R.I.P Ⅲ ~沈黙の呪詛者~

乃南羽緒

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第三夜

第17話 音の事

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 アルマーニのスーツをまとった初老の紳士が来訪する。
 みなが待ち焦がれたまほろばオーナーは、その名を有栖川塁ありすがわるいと名乗った。
 有栖川といえば、新星財閥御三家として近年台頭したうちのひとつで、財閥家のなかでももっとも大きな資産を有する一家として有名である。彼もまたその一族のひとりであり、聖子にまほろば創設を持ちかけた張本人だという。
「おや、お客様かな?」
 クラシックなオリジナルスタッシュの口髭をいじる。
 目尻に皺を濃く刻んだ柔和な笑みは、ふしぎと対峙する人間の警戒心を解く。現に一花は紳士を気に入ったらしい。とたんにお澄ましした顔で「こんにちは」としなをつくった。
「古賀一花といいます」
「僕は藤宮恭太郎! こっちは将臣」
「おや、おやおや──」
 有栖川は目をまん丸くして、三人の大学生を順番に見る。
 一花、恭太郎、将臣の順にめぐってから、視線はふたたび恭太郎へと落ち着いた。
「藤宮? キミは藤宮というのかい」
「ええそうです。おたくのおうちのどなたかと、うちの父が知り合いだそうですね。よく知りませんが」
「うん。ご当主の良太郎氏とは私も幾度か酒席を交わしたことがあるよ。まさかこんな意外なところで、そのご子息にお会いできるとは。光栄だなあ」
「僕自身に会ったことが光栄というならまだしも、良太郎の子息であることは、誉れでもなんでもありません。大体、あの人がこさえたってだけで、藤宮という名に意味なんかないんです。僕を含めた五人の跡継ぎ候補に商才がないんだから」
 という恭太郎に、有栖川は高らかにわらった。
 なんと良識ある男か。このこまっしゃくれた子ども相手に生意気な口をきかれても、びくともしないのだから。将臣は胸の内で感心する。
 キミの言うとおりだよ、と有栖川は上機嫌につづけた。
「キミはキミであって、私も、私でしかないということだ。いやはや、キミのお父上も『跡継ぎは実子に任せられない』と嘆いておられたが、とんでもない。これほど聡明ならなんの心配があるというんだろう」
「頭の出来が良くても、僕ら兄姉いずれも金儲けというものに一切興味がないのです。生まれながらに恵まれた環境にいた弊害でしょう。父は子の育て方を間違えたんですよ。やれと言われたってやるもんか」
  「そういうものかな。いやァ、この国もまだまだ捨てたものではないね。キミのような若者がいるのだから」
「そうでしょうとも!」
 と、恭太郎はふんぞり返るほどに胸を張ったが、将臣と一花が即座に首を横に振る。
「コレが何人もいたら国は滅びますよ。頭が良くても人格が良くない」
「そーそー。恭ちゃんってば、身に覚えないことで褒められて喜んじゃってバッカねエ」
 肩をすくめるふたりに、恭太郎は虚空をにらむ。おもわず有栖川は吹き出した。
「──僕の唯一の欠点は、友人選びが下手なことかもしれない」
「ははははっ。いいお友達じゃないか!」
 ひとしきりわらってようやく、彼はここに来訪した目的を思い出したようである。パッと顔を上げ、一連の流れすべてを静観していた聖子に目を向けた。
「やあ、ごめんごめん。ついひとりで盛り上がっちゃったよ」
「いえ、いいんですよ。オーナーが楽しそうでアタシもうれしいったら」
 くすりとわらう。
 いつの間にか、子どもたちもキラキラした目で有栖川を見上げている。この人の良いオーナーは彼らからの人気も高いらしい。
 ひとりひとりの頭をポンと撫で、有栖川はゆっくりと少女のもとへ歩み寄る。先日仲間に加わったばかりの小宮山灯里だ。彼女がここに入居する際、一度顔を合わせたことがあるという。が、少女はなかなかの人見知り。
 いまも恭太郎の腰元に隠れ、顔だけを覗かせる。
「灯里ちゃん。ここは慣れたかな? たのしい?」
「────」
 こっくりと頷いた。
 その目からは、警戒心が垣間見える。事件前がどうかは知らないが、凄惨な現場に立ち会ったとあれば、他人を信用できなくなるのも無理はない。
 有栖川は上機嫌にウン、と返すと、灯里の頭も二度ほど撫でて聖子に向き直った。
「いい感じだ。じゃあすこし話そうか、聖子さん」
「ええ、お願いします。管理棟でいいですか? スタッフさんにこっちへ来てもらいますから」
「ああ。そうしよう──キミたち」
 と、有栖川は三人の大学生をちらと見た。
「ぜひまたお話ししよう」
 紳士は聖子を連れて居住棟を出ていく。
 微かに残る紫煙の薫りが、将臣の鼻奥をくすぐった。

