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◇一章・中編【遁世日和】
一章……(十六) 【夜光】
しおりを挟む「ハクシ、指切り。って解るかな?
約束事を、お互いの指どうしを結んで、目に見える形で結び付ける。そんなおまじないだ!」
……白状してしまうと。
女性経験のあまり無かったリンリには、年頃の少女との触れ合いで取れる選択欄が非常に、とっても乏しいという現実。
感情的になれば多少は口は回るものの。普段は甘味の話題を出したり、手を繋いだり、おまじないをしたりといった貧しい発想しか浮かばない悲しさ。
その場の雰囲気的に、べつに深い考えは無く『指切り』でもしないかと持ちかけた。
「ユビキリ……。ユビキリね。
我も、そういった習わしは知っているとも」
「そうか。知ってるんだ」
この世にも、似た約束の仕方があるらしい。
「じゃあ、良ければ、してくれないか?
俺が勝手に居なくならないように。いつか別れの時が来ても。思い出や意義をここに残せるように。ハクシ様……この統巫屋に俺を繋ぎ止めてくれ」
「其方は『繋ぎ止める』と申すか……」
眼を細めて、呟いたハクシ。
「居なくなるな」という、彼女のいじらしい願いに情緒を揺すられてしまったのか……? はたまた、在りし日の妹の姿と、彼女の姿を重ねてしまった故にか。リンリは、自分でも似合わない台詞を発したものだと苦笑い。
「ちょっと痛い台詞だったなぁ……」
あぁ普段よりも割り増しで、痛くクサイ台詞を言ってしまったものだ。きっとシルシとの会話と握手のせいだろう。シルシとの関わりで、リンリは口下手を自覚しながらも“相手と向き合う自分の姿勢”を信じる事ができたから。
ならば、統巫屋では周囲の人々と積極的に関わりたいと願ったから。
ハクシも指を繋げてくれるだろうか?
彼女なら、きっと“応えて”くれるだろう。
どこか確証めいた信頼があった。
「どうだろう、ハクシ――」
しかし、予想とは裏腹に、
「――否だっ」
拒否されてしまう。
彼女は、静かに首を横に振った。
「ぁぅ……できぬ。否だ。済まない。
ユビキリ。斯様に些細なものだろうが、交わしてしまえばそこに魂が宿る。よい? 魂の宿った呪いは、時にして呪いにも転ずる事が有る。そんな紙一重なものなのだ。其方の申し出は嬉しく思う……だけど、だけどね。我には簡単にはできないよ……」
何故、指切りをしてくれないのか。
その理由を優しく説き聞かされたリンリ。
内心では、恥ずかしい台詞を言ってしまって、更にそれに相手が乗って来ないという二重の羞恥に襲われてしまい、これは敵わない。
「ぁぅ、りんり、ごめんなさい」
「こちらこそ、ごめん……。
なんだか気を使わせたみたいで。ハクシ、別に構わないから。そう気にしないでくれ。言ったほど深い意味は無かったんだよ」
意外と大層な物の考え方をするハクシ。
これは両者が持つ“約束”という事柄への価値観の違いなのか、はたまた別のものか。
「価値感の違いか……? 宗教的な理由かな?
何にせよ、少し考えが至らなかった。海外旅行でさえ現地のマナーがあるんだ。異世界的なとこならなおさらか……。そういった配慮とか視点も俺には必要だなぁ」
リンリはそう、勝手に解釈する。
シュンとしたハクシは、けれどもその態度とは別として。注意するように告げる。
「でも……。りんり、これは覚えておいて。
とくに統巫との約束は、単なる呪いに非ず。即ち、神の代行たる存在との約定だという事をね」
「約定……? 契約の事かな?」
「そう。故に此土では、統巫の契りは如何《いか》なる時とて絶対的なものでなければならない。『ユビキリ』に意図しなくとも。場合によっては、其方の命やその在り方、感情さえも支配しかねない……から。だからっ」
「だから。軽々しくできない、のか」
ハクシは眼を閉じて、強く頷いた。
彼女のトウフという立場は、個人的で些細な約束でさえ簡単に出来ないというのか?
