上 下
36 / 76
◇一章・中編【遁世日和】

一章……(十四) 【啓発】

しおりを挟む

 ――ハクシと誰かの夢をみていた。
……ような。けれど内容はもうほぼ覚えていない。夢の中のことで唯一覚えているハクシの涙に、現実世界での意味なんて無いのだろう。夢なんてそんなものだ。

 リンリは床から、上体を起こす。

「――えぇ、もうそんな時間かっ?!」

 そうして開口一番に驚愕の声。
リンリは夕焼け色に染まった部屋で目覚めた。

「やってしまった……」

 日暮れ刻。なんやかんやで、ほぼ一日が終わってしまったのだと実感する。あぁ失敗した。
 近くで鐘の音が響く。それは、サシギに教えてもらった一定の時刻を告げる合図だったか。
 挨拶周りで精神力を使い果たしてしまい。自室に戻ってから文机の前で四時間に渡って舟を漕いでしまった。

 もう少しだけ「有意義に過ごしたかった」と後悔しつつも。けれど身体が睡眠を欲していたというならば、寝てしまった事もまた「有意義なのだ」と思い直すとする。
 自分の価値を貶めちゃいけない。教えてもらった認識を噛み砕く。自分の身体を大切にする事もまた、明日に続く導べなのだ。

 ケンタイからの受け売りで、ほんの少しだけ精神的な成長ができたような気分で拳を握る。彼は格好良い大人の漢であった。勿論、汚饅頭おまんじゅうを除き。
 彼に憧れた。格好良いモノには心引かれる、幾つになってもリンリは男の子なのだ。

「――とっ、冷たっ!」

 喉を潤そうと、水差しから飲み水を注ぎ。
 手を滑らせて自分の着物のちょうど股間を濡らしてしまう。まるでお漏らしではないか。自分はまだまだ格好悪い“子供”のままだと、いつも痛感させられてしまう。

 股間が冷えて、突然の尿意にみまわれる。

「トイレ、トイレに……。ん、コレは」

 そこでリンリは、いつの間にか自室の襖に挟まれていた札紙に気が付いたのだ。



 ◇◇◇



「えーと、ここか? あぁ、あの部屋か」

 時刻の指定は無く、ただ札紙で案内だけされていた場所に到着する。もう来るのは三度目となる【沙汰の行われた部屋】であった。
 まだ部屋の名前を覚えられていない。きっと最初の印象の【謁見の間】なんて堅苦しいものでなく。【宴会場】やら【大会議室】とか、それに準じた扱いの部屋であろうと思われるが。

「失礼します」

 もう気後れせず、入室してみる。

「――おい、ケンタイ!
お主は愚かにも、新参者リンリを欺き、山葵饅頭どくぶつを握らせ。同じ使従である儂を亡き者にしようと企てた。そんな疑いがかかっておるのじゃ!」

「はぁ、シルシ? なんだとォ?」

 そこには先客達、と言って良いやら。
入室して早々に目に入る、騒がしい様子の二人。
シルシとケンタイだ。その二人に加えて、ココミが寝転んでいるのを発見した。

「ほれほれ、証拠も有るぞっ!!
ケンタイ! ……これはお主が、あ奴に渡した饅頭の包み紙ではないかの?」

 シルシの掲げた紙屑。
何やらリンリにも見覚えが有る気がする……。

「あ……」

 リンリは小さく声を漏らす。
 そういえば、消失したもう一つの饅頭の行方。
おそらく、どさくさでシルシの私室に放ってしまった危険物。いつの間にか懐から消失していたので、どうなったのかと思っていたが。

「……あーコレかよ。そんなんあったな。
確かにそれは昼間、挨拶周りとやらに来たアイツに、お前さんを釣って餌付けする為に使えと渡してやった饅頭のもんじゃねぇかァ!」

「餌付け、じゃと?」

「口が滑っちまったぜェ、ガハハ」

「今、なんと言った!! 儂を餌付け?
ケンタイ、お主は儂のことを餌を与えられた程度で相手になつく畜生扱いかの?!」

「まぁ落ち着けや、シルシ。
……今のは単に言葉の綾ってヤツだ。んでその包装に入っとった饅頭がどうかしたか? 毒だ、亡き者だ? オヤジにゃあ何の事を言ってんだかさっぱり解らんぞォ。饅頭は美味かったか?」

「――あぁ、食ったわいっ!!」

 汚饅頭おまんじゅう、食べてしまったのか……。

「あくまでも白を切るつもりかの……。だが、やはり饅頭はお主の差し金だったとの言質は取ったぞ! あれは劇物じゃ! 後でハクシ様に、きつーい裁定をお願いしておくから覚悟するがいいわっ!」

 毒、劇物。
シルシは、汚饅頭がケンタイの褌から出てきたものだと知ってしまったのだろうか?

