片翼のエール

乃南羽緒

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第五章

79話 獅子王という男

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 結果は以下の通りであった。
 才徳学園と隣り合う大山のシード校は、四国地区香川代表の黎明れいめい高校。飛天金剛がとなりのブロック、黒鋼はさらにとなり、桜爛大附と一色徳英はもっとも対極のブロックに流れた。全校が順当に勝ち上がった場合、才徳は運がいいのかわるいのか──クォーターファイナル準々決勝に飛天金剛、セミファイナル準決勝に黒鋼、ファイナルゲーム決勝戦にてふたたび桜爛と会いまみえるという、なんともハードなトーナメントとなった。
 状況を把握した途端、伊織の顔は悲愴に歪む。
「オイ──このクソみたいなトーナメントはなに!」
「いいじゃねーか。この連なる猛者どもをノーシードである才徳がひとつずつ潰して、挙げ句全国優勝するなんて出来たシナリオだぜ」
「んな──実質全国ベスト4と呼ばれるシード校がご丁寧に毎試合入ってくんねんで! 全国大会事態が才徳潰しにかかってきてるとしか思えへん」
「なにがそんなに心配なんだ」
 大神はわずかに困った顔をした。
 はあ? とおもわず伊織が声を荒げる。
「せやっておま、井龍も獅子王も飛天の桜庭かて高校テニスのベスト4に入ってくる実力で──」
「でもそいつらの相手をするのは、俺だろ」
「…………」
「最後の方はイレギュラーだったとはいえ、俺抜きで桜爛のいる関東制覇を果たした才徳だ。負けるとおもうのか?」
「そ、それは。──」
「それに関東から今日まで、あいつらをしごき倒したのは誰でもねえお前だろうが。あの練習を見ていた俺からすりゃあ、いまさら全国制覇の確信しかねーよ」
 といって大神は微笑した。
 まったく根拠のない自信だ。が、彼がいうとそうかもしれないとおもってしまうのだから不思議なものである。伊織は複雑な表情を浮かべたまま、こっくりと深くうなずいた。

 ※
 夕方ごろ、空港から大型バスの迎えによって各校の選手団が宿泊所に到着した。
 才徳レギュラー陣は飛行機の疲れなど微塵も見せず、伊織と大神の顔を見るなり大はしゃぎで、これから待ち受ける全国大会へ期待を膨らませた。
 才徳学園は『來花らいか』という旅館に宿泊する。高校生のテニス大会にしてはずいぶん豪華な夕食に大満足した選手たちは、高校別に決められた時間内にて大浴場へとむかう。伊織は付き添いという立場上、指定された入浴時間があるわけではないので、すこし遅めの時間にゆっくりと浸かることにした。