まさか本当に、約束によって人の“在り方や感情”を支配してしまったり、そこに強制力が発生するなんて事が有り得るというのか?
……リンリには、にわかに信じられない。
「そんな大げさな――」
「……うん。かもね。
それでも『失いたくない』との願いを込めて契ったものが、互いを縛る永劫の鎖にも転じてしまうとするなら。それは断じて望むところではない。そも、系統導巫にとっては他の命への固執こそ危うい行為であり感情である。故に、お願いで留める事とする……ね?」
「『勝手に居なくなるな』って、さっきのが?」
「是だ。我は其方の事を束縛はしないし、出来はしない。しかしそれでも、我の知らないところで“絆を紡いだ者”が失なわれたりしないように。我が、もう二度と過ちを繰り返さぬように戒める為。今宵この場で“お願い”くらいはしたくなったのだ……」
ハクシは遠い闇の先を見遣った。
「今しがた、闇の中より。我にとって、
懐かしい気配がした。気がした故に――」
どうにも怖い事を言う。
「おい。それ、やっぱり幽霊的な……?」
「否、違う。在りし日の約束の残滓だ。そうか『ユビキリ』か。もしかしたら、我は縛ってしまったの……かもね」
ハクシはどこか意味深な台詞を溢すと。
そのままリンリの腕をクイクイと引っ張って歩み出した。決してもう、振り返る事なく。
◇◇◇
二人で更に夜闇を進んで行く。
「ふぅ……」
リンリは先程の不思議な体験について頭から取り払ってしまおうと。何やら手頃な考え事がないかと内心で唸る。
すると自分の持つ提灯が、だんだんと心許ない程に弱まってきていた事に気付いた。ここにきて光源の燃料か何かが尽きかけたのやら、妙に消耗が激しいではないか。この分だと直に足元を照らすのさえままならなくなるだろう。
提灯に手を添えてみれば熱は感じず。
球体の発光物が、薄い外包みの紙より透けて見て取れるのだ。あぁ、意識すれば構造が気になってくるものである。単純に内部に蝋燭を立たせているわけでもない事は何となく解るのだが。
しかし、果たして此土の文化はどの程度まで進んでいるのやら解らない。電流や気体まで生活に利用できる段階なのだろうか?
確か、沙汰の場に置かれていた照明器具は、確認してみると内部に火を灯す単純な構造であった。でもあれは風情等の事情により、あえて古めかしい器具を配置している可能性さえ有るだろうし。
「うーむ」
リンリは唸りつつ、提灯を壊さない程度に揺すってみた。内部より、硝子や陶器が入れ物の縁に当たるような音が立つ。そして揺すってみて、若干だがその灯りが持ち直したのだ。
「あーこりゃ接触不良とかか?