「――泣く子も悶絶もんぜつ【度胸試し山葵饅頭!】これを知らんとは言わせんぞ、ケンタイっ!」

「あァ? そりゃなんだ、知らん!」

 ……度胸試し山葵饅頭。何だそれは。
ちなみにリンリの飲み込んだものは、あまり味わなかったものの普通の饅頭だった。

「何個かに一個、悶絶するほどの苦い饅頭が紛れているという危険な品じゃっ!」

 説明口調で吠えるシルシ。
 だから、度胸試し饅頭。リンリが口に入れる可能性も有ったということ。危ないところだった。

「――さて。こんな下らん事で、ハクシ様のお手を煩わせるまでもないの。サシギに怒られそうじゃ。という事でココミ。多忙なハクシ様に代わり、第三者のお主がケンタイに裁定を下して欲しいのじゃ!!」

「……えっ? あたし?」

 前振りの無い唐突な指名に、寝転んでいたココミが起き上がる。

「……何の話をしてたのかわからないけど。あたしが決めて良いんだね? じゃ~あ……今日の気分でケンタイはキョッケイにしょす!」

 極刑とは随分大きく出る。
話を振られたココミは、ケンタイに無情な判決を下した。そのやり取りをリンリは少し面白く思ってしまい、座って成り行きを見守る事にする。

「極刑だァ? オイオイ大きく出たなァ」

「……そうじゃの、そのあたりが妥当か。
系統導巫の許可の無い毒物を統巫屋に持ち込んだだけでも使従の戒律に触れる大罪。そして、同じ使従を手にかけようとした罪も非常に大きい。これは極刑じゃな。妥当な判断じゃ!」

「キョッケイだね、シルシお姉ちゃん!」

 ココミが手を叩いて跳び跳ねる。「極刑」と「極刑」と連呼して跳び跳ねる童女は何か嫌だ。

「うむ、ココミ。ケンタイをしっかり押さえておれ! 儂の受けた苦しみの何倍もの量を口に詰め込んでやるからのぅ! さっきも言ったが、饅頭こいつはチィカバの町でも悪名高い【度胸試し山葵饅頭】じゃ!」

 ケンタイは背中を掻いて、顔をしかめた。

一口ひとくちで悶え、二口ふたくちで苦しみ咳き込み、丸ごと口に入れてしまうと場合によっては死に至る。何も知らぬ相手に食わせて、その苦しみ様が場を盛り上げる逸品。チィカバの町裏名物の【度胸試し山葵饅頭】じゃ!」

 何だそれは。悪趣味で物騒過ぎる。

「オイオイ、初耳だぞそんな名物はよ!
つーことは男衆の奴ら、そんなもんを『食ってくれ』と寄越したって事かよォ。アイツら後で覚えてろよ。みっちりしごいてやる!」

たわけ者め。餓鬼か、他の者のせいにするでないわ。ケンタイ、お主にはくだらん前科がたんまりと有る。どうせお主が企てた下らぬ謀と決まっておる! 愚か者め、覚悟するのじゃ!」

「ざい人をこーそくだ!」

「ちょ、オイっ待ちやがれっ!」

 ココミがケンタイを背中側から抱きつくような形で押さえ付ける。童女相手では下手に力も入れられないのか。言葉のみでの抵抗に留めて、ケンタイはされるがままになるしかない。

「ここに、集落の男衆が“都合良く”持っていた【度胸試し山葵饅頭】が一包み、八個入りがあるのじゃ。
今から、これを次々にお主の口に詰め込んでやるからの。ホホッ……儂が死にかけた以上に、精々苦しんで逝くがよいわ!」

「何が“都合良く”持っていただァ!
明らかに男衆の奴らがその饅頭の出処で、こちとら何も知らなかったってんだろォが。妙なもん食わそうとすんじゃねェよオイ! うッ!」

「――問答無用じゃ!」

 シルシがケンタイの口をこじ開ける。

「若い女が……よォ! いい齢したオヤジの口を掴む……なぁ! 無理矢理に開けようと……すんじゃねェや! いい加減……う。ちっとは、淑やかさって……もんをモガッ!! ウッガッ!」

 包みから取り出された饅頭が、今まさにケンタイの口に連続投入されようとしている。

 これは助けた方が良いのだろうか?

「モガッ……クソォ。やめろ、やめろォ!」

 ……シルシとココミに抵抗し、振り向いたケンタイと目が合ってしまったリンリ。
 ケンタイは何かを目で訴えてきている。今行動できるのはリンリのみ。今ならまだ、あそこから動く事の叶わない彼を助ける事ができるだろうか?

