽな顔”は絶対に出来ないと断言できる。
 自分の心が弱っていたとある時期、鏡を見たら映っていた自分自身の顔によく似ていた。……ただ意味もなく死にたくなくて、全てを投げ出して死ぬわけにはいかないのに。でも、どうして生きるのか、生きているのかを“見失った者の顔”によく似ていたのだ。
 だから正直、彼女の得体が知れない気分になった。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 身に付けている茜色の振り袖のような衣の袖をパタパタし、ココミは小首を傾げた。顔をじぃっと見られていたのが気になったらしい。

「何でもないよ。今さ、俺は皆に挨拶周りしてるところなんだよ。だから、ココミちゃんにも挨拶しようと思ってな。よろしくな」

「へーそうなんだ。よろしくね。
お兄ちゃん。んーお兄ちゃんのお名前は何だっけ? たしか~リ~ン……ミ? すずとらりん。ちがう、すずぽろりん。あ。りんみ、すずぽろりん!」

 すずぽろりん……。
 名前の鈴の玉を落してしまった……。

「――倫理リンリ、リンリでいいよ」

「あはは、リンリお兄ちゃんだね!!
でも……リンリ、リンリ? うーん?」

「どうしたんだ?」

「べーつに。ただちょっとだけ、ふしぎなかんじがしただけ。ずーとむかしに、どこかで会った事でもあったような……ふしぎなかんじ。これってココミの気のせい?」

 手を合わせて、指を組み。どこか遠くに想いを馳せるような素振りをする彼女。

「――たぶん気のせいだろ。そんな“ベタ”な台詞を言われても。俺、たぶんそんな伏線になるような運命とか過去とか持ち合わせてないぞ。あくまでモブキャラ、つまらない一般人だ」

「むー。わかんないよ? ただ奥にしまいこんで忘れてるだけなのかも。お兄ちゃん、むかしむかしに約束とかをした覚えはあるー? 『なんど生まれかわっても必ず見付けて愛します』とか、想い人とちかい合ったりとかさ?」

「無いな」

「じゃあさー、じゃあさー。自分は『もう会えないけど、どうしても会いたいなら追ってこい。たどり着いたばしょで待ってろ』とか、だれかに言いのこして消えちゃたりした記おくは?」

 彼女は感極まったように自身の小さな身体に腕をまわし、ぎゅっと抱込む。そのまま流し目でリンリからの回答を求めているようだ。
 その様子はとても見た目に不釣り合いで。蠱惑的な何かを醸し出しているような。或いは誂われているような。且つ焦がれた情に突き動かされているような、奇妙なもの。

「無い。残念ながら。そんなロマンスは俺の魂に刻まれて無いから。前世とか信じないし……」

 リンリは率直に、つまらない回答を返す。
 どうにもなさげに答えたが。正直、彼女の雰囲気に気後れしそうになってしまった。トウフの使従という身分である以上、やはりただの童女ではないのだろうか。

 彼女はまた、無感情なあの顔をし、

「もー面白くない。ココミ、はじめてあった人全員におんなじこと言ってるけど、お兄ちゃんは“つまらない”ほうの人だね。小さい子はうんめいの出会いに夢をはせるものなんだよ? つまらな」

 にやりと、その顔を綻ばせた。

「初対面の皆に同じ事言ってんのかい!
……つまらない方の人で悪かったな」

 そして、割と簡単に表情を作れるらしい。

 空虚顔は演出の為の演技だったのか?
 だとすれば、見かけの年齢の割に器用な事をするではないか。サシギからの事前情報通りの変な子だ。立場も言動も雰囲気さえも。

「それじゃ、リンリお兄ちゃん、またね!」

「――あ、ちょと待ってくれ。ストップ!
ココミちゃん、この地図の“シルシの自室”って所まで案内頼めないか?」

 ココミ。内面が知れない使従の童女。
これからリンリは、彼女とも関わって行くのであろう。どのような形だとしても。ならば。

 リンリは“呼び止めるべきか”迷った。
でも、呼び止める選択をした。道に迷って助けを求めていたのだし、彼女自身に興味を持ってしまったのもある。



 ◇◇◇



 童女に連れられ、廊下を進む。

「場所がわからないの? ふふーん。
じつは大きなへやのてんじょうにかかれてる絵を見ると、何となくトウフヤのどのあたりにいるのかわかるってのはひみつだよ?」

「ほぅ、それは耳寄りな情報だな」

「――ためしに、ほら! あの絵!」

 ココミは偶々近くにあった襖を開き、そこの天井に向けて指をさした。

「なるほど、確かに……何となく。
……いや、そうか。ちゃんと判別できる」

 天井には、いくつか絵や模様が彫られているのだが、その一つ。大きな四角い囲いの中にまた大小幾つかの四角い囲いが描かれ、その囲いを繋ぐように植物の根のような紋様と線が引かれていた。
 そして絵の一部分だけ丸い花型の印がついているのだ。一見よく解らないが、教えられると頷ける。試しに持っていた図と照らし合わせてみると、かなり簡略化されているものの、それが統巫屋全体の館内図なのだと解った。

 読み取ると“大きな四角い囲い”が統巫屋そのものの事であり、“その中の大小の囲い”が客舎や睡殿や雑舎等の建物。紋様ではなく引かれている線が回廊、花印が現在地という意味らしい。天井の絵、これを知っているのと知らないのとでは統巫屋を歩く難易度もまるで違うと断言できるだろう。

