胡蝶の夢に生け

乃南羽緒

文字の大きさ
136 / 139
廿三の抄 胡蝶の夢

其の参

しおりを挟む
 和本は完成した。
 名残惜しくも浜崎へ別れを告げたのち、高村と小町は駅からの帰路をあるく。
「この和本は──私が冥土の土産に持ってゆこう」
「よいのですか」
「いいのさ。これがなくとも、この国には私が思うよりも百人一首が知られているようだから」
 それに、と高村は完成した和本をぱらりとめくる。
「これはやっぱり、あの三人のものだからね」
「……それもそうですね」
 小町の顔は沈んでいる。
 その理由がわからぬほど高村も無神経ではないつもりだ。彼女の肩をぽんとたたいて、苦笑した。
「小町、……いちど私は冥土へゆく。そうしてこちらに戻ってきたそのときが、お前は和本へ、私は冥土へと戻るときだ。それまでにお前も心残りをなくしておけ」
「……はい。あの、八郎さまたちには」
「アイツらにはまだ、和本が完成したことは言わないでおこう。いついなくなっちまうかと気が気じゃなくなるだろうから」
「わかりました」
 意外にも小町はすなおにうなずいた。
 きっと、残り一首となったときからこの時がくることは覚悟していたのかもしれない。
(……すまんの、小町)
 父の勝手な都合で本来ならば負うことのないさみしさを背負わせてしまった。
 足取り重く、住処に入っていく娘のうしろ姿に、高村は胸を痛めずにはいられない。

 ※
 廿楽匠はめずらしく夢を見た。
 ふだん爆睡しているためか、見ているにしても記憶にないことがほとんどだ。しかし今日の夢はいやにリアルで、まるでいままでが夢でこれが現実とも思えるような──そんな錯覚さえ起こすほどである。
「廿楽さま!」
 遠くで、だれかがこちらに手を振っている。
 廿楽匠の視力は野生動物なみの二.〇。その人物がだれなのかはすぐにわかった。
「おおお前は──こま、ち」
 小町。
 だったけれど、しかし今日は雰囲気がちがう。そうだ、お雛祭りでよく見るような十二単をまとっているからだ。
「なんだお前、そんなかっこうで!」
「うふふ。しょうがないじゃありませんか、夢のなかじゃこのかっこうしかできないんです」
「ふうん? 変な夢──」
 廿楽はぼりぼりと頭を掻く。
 それをいとしげに見つめてから、小町はパッとわらった。
「ね、廿楽さま。前に約束してくださったでしょ」
「なにを?」
「ほら、この小町が死ぬる間際にはそばにいて、手を握ってくださるって。あと子守唄も!」
「ああ。言った言った。言ったけどそれがどうした。お前いま死ぬ間際なのか?」
 そうは見えないが、と紅潮した頬を見る廿楽に、小町は首を振った。
「そんなようなものなんです。ていうか、夢なのですから細かいことは言いっこなし。いま、それをやってほしいのです!」
「はあ、まあ別にいいけど──ま、夢だしな」
「そうそう。夢ですから」
「なはははは。そうか、夢なら仕方ないな。ようしやってやろう、そこに寝ろ!」
 と暗闇の一点を指さす廿楽に、小町は弾んだ声ではい、と返事をした。
 まったく、これほど肌艶のよい死にかけの人間がいるだろうか──とは思ったが、彼女の言うとおりこれは夢。ならばノリよく対応してやらねば。
 廿楽は横たわった小町の手を握り、着ぶくれした着物をポンポンとたたいてやった。
「それで、これはいつまでやればいいんだ」
「もうちょっと」
「うん」
 ポンポン、ポンポン。
 廿楽にしてはひじょうにやさしい手つきで、彼女を寝かしつけてやる。
「まだかァ?」
「……もうちょっと」
「うん」
 ポンポン、ポンポン、ポンポン。
 ふと、廿楽が気がついた。
 心なしか横たわる小町の表情がさみしそうに歪んでいく。
「どうした、まだやるか?」
「ええ。あ、廿楽さまったら子守唄をわすれています」
「ああそうか。どんな唄だっけなァ──ええっと」
「どんなのでも構いません。うたい終わったら、それがさいご」
 といって小町は瞳をとじた。
「ようし、じゃあ唄ってやろう」
「あ、まって廿楽さま」
「なんだよ今度は」
「唄うときは、目を──つぶっていて」
「うん? わかった」
 妙なお願い事をする女だな、と内心で首をかしげながらも、廿楽は律儀に言われた通り目をつむった。
 子守唄というのはあまり聞いたことがないが、たしかこんなような唄だった。

「ねーんねーん、ころーりぃよ」
 おこーろーりーよー。

 廿楽の声量は、それはそれは子守をするには大きすぎるものだったが、それでも小町はしあわせな気持ちで聞き入った。
「坊ーやーはぁ、よいーこーだ。ねんねーしなー」
 横たわる小町のこめかみに雫が伝う。

 坊やのお守はどこへ行った
 あの山越えて里へ行った
 里の土産になにもろた

 なぜだか湧き出てくる唄の歌詞を、内心ふしぎに思いながらも、廿楽は瞳をとじて高らかにうたいあげる。
 小町はゆっくりと身を起こした。
 ぽろりとこぼれる涙の雫はそのままに、握られた手をぎゅうとつよく握り返して、廿楽の顔に唇を寄せた。

「……ありがとう、廿楽さま」

 ふるえる声。
 ハッと廿楽が歌うのをやめた瞬間、頬にやわらかい感触をおぼえた。
 なにかおかしい、と瞳をあけた廿楽の前には、だれもいない。

「…………」

 いまのいままで握っていた、感触すらのこる手も、いまは心もとなく宙をつかんでいる。
 あれほど絢爛豪華な着物をまとった彼女の姿は見渡してもどこにもいなくて、ただ、横たわっていたところに見つけた雫の跡が、この夢の意味を廿楽に教えているような気がした。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔
キャラ文芸
​【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】 「選ぶのはお前だ」 ――そう言われても、もう引き返せない。 ​ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。 そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。 彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。 ​「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。 なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに! ​小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。 その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる―― ​これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。 ​★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』 この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中! https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858

幽縁ノ季楼守

儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」 幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。 迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。 ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。 これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。 しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。 奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。 現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。 異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー 様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。 その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。 幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。 それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

祓い姫 ~祓い姫とさやけし君~

白亜凛
キャラ文芸
ときは平安。 ひっそりと佇む邸の奥深く、 祓い姫と呼ばれる不思議な力を持つ姫がいた。 ある雨の夜。 邸にひとりの公達が訪れた。 「折り入って頼みがある。このまま付いて来てほしい」 宮中では、ある事件が起きていた。

大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ

鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。 それが約50年前。 聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。 英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。 俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。 でも…英雄は5人もいらないな。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

処理中です...