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第1章 かなしい蝶と煌炎の獅子

金の王

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 騎獣の背から降りた、十五歳にも満たない少年――金の国の幼き王ギルヴィスは、グランデル王に向かって深々と頭を下げた。その一歩後ろに立つギルガルド王国軍の師団長も、自らの王に倣って深く礼をする。
「申し訳ありません、ロステアール王」
 開口一番謝罪の言葉を口にしたギルヴィスに、赤の王は抱えていた少年をそっと地面に降ろしてから、金の王へを向き直った。
「さて、貴殿は何か、私に謝るようなことをしたのだろうか」
「誰よりも早く戦場に赴き指揮を執るべき身にもかかわらず、初動が遅れ、国民の避難の誘導に手一杯の状況でした。結果、我が国ですべき敵の対処を全て貴方にお任せする形になってしまい、面目次第もございません」
「それは少々認識が違うな」
 言った王が、未だ頭を上げないギルヴィスを見る。
「まずはそろそろ頭を上げてはいかがか」
「しかし」
「私が良いと言っている」
 その言葉に、ギルヴィスがゆっくりと顔を上げる。柔らかな淡い金髪が、まだ幼さの残る白い頬を流れ、ぱちりとした大きな紅玉の瞳が、グランデル王を映した。
「言わねばならんことは色々とあるが、まず第一に、此度の一件、そもそもの始まりは青の王国だ。そこから赤を経由し、最終的に金の国へと持ち込まれたに過ぎない。よって、金の国のみの問題ではなく、赤の王である私が関与するのは当然のことだ。また、敵の力量を見定めた上で、動かせる軍の人員全てを国民の保護に回し、戦闘を私に一任したその判断は、見事と称賛されることはあれど、非難されるようなことではないだろう」
「流石はロステアール王、私の考えなど全てお判りなのですね」
「いや、私が貴殿の立場であったならそうした、というだけの話だ。そして、貴殿ならば私と同じ判断をするだろうと、そう思っただけにすぎんよ」
 赤の王の言葉に、ギルヴィスは一瞬照れたような嬉しそうな表情を見せた。尤も、すぐさまその表情は引き締められたのだが、たまたま見てしまったグレイは、ものすごく呆れたような顔をした。
(リーアさんっつーかグランデルの国民も大概だけど、ギルヴィス王も相当だよな……。なんだってこのポンコツの周りには信者が多いんだ……)
 どうせ赤の王のことだから、自分の背後でグレイがどんな顔をしているかくらい判っているだろうに、彼は振り返ることすらせずに会話を続ける。
「それよりも、私こそ大変申し訳ないことをした。なんとか貴殿の民には危害が加わらないように努めたが、建物までは手が回らなかった」
「何を仰います。現在被害状況の確認をしている最中ではありますが、ドラゴンの襲撃にあったとは思えないほどに、建物への被害は極僅かです。流石は武勇に名高きロステアール王。我が国をお守り頂きましたこと、心より感謝申し上げます」
「貴殿にそう言って頂けると、私も少し気が楽になるな」
 微笑んだ赤の王に、ギルヴィスも笑みを返す。次いでギルヴィスは、赤の王の背後に控えていたグレイの方を向いた。
「久しぶりですね、グレイ。つつがないようで何よりです」
「ありがとうございます、ギルヴィス王陛下」
「先ほどの戦いの様子は、遠目ながら私も見ていました。……とうとうあの魔術を完成させたのですね。まったく、貴方の優秀さには驚くばかりです」
 ギルヴィスの言葉に、グレイは少しだけ苦い表情をした。
「やはりバレましたか……。あれ、銀の国あたりに知られると面倒なことになりそうなんで、できれば隠しておきたかったんですが……」
「ロステアール王が極限魔法を使ったことはすぐに全ての円卓の王に知れるでしょうし、では何故この一帯がほとんど無傷だったのか、という話にまで発展する可能性は高いですね。そうなれば、貴方たちのことも説明せざるを得ないかもしれません」
 そう言われ、グレイはますます顔を顰めた。そんな彼を見て、ギルヴィスが微笑む。
「貴方が偉大な魔術を完成させたのは事実なのですから、いっそ誇ってしまったら良いのですよ。それでこそ、“黎明”の名を授けた甲斐があるというものです」
 赤の王の斜め後ろで黙って話を聞いていた少年は、“黎明”という単語に内心で首を傾げた。だからといって、王二人とその臣下が会話をしているところに割って入る気もなければ勇気もないし、そもそもこの場に存在していること自体が畏れ多くて胃が痛くなりそうだったのだが、何故だか少年の疑問に気づいてしまったらしい赤の王が少年を見下ろした。
「“黎明”というのは、グレイがギルヴィス王から授かった冠位錬金魔術師の称号だ。冠位錬金魔術師は知っているか?」
「え、あ、いえ、知らない、です……」
「錬金魔術師の中でも特に優れていると認定された二十人には、ギルヴィス王より冠位と称号が与えられるのだが、そうなった者のことを冠位錬金魔術師と呼ぶのだ」
「……じゃあ、グレイさんって、とってもすごい人なんですね……」
 あまりにも自分とはかけ離れた話に、少年はただ感嘆することしかできなかった。
「つっても、オレはまだ末席である二十位だけどな」
「おや、その歳で冠位に至っていること自体、とても素晴らしいことですよ」
 そう言ったギルヴィス王に、グレイは複雑そうな表情を浮かべた。
「オレよりも幼いのに遥かに優れている錬金魔術師に言って頂いても、素直に喜べません」