「ふふーん。お兄ちゃん、客舎いがいの大きなおへやにはこれとおんなじ絵があるから。トウフヤを歩く時はやくだててね?」

「ココミちゃん、これは凄く助かるよ。これならマップ卒業も早く済む。ありがとう!」

 そんな会話をしつつリンリがココミに手を引かれてやってきたのは、ある木製の引き戸の前であった。案内を頼んだ通り、図を見るとこの建物は既に雑舎の中であり、位置関係的にシルシの部屋らしい。
 目的地に無事到着である。

「ここがシルシお姉ちゃんのおへやだよ。
うーんと、外からの錠がかかってないってことは……中にいるのかなぁ? あれあれ、中からの錠も掛かってないみたいだ~」

「本当に助かった! 今度、案内してもらったお礼にデザァ「はぁー!! シルシお姉ちゃんっ!! お客さんだよー!!」

 リンリがお礼の言葉と共に、機会があればココミに「特製の甘味でもご馳走しようと」言い掛けて。

 その時――。

「って、勝手に開けちゃて平気なのか?」

「はぁー!!」の掛け声のところで。
 ――あろう事か、ココミは錠の掛けられていなかった木扉を全開で開け放ってしまう。

「――あっ」

 ココミは完全に開け放ってから、そうキョトンとした声を漏らした。

「……ココミちゃん? どうした……あっ!」

 止せば良かったものの、リンリも続いて木扉の先を覗き込んでしまい……。思わずココミと似たような声を出してしまう。

 ――木扉の先には……部屋の奥で胡座をかくような体制で座っている少女が居た。

 少女は珊瑚のような形をした角を頭の横から二対生やしていて。尖った耳。紐で掛けられた丸い眼鏡を付け。碧玉の如き瞳を持ち。そして淡く蒼い髪をしていた。
 齢は十代の中程か。癖が強めな質で、左右に結っただけのやや野暮ったい印象の髪。
 その髪型や髪色、眼鏡と垂れ目から、内向的な気質や性格をしてそうな雰囲気を受ける。
 彼女も統巫屋で出会った女性達の傾向に違わず比較的整った顔立ちであるが、顔が暗い。ケンタイと和気あいあいとしていたのが想像できない程に、顔が暗い。その雰囲気や顔の陰りから、色々と残念な印象の少女であった。

 それから、問題なのは、

「……なぜ、裸。なんだ……?」

 彼女は衣類等を身に纏っておらず。
 胸からお腹……更にその下までの肌色を完全に露出させており、それ以外の身体の部位を蒼い爬虫類のような鱗が覆っていた。つまるところ裸体の状態であった事だ……。

「…………」

「…………」

 ……リンリと少女シルシの時間が止まる。
体格や雰囲気、床に投げ出された尻尾に、ここがシルシの自室だということ。瞬時に少女が沙汰の席で被衣をしていた彼女だというのは理解できる。だが、まさかこんな風に素顔を見てしまうとは思わなかった。

「こ……コンニチワ? ハローぅ?」

 片言で挨拶をしてみるリンリ。

 シルシは手に持っていたブラシ状の用具を床にカコンッと落とし。そのうち、わなわなと全身を震わせ始めた。何か駄目そうだ。

「――ココミちゃんっ!?
悪い頼む。フォローをしてくれっい!」

 ココミに助け舟を期待。けれど、

「――って、なんだと! 居ないッ!!?」

 ココミが、居ない?!

 既に姿をくらませている。
ぱたぱたと足音をたて、廊下の向こうへ小さくなった彼女の背中が見えるではないか。

 ――逃げられた!?

 リンリが自身の逃走に気が付いたと悟り、ココミはチラッっと振り向くと。少し申し訳なさそうにして、こちらへ手を振って「だが関わるのは御免」とばかりに駆け出した。

 ――逃げられたッ!!

 絶望感を味わうリンリ。シルシがハクシのように穏便に済ましてくれるとも限らない。彼女を娘のように可愛がっていたケンタイに粛清されそうな予感もする。
 客としての身分ならハクシの庇護を受けれたかも知れないが、使用人の身分となった今では【自己責任】からの行動で二重の意味で“首を切られる”のではと危惧を持つ。
 いや実際に【解雇】は必死に弁明すれば何とかなるだろうし、そのままの意味で【処刑】はたぶん無いだろうが。とんだ失態。ここに居づらくなるのは確実だろう。

「ひっ……、ひぐっ……」

「――うん?」

 シルシを放って置いたら、彼女、泣き出しそうになっているではないか。全裸の少女に泣かれるのは、状況的にも精神的にも参る。
 申し訳ないが、先手必勝。リンリは直ぐに“彼女をどうにかしようと”行動に移す。

 まぁ、持っている手札は少ないので、

「――お近付きの印に饅頭、食うか?」

 苦し紛れに。

 リンリは“無理矢理”お得意の見てみぬフリをし、ニカッと澄ました笑顔で語りかけた。そうして小刻みに震える手でシルシに向かって“危険物”汚饅頭おまんじゅうを差し出してみる。困った時は甘味で気分を落ち着けるのが一番。そうやって自らを諭しながら。

「…………」

(――いや、俺。コレなんかおかしいだろ)

 行動に移してから、自分自身でツッコむ。

 一つ明かすのであれば。
リンリは動揺すると……理性的なようで、それは上部の取り繕いであり。冷静なように振る舞うだけの、小心な臆病者であって。よく空回りもして“とんでもない”行動を正解と判断してしまう癖がある。ハクシとのふんどし事件も然り。特に年下の異性が絡むと。
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