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第二夜
第12話 手がかりをひとつずつ
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「何度もすみません。警視庁の三國です」
インターホン越しから、宮内母の声が涙に濡れる気配がした。
「おうかがいしたいことがありまして、すこしお時間よろしいですか」
『お待ちください──』
事件発生から三日。これまで享受していた、何不自由ない幸せな暮らしが一瞬にして崩れ落ちた。その混乱たるや如何ばかりか。おまけに被害少年は愛妹にとっての特別な人だという。三國の心中も複雑である。
玄関が開いて、男性が顔を出した。
「ご苦労様です」
宮内少年の父親だ。
疲労を隠しきれない表情で頭を下げた。
とはいえ身なりは最低限整えてあるところを見ると、彼なりに襲い来る感情と日々戦っているのだろう。これまでも多くの遺族と顔を合わせてきたが、彼ほど理性を崩さぬ人間はひじょうに珍しい。よほどの人格者か、あるいは──。
いやな想像が巡ったところで、となりの森谷がずいと一歩前に出た。
「大変なところ恐縮です」
「いえ、どうぞおあがりください」
「失礼します」
森谷がこちらにアイコンタクトを向ける。
──ほかに客がいる。
玄関に並ぶ靴の量を見て、三國もうなずいた。
招かれるまま部屋へ入る。
広々としたリビングには三人の女性がいた。いずれも宮内夫妻とおなじくらいの年代で、いずれも身なりが小綺麗な淑女である。くたびれたスーツを身にまとうふたりの刑事はどこか場違いに映る。
が、ソファにぐったりと身をもたれる婦人がひとり。宮内少年の母親だ。ひどい有様であった。ここ三日間で頬はひどく痩せこけ、化粧ッ気もなく、櫛を淹れていないのだろうゆるくかけられたウェーブパーマもぼさぼさで、抜け殻のよう。
彼女らは夫人を支えるように寄り添っている。
リビングを一瞥し、森谷が苦笑した。
「すみません。ご来客中でしたか」
「会社の同僚の奥様たちです。妻がご覧のとおりですので、みなさん心配して駆けつけてくださって」
「家族ぐるみで仲がエェんですか?」
「ええ。会社で定期的に家族参加型の交流会が開かれるんです。バーベキューとか、レクリエーションとか。それで仲良くなって」
「わあ。まるで警察組織のような──」
と、彼特有の関西イントネーションでぼやいてから、集まった者たちへいまいちど視線を向けた。
「じゃ、家族ぐるみで仲が良いということでしたら颯人くんのことも?」
「とってもいい子でした! もう、本当に信じられません」
「────」
「あんなにgratefulな子が、ね──」
「すんません、そしたら皆さんのお名前とそれぞれお話まで聞かせてもらえますか。犯人を捕まえるためにすこしでも多くの証言が必要なもんですから」
「もちろんですわ。全面的に協力いたします」
「ええ──」
「ワタシも!」
好意的である。
森谷が、ちらと三國に視線を向ける。三國はすかさずスーツの内ポケットからメモ帳を取り出し、ひとりずつから話を聞く。
一人目は松下麗子。
旦那と自身が宮内氏と同期入社で、お互いのカップルは結婚以前から交流があったという。両夫婦間に子どもが生まれてからは家族ぐるみで食事に行くほど仲が良い、と声高に言い放った。吊り上がった眉化粧からなんとなく察してはいたが、やはり声のでかい人種らしい。初対面時から線が細く嫋やかな印象があった宮内夫人とは正反対と言っていい。
彼女はひたすら宮内少年の良いところをあげつらね、時には涙し、時には怒り。ようやく彼女の話が終わったところで手元のメモを確認すると、ほとんど見知ったことばかりで、目新しい情報は得られなかった。
しかし森谷は丁重に礼を告げ、つぎの婦人へ視線を移した。
二人目は山下朋子。
こちらは旦那が宮内氏の先輩で、会社のイベントから家族交流が始まったとのこと。一人目とは違い、穏やかな物腰と左目の泣きボクロ。とろりと垂れた瞳が妙に艶っぽくて三國は尻の据わりがわるくなった。ひじょうに無口な人柄らしく、こちらも新たな証言はない。
