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◇一章・中編【遁世日和】
白紙の記憶……(完)
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なぎさは、身構えて。
その身に枝が突き刺さる一瞬だけ目をぎゅっと瞑って身体を強張らせた。
「……あ、大丈夫だ」
けど目を開いて。我が言った通りに枝がその身を傷つけてはいないと知ると、小さく呟いて安堵からか手足を床に投げ出す。
彼女、落ち着いてさえいれば良いのに。人懐っこく愛嬌もあり、育ちも悪くなさそうで、良い印象が引き立つというのに。勿体ない娘だ。
「いやいや違いますよハイ。
ハクシちゃんを疑ってたわけじゃないんだけどねハイ。でも、大丈夫って理解してても、身体ん中に異物が侵入してくるのってさぁ……。底知れない“恐怖”がないかね? 特に、尖った物とかさっ! 歯医者さんのドリルとか、お医者さんの注射器でもそうでしょ?」
口を開けばコレだ。
あぅ、もう少し黙っていられないの?
「……暫し、口を謹んで欲しい」
枝と我の意識が繋がる。
我の意識は暫しの曖昧な刻を微睡みだした。
――恐怖。
『恐怖』なぎさの言葉が、反復するように精神と無意識の境、現と夢想の階を。彼の大樹の麓、虚ろな微睡みの水面を浮き沈みする。
――恐怖か。
もぅ余計な感情が入り込んだようだ。
『恐怖』よく使う言葉だけど、我には実のところはよく理解出来ていない感情だったりする。心の中でよく“不安に感じる”なんて表現をしてみたりするけど、それは比較的に浅い感情を言い表しているに過ぎない。
――恐怖や不安。
我が本当に強くそれを体験する機会は、此土に生まれ落ちてこの方無かったと思う。うん。たぶん無かったよね? だから、かな。いざ、改めて『恐怖って何か?』それをお題にして考えると、自分の中で解らなくなってしまうんだ。
言ノ葉の意味は解る。だけど、自分の抱く感情にソレを当てはめられないんだ。
そういえば、我は以前に『恐怖とは――?』そうやってサシギに訊いてみた事があったっけ。その時にサシギからは、
『――そうですね……。生命が根源的に抱く【恐怖】という感情。主にそれは、未知への畏れかと。
ここで言う【未知】とは、多く、己の身を脅かしうる【何か】の存在や要因や環境から己の身を防衛する為の【本能】に紐付けられます。己の身を失わない為の、系統を途絶えさない為のもの。それが【恐怖】でございます』
そうだな、と。我は無感情に肯定して。
サシギは瞳を揺らし、まだ話の途中だとばかりに我に微笑んだのだったか。
『――ここからは、私の見解ですが。
【恐怖】とは、続いて【喪失】に対するものだと存じております。己の身を失う恐怖。食料が無くなる恐怖。愛しき者が死んでしまう恐怖。根源的な本能であり、しかしそうではない面もある。美しく愚か。命が命である故に【喪失】は必ず付きまとい。必定であります。なのに命はそれを嫌悪し遠ざけようとするのです。できもしないというのに。そこに命が生きる意義が生まれるのです』
わからない、と。我は首を横に振った。
『――では失礼ながら。
昨年、ハクシ様は私の前任のサシギを看取られたと存じ上げておりますが。その時、老いた彼女の最期を見て、どのように感じられましたか?』
そう投げ掛けられた。
明確で不変な、唯一絶対の、正しい真実。
そんなものは、これについては無いから。個人の感情に対しては、存在しない。故に、我の内の感情に向けて投げ掛けてくれたサシギの言ノ葉。
でも、でもね。我がどのように感じたか?
確かに前任のサシギには、我が物心ついた時からとてもよくしてもらっていた……ような記憶がある。居なくなり、寂しいと感じた。
ただ、彼女は元々かなりの高齢であった事と、加齢による臓器機能の不全等で『もうそう永くない』と自他共によく理解していた。余命幾何も無いと、割り切れていたんだ。
――だから彼女がいつ逝ってしまっても、それは当然の天命。産まれ、生き、逝くのは命の意義。とうぜんの理。命は巡り繋ぐもの。命は等価であり、系という繋がりの一部分……。個人の生が終わっても、代が次に引き継がれるだけの事。人という種が此土に一人でも存在するうちは、人に完全な死なんてものは無く、故人も系の中で生き続ける。
そんな風に、単なるものとして、
“ただ、一つの命が終わっただけ”と。
我は此土から永遠という彼方へ、大いなる流れに乗って楽土へ旅立った彼女の顔を見て。ただ“そういうものである”としか感じていなかった。そのシワシワで安らかな顔に対して『おつかれさま』という簡単な言ノ葉しか掛けてあげられなかった。
系統導巫としては、その在り方は間違っていないんだろう。むしろ真っ当に正しいのだ。見方を変えれば、この力を使って木々を成長させるだけの行為も、操った命の運命を弄んでいるのと同義だから。本質はそう。系を統べ、導く存在である以上は、いちいち一つの命に固執してなんかいられない。
…………。
それでも、それだけじゃ、系統導巫という肩書きを与えられた……【ハクシ】って名前の付いたお人形と大差ないんじゃないかな?