いや、電気で光ってるわけでもなさそうな」
「どうしたの、りんり……。光と? あ……気が付かなかった。其方の陽虫もう随分と光が弱ってきてるね」
「幼虫? ようちゅう……この提灯のことか」
「そう。暗い場所で、まるで陽光に代わるような明るい光を発する虫だから、陽虫。正確には菌類だけど、そう呼ばれている」
「へぇ陽虫か。電気やガスじゃないなら、火も付けないで光ってるのはファンタジーな力かなんかと疑い初めてたんだが……。蛍の発光の仕組みたいな化学反応的なやつだったのかコレ!」
「りんり、じゃあ手頃な機会だから。
この陽虫を使い。我、系統導巫の“系統”を統べるという意味をここで示そう――」
――そう言ってハクシは、装束の帯の辺りから、なにやら掌大の細長い物を取り出した。見たところ刃物の鞘か何かだろうか。
「……異なり世の者は此土の常や道理を一部、自身の元居た世、彼土の常識に当て嵌めて誤解してしまう傾向がある……。故に、認識の行き違い等が無いよう。此土の識を学んで行ってもらわないと。……うん、りんりが統巫屋で暮らし易いようにねっ!」
自身の弁にうんうんと頷いて主張するハクシ。
胸を張り、ピコピコと獣の耳と尻尾を動かす姿はなんとも愛くるしいのだが、
「あの、ハクシ……?」
「んぅ、どうしたのだ?」
「あ、いや……何でもないさ」
……リンリはふと、ハクシが自分以外の“異成り世の者”に直接出会った経験でもあるのか? そう疑問を抱いてしまった。
「……そうだよな。言葉で意思疏通が出来ても、異文化交流みたいなもんだから何処かしらでカルチャーショックは有るよなぁ。うんうん」
……あぁ尤もだと。ハクシのその弁に同意をしつつ、リンリはあごに手を当てて彼女の過去を内心で推察し始めてしまう。
何せ、沙汰の時もそうだったが『異なり世の者』と自身で口に出す度に、目の前の彼女は瞳を揺らし、どこか寂しそうな顔をするのだ。そんな顔を度々されれば、何か有ったのではないかと勘繰ってしまうのも無理はない。
リンリの正体を直ぐに理解し、沙汰を執り行って円滑な対応をしてくれたのも、ハクシが統巫という立場から多識だった以上に……。異成り世の者という存在が、この世界である程度は知られている“らしい”といった都合以上に……。そうだ。そのあたりを所以としている気さえする。
――ならばもし、もしそんな人物が実際に居たのだとして。その人物は一体どうなったのか?
「……いや。やめとこ」
けれど、訊いてみようとして。やめた。
何か有ったのかも知れない。
そうだったとしても、やめておく。ここで安易に訊いてしまえば、きっとハクシにとってもリンリにとっても……いつか向き合わざるをえない現実と今すぐに向き合わなければならなくなる。
――でも、いつかは、今じゃないから。
なら、せいぜい精一杯生きて輝いてやる。
もともと命は“始まれば終わる”ものなんだと割り切るしかない。最期の刻まで、不安や恐怖という暗闇を照らし続けて走り抜ければ良い。
だから、彼女から話さないなら、訊かない。
リンリは、消えかけた提灯の明りに視線を向けてみる。弱々しくも確かな灯りだ。その灯りが陽虫という生き物の光だと知ると、さっきまでよりも儚く尊い、より美しい輝きに見えてくる。
そのようにリンリが情緒に浸っていると。
そこでハクシが声を発す。
「――先ずは、コレっ!
りんりはコレがなんだと思う?」
先程の鞘から小刀を抜き、その美しい銀色の刀身を夜空に掲げて構えるハクシ。
「なんだと思うって……。えーと、刃物だな。
ハクシの護身用の……脇差し、かな?」
「……否だ。これは刃物のような形を取っているだけで、なにかを直接“切って傷つける”為の物ではないのだ。まぁ切る事はできなくもないけど。簡単に言い表すと……我が、統巫が力を引き出す為に使用する媒体《ばいたい》なの」
「媒体……? トウフの力の……?
