片翼のエール

乃南羽緒

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第二章

27話 あれで3なのか

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 蜂谷司郎。
 常に冷静沈着で感情に流されない試合運びを展開、人一倍に優れた観察眼によって相手の弱点およびステータスを予測する。その様はさながら生きたAIである。
 得意ショットはライジングショット。調子に乗らない神経質な性格から、ラリー中もめったにフォームが乱れることはない。ゆえに、
「ゆえに──大神に匹敵する打球安定感を誇る」
 と、黒鳶色のブレザーとチャコールグレーのズボンを履いて仁王立ちする、ひとりの男子生徒がつぶやいた。うしろにはおなじ制服の集団がぞろりと並び、彼らの視線はみなA、Bコートへと注がれている。
 へえ、と。
 集団の中から七浦愛織が顔を出した。
「井龍くんは、そういう情報は気にせん人かと思てた」
「当然だ。結局、ゲームが始まればそんなものは蛇足になる」
「ほー、暗唱できるほど人のノートを読み込んでおきながらよく言ったもんだ」
 井龍の肩を叩く猫目の男子。桜爛大附S2の仙堂尊である。
 初戦は青峰だそうだぞ、と。
 桜爛大附D1の播磨十郎太が駆けてきた。落ちつけ、とその首根っこを掴むペアの中津川鉄心も瞳はしっかりとA、Bコートに注がれている。
 コート前では才徳メンバーによる円陣が組まれ、大神のかけ声を合図にいま一度気合いを入れている。仙堂はうすいくちびるを歪めて、
「まずはS3とD2のお手並み拝見といったところか」
 と、ほくそ笑んだ。
 先週の都大会を終えて一足先に関東大会への首位通過を決めた桜爛大附のレギュラーメンバーは、この県大会決勝リーグで、今後の大会において宿敵となるであろう才徳学園の試合見学に来た。彼らがもっとも注目しているのは、当然、インターハイにて先輩である如月千秋を極限まで追い詰めた大神謙吾だろう。
 しかし昨年、当時一年生ながら才徳レギュラーとして全国を戦った選手は、大神のほかにも四人いる。彼らの実力を見定めるためにも、今回の県大会決勝リーグ──とくに目玉となる青峰戦は見るに欠かすわけにはいかない、と仙堂が一同を引き連れてきたのであった。
 本間くん、と愛織が背後に立つ人物に目を向ける。
「青峰の水沢さんが全国区なのは分かるんやけど、ほかの人のことは知ってる?」
「どれどれ──いや、S2はだれだ。見慣れねえなあ。D1は、春季大会で見かけた気もするけど」
 桜爛D2の本間恭平である。
 兵介はどうだ、ととなりに立つ男子生徒へ視線を寄越す。
「僕、他校はあんまり知らないからな。恭平が知らないのなら僕も知らないよ。他校の情報なら遼のがくわしいんじゃない?」
 ペアである忽那兵介は、人のよさそうな笑みを浮かべてにっこりわらった。そのうしろで蜂谷のサービス練習をじっくり見つめるS3の一年生、咲間遼太郎をぐいと引き寄せる。
「ね。遼は青峰知ってる?」
「はぁ。水沢さん以外ってなると、S2の犬塚とD1のふたりもすこしは手強いらしいですよ、まあウチほどじゃないでしょうが」
「お前のエベレスト級の桜爛プライド、もはや称賛に値するよ」
 と、仙堂はわらった。
 AコートはS3のサービス練習が開始されており、となりのBコートではすでにD2青峰学院のサーブから一ポイント目がはじまったところである。
 やっぱり、と忽那がAコートのベンチを見る。
「青峰のコーチってまだ堤さんなんだね。だったらD2もS3も、選手はかなり仕上がってるんじゃないかい」
「それならちょうどいい」
 仙堂は口角をあげた。
「才徳が大神だけのポッと出集団かどうか、ここで試されるってわけだ」