 無理だ。あのケンタイでさえ敵わないのに。

 逃げる事から、逃げてはいけない。ケンタイは言っていた。ならばリンリは逃げる。ケンタイの眼差しから顔を背ける。そして合掌。

「ぐワッがッ、ォオオワァア――!!」

 そうこうしてるうちに、ケンタイの口には無情にも次々大量の饅頭が詰め込まれだす。
 そのうちに、度胸試しの劇物《ハズレ》を引いたのか。巨漢の形容できぬ嗚咽、喘声、絶叫が木霊。巨漢は陸に打ち上げられた魚の如く身悶えさせる。直前までは面白がっていたリンリも“あまりにも”な惨状に目を背けざるをえない。
 実行したシルシ本人も、飛び退き、尻尾を股に挟めて顔を青くし引き攣らせているし。ココミは部屋から逃げ出すように姿を消した。悪夢だ……。

 本当に、惜しい人を亡くした……。



 ◇◇◇



「ケンタイ、さん……?」

 窒息してたらどうしよう、と。
 念の為に、リンリは動きを止めたケンタイの安否を確認しようとした。すると近くの襖が開き。急ぎ足で入ってきた数人の者達に押し退けられる。
 彼らは、痙攣し口から泡を吹くケンタイを確認するやいなや、四人掛かりで彼を担架に乗せてさっさと室外へ出て行ってしまった。

「えーと……何だったんだ?」

 ケンタイを始末したシルシは、部屋の隅っこで頭を抱えて震えている。軽い仕返しのつもりが想像を越える大事になってしまった感。

「…………」

 リンリはこの状況で会話を始める気になれず。
シルシを放置して、座って待っている事にした。

 十分程が経ち、

「ぅぬ……! お主、いつの間に座っておった?」

 シルシから声がかかる。
 彼女とは昼間に色々あった。それに強面の巨漢が転げ回りながら咆哮を上げる悪夢の現場に立ち会ってしまったのも相まって。リンリは微妙な話し掛け辛さから距離をとって座って待っていたが、ようやく気が付いてくれたか。

「……いやいや、さっきから居たぞ。室内に入って来る時にちゃんと声も掛けてるしな。入って早々にケンタイさんの饅頭使った処刑シーンを見せられて、我関せずで居ただけで……」

「そ、そうかの」

 シルシの眼鏡が傾いた。

 そういえば。現在、シルシは沙汰の時に着けていた被衣かずきを纏っておらず。素顔のままで過ごしている。

「あの布は被ってないんだな?」

 そこに触れるのは野暮やぼな事だと理解しつつ、それでもリンリは訊いてみた。

「お主が、誠に儂の姿を見ても不快に思わないと言うのならば。邪魔な被衣アレをし続ける必要性が無いからのぅ。あんなもん普段から被っているわけがなかろう。被っていたのは、お主と初対面する沙汰場あのばだったからじゃ……」

 ある種の人見知り、のようなものなのか。
 シルシの言葉を解釈するなら。彼女自身の姿を隠す目的以上に、被衣アレは正しく彼女の心のへだたりを表していたという事。

 リンリは不意で素顔を覗き、本来の信頼を得て心を開いてもらうという過程段階をすっ飛ばしてしまったのはアレだったが。シルシがそれを取り払ってくれたのであれば、

 ――つまり、自惚うぬぼれでないとしたら。

「そうか、それは……。
つまり俺という人間と、その言葉をちょとは信用してくれたと取っても良いのか?」

「……たわけ。勘違いするでない。想像を絶する阿保者相手に、己の姿で気を使ったり身構えたりする価値も無いと。儂はただ、お主の事を“取るに足らない奴”と決めただけじゃ!」

「はは。ありがとう、シルシさん」

 リンリは笑みを浮かべる。
 挨拶周りと意気込み。彼女の裸を見て、喉を詰まらせて彼女に救われ、流れから説教くさい事を言って、簡単な挨拶だけして一時撤退。
 あれでも良かったのか。いやむしろアレで良かったのかもと思うリンリ。
 へっぽこで、誇れる所が無い、口下手の。でもリンリなりの心の通わし方となったらしい。

敬称シルシ敬称さんを付けるでない。
儂はシルシじゃ、シルシ。うぬ……まぁせいぜい。
よ、宜しく頼もう……かの?」

「敬称? そうか、ならシルシ。俺はリンリさんでも呼び捨てでも好きに呼んでもらって構わない。改めて、これから宜しくお願いします!」

 お辞儀でなく。片手を差し出すリンリ。
 シルシは、その掌をじとーとした目で見る。

「……お主、それはケンタイの阿保の『掌握入魂』の真似事ではあるまいな? 下らん。儂はやらんぞ。もっとも儂がやる気でやった場合は、お主の掌なぞズタズタになるがの?」