 大浴場からの帰り道。
 すこしとろみのある湯は全身のこわばりをほぐし、肌をうるおす効能があるという。言われてみれば伊織もどことなく肩がすっきりとして清々しい。学校ジャージを着てペタペタと廊下を歩く伊織の脳裏には、姉の顔がぼんやりと浮かんだ。
 ほんとうならば桜爛マネとして彼女もここに来ていた。
 この二ヵ月、来たるはずの未来に想いを馳せつづけている。一方で、毎日を忙しく生きるなかで悲しみに暮れてばかりはいられない。もともと悲哀の沼にずるずると浸りつづけることが苦手な伊織にとっては、この全国大会を目指して練習する日々はとてもありがたいものだった。
 しかしこうして一人になり、静かな時間が来るとつい考える。
(愛織──全国やで)
 正直なところ、桜爛大附での愛織がどんなようすだったのかはよく知らない。
 けれど播磨を筆頭にほかの桜爛選手たちがよほど取り乱していたところを見ると、転入してから数か月ながらずいぶんと慕われていたのだろう、ともおもう。
 込みあがるものを覚えた伊織はぎゅっと目を閉じた。
(負けへんからな。愛織!)
 二度、深呼吸。
 学校ジャージの袖でぐっと目元をこすったとき、ドンと何かにぶつかった。
「わっ」
「あっスマ」
 相手はずいぶんと体幹がいいらしい。
 まるで壁にぶち当たったかのように伊織は尻もちをついた。自分も体幹には自信があるのに──とおもいながらあわてて顔をあげると、目の前にはヌッとそびえる高い壁、もといひとりの選手が立ちはだかっていた。
「わあ!」
「スマン、大丈夫か」
 バリトンのよく響く声。
 おもわずまじまじと選手を見る。坊主に近い短髪にすこし老成した顔立ちを見て、選手ではなく学校関係者かとおもったが、彼が着用する黒の学校ジャージに書かれた『黒鋼』という文字に、伊織は三度「わあ」とさけんだ。
「黒鋼高校の人や!」
「あ、ああ」
 と言いながら黒鋼の選手は、いまだ床に座り込む伊織にむかって手を差し伸べた。おずおずと伊織がその手を掴む。すると彼はいきおいよく引っ張りあげた。バランスを崩した伊織をやさしく抱きとめたその選手は凛々しい眉をやわらかく下げて、
「大丈夫?」
 といま一度問う。
 その硬派な雰囲気とは反対のやさしい声色に、伊織の胸が高鳴った。内心とは裏腹に熱くなる頬をパタパタと扇ぎながら頭を下げる。
「あ、は、ハイ。すみませんでした」
「たしか──昼間に才徳学園の席に座っとった子やろ」
「えっ」
「女テニはとなりの講堂やけん、なんでこっちに女子がおるったい思て気になっとったんや」
「ああ。はい、才徳マネの七浦いいます」
「マネやったか。俺ァ黒鋼ん獅子王ちゅう。よろしゅう」
「えっ、獅子王? S1の」
「おう。そっちには大神がおるんやったな、インハイで見よう見かけたくらいだばってん楽しみにしとうばい」
 獅子王はアーモンド形の瞳をにっこりとつりあげてわらった。
 その笑顔もなんだかとてもかわいらしい。伊織はきゅうと眉根をひそめて、ますます赤くなる頬を隠すようにうつむくと、しおらしく「うん」とうなずいた。
 彼はそんな彼女のようすは気にもとめず、それじゃあと踵を返す。が、まもなく引き返してきてポリポリと頭を掻きながらはにかんだ。
「あのう──それでロビーってどげんして行くか知っとう? 土産買おう思ったっちゃけど、大浴場から直行しようとしたら迷うてしもうて」
「ロビーやったら逆やで。そっちは客室や」
「ああ? おかしかね。部屋からロビーまでん道は予習しといたんに、あいだに大浴場挟んじまったけん分からんくなった」
「はあ──さては方向音痴」
「いやあ。そんつもりはなかっちゃけど、チームん奴らからはようそう言わるったい。ったく、やんなってしまうよな」
「やはははっ。ほんならええわ、うちも土産見に行こおもてたとこやねん。いっしょ行こ」
 といって獅子王の袖を引っぱると、彼はホッとした顔で「おん!」とうなずいた。
 道中といってもロビーまで五分もかからぬ道のりだが、ふたりは互いのことを話し合った。とくに伊織の関西弁はずいぶん面白かったらしい。なにせ大阪代表の飛天金剛とは無関係で、神奈川代表の才徳学園として来たというのだから。
 バリバリん関西弁やけんさ、と獅子王は豪快にわらう。
「講堂で見かけんやったら、ぜったい飛天金剛あたりん子やて思うたっちゃろうな」
「九月に越してきたばっかりや。それに飛天金剛には知り合いもいてるし、完全無関係ってわけでもないねん」
「へえ。あそこんS1は桜庭やったか。ヤツのテニスば見たことあるか?」
「ううん──うちが仲ええのはD1の横峯って子ね。コタローさんとは前にすこし話したことあるくらいで、どないなテニスするんかはよう知らん。まあ順当にいけば早々に才徳と当たるやろうから嫌でも見なあかんねんけど。……」
 と言って伊織は口をつぐむ。
 それを言うなら黒鋼高校もおなじだ、と自分で思ったからである。おそらく彼らは準決勝など易々と上がってくることだろう。飛天金剛の壁を打ち破ったとしても、そこに待ち受けるはさらに高い壁なのだ、と憂鬱になった。
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