片翼のエール

乃南羽緒

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第四章

58話 天城の初舞台

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 成人の日。
 全国選抜高校テニス大会関東地区大会が、千葉県内のとあるテニスコート場にて開催された。一月にしてはめずらしく空は曇天模様を描き、太陽光こそ気にならぬものの一段と冷え込みが懸念される大会となった。
 この日は、才徳学園の様相もいつもと違う。
 オーダーに大神のいない団体戦ゆえ、才徳レギュラー陣の顔がこわばっている。いつもならば強気な態度を崩さない倉持ですら険しく眉根をひそめるすがたに、変に力が入っていやしないかと、顧問の天谷夏子はハラハラと一同を見回した。
 が、その空気を打ち壊したのはやはりこの男。
「オメーら、いつからそんな男前な顔色するようになったんだよ。まさか俺がいねえってだけで、緊張しているんじゃねえだろうな。あァ?」
 大神だ。
 選手登録はしているため、本人としてはいつでも試合に出られる構えである。しかしその足にはいまだテーピングによる固定措置がなされており、とても万全といえる状態ではない。倉持は「うるせえ」と強がった。
「おまえがいなくても、全国の切符は俺たちがかならずつかみ取ってやるから安心して見とけ」
「せいぜい期待してやるよ──では改めてオーダーを発表する。S1に倉持」
「おう!」
「D1に杉山、蜂谷。たのむぜ」
「はいよ」
「っしゃーやったるでェ」
「S2に明前。おまえの得意な観察眼とゲームメイクで叩きのめせ」
「ッス」
「D2は姫川、星丸。いつもどおりでいけ」
「オッケー」
「ハイっす!」
「そしてS3、天城。おまえの実力ならまず劣らない。自信もっていけ」
「は、はい!」
 ベンチコーチは俺が入る、と大神は続けた。
「が、試合が被った場合はようすを見て臨機応変に対応する。異論は?」
 あるわけがない。
 あったとしても、この男の眼力を前に言いだせるヤツはいない。とレギュラー陣は苦笑した。
 大神が倉持と顧問天谷の肩に手を回す。才徳学園円陣の合図。選手たちが互いに肩を組みあって前傾し、大神のことばを待った。
「関東大会、やるべきことはただひとつ。テメーらの実力を余すことなく出し切れ。いいな!」
「応ッ」
 声がひとつになる。──が、しかしそこにたったひとりの声がない。もはや才徳テニス部に欠かせない存在となっている彼女。
 体勢をもどした姫川が眉を下げる。
「アイツ、間に合うかなァ」
「姉貴が目ェ覚ましてまだ間もないさかいな。やっぱり何かと不安なんやろ」
 杉山はおだやかにつぶやいた。
 ──三が日のことである。
 七浦伊織の携帯に病院から着信が入った。内容は姉の意識がもどったというもので、取るものもとりあえず、伊織はあわてて病院へと向かった。
 たしかに愛織の目は開いていた。
 いまだ意識はぼんやりとしていたが、伊織の顔を見たらうっすらと笑むくらいには元気そうで、すでに駆けつけていた父蓮十郎と兄千秋は、すでに意思の疎通もとれたのだとか。
 翌日にはゆっくりではあるが、身を起こしたり声を発することも出来、懸念されていた後遺症もとくには見られなかったという。
 ──時は過ぎて、関東大会の今日。
 とくに緊急の用はない。
 愛織の精密検査があるというだけである。事前に立会い不要との話も受けていたのだが、味楽の大将曰く、伊織が朝になってとつぜん発作的に病院へと向かったという。
 その真意はだれも分からない。
 が、かならず関東大会に来るだろうことは、レギュラー陣も分かっていた。
「グループメッセには、かならず向かうから勝ち上がって待っとけって書いてあるし──大丈夫だろ」
 倉持はむん、と背伸びをひとつした。
 さて、初戦である。