普く命を、対等に扱い。己さえ命の一つと真に割り切ってしまえば、統巫として完成するのかも知れないが、同時に大切な何かが綻びてしまうのだ。それは己の否定、相反、統巫の存在意義の矛盾に繋がる。
――しかし、解らない。
――答えに、届かない。
――考慮は、至らない。
確かな事は、命一つ一つに価値や尊さといった輝きは確かに在るのだ。しかし、その輝きを肯定すると、系統という権能の絶対性に明らかな揺らぎが生まれる。
命は次の命を生む為のもの。命単一にそれほど価値は無い。しかし、命は単に次の命を生む為のものではない。命単一単体にそれぞれの価値が有る。どっちだ? どっちもだ! 正しいし、間違っている。完全な答えは無く、しかし我が我として在る為には答えは導き出さねばならない。
どちらかを尊重すれば、疎かになる部分が現れる事は必然、必定。これは理。理、故にこそ矛盾。矛盾。矛盾。我は、時々疑問に思ってしまう時がある。いつも何かしらで対比相反する思考。我はまだまだ未熟者だ。
…………恐怖か。
現に意識が向き、精神が夢想より浮上する。
「……怖いなぁ」
「――案ずるな、なぎさ」
顔面蒼白と全身の震えでそう言葉を続けるなぎさの顔は、会ってから今までの中でずっと我に向けていた、どこか“冗談混じりの態度”ではなく。心の底から、“その”恐怖や不安の感情を抱いていそうなものだった。
「…………はぁ、はぁ、はぁ、
やっぱり……刃物は怖いなぁ……はぁ」
「うん? ……なぎさ?」
なぎさは、お腹にある枝から目を離し、荒い過呼吸気味で天井を見る。
「昔、怖い思いをしてね? 刃物は見るだけでも……ちょー苦手なんだよ……はぁ」
そして、包帯で覆われた自身の顔の右側を手でそっと押さえた。
「なぎさの知られざる過去さ……。悪い大人にスパッとやられちまってなっ! ワイルドだろ? 大切なもんを守ろうとした名誉のトラウマ、シマウマなんだぜ……はぁ」
何を言ってるのかわからない。けど、彼女は刃物を恐れているのだという部分は理解。
うーん、先に言ってくれれば、布で枝の刀身を隠すとか配慮も出来たんだけど……。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「なぎさ。枝を其方に刺す前に、一言申してくれれば……我も配慮が可能だった」
「良いの、ハクシちゃん。治療してもらうんだもん。わがままは言えないよ!」
我が儘とは。今更にそれを言うの? 正直なところ意外で。ちょっと前まで我を茶化していた彼女から、そんな言葉が出るとは思わなかったな。
「なぎさ、まだ死にたくないから。
このまま頑張るよ……! 死ぬ方が、刃物よりも、ずっとずっと怖いからさ……」
なぎさの片目から、雫が床に落ちた。
「なぎさ、其方……」
「ハイテンションで取り繕おうとしても、やっぱりボロが出ちゃうね。こんな顔をハクシちゃんに見せちゃって、ごめんね?」
あぁそうか。
「変なお姉さんって思われてた方が、なぎさ的にも気が楽だったんだけどさぁ……」
――そうか。
我は気付く。今までのなぎさは仮面を被っていたんだろう。きっと“死”という恐怖や不安を隠す為に、彼女は態わざと我を茶化したり、冗談の混じった態度をしていたのだろう。
――何故?