 だるまさんがころんだ。
 いま、子どもたちは居住棟前の庭で、古風な遊びに勤しむ。鬼役は、すっかり打ち解けた一花が担っている。本気で取り組むところをみると、やはり彼女の精神年齢は同程度のものらしい。
 据えられたベンチに腰をかける。
 するとほどなく、将臣のとなりに恭太郎がやってきてどかりと横柄に座った。
「休憩だ、キューケイ。子どもってのはどうしてああもウルサイんだろう」
「そりゃ──全力で生きてるからじゃないのか。おれからすれば、お前も一花も五月蝿い方だとおもうけど」
「将臣が静かすぎるンだ。言うておまえも大学生だろ、今のうちからそんな老成してどうする」
「大きなお世話だ」
 言いながら、将臣は空を見上げる。
 今日はまばゆい晴天である。こうしていると、世の中の凶悪事件など夢物語ではないかと錯覚する。なんと平和な時間だろう。
 ふと顔を戻した。
 鬼役一花の掛け声に合わせて、動きを止める灯里がいる。彼女もつい数週間前までは、世の子どもらとなんら変わらぬ生活を送っていたはずだった。その胸の内に抱える労苦たるや将臣には計り知れない。
「意外だったよ」
「んあ」
「恭がここまで灯里ちゃんに肩入れするなんて。おまえ、特別子どもが好きなわけでもないだろうに」
「あの子は声を出さないから静かでいい。それに、なんていうか。──音が誰かさんに似てるから」
 恭太郎の視線が一点に向いた。
 見なくても察する。
 ──一花か。
「僕はあの音が死ぬほど嫌いだ。──、いつもとなりで聞いてきたんだ」
「うん」
「だからか、あの音を聞いたらどうにも放っておけない身体になっちまったんだよ。嫌になるな、ホントに」
 と彼はおどけて、閉口した。

 ──音。
 恭太郎の耳に届く音がどういうものか、将臣は知らない。体感しようもないことである。ゆえにこれまで幾度かその音について真剣に聞いたことがあった。しかしこの男、音について語ることを好まない。いや、好まないというよりは説明がうまくないのである。
 たぶん、説明の途中で飽きている。
 そもそも恭太郎にとっての“音”は、我々が想像するソレとはかけ離れている。ドレミの音とはわけが違う。ただでさえ面倒くさがりの彼に、一から説明する根気があるわけないのだ。
 彼のいう“音”が、人の情に結びつくものだと確信したのは出会って数ヶ月した頃だった。その“音”は時に言葉となり、時に単音となり、時にメロディを紡ぐ──。
 音の種類は多様らしい。
 仏教では人の煩悩の数を百八と唱えるが、彼いわく、聞こゆる音をおもえばそんなものではないという。無限の数の音。彼と場を介するすべての人間の、喜怒哀楽のほか、言葉にならぬ悲喜交交すべてがそれぞれの音となって耳に届く。ふつうの人間ならば気が狂うだろう。
 人よりよほど聡明かつ柔軟な彼でなければ、それら“音の声”を聞き分け、人々の情を時に受け流し、時に受け止めるという器用なことは出来まい。
 数奇な業を背負わされたものだ──と、出会って四年目になるいまでも、将臣は時折この友人に同情する。もっとも、恭太郎からすれば『少々厄介な体質』程度のものなのだろうけれど。

「だるまさんが──ころんだ!」

 一花の声が響く。
 少年少女たちはふらつく身体を必死にこらえ、動きを止めた。となりで、恭太郎がくすりとわらう気配がする。
「でもなぁ、将臣」
「うん?」
「年々小さくなってる。イッカのあの音」
「そうか」
「だからあかりも、大丈夫だよ。──僕がそうしてやる」
「長くかかるぞ、きっと」
「望むところだ」
 恭太郎は無邪気にわらった。
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