それは俺とかに教えても構わない情報?」
「是、構わない。大衆的な知識」
「へぇ」
創作の中で『触媒』というと、例えば呪詛や毒を撒き散らす厄介なもの、例えば魔法使いが魔法を使う為の物だったりと。意味合いは、なかなか広義に渡るのだが……。或いは、リンリのそういった創作上の知識から“触媒”と翻訳されたのかも知れない。
「サシギが言っていた“枝”とはコレの事だ。これを使わないと、己の器の範囲でしか統巫は力を行使出来ず。また、負担もばかにならない故に……基本的に何時も持ってて、力を使う場合には必ず使用するの。大切なものだから覚えておいてね?」
「あー、それは覚えてる。……沙汰の時にハクシがサシギさんから、『部屋に置き忘れていました』とか注意されてたアレだな……アレだよな?」
「ぁぅ、否だ。置き忘れてなどいない。
我は置きっぱなしにして……。それでちょっと、汗を流しに水浴みに行ってしまっただけ!」
「おーい、ハクシ様。『何時も持ってる』って言った後に、ちょっと置きっぱなしって……。ははっ説得力がまるで無いのですがそれは」
「……枝を使うまでもなく。もしも其方がつまらぬ狼藉者だったとしたのなら、羽衣を使ってふっ飛ばしていただろう……」
「『ふっ飛ばして』いた!? 俺がなにか粗相をした場合、ふっ飛ばされていたって?!」
可憐な見かけによらず、必要なら暴力も厭わないということか。自衛の必要性があった場合とはいえ巫女が相手をふっ飛ばすとは、さすが異世界。
ハクシは栗鼠を連想させる愛らしい脹れっ面でリンリを睨む。その顔になる頃には、先程までの暗い表情は彼女から完全に消えさっていた。
リンリは多少の安心をしながら、ふっ飛ばされたくないので気分を害さない程度に笑いかける。
「もうっ! では、それを我に貸して?」
「提灯を? あぁはい、どうぞ」
ハクシはリンリから提灯を渡されると。
その底部を捻って本体から外し、中身であった淡く光る徳利大の濁った小瓶を取り出して「ほらっ」と見せてくれる。
「……中身のこれが陽虫だ。
人が自らの利の為に創造し、彼等を閉じ込めた小さな世界。其処で世の真実を知らずに、自分達が“生きている”と錯覚し“生かされている”利用されるだけの脆弱な命達。実は、瓶の中の彼等よりも、硝子で作られた小瓶の方に価値がある。これはまるで此土の縮図の如きもの。……とか系統導巫の目線で言ってみる」
「すいません、喩えが難しいです!」
「えぇーっ!」
難しい喩えをするハクシ。
リンリの情報処理能力では、匙を投げてしまう。
いや、正直ちょっと『世界観』に関りそうな不穏な表現を含ませていたような気がしたので、リンリは怖くなって誤魔化しただけである。
「ほぅほぅ。その小瓶の中の、形容が難しい何だか“ネチョネチョ”した光ってる“半固形物”が陽虫くんなのか。菌類というとスライム的なヤツかな? 光る苔は聞いたことあるけど」
「固形物の方は、陽虫の栄養となる有機物。
でも、それが小さくなってきてるから、瓶の内部は栄養不足気味になっている。それで中の陽虫は死滅しない為に、すごく元気を使う発光の質を下げて、光量を落として必死に飢餓に耐えている状態かな……。矛盾しているみたいだけど、発光を止めないのは彼等の生物としての性だね」
「なかなか残酷だな。食糧、資源が減ってきて、生産はできない。自分達で外に逃げる事も、外から餌を持って来る事も叶わないで、滅亡へのカウントダウン中の小さな世界とか――」
と、そこでリンリは言い淀む。
せっかく誤魔化したのに、自分で『世界観』に関わりそうな怖い表現を使用してしまった。
「でも彼等が滅亡しても、誰も悲しまない。彼等にとって神のような立場の人からすれば、管理を怠った結果、彼等の光が利用できなくなって残念がるだけに過ぎず。専用の苗床瓶さえ有れば、簡単に死んだ陽虫の代替は用意できる。……命は等価であって、その死は必ずしも等価じゃないの」
「また、難しい話だな」
「うん。故に、慈悲深い我は、陽虫用のちゃんとした物ではないけど。滅び行く彼等の世を救済するとしよう。……直ぐに餌を与えてあげるっ!」
ハクシは瓶の蓋を外し。
瓶の中に、装束の袖から取り出した一粒の大振りな団栗《どんぐり》? を詰め込む。……詰め込もうとして、フチで団栗は引っ掛かり、なかなか詰め込めずに。しまいに勢いを付けて押し込んだ。
べちゃり、ぐちゃ、がちゃん。瓶から嫌な音。
ぽかんとした顔のハクシ様。
「――べちゃっと、いきましたね。ハクシ様」
潰してしまうような事して、平気なのか。
リンリは内心で訝かしんでしまう。
瓶の中の半固形物は、飛来した団栗の衝撃と重圧で無情にも“べちゃり”と押し潰されてしまい。光が一層に弱々しくなっているし。
「……んぅ、あれ?」
ハクシは可愛いく頭を傾ける。
「ほう。えーと、餌……餌か?