 蜂谷サーブからはじまったS3試合。
 青峰学院は和泉小太郎。彼の持ち味は、よく伸びる打球とスピンである。スライスとトップスピンを使い分け、相手の動きを揺する。打ち合っているとだんだんストレスが溜まるだろうボールさばきに、井龍は眉をしかめた。
「おい尊。あの青峰S3、和泉っていったか。なんだあの打球は」
「なんだって俺に言われても。まあたしかに特段強いってわけじゃなさそうだが──見てるこっちもイライラしてくるな。美しくない」
「蜂谷くんもよう付き合うとるね。うちやったらラリー崩して前に出てまいそうや」
 愛織も不快そうに眉を下げる。
 しかしそれが相手の作戦なのだろう。ふだんならばこの程度のラリーで息は上がらない蜂谷だが、相手の動きを予測せんと緊張しているらしく、わずかに息が荒い。
 ポイントは一進一退の30-30。
 その試合を凝視する咲間のとなりに、井龍が並ぶ。
「どうだ咲間。お前から見た才徳のS3は」
「はァ、あれで3なんですねぇ」
「どういう意味だ」
「あの程度でもS3に入れるんですねって、そういう意味です。だって正直、この一ゲーム見たくらいですけど、ストロークなんかうちの準レギュくらいじゃないですか?」
「なんだ。勝てる気満々だな」
 なぜか井龍は鼻でわらった。
 てっきりそうだな、と同調されるとばかりおもっていた咲間は「え?」と眉を下げる。
「井龍先輩は、そうは思われませんか」
 才徳対青峰のS3試合、咲間の目には一見するとひどく退屈な試合に見えた。ただでさえ派手な試合をする先輩に囲まれているのだ。蜂谷の、淡々とラリーを繋げるばかりの消耗戦は、自分と似たプレイスタイルでもあることから、なおさらつまらなかった。が、どういうわけか桜爛大附のシングルスプレイヤーたちは、些か緊張した面持ちでその試合を見つめている。
「あれがお前に見えているのだとしたら、お前もまだまだだということだ」
「え」
 となりで聞く仙堂も、ゆっくりとうなずいた。
 たしかに桜爛二年生レギュラー陣もおもっていたことではある。
(あれで3なのか)
 と。
 しかしそれは咲間の言った意味ではない。
 あれほどの実力を持ちながら、それでも3なのか?
 という疑問である。
「…………」
 一瞬ただよった緊張感。
 が、「う~ん」という呑気な声がその空気を壊した。うしろで手をぐっと空へ伸ばす七浦愛織だった。
「蜂谷くんといい、D2のふたりといい──才徳はフォームがきれいやね。我流で貫き通しとるウチとは大違い」
「フン。いくら手本通りのフォームを会得したところで、自分の体躯に合っていなければ意味がない。何ごとも自然体が一番だ。我流とはいうがうちだって、テイクバックからヒットしてフォロースルーまで、みな自分の体躯にあったものを会得している」井龍は眉をしかめた。
「うん。うちが言いたいんはそういうことやのうて、みんなよっぽど大神くんのこと尊敬しよるんやろうなって」
 ああ、と仙堂がうなずく。
「たしかに、蜂谷もあのふたりもフォームは大神に似ているな。大神のフォームを真似て、そこから自分なりに振り抜きやすい握りで振っているんだ」
「ね。うちも正直、いままで見てきたなかで一番綺麗なフォームやと思うもん。大神くん」
「なんだ七浦。おまえ才徳の肩を持つのか」
「いややわ井龍くん、人聞きわるいこと言わんといて──あっ」
 と、愛織が口をおさえた。
 その視線の先、うわさをすればの大神謙吾がじろりとこちらを見上げている。するどい目で桜爛レギュラー陣のなかに何かのすがたを探しながら、彼はゆっくりと桜爛のもとへやってきた。
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