三人目、ケリー・ウォード。
さすがは外資系商社、宮内氏の同僚には海外出身の人間も多い。彼女はその同僚の妻。アメリカ出身で十二年前に日本へ移住してきたという。一瞬、外国人かと身構えたが彼女は流暢な日本語で挨拶してきた。目元の化粧は涙でよれており、たった今まで宮内夫人とともに泣いていたことがうかがえる。それでも、はきはきと知りうる情報を告げると、彼女はふたたび夫人に寄り添った。
「みなさんご協力ありがとうございます。いただいた情報を踏まえて、もうちょっと絞って捜査します」
「どうか、どうか──颯人を、あの子をころした犯人を見つけてください。お願いします──!」
「もちろんです。どこ逃げたって絶対逃がさへん。どんだけかかっても、絶対捕まえます」
森谷は微笑した。
やはり、怒っているらしい。彼のことばを聞いた宮内夫人はわっと泣き崩れた。いまいちど宮内氏に「お願いします」と犯人逮捕を託されたのち、森谷と三國は宮内家を辞した。
車に乗り込む際、
「やけに力入ってますね」
というと、彼はむすっとした顔で「むかつくねん」とつぶやいた。
「人の命なんやと思てんねんって話やろ」
「もちろんそうですけど。いつももっと穏やかじゃないですかィ」
「ああ──せやな、たぶん禁煙のせいやわ」
森谷はようやくからりとわらった。
ところで、新たに三人から得た情報は特段有力だったとは言えないが、とかく被害少年がみなに愛されていることはよく伝わった。
少年に特別親しい人間──たとえば恋人──がいたという話はなく、ひたすら陸上に明け暮れていたとのこと。ゆえに怨恨とはいかないまでも、他校には「彼を羨んでいたライバル」ならいただろう、とも。
次大会優勝候補者として、宮内少年のほかに名が挙げられている川上陽太少年。
とはいえそれも陸上部メンバーからすでに聞くところであり、捜査初期段階において実際に会いに行ったが、少年はライバルの死を聞くや、怒っていた。
──ヤツはいつも自分を置いていく。
──競技場のトラックで勝負したかった。
──彼がいなかったらいったいなにを目標に走ればいい──。
最後、悔し涙を浮かべてくちびるを結んだ彼のすがたが、三國の脳裏にはいまでも昨日のことのように残っている。
「森谷さん、三國さん!」
所轄に設置された捜査本部に戻ると、所轄所属の難波巡査が駆けてきた。
彼は一件目の被害男性、藤井隆文の身辺捜査担当をしていたが、なにやら興奮したようにメモ帳をめくりながら近づいてくる。
「なんかわかったか」
「ええ。一人目の被害者、藤井は前科者でしたよ。両腕がとられて指紋がなかったもんですから──発覚まで時間がかかりましたけど」
「なんの?」
「強盗で一度懲役刑を受けていました。その際に採取していたDNAが一致しまして」
「なるほどな。そうなると、誉れある人間だけが狙われとるわけでもなさそうや」
と、森谷がホワイトボードに近づく。
遺体写真を見て、難波の顔が歪む。藤井の遺体には両腕がないのだが、こちらもまた関節から綺麗に外されていると検視官や解剖医がおどろいたほど。三國は藤井の写真を指さした。
「こいつ、服役後はどうしてたんで?」
「はい。そもそも出所したのが去年のことなんですが、それから半年ほどはおとなしくしていた──と交流のあった居酒屋の店主から証言が取れています。でも近ごろは金に困っていたようで。春めいてきたころ、藤井が最後に店に来たそうですが、そのときに『近々大きな金が入るから』と言ってツケ払いを断ったんだとか」
「つねに金に困っとるやつツケにするって、なかなか太っ腹な大将やな」
「まあ、馴染みだからでしょうな。そのとき連れの男性がいたそうなんですが、それ以降音沙汰がない。まあいつかまた来るだろう──なんておもっていたら今回のようなことが起こった、と」
「仲間割れかァ?」
「それやったら、宮内少年が殺られる意味がわからへん。その連れの男については?」
「店の客が顔見知りだったとかで、運よく割れました。ええっと名前は、」
「貸せ」
と、森谷は荒々しく難波の手から手帳をとった。
「萩原哲夫──」
「工場勤務。現在時刻十八時半。当たってみる価値はありそうですねィ」