別に本当に死ぬ訳でないけど。穢不慣の症状には精神が不安定になるというものがある。それもさっきまでの態度の所以になっていたのかもと想像する。
「はぁ……はぁ、死にたくないよ。こんな場所で、なぎさ、死にたくない。まだ、あそこで暮らしていたいよっ!!」
……彼女を誤解していたかも。
「……なぎさよ、落ち着け。我が必ず其方を治療する。所詮、其方が患っているのは穢不慣。系統導巫の手に掛かれば、大したことはない故にな!」
「はぁ……はぁ……。ハクシちゃん」
我は、なぎさに強い興味を持った。異成り世の者と聞いた時以上の興味だ。恐怖や不安を抱き、生を切実に渇望する彼女のその姿は、我の中の“何か”に強く響いた。
なぎさが落ち着くまで少しだけ待つと、
「ハクシちゃん? ……ハクシちゃんのお陰で、無事になぎさの病気が治ったらさ。その尻尾を撫でさせてくれない? ……きっとモフモフして、気持ち良いだろうなぁ」
気を紛らす為か、なぎさはボソッと言う。今世のお願いといった雰囲気で、我に尻尾を触らせろって……。まぁ、それくらいなら……。
「減るものでないから、別に構わない」
「……ありがと、ハクシちゃん。その代わりに、なぎさの可能な範囲内でハクシちゃんのお願いを聞いてあげるね?」
「――願い?」
「……なぎさの世界の、お話しとかさぁ」
「ならば、我は其方に一つ聞かせて欲しい事がある。……あのね――」
我は、異成り世という此土とは違う場所で生きてきた“なぎさ”を通して。自分に無い何かを求めようとした……のかな? その明確な答えは、自分の事なのに、ずっと、最後まで解らなかった。
◇◇◇
準備はできた。枝を通してなぎさと強く繋がった。後は……。大きく息を吸い込み、我はなぎさに向かって言の葉を紡ぎ出す。
「生き、逝き、行き続ける幾多の命よ! 其の辿り、至り、語りし系譜、系統よ! ……我は天律に系を導く任を賜り、担う存在。系統導巫なり!」
肩の羽衣が淡く輝き、我という器に力が流れ込んだ。
しかし…………そこで、記憶は黒く染まる。
我はあの娘“なぎさ”との一件で、個としての命の尊さ。命が失われるという恐怖や不安を学習する事になった。はからずも、それは我が個として明確に“生き始めた切欠”で。反面、系統導巫として壊れてしまう切欠でもあって……。
きっと、我は至らなかった。
彼女は生を望んでいたのに。
彼女は我に願っていたのに。
なにも我は識らなかった故。
未来に彼女を導きたかった。
ただ、ただ救いたかった故。
あぁごめんなさい。ごめんなさい。
その身に枝が突き刺さる一瞬だけ目をぎゅっと瞑って身体を強張らせた。
「……あ、大丈夫だ」
けど目を開いて。我が言った通りに枝がその身を傷つけてはいないと知ると、小さく呟いて安堵からか手足を床に投げ出す。
彼女、落ち着いてさえいれば良いのに。人懐っこく愛嬌もあり、育ちも悪くなさそうで、良い印象が引き立つというのに。勿体ない娘だ。
「いやいや違いますよハイ。
ハクシちゃんを疑ってたわけじゃないんだけどねハイ。でも、大丈夫って理解してても、身体ん中に異物が侵入してくるのってさぁ……。底知れない“恐怖”がないかね? 特に、尖った物とかさっ! 歯医者さんのドリルとか、お医者さんの注射器でもそうでしょ?」
口を開けばコレだ。
あぅ、もう少し黙っていられないの?
「……暫し、口を謹んで欲しい」
枝と我の意識が繋がる。
我の意識は暫しの曖昧な刻を微睡みだした。
――恐怖。
『恐怖』なぎさの言葉が、反復するように精神と無意識の境、現と夢想の階を。彼の大樹の麓、虚ろな微睡みの水面を浮き沈みする。
――恐怖か。
もぅ余計な感情が入り込んだようだ。
『恐怖』よく使う言葉だけど、我には実のところはよく理解出来ていない感情だったりする。心の中でよく“不安に感じる”なんて表現をしてみたりするけど、それは比較的に浅い感情を言い表しているに過ぎない。
――恐怖や不安。
我が本当に強くそれを体験する機会は、此土に生まれ落ちてこの方無かったと思う。うん。たぶん無かったよね? だから、かな。いざ、改めて『恐怖って何か?』それをお題にして考えると、自分の中で解らなくなってしまうんだ。
言ノ葉の意味は解る。だけど、自分の抱く感情にソレを当てはめられないんだ。
そういえば、我は以前に『恐怖とは――?』そうやってサシギに訊いてみた事があったっけ。その時にサシギからは、
『――そうですね……。生命が根源的に抱く【恐怖】という感情。主にそれは、未知への畏れかと。
ここで言う【未知】とは、多く、己の身を脅かしうる【何か】の存在や要因や環境から己の身を防衛する為の【本能】に紐付けられます。己の身を失わない為の、系統を途絶えさない為のもの。それが【恐怖】でございます』
そうだな、と。我は無感情に肯定して。
サシギは瞳を揺らし、まだ話の途中だとばかりに我に微笑んだのだったか。
『――ここからは、私の見解ですが。
【恐怖】とは、続いて【喪失】に対するものだと存じております。己の身を失う恐怖。食料が無くなる恐怖。愛しき者が死んでしまう恐怖。根源的な本能であり、しかしそうではない面もある。美しく愚か。命が命である故に【喪失】は必ず付きまとい。必定であります。なのに命はそれを嫌悪し遠ざけようとするのです。できもしないというのに。そこに命が生きる意義が生まれるのです』
わからない、と。我は首を横に振った。
『――では失礼ながら。
昨年、ハクシ様は私の前任のサシギを看取られたと存じ上げておりますが。その時、老いた彼女の最期を見て、どのように感じられましたか?』
そう投げ掛けられた。
明確で不変な、唯一絶対の、正しい真実。
そんなものは、これについては無いから。個人の感情に対しては、存在しない。故に、我の内の感情に向けて投げ掛けてくれたサシギの言ノ葉。
でも、でもね。我がどのように感じたか?
