胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

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捌の抄 罪と罰

其の参

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 頬を真っ赤に腫らした柊介を見て、
「クソッ、けっきょくアイツか!」
 と八郎は怒りをあらわにした。
 
 なぜひとりで乗り込んだのだ、とか、つぎ行くときはおれもいっしょに行って殴ったる、とか──およそおだやかな八郎には似合わないセリフに、武晴はププッと笑いをこらえる。
「あないなこと言うてますよ、柊クン」
「ほっとけ」
 柊介はうんざりした顔で椅子にもたれた。
 しかしただひとり明夫は不安そうに眉をしかめる。
「いやでも、ホンマにここまでのストーカーになっているとは。柊介も、なにも呼び出されたからって無視すりゃよかったんちゃうんか」
「アイツが俺をただ呼び出すわけないやろ」
 といって、柊介が携帯を明夫に見せた。画面にはSNSのトーク画面、そしてそこに連なった数枚の写真がうつっている。
「こ、これ」
「その写真送り付けてきてからに、エエ女やさかい紹介せえ、とか、前は殴り損ねた、なんていわれたら行くしかねえやろ」
 そして呆れたようにため息をついた。
 写真にうつっているのは、春菜や京子、恵子。ほかにも武晴や明夫、松子の下校シーンや、いったいどこで撮ったのか八郎と環奈のツーショット写真まで。
 八郎と武晴も画面を覗き込み、うわあと顔を歪ませた。
「暇なヤツ!」
「きっしょ」
「俺らだけやったらどうでもええねん。また半殺しにでもしたらええ、けど──女子を巻き込むとなると話は別やろ」
「まあ、こんなかで太刀打ちできるんは松田くらいやろなあ」
 と呑気にいった武晴に、明夫はムッとした顔で頭をふる。
「松田かて女や。対三沢やったら負けてまうかもわからへん──」
 どちらにしろ、と柊介は腹をおさえて机に顔をあずけ、じとりと八郎を見上げた。
「喧嘩したところでアイツがくたばらんかぎりは堂々巡りやねん。とりあえずハチはおめーの姉貴に連絡して、とうぶんいっしょに帰るように言うとけ。あとは武晴、四宮にもな」
「わかった。……」
「任せろィ! ……あーでも松子はもう帰ってもうてるわ。とりあえず松田がいてるさかい、あっちに言っとこか」
 と武晴はなぜか明夫の手をとって、上機嫌に恵子のもとへ向かう。
 その姿を目視してから柊介は八郎をじとりと見上げた。
「ハチ」
「ん」
「高村に言うたんか」
「────しゅう」
「……あ?」
 八郎は携帯に視線を落としたまま、
「夏休みまでには、なんとかしよな」
 と、口元に笑みを浮かべてそういった。

 ※
 その日の放課後のこと。
 環奈は高校正門前で八郎と柊介の帰りを待っていた。先ほど八郎から「しばらく一緒に帰ろう」と言われたからだ。
 ひとりで学校付近を歩くな、とのことだが、待ちきれずに来てしまったのである。
 しかし環奈は問題ないと思っている。
 なぜならいまは、
「小町ちゃん」
「なぁに環奈」
 と微笑む『式』の小町がそばにいるので、ひとりではないからだ。
「小町ちゃんがかんなたちとおんなじ格好してるの、はっちゃんもシュウくんも見たことないデショ。きっとびっくりするのネ」
「いやだわ、それほど大したものじゃないのに」
「うっふふふふ」
「ウフフ」
 などと笑いあうふたりは気付いていない。
 パラパラと下校をはじめた高校生たちが、麗しき乙女たちに目を奪われていることを。

「のど乾いちゃったのネ。お水買ってくる!」
「まあ。でしたら小町もお供しましょう」
「はっちゃんたちが来ちゃうかもしれないから、小町ちゃんはそこで待ってて!」
 と環奈はにっこりとわらった。
 自動販売機はすぐ近くの曲がり角にある。高校の正門からは死角ながらすこし位置を動けば目が届く場所ではあるが、小町を長くひとりにしておくのも忍びない。環奈は足早に自販機へと駆け寄った。
「えーっとォ」
 財布から小銭を出し、投入する。指先ですこし迷うそぶりを見せてから、スポーツ飲料のある上段のボタンに指を添えたときだった。
 ピッ。
 と、下段のボタンに武骨な指がかかっている。環奈はハッと顔をあげた。
「よお、えらい別嬪さんやと思うたら──アンタかよ。刑部のアネキやろ」
「…………」
 三沢智弘。
 ニタニタと下卑た笑いを浮かべ、環奈の顔をずいと覗き込んでくる。その顔を認識した環奈はサッと顔色を蒼くした。恐怖──ではない。怒りで血の気が引いた顔である。
「あ」
 とひとこと呟いてから、環奈はゆっくりと身をかがめて飲み物を自販機から取り出す。出てきたのは、飲もうとしていたスポーツ飲料ではなくレモンティーであった。
 じっと無言でペットボトルを見つめる環奈に「レモンティーは嫌いですかぁ」と三沢がケタケタ笑う。気が付けば周囲には、どこから出てきたのか五人ほどの取り巻きに囲まれている始末。環奈はゆっくりと顔をあげて三沢をにらみつけた。
「……キライ」
「そら悪かったッスねェ。いま自分それ飲みたい気分やってんですよォ」
「キライ。かんな、おまえキライ」
「……あ?」
「嫌いキライ。返して!」
 環奈がまっすぐ手を伸ばす。
 金のことか、と首をかしげた三沢に首をふり「お金じゃないッ」と叫んだ。
「シュウくんパパ、返して!」
 その言葉に、こんどは三沢の顔から血の気が引く番だった。

 そのころ、校門前にてひとり立ちんぼ状態だった小町は、環奈が死角にいるであろう曲がり角を見たり、校舎を見たりと忙しなく首を動かしていた。心細い。校舎から父が出てこないものだろうか──と祈りをこめてふたたび視線を校舎に投じる。
 そのときだった。

 ──返して!

 という環奈の声。
 そう遠くないところから聞こえた。小町は曲がり角の方へ視線を向けて胸の前で手を握る。
 なにやら尋常じゃない声色だ──といっしゅん校舎を見てから、小町は駆けだした。
 角を曲がってすぐのところに、環奈はいた。
 しかしその周りは五人の男に囲まれて、さらに殊更ガタイのいい男が環奈にガンを飛ばして、いまにも殴り掛からんとしている。
 小町はとっさに
「環奈!」
 と叫んだ。
 一瞬にして男たちがこちらを向く。環奈も驚いた顔で小町を見た。
「おうおう、こりゃまた──」
 と、ガタイのいい男が一気に笑顔になって小町に身体を向ける。
 これほどの男たちに一斉にきたない視線を向けられたのは初めてだ。小町の身体は硬直した。
「小町ちゃんッ」
 周囲の男たちを突き飛ばして、環奈は小町に駆け寄った。
 ふたりは手を伸ばして互いの指を絡める。身体が動かない小町をかばうように自分の背後に追いやって、環奈はふたたび三沢を睨みつけた。
「なんやその眼は!」
 と、三沢が環奈の髪を掴む。環奈の手からレモンティーのボトルが地面に落ちた。
 長く艶のある黒髪がぐっと張りつめて、環奈の端正な顔がゆがむ。
「やめて……やめて、環奈が……」
 小町が全身を震わせる。ぼろりと左目から涙がこぼれたときであった。

「オイ、なにしてるんだ?」
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