森谷と三國は顔を見合わせる。
それから難波へ手帳を突っ返すと、たったいま来たばかりの所轄署から出て、新たな目的地へと向かった。
インターホン越しから、宮内母の声が涙に濡れる気配がした。
「おうかがいしたいことがありまして、すこしお時間よろしいですか」
『お待ちください──』
事件発生から三日。これまで享受していた、何不自由ない幸せな暮らしが一瞬にして崩れ落ちた。その混乱たるや如何ばかりか。おまけに被害少年は愛妹にとっての特別な人だという。三國の心中も複雑である。
玄関が開いて、男性が顔を出した。
「ご苦労様です」
宮内少年の父親だ。
疲労を隠しきれない表情で頭を下げた。
とはいえ身なりは最低限整えてあるところを見ると、彼なりに襲い来る感情と日々戦っているのだろう。これまでも多くの遺族と顔を合わせてきたが、彼ほど理性を崩さぬ人間はひじょうに珍しい。よほどの人格者か、あるいは──。
いやな想像が巡ったところで、となりの森谷がずいと一歩前に出た。
「大変なところ恐縮です」
「いえ、どうぞおあがりください」
「失礼します」
森谷がこちらにアイコンタクトを向ける。
──ほかに客がいる。
玄関に並ぶ靴の量を見て、三國もうなずいた。
招かれるまま部屋へ入る。
広々としたリビングには三人の女性がいた。いずれも宮内夫妻とおなじくらいの年代で、いずれも身なりが小綺麗な淑女である。くたびれたスーツを身にまとうふたりの刑事はどこか場違いに映る。
が、ソファにぐったりと身をもたれる婦人がひとり。宮内少年の母親だ。ひどい有様であった。ここ三日間で頬はひどく痩せこけ、化粧ッ気もなく、櫛を淹れていないのだろうゆるくかけられたウェーブパーマもぼさぼさで、抜け殻のよう。
彼女らは夫人を支えるように寄り添っている。
リビングを一瞥し、森谷が苦笑した。
「すみません。ご来客中でしたか」
「会社の同僚の奥様たちです。妻がご覧のとおりですので、みなさん心配して駆けつけてくださって」
「家族ぐるみで仲がエェんですか?」
「ええ。会社で定期的に家族参加型の交流会が開かれるんです。バーベキューとか、レクリエーションとか。それで仲良くなって」
「わあ。まるで警察組織のような──」
と、彼特有の関西イントネーションでぼやいてから、集まった者たちへいまいちど視線を向けた。
「じゃ、家族ぐるみで仲が良いということでしたら颯人くんのことも?」
「とってもいい子でした! もう、本当に信じられません」
「────」
「あんなにgratefulな子が、ね──」
「すんません、そしたら皆さんのお名前とそれぞれお話まで聞かせてもらえますか。犯人を捕まえるためにすこしでも多くの証言が必要なもんですから」
「もちろんですわ。全面的に協力いたします」
「ええ──」
「ワタシも!」
好意的である。
森谷が、ちらと三國に視線を向ける。三國はすかさずスーツの内ポケットからメモ帳を取り出し、ひとりずつから話を聞く。
一人目は松下麗子。
旦那と自身が宮内氏と同期入社で、お互いのカップルは結婚以前から交流があったという。両夫婦間に子どもが生まれてからは家族ぐるみで食事に行くほど仲が良い、と声高に言い放った。吊り上がった眉化粧からなんとなく察してはいたが、やはり声のでかい人種らしい。初対面時から線が細く嫋やかな印象があった宮内夫人とは正反対と言っていい。
彼女はひたすら宮内少年の良いところをあげつらね、時には涙し、時には怒り。ようやく彼女の話が終わったところで手元のメモを確認すると、ほとんど見知ったことばかりで、目新しい情報は得られなかった。
しかし森谷は丁重に礼を告げ、つぎの婦人へ視線を移した。
二人目は山下朋子。
こちらは旦那が宮内氏の先輩で、会社のイベントから家族交流が始まったとのこと。一人目とは違い、穏やかな物腰と左目の泣きボクロ。とろりと垂れた瞳が妙に艶っぽくて三國は尻の据わりがわるくなった。ひじょうに無口な人柄らしく、こちらも新たな証言はない。
三人目、ケリー・ウォード。