確かに前任のサシギには、我が物心ついた時からとてもよくしてもらっていた……ような記憶がある。居なくなり、寂しいと感じた。
ただ、彼女は元々かなりの高齢であった事と、加齢による臓器機能の不全等で『もうそう永くない』と自他共によく理解していた。余命幾何も無いと、割り切れていたんだ。
――だから彼女がいつ逝ってしまっても、それは当然の天命。産まれ、生き、逝くのは命の意義。とうぜんの理。命は巡り繋ぐもの。命は等価であり、系という繋がりの一部分……。個人の生が終わっても、代が次に引き継がれるだけの事。人という種が此土に一人でも存在するうちは、人に完全な死なんてものは無く、故人も系の中で生き続ける。
そんな風に、単なるものとして、
“ただ、一つの命が終わっただけ”と。
我は此土から永遠という彼方へ、大いなる流れに乗って楽土へ旅立った彼女の顔を見て。ただ“そういうものである”としか感じていなかった。そのシワシワで安らかな顔に対して『おつかれさま』という簡単な言ノ葉しか掛けてあげられなかった。
系統導巫としては、その在り方は間違っていないんだろう。むしろ真っ当に正しいのだ。見方を変えれば、この力を使って木々を成長させるだけの行為も、操った命の運命を弄んでいるのと同義だから。本質はそう。系を統べ、導く存在である以上は、いちいち一つの命に固執してなんかいられない。
…………。
それでも、それだけじゃ、系統導巫という肩書きを与えられた……【ハクシ】って名前の付いたお人形と大差ないんじゃないかな?
普く命を、対等に扱い。己さえ命の一つと真に割り切ってしまえば、統巫として完成するのかも知れないが、同時に大切な何かが綻びてしまうのだ。それは己の否定、相反、統巫の存在意義の矛盾に繋がる。
――しかし、解らない。
――答えに、届かない。
――考慮は、至らない。
確かな事は、命一つ一つに価値や尊さといった輝きは確かに在るのだ。しかし、その輝きを肯定すると、系統という権能の絶対性に明らかな揺らぎが生まれる。
命は次の命を生む為のもの。命単一にそれほど価値は無い。しかし、命は単に次の命を生む為のものではない。命単一単体にそれぞれの価値が有る。どっちだ? どっちもだ! 正しいし、間違っている。完全な答えは無く、しかし我が我として在る為には答えは導き出さねばならない。
どちらかを尊重すれば、疎かになる部分が現れる事は必然、必定。これは理。理、故にこそ矛盾。矛盾。矛盾。我は、時々疑問に思ってしまう時がある。いつも何かしらで対比相反する思考。我はまだまだ未熟者だ。
…………恐怖か。
現に意識が向き、精神が夢想より浮上する。
「……怖いなぁ」
「――案ずるな、なぎさ」
顔面蒼白と全身の震えでそう言葉を続けるなぎさの顔は、会ってから今までの中でずっと我に向けていた、どこか“冗談混じりの態度”ではなく。心の底から、“その”恐怖や不安の感情を抱いていそうなものだった。
「…………はぁ、はぁ、はぁ、
やっぱり……刃物は怖いなぁ……はぁ」
「うん? ……なぎさ?」
なぎさは、お腹にある枝から目を離し、荒い過呼吸気味で天井を見る。
「昔、怖い思いをしてね? 刃物は見るだけでも……ちょー苦手なんだよ……はぁ」
そして、包帯で覆われた自身の顔の右側を手でそっと押さえた。
「なぎさの知られざる過去さ……。悪い大人にスパッとやられちまってなっ! ワイルドだろ? 大切なもんを守ろうとした名誉のトラウマ、シマウマなんだぜ……はぁ」
何を言ってるのかわからない。けど、彼女は刃物を恐れているのだという部分は理解。
うーん、先に言ってくれれば、布で枝の刀身を隠すとか配慮も出来たんだけど……。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「なぎさ。枝を其方に刺す前に、一言申してくれれば……我も配慮が可能だった」