止《とど》めを刺したんじゃなくて?
小さな世界にとっては、団栗でも文明を滅ぼすレベルの隕石みたいなものなんじゃ……」
「案ずるな、りんり。……たぶん」
「たぶん、ね。ははは」
「あぅ、大丈夫、たぶん……。陽虫はそんなに柔なものではない……はず! がんばれば、まだ生ける……よね? そうだよね! 大丈夫。まだ行ける行ける、絶対行ける! ……我は信じてるとも」
「なぜに少し、精神論なんだ? ははっ!」
笑ってしまって、可愛く睨まれる。
彼女の事を信じたいリンリ。
だがハクシ自身の言が曖昧で、どうにも信じ切れないのが何とも言えないところである。
全面的に信じてあげたいけれど、件の『スケスケ褌事件』なども有ったことだし。やはり今更だが彼女は『ドジっ娘』なのかも知れない……。
「……ん? むぅ、りんりぃ其方……我に対して変な顔をするでないっ! シルシに対するケンタイみたいな悪い顔だっ! 意地の悪い顔だよ」
「いえいえ滅相もない。ハクシ様。
俺の今の顔。えーと、きっとこれは保護者視点的な優しい顔です! けして疑惑の眼差しなどでは」
「もぅ、だからそんな顔で我を見るな!」
「――で冗談はさておき。実際のところ、ハクシ。夜目が利かない俺の、夜道を進む生命線の……それ。陽虫くんはどうなってしまったのでしょうか? えーと、どうにかなりそうかな……?」
「ぁぅ……!」
ぐっと息を飲んだような声。
同時に彼女の尾がびくりと強張る。
獣耳もペタンと伏せられ、縮こまってしまう。
「おーぃ」
「…………うぅ」
黙りするハクシ。
「まさか、団栗でやっちゃった――」
「むうぅっ……」
「やっぱり、止めを刺しちゃたんじゃ――
「――否、そんな失敗を我がするわけ無い。元より、我は其方に『陽虫を使い、系統を統べる力を示す』って言ってたよねっ!! これは、その、その前準備に過ぎないから!!」
「そうなのか? 悪い。いや、てっきり……」
「てっきり!? むうぅ、りんりは人の良さそうな顔をしておいて意外と意地が悪いねっ!
ならば、ならば。其方はそこで一歩下がって見ていると良い。ちゃんと示すしか有るまい。我の、系統導巫ハクシの系を統べ、導く巫としての、神の代行者たる存在としての力をっ!!」
ぷんすか。飛び上がり、両手をふりふり。
声高々に何やら豪語するハクシ。
「……おい、変なスイッチ入ってないか? 自棄になってないか? ちょ、大丈夫なのかッ――」
――あぁ、その瞬間から。
「ン、うッ――」
――その瞬間からの出来事を、リンリは生涯忘れる事は無いだろう。決して、絶対に。何が有ろうとも忘れる事はできないだろう。
あらゆる意味で、それはこれまでの人生観や常識や理屈を逸し超越した、魂にまで刻まれてしまうような光景であって……。
――これから何度か目にする事となる、此土で始めて体験した統巫の起こす“奇跡”は、同時に彼が彼土の常より完全に乖離した事実を物語っていた。
「我は統巫――」
――紡がれる言ノ葉。
「――系統導巫。
此土に普く、生きて、逝きて、行き続ける諸行無情なる命の系統を導く巫。系統導巫のハクシなりっ!」
――初対面の時に名乗られた、その口上。
「――ハクシ、お前、肩のそれ……光って?