さすがは外資系商社、宮内氏の同僚には海外出身の人間も多い。彼女はその同僚の妻。アメリカ出身で十二年前に日本へ移住してきたという。一瞬、外国人かと身構えたが彼女は流暢な日本語で挨拶してきた。目元の化粧は涙でよれており、たった今まで宮内夫人とともに泣いていたことがうかがえる。それでも、はきはきと知りうる情報を告げると、彼女はふたたび夫人に寄り添った。
「みなさんご協力ありがとうございます。いただいた情報を踏まえて、もうちょっと絞って捜査します」
「どうか、どうか──颯人を、あの子をころした犯人を見つけてください。お願いします──!」
「もちろんです。どこ逃げたって絶対逃がさへん。どんだけかかっても、絶対捕まえます」
森谷は微笑した。
やはり、怒っているらしい。彼のことばを聞いた宮内夫人はわっと泣き崩れた。いまいちど宮内氏に「お願いします」と犯人逮捕を託されたのち、森谷と三國は宮内家を辞した。
車に乗り込む際、
「やけに力入ってますね」
というと、彼はむすっとした顔で「むかつくねん」とつぶやいた。
「人の命なんやと思てんねんって話やろ」
「もちろんそうですけど。いつももっと穏やかじゃないですかィ」
「ああ──せやな、たぶん禁煙のせいやわ」
森谷はようやくからりとわらった。
ところで、新たに三人から得た情報は特段有力だったとは言えないが、とかく被害少年がみなに愛されていることはよく伝わった。
少年に特別親しい人間──たとえば恋人──がいたという話はなく、ひたすら陸上に明け暮れていたとのこと。ゆえに怨恨とはいかないまでも、他校には「彼を羨んでいたライバル」ならいただろう、とも。
次大会優勝候補者として、宮内少年のほかに名が挙げられている川上陽太少年。
とはいえそれも陸上部メンバーからすでに聞くところであり、捜査初期段階において実際に会いに行ったが、少年はライバルの死を聞くや、怒っていた。
──ヤツはいつも自分を置いていく。
──競技場のトラックで勝負したかった。
──彼がいなかったらいったいなにを目標に走ればいい──。
最後、悔し涙を浮かべてくちびるを結んだ彼のすがたが、三國の脳裏にはいまでも昨日のことのように残っている。
「森谷さん、三國さん!」
所轄に設置された捜査本部に戻ると、所轄所属の難波巡査が駆けてきた。
彼は一件目の被害男性、藤井隆文の身辺捜査担当をしていたが、なにやら興奮したようにメモ帳をめくりながら近づいてくる。
「なんかわかったか」
「ええ。一人目の被害者、藤井は前科者でしたよ。両腕がとられて指紋がなかったもんですから──発覚まで時間がかかりましたけど」
「なんの?」
「強盗で一度懲役刑を受けていました。その際に採取していたDNAが一致しまして」
「なるほどな。そうなると、誉れある人間だけが狙われとるわけでもなさそうや」
と、森谷がホワイトボードに近づく。
遺体写真を見て、難波の顔が歪む。藤井の遺体には両腕がないのだが、こちらもまた関節から綺麗に外されていると検視官や解剖医がおどろいたほど。三國は藤井の写真を指さした。
「こいつ、服役後はどうしてたんで?」
「はい。そもそも出所したのが去年のことなんですが、それから半年ほどはおとなしくしていた──と交流のあった居酒屋の店主から証言が取れています。でも近ごろは金に困っていたようで。春めいてきたころ、藤井が最後に店に来たそうですが、そのときに『近々大きな金が入るから』と言ってツケ払いを断ったんだとか」
「つねに金に困っとるやつツケにするって、なかなか太っ腹な大将やな」
「まあ、馴染みだからでしょうな。そのとき連れの男性がいたそうなんですが、それ以降音沙汰がない。まあいつかまた来るだろう──なんておもっていたら今回のようなことが起こった、と」
「仲間割れかァ?」
「それやったら、宮内少年が殺られる意味がわからへん。その連れの男については?」
「店の客が顔見知りだったとかで、運よく割れました。ええっと名前は、」
「貸せ」
と、森谷は荒々しく難波の手から手帳をとった。
「萩原哲夫──」
「工場勤務。現在時刻十八時半。当たってみる価値はありそうですねィ」
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