R.I.P Ⅲ ~沈黙の呪詛者~

乃南羽緒

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第一夜

第4話 トラウマ

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 灯里はたまらず部屋を飛び出した。
 口を押さえても、顔を隠しても、なにをしても恭太郎に暴かれるのだ。七歳児には耐えかねただろう。あとを追おうと腰を浮かせた三橋の手をとり、恭太郎は言った。
「とりあえず聞いたよ。あの子は嘘なんかついてない。ただ怖いんだ。ずっと脳裏で鳴り響くのが聞こえてた」
「鳴り響く?」
「銃声だよ。二発」
「!」
「あの子はたぶん、犯人の顔は見ちゃいないんだ。どこかに隠れたからなのかはまだ分からないけど、でもあの音が、親のいのちを奪ったことは分かってる。それがいまも繰り返し鳴っているんだよ。頭のなかで。だから怖いんだ──」
 めずらしく声色は昏い。
 三橋は一瞬悲愴な顔をしてから、労るように恭太郎をハグした。その心意気は恭太郎にも伝わったのだろう。彼の表情がわずかに軟化する。
「綾さん」
「──ごめんなさい。酷だったね」
「僕はべつに平気さ。あの子がそうってだけ」
「やっぱりこんなの良くなかった。灯里ちゃんを怖がらせるようなことしちゃって」
「つったって、そっちも時間ないんだろ?」
「まあね。でもわたしたちの中じゃ、いまので痕跡の裏付けになったし。男が犯人じゃないってハッキリ分かっただけ大きな進歩よ。男に罪がないのならもう、不起訴で釈放するだけだな」
 といって、三橋が携帯を取り出す。
 相棒の沢井に連絡をとるつもりらしい。が、それをぼんやり見上げる恭太郎が、
「罪がない?」
 と、うわ言のようにつぶやいた。
 携帯を操作する三橋の手が止まる。三國が、ふたりを交互に見遣る。
「罪がないかどうかは──男に会ってみなくちゃわからない」
「会うつもりで言ってるの?」
「必要ならいまからだっていいよ。ああでも、あかりもいっしょ。これが条件」
 沈黙を続ける被疑者もとい重要参考人。
 男の内心を暴くことが出来るなら、それに越したことはない。
「アンタ、大学は」
「必修講義はアイツらに代返を頼んである」
「────」
 三橋はしばし押し黙ったのち、立ち上がった。
「灯里ちゃんに聞きましょう。心にそれほどトラウマがあるのなら、彼と会うことも苦痛かもしれないから──」
 言いながら部屋を出たときである。三橋の胸元になにかが飛び込んできた。三橋はわずかにバランスを崩すも、後ろ足で踏ん張り、突進してきた正体を受け止める。
「瞳ちゃん?」
「あ、綾さん、お兄ちゃん大変──」
「どうした」
「灯里ちゃんが、裏の森に入っていっちゃったの。追いかけようとしたんだけど、私まで迷っちゃったらどうしようっておもって」
 瞳は、いまにも溢れそうなほど泉を湛え、三橋と三國を見比べる。
 ここ、まほろば施設の裏には大型ショッピングモールほどの広さの森が広がっており、迷子を危惧して子どもだけでの立入を禁じている。とはいえ柵を設けてあるわけではない。現に三國は幼いころ、探検気取りに中へ立ち入ったことがあった。案の定、まんまと迷子になった挙げ句、帰宅するなりこっぴどく施設長に叱られた。
 どのように森を抜けたかは覚えていない。
 きっと声をあげてめちゃくちゃに走り回ったのだろう。その声を聞きつけて、施設長が迎えに来てくれたような気もする。
 しかし、だとすれば困ったことだ。
 彼女は肝心の声が出ないのだから。
 三國もすぐさま立ち上がる。
「探しやしょう」
「ええ」
「待った」
 と、恭太郎は一度窓から顔をだし、森の方に耳を澄ませた。しばしの沈黙ののち、ゆっくりとこちらに向き直る。
「僕だけで行く。だれも森に入れないように」
「なんで」
「あかりの足音が聞こえなくなる」
「でもこの広さよ」
「ハ。僕をだれだと思ってるんだ?」
 藤宮恭太郎だぞ、と。
 言うなり彼は窓からひらりと飛び降りた。ここは二階。下は森に続く未舗装の道である。ふたりの刑事があわてて窓を覗き込むと、恭太郎は敷地内に生えた大木の枝を掴んでワンクッション挟むと、華麗に着地。裸足のまま森のなかへと駆け出した。
「もう、なんでも有りですねィ」
「呑気なこと言ってんじゃない。行くよ!」
 三橋は気丈に駆け出した。

 ────。
 こわい。コワイ。逃げなくちゃ。
 灯里はやみくもに走った。
 あの綺麗な人には全部分かってしまう。
 言ってない。書いてもいない。なのにすべて覗かれたように、あの人はよどみなく灯里の頭のなかを読み上げる。
 どうして?
 なんで?
 分からない。
 すこしでも彼から離れたかった。離れれば、聞かれることもなくなるとおもった。だってすべて知られたら、あの人との約束を破ってしまう──。