「ふふふ、貴方は相変わらず負けず嫌いなのですね。……しかし、そもそも何故ロステアール王がこのような時期にギルガルドに?」
 ギルヴィスの当然の疑問に、赤の王はにこりと微笑む。
「帝国の策略で盗まれてしまった私物を探しに来てな」
「私物、ですか。わざわざ帝国が盗むとなると、重要な物でしょうか?」
「いや、そのようなことはない。レクシィは頭を抱えていたようだが、所詮はただの被り物だからな」
 その言葉に何かを察したらしいギルヴィスが、ライデンの上のレクシリアにちらりと視線を投げる。
「……なるほど、それはまた重要な物を盗まれたのですね……。宰相殿の心中、お察し致します」
「ははは、何のことかな」
 笑ってみせた赤の王に曖昧な微笑みを返してから、ギルヴィスは視線を少年へと向けた。
「ところで、そちらの方は?」
 ギルヴィスの赤い瞳に見つめられ、少年は思わず赤の王の服の裾を掴んでしまった。だが、すぐにその顔が少しだけ惚けたものになる。金の国の王は、少女と見紛うほどに甘やかで美しい顔をしており、美しいものに弱い少年にとっては、なかなか直視しがたいものだったのだ。
 とろん、とした表情のまま何も言わない少年の頭を撫でてから、赤の王が代わりに答える。
「キョウヤ・アマガヤという。この国に住んでいる、貴殿の民のひとりだ。色々な事情が重なり、此度の一件に巻き込んでしまった」
「我が国の民でしたか。それは失礼を致しました。ドラゴンまで関わるような大事件に巻き込まれたとあれば、大層疲れたことでしょう。もしよろしければ、皆さま、我が王城に招かれてはくださいませんか? ロステアール王とはまだお話したいことがありますし、キョウヤさんとグレイと宰相殿は、少しお休みになった方が良いでしょう」
 ライデンの上で気絶しているレクシリアをちらりと見て、ギルヴィスがそう言った。
「それは有難い。それでは、お言葉に甘えることとしようか」
 そう言った王がグレイを見れば、グレイも無言で頷いてから、ギルヴィスに深く礼をした。
 困ったのは少年である。この場にいることすら場違いも甚だしいのに、王城へ行くなどもってのほかだ。畏れ多いし絶対に居心地が悪いに決まっていると、断ろうと思ったのだが。
「お前も一緒に来るだろう?」
 太陽と炎を混ぜたような金の瞳に見つめられてしまったら、何も考えられなくなってしまう。とろりと溶けた思考のまま、なんとなくぼんやりと頷いてしまった少年がはっとしたときには、もう遅かった。
「それではまず、あの少女を避難所まで届けてやらねば」
「それでしたら、こちらでお引き受けしましょう。ヴァーリア」
 ギルヴィスの言葉に、ヴァーリアと呼ばれた師団長が心得たように前へ出た。赤の王やレクシリアほどではないが、鍛えられた立派な身体の彼は、赤の王獣に深く頭を下げて礼を示してから、その背で眠っている少女を抱き上げた。そして再び王獣に一礼をした彼は、次いで赤の王にも頭を下げた。
「我らが不甲斐ないばかりに、ロステアール王陛下には多大なご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません。この子を含め、多くの国民の命を救って頂きましたこと、深くお礼申し上げます」
「これはまた、随分な謙遜だな。貴公の武勇は我がグランデルにも響いているぞ、カリオス・ティグ・ヴァーリア師団長。貴公が自由に動けたならばあるいは、あのドラゴンを牽制することもできたのではないか?」
 顔を上げたヴァーリア師団長は、その濃い赤の瞳に少しだけ困った色を浮かべて苦笑をした。
「それは少々私を買いかぶりすぎです」
「果たしてそうだろうか。貴公の腕ならば、十分にあり得る話だと思うが」
 至極真面目な王の言葉に、師団長は再び深く頭を下げた。
「お褒め頂き恐縮です」
「いや、褒めたつもりはない。事実を言っただけだ」
 そう言ってから、王が所在なげに地面を見つめていた少年を抱き上げる。相変わらず突然のことに、少年の喉からはやはり情けない声が出た。
「それでは、王宮にお邪魔するとしようか」
「あ、あ、あの、僕、」
 行きたくない。とても行きたくない。
 だが、王に止まる様子はなく、彼は少年を抱いたままさっさと王獣に跨ってしまった。少年が思わず助けを求めるようにグレイの方を振り返れば、彼もまたレクシリアを乗せているライデンに跨りつつ、憐れむような目でこちらを見ていた。
(そ、そんな顔するくらいなら助けてください……)
 そう思った少年だが、まさかそれを言う訳にもいかず、結局王の膝の間で身を縮こませるしかなかった。
「ロステアール王、もしや、王獣に乗って行かれるおつもりなのですか……?」
 恐る恐るといった感じのギルヴィスの言葉に、グレイは内心でこれが真っ当な反応だよな、と思った。
「こいつしか丁度良い騎獣がいなくてな。本人もやる気のようだし、まあ、構わないだろう」
 だから王獣を騎獣扱いするな、という台詞を期待したグレイだったのだが。
「……なるほど、王獣にそこまで認められるとは、やはりロステアール王は素晴らしいお方だ」
(おーい、誰かツッコミ入れてくれー。認められるとか認められないとかじゃなくて、王から王獣から国民から、何から何まで頭おかしいだけだぞー)
 グレイの心の声は、しかし当然ながら、誰にも届かなかった。
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