いや、それよりも……なんだ、この感じはっ?」
ハクシがその言葉を紡ぎ出し、それに呼応するように夜闇を照らす温かい光の帯。
光の帯の正体、光源は彼女の羽衣。
ハクシの背中に掛かっていた羽衣……その呼び名を、たしか『ユリカゴ』と言ったか。
彼女の統巫という存在の証らしい、それ。
普段はそれほど存在感の無かった羽衣が、なんと淡く光り始めたではないか。
「……ぇえ!?」
驚愕。けれど、その程度の驚きは序の口。
「生き、逝き、行き続ける幾多の命よ!
其の辿り、至り、語りし系譜、系統よ!
――我は、万物の一端を司る一柱、彼ノ者の代行。示したる其の責は、生命を慈しみ、摂理を定め眺める者。命を愛で撫でる者の権能なり……」
まるで、詞歌でも吟詠するような口上。
やたら仰々しくて、言葉の意味を説く事すら叶わないけれども。どこか心の底へ静かに透き通り、次へ次へと繋げられる言ノ葉の紡ぎ。
――そうして。その言ノ葉に合わせて、空間に響き渡り。振動を伝え、共鳴する……音色か。
否、違う。音なんてものは無い。辺りは静寂に包まれているのだから。つまり、音の無い声。
きっと声なのだろう。姿形の無い、音としても不確かな存在の、幾多の重なり合う声達。
「――何だッ?」
――何か……何か達の声。徐々に増す声の響き。
「これ……周りの命の声、なのか?」
――そこで、感じ取れた。其れは、命の声だ。
五感の認識を越えた、一生命としての本能的な直感で“そう”感じ取れてしまう。
――自分達の周囲を取り巻く“命”という要素。
言ノ葉にするというなら、この世界が、この大地が、草や樹の一本一本が、小動物が、虫達に至るまでが、敬うべき彼女の声に呼応して『“其処”に“居る”』と存在を主張してきているのだ。
――音としての声を持たぬ命が、その魂を響かせて謡っているが如く。音の伴わぬ声を出す。
そして『望みを告げてくれ』と願う。尊き“彼女”の求める“意思”に応えようとして。……無理に表現するならば、そんな情景やら心象の数々がリンリの頭の中に浮かび上がる。
「うっ、ぐぅゥ……ッ。変な気分だ……な」
――けれど、自分は謡ってなどはいない。
そんな謡い方など知る由もない。加えて謡う気も起きない。何故ならば、単純なこと。此土で生まれたものではないから。
ここで共に謡えていないから、遍在する幾多の声達に『お前は邪魔だ』と退けられ。『ならば分を弁えろ』と重圧を加えられ。それに耐えることすら許されずに、自己の存在が押し潰されてしまうという錯覚に襲われている。
「……うぅゥ……くッ……」
ここに居ると、自分という存在がどんどん小さく思えてしまい。よくわからなくなる。何故に自分は「存在しているか?」という生命の根幹的な疑問が頭の中で沸き上がる。やいのやいのと音無き声からの圧迫。甚だしく程度を増す苦痛に加えて――
――脳裏を過ぎる不可解な情景。
細胞のようなものが分裂する様子が心の中に描き出される。誰彼の生命の断末魔が木霊する。
畑のような場所に生えた様々な動物の頭という気味の悪い景色。頭の無い赤子の産声が響き渡る。
戦をしているような動きをする墨色の人形達の姿が見える。青空の真ん中に浮いた人の脳味噌の形をした物体が、鳥のような美しい囀ずりで鳴く。
人間が口を開くと、口の中から鳥が羽ばたき。鳥が嘴を開くと、嘴の中から蛇が捩り出て。蛇が牙を開くと、牙の中から蛙が現れ。蛙が――そう延々と繰り返された末に、何も無くなった無機質な世界。円になって唄を口にする童子達が、突如悲鳴をあげて獣のような姿に転じて行く詩が流れる。