「いやいやいや、違う違う!」

 ケンタイの“妙なもの”と誤解されてしまう。
 危うく、シルシがやる気ならリンリの掌がズタズタになっていたらしい。それは怖い。

「握手だ握手。此土ここにその習慣があるかは知らないけども。【友好の証】に手を繋ぐんだよ!」

「……友好の証じゃと?」

「ほら、握手! プリーズ」

 シルシは言われるまま片手を出すが、二人の手は繋がれることなく固まった。リンリが待っていても彼女はそれより先には動かない。
 シルシの視線を辿れば、彼女の衣の袖。蒼い鱗の生えた腕が露出しており、指の先には鋭い爪。

 やはり躊躇っているのだ。触れ合うのを。

「――なら、お手を拝借はいしゃく!」

 リンリはシルシの手を取った。
 触れても、彼女からは拒絶をされないか。それを数秒間待ち、確かめてから撫でる。
 鳥のような鱗を持ったサシギの手と違い、シルシの鱗は爬虫類のようで。ざらざらごつごつしていて撫でるとまるで鉱物のようであり。表面からは生物的な熱を感じない冷たい手。

「お手を拝借。しても良いか、シルシ?」

 遅れて確認。

「たわけ。もう触れてるじゃろ」

「……勝手に触れて悪かった」

 リンリはそっと、手を離した。
 離されて、自由になり。自由になったというのにシルシはどこか寂しそうに腕を下ろすのだ。

 ――あぁもどかしく。放って置けない。
 結局、リンリは器用な人間ではないから。
 放っておくなんて「できない」と帰結。

 優柔不断な男は、悩んだ末に。もう少しだけ、昼間よりももう少しだけ彼女に踏み込む。
 その行いは是が非か。解らない。
 けれど自分の、相手との“心の通わし方”を信じることにする。

 ――リンリは自分を信じることにする。

「……その手を、醜いと思うのか。シルシ?」

 昼間の意趣返しのような質問を投げて。

「……それを決めるのは、大衆たいしゅうじゃ」

 即座に、リンリは首を横に振る。

「今は、違うと思う」

 ここは、否定しないといけない。

 ここに“大衆”なんてのは居ないから。
 個人間こじんかんのやり取りに、そんな長大の“物差し”を持ち出さないで欲しいから。

「違う。今決めるのは、大衆じゃない。俺達だ。お願いだからシルシには『醜い』なんて自分自身を貶めないで欲しい。俺の繋ぎたいその手を、価値の無いものと決めないで欲しい!」

「……うぬぅぅ」

 唸り声をあげる彼女。
 リンリに反論したいのに、できないのか。

「キミは『醜くなんてない』俺はそう思うし。
そう思ってくれる、言ってくれる人も居る世界があることを否定しないで欲しい!」

「お主に何がっ!」

「って、痛っ!」

 シルシの尻尾が撓り、リンリの脛を叩く。
 それでも構わずに、前進して言ってやる。

「……誰でもどこかしら、脆くて醜くて不完全なんだ。一人一人個性が有って、考え方も違って。愚かな諍いもする。下らない排他もする。不完全だから。でも俺が思うに、不完全だからこそ人って誰かと手を繋げられる生き物なんだよ。一人じゃ完結しないから。せめて身近な、信頼しようと決めた相手と手を繋ぐ。先ずはそこからで良い。自分の世界はそうやって広げて行くもんだって!」

 シルシを追い詰めたくない。尊重したい。
だから強く言ってやる。彼女と手を繋ぐために。

「……痛い。もうダメだ、脛のライフが尽きる」

 尻尾はリンリの脛をもう一度だけ叩き。

「……うぬぅ」

「…………すごく痛い」

 シルシは尻尾を巻き、そこで腰を降ろした。

「はぁ、至言からは遠いの……」

「……だな、同意する。だって、俺の。こんな若輩者のまだまだ軽い言葉だからさ。至言なんて正解の存在しない、口下手な感情論だ」

 彼女は瞳を揺らす。軽い言葉でも、何か何処かに響いてくれたのだろうか?

「――お主、やはり変な奴じゃの」

「――変な奴で悪かったな!」

 シルシはリンリに手を伸ばす。

「ほれ。ここから立ちたい。
お主、儂の手を引っ張ってくれんか?」

 …………。

 それは、そういう意味なのか……?
 彼女は握手をしてくれるというか?
 勝手にさせてやるというべきか、本当に?
 まだ彼女は受動的ではあるものの、リンリの行動はシルシの感慨になり得たのだろうか?