「良いの、ハクシちゃん。治療してもらうんだもん。わがままは言えないよ!」
我が儘とは。今更にそれを言うの? 正直なところ意外で。ちょっと前まで我を茶化していた彼女から、そんな言葉が出るとは思わなかったな。
「なぎさ、まだ死にたくないから。
このまま頑張るよ……! 死ぬ方が、刃物よりも、ずっとずっと怖いからさ……」
なぎさの片目から、雫が床に落ちた。
「なぎさ、其方……」
「ハイテンションで取り繕おうとしても、やっぱりボロが出ちゃうね。こんな顔をハクシちゃんに見せちゃって、ごめんね?」
あぁそうか。
「変なお姉さんって思われてた方が、なぎさ的にも気が楽だったんだけどさぁ……」
――そうか。
我は気付く。今までのなぎさは仮面を被っていたんだろう。きっと“死”という恐怖や不安を隠す為に、彼女は態わざと我を茶化したり、冗談の混じった態度をしていたのだろう。
――何故?
別に本当に死ぬ訳でないけど。穢不慣の症状には精神が不安定になるというものがある。それもさっきまでの態度の所以になっていたのかもと想像する。
「はぁ……はぁ、死にたくないよ。こんな場所で、なぎさ、死にたくない。まだ、あそこで暮らしていたいよっ!!」
……彼女を誤解していたかも。
「……なぎさよ、落ち着け。我が必ず其方を治療する。所詮、其方が患っているのは穢不慣。系統導巫の手に掛かれば、大したことはない故にな!」
「はぁ……はぁ……。ハクシちゃん」
我は、なぎさに強い興味を持った。異成り世の者と聞いた時以上の興味だ。恐怖や不安を抱き、生を切実に渇望する彼女のその姿は、我の中の“何か”に強く響いた。
なぎさが落ち着くまで少しだけ待つと、
「ハクシちゃん? ……ハクシちゃんのお陰で、無事になぎさの病気が治ったらさ。その尻尾を撫でさせてくれない? ……きっとモフモフして、気持ち良いだろうなぁ」
気を紛らす為か、なぎさはボソッと言う。今世のお願いといった雰囲気で、我に尻尾を触らせろって……。まぁ、それくらいなら……。
「減るものでないから、別に構わない」
「……ありがと、ハクシちゃん。その代わりに、なぎさの可能な範囲内でハクシちゃんのお願いを聞いてあげるね?」
「――願い?」
「……なぎさの世界の、お話しとかさぁ」
「ならば、我は其方に一つ聞かせて欲しい事がある。……あのね――」
我は、異成り世という此土とは違う場所で生きてきた“なぎさ”を通して。自分に無い何かを求めようとした……のかな? その明確な答えは、自分の事なのに、ずっと、最後まで解らなかった。
◇◇◇
準備はできた。枝を通してなぎさと強く繋がった。後は……。大きく息を吸い込み、我はなぎさに向かって言の葉を紡ぎ出す。
「生き、逝き、行き続ける幾多の命よ! 其の辿り、至り、語りし系譜、系統よ! ……我は天律に系を導く任を賜り、担う存在。系統導巫なり!」
肩の羽衣が淡く輝き、我という器に力が流れ込んだ。
しかし…………そこで、記憶は黒く染まる。
我はあの娘“なぎさ”との一件で、個としての命の尊さ。命が失われるという恐怖や不安を学習する事になった。はからずも、それは我が個として明確に“生き始めた切欠”で。反面、系統導巫として壊れてしまう切欠でもあって……。
きっと、我は至らなかった。
彼女は生を望んでいたのに。
彼女は我に願っていたのに。
なにも我は識らなかった故。
未来に彼女を導きたかった。
ただ、ただ救いたかった故。
あぁごめんなさい。ごめんなさい。
応援ありがとうございます!
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