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◇二章【晴天艱難】

二章……(七)  【翼は無くて】

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「……この地に禍をもたらしたのは、禍を呼び込んだのは、私です。全て私のせいなのです――」

 その言葉はソラが、彼女があまりにも悲痛な面持ちで口にした『打ち明け』であった……。



 ◇◇◇



 ……吹いていた木枯らしが、ぴたりと止む。
会話の邪魔をしないように鳴りを潜めたらしい。
 妙に心配りができる風だ。大気の揺れ動きなだけあり場の空気を読むのはお手の物という訳か。

 けれどむしろ強い風でも吹いて欲しかった。
そうであれば彼女の発言が一度は有耶無耶うやむやになり、風が止んでから『なんと言ったのか』と聞き返すまでが猶予になっただろうに。その間でリンリは言葉の意味を少しは思索できたというのに。

 猶予は無く。すでに沈黙は互いに毒。張り詰めた空気に向かい。尻尾を立て、牙を噛み鳴らし、

「――ソラさんの……せい?」

 リンリはそう返すしかできなかった。
 対してのソラは自虐めいた笑顔で頷くだけ。

「ソラさん……。意味が解りません。
解りませんから、詳しく話してください」

 リンリが求めると、再び頷いて。
 彼女は拳を固く握って身体を震わせた。
 何度か唇が開閉され、言葉が絞り出される。

託統導巫たくとうどうふヒノアサメ様より、系統導巫様へと宛てられた伝言。私はことづかったその内容を……お伝えしなければならなかった。はず、なのに。なのに。お伝え……する事ができなかったのです」

「伝えられなかった? 何かトラブルでも?
その伝言というのは、中身を俺が訊いても?」

「えぇ」

 伝言の内容とは、

「『禍淵マガフチを祓う方策にして。禍の親玉を群れから隔離するため、内密に親玉を統巫屋の境界に誘い込む別動を許して欲しい。内密にする理由は策を邪魔する不穏な動きがあった故。どうかご了承を。進行と後始末は全てこちらで済ませるが、万が一に備えて警戒をされたし』という旨の伝言でした」

 策定の席では一切されていない内容だ。

「内密。内密に――」

 言葉を反芻はんすうし、目を細めるリンリ。

 ……事実だとすれば、統巫屋ここ禍淵バケネズミが入り込むところまでは『事故』などではなく『計画通り』だったということで。それにより、万が一の事態になる可能性があるため統巫屋そっちも備えておけと一方的な後出しの形で対応まで求めていたらしい。リンリは先方の統巫達の手前勝手さに憤りを感じつつ、心を乱さないように瞳を閉じて。あの不可解かつ鬼一口な状況となった裏側の事情を嗅ぎ取る。

「――内密にか。そうか、なるほど」

 件の『禍淵バケネズミの統巫屋領内侵入騒ぎ』顛末。
 まずどうして安全な筈の領内に侵入されてしまったかという部分。思い当たる節の一つでリンリは『丸綿うさぎが原因では?』と考えもした。
 集落の童女ちゃんが統巫屋に連れて来るため『即席で用意された通行の印』である“草の編み飾り”を一部食べさせた丸綿うさぎ。その丸綿まるわたが逃げてしまった先で境界を越え、禍淵バケネズミに補食されてしまったことにより今回の事件に繋がったのかもと。

「リンリ様が拾って下さったのは、私のもの。
女中頭という立場です。証の所持、持ち出し、裁量による貸与を認められていましたので」

「……疑問が解けました。
俺の頭でも、おおむねの経緯も見えた」

 だけど――そんなわけがなかった。
 仮の『通行の証』は、丸綿うさぎが食べて消化した時点でとっくに効力を失っていて。童女ちゃんが統巫屋に連れ込む前に、抜かり無くサシギとソラに報告連絡相談をして安全性は保証していたとも。よって本当の原因は違うとすぐ理解できた。

 明らかな原因だったのは、そう。急ごしらえではない本物の【通行の証】だ。禍淵バケネズミが吐き出した吐瀉の中から発見した“翡翠の飾り”の方。
 ソラも含めて統巫屋へと奉仕に来る集落の皆が首に提げている飾り。そんなものが禍淵の腹の中から出て来たのが不可解でならなかった。鼠退治を手伝っていた男衆が襲われ、奪われたり落としたなんてことは考え辛く。そもそも集落で厳重な管理がなされているという証を持たせたまま紛失の危険がある鼠退治には参加させないだろうから。
 
 ――そういった疑問の解答。内密の方策。
 鼠の群れから親玉を隔離し、引き剥がす必要性。読むことのできた巻物には、あの鼠達が持つ厄介な生態が詳しく書かれていた。従って理屈は解る。群れを囲み、追い詰めて一網打尽にし。加えて親の個体、禍淵バケネズミを群れから離せるならばより確実的に駆除できると。あぁ理屈は解るとも。なのだが、

「わざと証を食べさせ、内に入れて。
招き入れたまではいいが、策が失敗したと」

 道理、統巫屋側への筋を通していない。
 それで失敗していては元も子もない。

 件の真相は、先方の統巫達の方策。察するにそれがいくつか掛け違った結果で起きた禍難。
 ソラが何かの理由で情報を伝達できなかったという部分を差し引いて、元々『策を邪魔してくる不審な動き』があったというなら、むしろ協力を求める統巫屋を信用して中核的な者達とは策を擦り合わせるべきだった。それをしなかった怠慢。