誰彼の亡骸が腐敗し骨になり、塵芥となり、植物の芽が顔を出してくる映像。手を伸ばした先に有った果実は大地に落ちて砕け散る。赤い雫が落ちて水面を揺らすと、どこまでも広がる水平線は狂ったように笑い声を挙げて黒く染まった。
何処かに生えた大樹の姿が揺れ、幹が大きくなり枝を広げ、青々と繁って行き。静穏で健やかな成長の果てに、朽ちて枯れて行く――。
――襲ってくるものは断続的で、かつ実体の無い意味不明なモノだが、もはや許容出来ない程となった苦痛と居心地の悪さは計り知れないもの。最初こそ違和感を抱いた程度だったものが、次第に不快感となり、精神が冒され、明確な苦痛へと転じた。
「ぁ……カハッ……ァ!」
ハクシが口上を唱え初めてから、経過したのはほんの数十秒程度だったのだろうか。しかし襲いくる苦痛と精神汚染に耐え続けたリンリには、もう何時間の間にも感じられた。疲労感と自己の喪失感から呼吸の間隔を違え、フラつき。ついには膝をついて大地に倒れこんでしまう……。
「――りんり、其方っ!?
そう……ごめんね。直ぐに終らせるから!」
ハクシは呻くリンリに気付き、慌てて持っていた枝をまた鞘から抜くと地面に放って突き刺した。すると、羽衣が一層に輝きを放ち、彼女の肩を離れ、その周りを円形になって優雅に回り出すのだ。
「我が呼び掛けに呼応し、示せ。各々が与えられた役目を従事せよ。瓶中の団栗……の種子よ、その実を他の命の糧とせよ。菌類、小さき命よ、糧となる種子を腐敗させ、変質させよ。陽虫よ、変質した種子を喰らい、再びその身に灯を!! ……そんな感じでお願いね?」
ハクシは捲し立てるように。
割り当てた各々へ指示のような一言を掛けて、直ぐ様にその場の事を納めたらしい。
――それらは、彼女に従うように。
硝子瓶の中の団栗が割れ、腐り、崩れ、液体の中にドロドロと溶けていく。そうした自然の摂理の廻りで、幾らか刻の掛かるだろう経過を瞬時のうち経て至った結果。徐々に温かく力強い灯りを取り戻して行く小瓶の小さき命。
彼女が小瓶を掲げ、大地に刺さった小刀をハクシが拾って回収すると、やっとリンリを襲っていた“実体の無い錯覚”は始めから存在しなかったように四散した。
絵空事。神、超常のそれに準ずる奇跡。
リンリの生きてきた現代では文明が発達し、夢語りな空想とされた旧時代的な産物。
そんなモノ、直接に見せられでもしなければ信じられない。信じられなかった。
けれど実際に見せられてしまったのだ。
奇跡、人智を越えた何かを感じさせられた。
正直、彼女達の言う“神”とは、務める神職のような役がら、責がら形作られた都合の良い偶像ではないかと。現代で凝り固まった想像力が、異世界という現実を思い知ってもなおどこかで認識を拒んでいたものの。だが、
だがしかし――。これには納得した。
納得せざるを得ないではないか。
「――ハッ、はぁっ……はぁ。
トウフ……いや、統巫か。凄いな……ハクシ。本当に、神の代行者的な存在なんだな……そんな存在が居るのか……すごいな……はぁ、ハァ」
――どうも、この世『此土』には、
本当に“神様”が居るらしい、と。
応援ありがとうございます!
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