 松澤工業高校、略して松工しょうこう
 部長の馬場園工ばばぞのたくみを筆頭に、筋骨粒々の男臭い部員が揃った筋肉派チームとして栃木県内では有名である。
 最初の試合はS3か、と蜂谷が眼鏡の奥の瞳を細めた。
「天城の対戦相手は、一年の刈谷《かりや》あたる。身軽なフットワークとコントロールの正確性が持ち味らしい。松工のことだから、全員がパワー系かとおもってたけど──めずらしく身軽なやつもいるんだな」
「フットワークとコントロール──ですか。試合に入って、振り回されないようにしないと」
 天城が細い声でつぶやく。
 かまわずそのとなりで、
「関東大会初っぱなから濃いチームに当たっちまったな、見ろよ。見るからに脳筋集団だぜ」
 と姫川が視線を向けた。
 その先には、服の上からでも分かる鍛え上げられた身体の男たちが、コート周辺でウォーミングアップする。離れていてもただよい来る男臭い熱気が、妙に彼らの存在感を増幅させた。
 姫川のとなり、杉山が感嘆のため息をつく。
「オレたちには、あの色気は出せへんなァ──」
「出したくねーよ暑苦しい! それよりおい天城ッ」
「は、はい!」
「オメーもしかして緊張なんかしてねーだろな」
 と、姫川らしい乱暴な物言いで、天城の肩をがしりと抱いた。図星である。初の公式団体戦出場ということで、いつもはおだやかな天城も身体が強ばっている。
 バーカッ、とふたたび姫川は怒鳴った。
「あの脳筋らと殴り合いするならまだしも、テニスで勝負すんだぞ。死にゃァしねえよッ」
「は、」
「だいたいなぁ、ふだんアイツらよりきっと強いおれたちと毎日練習してんだぜオメー」
「わ、わかってます。でもやっぱり団体公式戦は初めてですから、その、先輩たちに迷惑かけないようにがんばって勝ちま──」
「メーワク! なんのメーワクだよ。負けることか? バッカオメー、メーワクってのはな。どっかのだれかさんみてえに戦う前から怪我なんぞで離脱されることだ。オメーが怪我せずに帰ってくりゃなんでもいいよ」
「あ。……」
「おうわるかったな、メーワクかけてよ」
 と、端から聞いていた大神が苦々しくつぶやく。
 ホントだよ、と吐き捨てた姫川は、つぎの瞬間にはコロリと笑顔を天城に向けて、
「あとには四試合も控えてんだ。勝敗気にせず、オメーのテニスしてこいよ!」
 と言いきった。
 つくづく、見た目に反して気っ風のいい男前である。天城は頬を綻ばせて、ハイ、とちいさくうなずいた。
「第二シード才徳学園と松澤工業高校のシングルス3の選手は、十三番コートに入ってください」
 アナウンスが告げられた。
 行ってきます、と天城がラケットバッグを背負う。コーチに入るべく、椅子に腰かけていた大神もベンチコートに身を包みゆっくりと立ち上がった。
 サイドを刈り上げ、頬に三本の切り傷をつけたツリ目の選手──松工の刈谷が、フェンス前までやってくる。
 彼はギロリと天城を一瞥した。
「……よろしくッス」
「はい。よろしくお願いします」
 ふたりがコートへ立ち入る。
 そのうしろ姿を見つめる星丸は、青い顔で「コワッ」とつぶやいた。
「なにあの傷。ぜってーふだん喧嘩ばっかしてる感じのキャラじゃん」
「どうだろうか。刈谷はああ見えて大の猫好きらしいから、案外飼い猫に引っ掻かれたとかかわいい理由なんじゃないか」
 蜂谷がほくそ笑む。
 これまでずっと黙って聞いていた顧問の天谷は、ふしぎそうな顔で「ねえ」と声をあげた。
「いつも気になってたんだけど、蜂谷くんの持ってる情報っていったいどこから仕入れてるの? 試合におけるパーソナルデータ以外のところについて、妙に詳しすぎる気がするような──」
「…………」
 一同の視線が蜂谷に向けられる。
 しかし当人は、湛える笑みを天谷に向けたのみで、なにを言うこともなかった。

 天城の団体公式戦初戦がはじまる。

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