「何が方策だっ! 何が、ご了承をだッ!!
ケンタイさんは……それで死――」

 仮にソラが頼まれた通り、系統導巫様に情報を伝達できていたとしても『進行と後始末は全てこちらで』と言い切られている以上、途中までの辿る道筋はあまり変わらなかったのが窺える。何せ統巫屋は少ない人員を割り振り、どこまで備え警戒すればよいか曖昧であり。それでも戦力としては申し分ないココミという奥の手を内に残していた。
 そうして何が起きたのかは不明だが、統巫屋が関わらない場面で策に不全が生じ。怪我をしながら一人で禍淵バケネズミを追って来たチョウカミネという統巫の少女、別動であったのだろう彼女の発した『邪魔が入った』という意味深い言葉から推察できる悪い旗色、調伏ちょうぶくできぬまま手負いで統巫屋の領域内に入り込む禍淵バケネズミ。この流れはどうしようもない。

 結果からすると。系統導巫様にしっかり伝達がされた場合は、使従の皆までは当然に情報を共有し。リンリと子供達の行動は内情を知るケンタイにより止められたと予想できる。そちらはそちらで問題。領内の自然に紛れた禍淵バケネズミがその後どんな被害を出したのか考えたくもない。
 領内ならば安全だと信じて、丸綿うさぎを探しに出て、そこにケンタイが同行してくれて、不運にもあの時点で遭遇したこと。あれは却って事態の収拾に一番理想的な流れを進んだとさえ言える。
 それで……ケンタイが犠牲になったが。

 頭に血が上る。牙を軋ませ、尾がより逆立つ。
自分が自分リンリでないかのような感覚。必死に自己の感情を抑えて、自分が自分リンリでなくなるのを防ぐ。

「全て私のせい。私の咎はあまりにも大きく。
然るべき罰を受けなければ済まされないもの」

「――ッ! いや、違うだろ!!
違います。そんなわけないでしょう!!」

 起きてしまった事を騒ぎ立てるより、目前のソラと向き合うが先決だとリンリは心を静もる。

 全てがソラのせい、そんなわけがあるか。心に荒波を起こさぬよう注意し、強く言ってやる。

「伝言係、押し付けられた役責がなんだ。ソラさんは悪くない。気に病むことない。罰なんていらないだろ。必要な情報を、必要な場所で、必要な相手と共有しなかったのは誰ですか。リスクを回避しようとして、別の大きなリスクを侵したのは誰か。そりゃ先方の統巫の人達なんですからッ!!」

 ソラはまた首を振って、断崖へと一歩退る。
「リンリ様、ありがたくございます」充血した瞳を潤ませ、唇を噛み嗚咽を溢し。どうみても作り笑顔を浮かべた彼女は「しかしながら」と――。

「伝言の遣損やりそこない、のみならず……。
私は、聞こえた囁きに応えてしまったので」

「止まって。止まれ! そうです、そのまま。
ささやき、応えた? ソラさんは何を?」

「えぇ……応えてしまったのです。求めに。
求めに応えて、私は願ってしまった……」

 リンリはソラに少しずつ寄って行くも、足元に潜んでいた蛇に威嚇され歩みを止められてしまう。いいや、蛇がなんだ。止まった理由は、彼女の言葉が想像を遥かに越えて重かったのが主因であり。

「大切な妹を人ならざる身に転じさせ、人としての幸せを得られぬまま一生を縛る統巫屋こんなばしょなんて。自ら望んでいた私を選ばず、望まぬ妹を奪った統巫屋こんなばしょなんて。恩恵をもたらす系統導巫様に尽くす事を至上の是とし、ただ幾代も重ねて飼われるだけの無為な血脈なんて。一族の存在意義である使従もろくに産出できず、志無き形骸化した因習に、若い芽を錆びた掟によって使い潰す因業。少数の直系の血筋は贅を味わい、大多数の分家が統巫屋で奉仕する暗面。直系の優秀な男子を旅立った系統導巫様に偶然をよそおっててがい、都合の良いツガイとする不義理。かように目を覆いたくなる醜悪な歪みの数々。……こんな、統巫屋こんなばしょなんて。集落の者共あんなものたちなんて。いっそ、厄災によって『滅んでしまえば良い』のだと叫びました。子孫末々の安泰の為に、愚かしくも系統導巫に懇願し土地に取り籠まれる事を望んだ末々である私達には、飛び立てる翼なぞ無いのだから……と。私はあの時、本当に、心の底から統巫屋の滅亡を願ってしまったのです――」

 思わず身体が竦んで、

「……っ」

 リンリは獣の耳を伏せてしまう。
きっと酷い表情をしている自分の顔を覆う。

「…………っ!」

 耳にしたくなくて。直視できなくて。
 知りたくはなくて。逃げ出したくて。
色眼鏡の無い、現実を受け止められなくて。
統巫屋は、自分にとって、優しい世界でも。
統巫屋は、彼女にとって、それほどまでに。

「――あ゛ぁぁあ゛ぁぁァァ……!!
なんで、私は、あのような事を願ったのです?
囁いた者の正体も定かでないのに。願いが、叶えられてしまうやもと。何故、危惧しなかったの。恐れなかったのですか。系統導巫に件の伝言をしなければ、叶えてやると。何故、私は従ったのです?
解りません。けれど、全て、私のせい……あ゛あ゛ぁァァ、あ゛ァァ私のせいですッ……!!」

 動揺からリンリは動けぬまま。

 彼女は一人、断崖の寸前。
暗い感情を吐露とろし、声をあげて泣いていた。
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