「えーと喜んで。では、お手を拝借!」

 リンリは彼女の腕を引っ張ってやる。
 確かなことは、“手と手が繋がった”こと。

「この手の繋がりが、偽りでないとな。お主は、これから証明するのじゃ。仮にお主が、口だけの都合が良い愚か者だったとしたら。儂は許さんぞ」

「俺は幻滅されないように。裏切らないように。
可能な限り頑張る所存だ!」

 シルシは起立すると。
はっとした表情をし、尻尾でリンリの脛を叩く。

「そ、それに。かっ勘違いするでないぞ。
これは【友好の証】とかの、そんな臭いもんじゃないぞ。お主が、儂の領に踏み込み勝手に押し付けてきた行為じゃ!」

 リンリが脛の痛みで怯んでいるうちに。
 そのまま捨て台詞を吐いて襖を開き、部屋の外に逃げて行ったシルシさん。顔が赤くなっていたので、リンリとのやり取りが恥ずかしかったらしい。年頃の娘である。

「ツンデレかい。ツンデレ属性も持ってるのか。
じゃあこれは、角と鱗と尻尾がある少女と、統巫屋ここに現れた迷子の変な奴どうしの。ただの『これから宜しく』って意味合いの握手だ!」

 彼女の去った方向へ、声を飛ばした。
シルシにはもう聞こえないかも知れないけど、口にするからこそ届くものはあるから。

「……昼寝の後なのに、どっと疲れた。まったく」

 ……脛を擦って座り込む。なかなか痛かった。
鞭で打たれたようになっている。痛々しい痣になってしまいそうだ。サシギにどう誤魔化そうか。

「でも、本日の目標は達成だろう……」

 ――挨拶周り、本当の意味で完了!

 リンリはこれから頑張らないといけない。
 挨拶周りで得たものを、裏切らないために。
 統巫屋ここで貰ったものに報いるために。



 ◇◇◇



「――ところで……」

 ……さて、ところで。

「あ~れ、お兄ちゃん?
あそこであたしが別れた後に、シルシお姉ちゃんと良くうちとけられたね~? すごいすごい!」

「……ココミちゃん」

「ココミ、おどろいちゃったよっ!」

 ケンタイの騒ぎで何処へやら退避していたココミが、襖を開いて愉快そうに顔を覗かせた。さながら黒幕の登場である。

「お兄ちゃん……ごぶさただね。
てっきり、このかんげいの宴は、かんげいの宴って名前の“お別れのかい”だと思ったのになぁ?
お兄ちゃんが、すっぽんぽんのシルシお姉ちゃんにイタズラして……統巫屋を今日でついほうされる事になりました~! さよなら~って!」

「それ、全く笑えないからな?
そもそも、事をややこしくしたのは。シルシの自室の扉を開いたのは、ココミちゃん……」

 童女だからといって、責任の追及はしてやる。
大人げないリンリであった。

「次から気おつけまーす!」

 もう終わった事とばかり。
悪びれたりせず無邪気に微笑むココミ。

「怪我の功名か。ココミちゃんの起こしたトラブルで“得るもの”も有ったけど……。もう今日みたいなのは勘弁願いたい。次は泣いてやる」

「でも本当におどろいちゃった。
きょうたんにあたいする~。お兄ちゃんへのココミの感そうをあらためるね。すこしは“おもしろい”ほうの人だったって!」

 ココミはふらふらと近づいて来て、

「――何か得たか? 何も得ず?
『前に進む』と宣うならば、得ることなかれ。
得るというのは、留めること」

 そう、リンリに耳打ちをした。

「……え? ココミちゃん?」

「――然れども、進みながらも得たのなら。
対価は重し、選るは束縛。選るは破綻。
心得よ。心刺せ。心構えろ、稀人よ」

 それは、詩なのか? 唄か?
はたまた彼女自身の言葉?

「……いや、意味が解らない」

「素養は持っているか。
うふふ。期待してるよ。若人さん?」

「……おい。キミは」

 リンリからの発言を許さず、ココミは耳打ちを止めると部屋から去っていった。

「……何だよ、怖いな」

 やはり内面が伺い知れない童女ちゃん。
彼女にはなかなかに注意が必要だ。しかし一つだけ明確な情報は置いていってくれた。

「……これ、俺が呼ばれたの。歓迎の宴の席を用意してくれたって事だったのか」

 ……皆、退室してしまったけども。
しおりを挟む

処理中です...