 息を切らして周囲を見る。
 木。木。木──。
 気付けば四方八方は木々に覆われ、自分がいまどの道を通ってきたのかすらも分からない。でも、それで良いのかもしれない。あの家に戻ったところで大切な家族はもういない。声も出ない自分がいても、きっとみんな煙たがる。自分なんか。
 ──いない方がいいんだ。
 そばの大木の根元に腰を下ろして、灯里は膝を抱き寄せた。
 目を閉じる。

 パシュ。パスッ。

 閉じるたび脳裏によぎる。
 父に隠れんぼだと言われてもぐりこんだベッドの下、まっ暗闇のなか、垂れ下がる布団を隔てた向こうから唯一聞こえた空気音。灯里にはそれがなんの音かは分からなかった。
 直後、口から空気が漏れる声と、どうと倒れ臥すふたりの音を聞いた。それから部屋の扉が開き、足早に立ち去る足音──この一連の雑音が、あの日からずっと耳にこびりついて離れない。
 怖くて、全身をふるわせるうちにそのまま眠っていた。
 嗅ぎ慣れぬ臭いに包まれて目が覚めた。
 あの人が、ベッドの下から自分を探り当て、抱きしめていた。
 声をふるわせてずっとなにかをつぶやいていた。
 あの人はどうして泣いていたのだろう?
 灯里には分からない。
 もう何も分からない。

 ガサガサガサ。

 灯里は肩をびくりと揺らす。
 なんの音?
 視界の端で黒いなにかを捉える。
 素早く動く影。
 動物?
 どうしよう。こわい。怖い──。 
 ──ママ。パパ。
 呟いてみる。
 声は出ない。もう一度呟く。出ない。
 叫んでみる。それでも声は出なかった。
 心細くて、涙が出てきた。
 それでも喉から漏れるのは空気の音ばかり。

 ガサガサガサ。
 ガサガサガサガサ。

 音は確実に近づいている。
 どうしよう。このままひとりでいたいけど──。
 やっぱり、嫌だ。帰りたい。
 灯里はゆっくりと立ち上がった。
 けれど膝がふるえて上手に立てない。大木に手を添える。
 怖い。
 どうして自分ばっかり。
 自分がわるい子だからだろうか。
 だから、ママもパパもいなくなっちゃったのだろうか。
 声が出ないから──見つけてもらえないのだろうか。

 パキッ。ザクッ。
 いろんな音が。そばに。くる。
 怖い。こわい!

 あの綺麗な人が言っていた。
 ──声が出なかろうが、意思を伝える術は無限にあるぞ。
 ──居場所を報せたいなら音を出せばいいのだ。
 ──意思を伝えることはやめちゃいけない。
 と。

 本当?
 声が出なくても、貴方には伝わる?
 貴方なら見つけてくれる?

 灯里は上を見上げて、大木の枝に手を伸ばす。
 登りかったけれど身長が足りなくて届かない。
 上がだめなら下。
 地面を見ると、そこかしこに落ち葉の山があった。
 一歩足を出して落ち葉の山を踏みしめる。
 ぐしゃ。
 と、音が出た。
 もう一歩。ぐしゃ。ぐしゃ。

 声が出ないなら──音を出せばいい。

 灯里は、涙を浮かべながら必死にその場で地団駄を踏んだ。
 一山踏み終えたらつぎの落ち葉の山へ。
 息を乱すほどぐしゃぐしゃと落ち葉を踏み荒らす。
 こんなちいさな音、きっと森の音にまぎれて誰にも聞こえはしないだろうけれど、それでも灯里は諦めなかった。
 帰りたい。
 見つけて。
 わたしを見つけて!

「そォら、見いつけた」

 頭上から声が降ってきた。
 落ち葉の上で動かしていた足を止め、灯里はパッと上を見上げた。
 そこには、いつの間にいたのかあの綺麗な人──藤宮恭太郎が、にっこり微笑んでこちらを見下ろしている。
「そうそう。そういう音でいいんだ」
「え? ああ、聞こえたよちゃんと。森に入る前から聞こえてた。だから僕もあちこち探す間もなくこうして君のもとにたどり着けたのサ」
「どうしてって、まあ、僕の耳は特別なんだ。キミがどこにいたってすぐ見つけてやれる」
「だからそんなに泣くこたァない」
 といって恭太郎は、灯里の頭を撫でた。
 それから紅葉のような手をしっかと握りしめる。
「さあ帰ろう、みんな真っ青な顔してキミのこと探してる」
「────」
 灯里のまん丸な瞳からぽろりと涙がこぼれた。
 恐怖か、心細さか、はたまた心に沁み渡った安堵感か、やがてそれは堰を切ったようにあふれ出す。くしゃりと顔をつぶしてうつむき、静かに、静かに涙を落とした。およそ七歳児の泣き方ではない。
 この涙の意味は、灯里本人にも分からない。
 しかし恭太郎には聞こえたらしい。その胸の音が。
 静かに泣きじゃくる少女に歩み寄り、宥めるようなハグをする。
「あかり」
 そのまましゃがみ、灯里の頬を両手で包み込む。
 覗き込む彼の顔は見惚れるほどにうつくしい。

「僕を信じろ」

 ビー玉のような目に包まれた。
 神様ってほんとうにいるんだ、とおもった。
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