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第三夜
第18話 写真の女
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萩原の言い分はこうである。
ひと月ほど前、借金が嵩み金が必要になったため、闇バイトのサイトを閲覧した。その中で低リスクかつてっとり早く稼げるものを──と選別したところ、一回の報酬が二百万という破格の募集を見つけたという。それこそが、此度供述した『女を犯す』という案件だった。
依頼主とは終始メールでのやり取り、複数応募があるとして、最終的にはふたりでの実行を指示された。それが今回の被害者となった藤井隆文だということらしい。
写真の男とは、と震え声でつづけた。
「顔合わせの機会があって、そのときに一回だけ会いました。その、向こうが指定した居酒屋で、分け前についての話とかをして。そのときはアイツ自分のこと“タカ”って言ってたんです」
タイピングする三國の手がぴくりと動いた。
自身もまほろばでおなじ呼び方をされるだけに、ぼんやりと嫌な気持ちが広がる。とはいえなるほど、萩原が藤井と聞いてもピンとこなかった理由はわかった。彼はそもそも藤井の本名を知らなかったのだ。
萩原はつづける。
「あとは対象の確認と、どうやるか、みたいな話を」
「対象? 無差別とちゃうんかい」
「それについては依頼元から指定があったんです。写真と、出現ポイントと──だから、この女に恨みがあんのかなぁなんて藤井と話してたんですけど」
鼻頭にシワを寄せた。
「話してみるとアイツすげえ嫌なヤツで──なんか、いっしょにやる気削げちゃったんス。どうせこのままじゃ分前も半分になるし、何より写真の女、たぶん四十歳前後だとおもうんですけどすごく幸薄そうで。なんか、いいやとおもって。実行日にバックレちまおうって、行かなかったんです。本当です!」
「────藤井はやったんか?」
「さぁ。でも、やったんじゃないですかね。依頼元からは“遂行事実確認しました”ってメールが来たんで。もちろん金は手に入らなかったけど、その翌日とかに工場長が賃金上げるって言ってくれて──俺、借金の相談して、そしたらあの人立て替えてくれて。俺、おれ馬鹿なことしたなって。だから、工場長に少しずつ返せるようにいま一生懸命やってるところなんです。本当なんです。信じてくださいッ」
半泣きの訴えだった。
この男が犯行したという証拠はない。闇バイトに手を出しかけて、直前になって怖気付きやめるというのはよく聞く話だ。あながち嘘とも言い切れない。なにより、萩原の表情から疑念は見えてこないのも事実だった。聴取担当の森谷はわずかに沈黙したのち、ずいと卓に身を乗り出した。
「その対象の女、顔は覚えとるか。藤井と打ち合わせた段階で犯行を企てたポイント地点があるなら教えてくれ。被害届が出とるかも分からん」
「顔は──たぶん、もう一度見ればわかると思いますけど。でも細かいところは覚えてないです、早く忘れたかったし。ポイントは新宿のなんとか記念病院近くから品川にある自宅までの複数駅です。なんでも、その病院に通ってるって話で」
「新宿の記念病院? どっかあったか」
と、森谷が三國に顔を向けた。
タイピングの手はそのままに、三國はいくつか名前をあげた。あの辺りは捜査でよく歩いた場所ゆえ、記憶に残っていた。
「でけエところだとメディカルセンター、有栖川記念病院──あたりかと。記念病院っつーんだから有栖川かな」
「ああ、そうです。有栖川記念病院。そこの何科か知らないですけど、通ってるって。家が品川だそうで、その帰り道を狙おうって話をしていました。アッ、い、いま考えるとなんてことをって思ってます──」
森谷の怒りに満ちた眼差しをうけ、萩原はあわてて弁解する。
有栖川記念病院といえばほぼすべての診療科を有する総合病院である。わが国において、多大な資産を有する有栖川の名を冠するだけあって評判はおおむねよく、信頼も篤い──と、以前聞き込み捜査時に聞いたことがある。
わからんな、と森谷が不機嫌につぶやいた。
「依頼元はどうしてその女を?」
「それは自分も知らないですよ。詮索はなしっていうのが条件のひとつでしたから。女の名前も聞いてないし、本当にただ写真と出現ポイントだけ教えてもらった感じで」
「それで、その女を強姦したあとはどうするつもりやったんや。殺せと言われたんか」
「いやっ。その条件のなかには不殺も入ってました。ただ凌辱してください、と。それだけ。藤井と話したのは、病院周辺は人目も多いから自宅近くまであとをつけて実行しようってのと、覆面マスクは各自用意ってのと」
「んなこと居酒屋で話しとったんか。頭おかしいんちゃうか?」
「申し訳ねえです──」
「んの、ドアホが」
萩原はしおらしくうつむいた。
どうやらこれ以上の情報は持っていないらしい。三國は、タイピングの手を止めて森谷の横顔を見た。彼はむずかしい顔で天井を仰ぎ、ひとり言をつぶやいている。
「──その被害女性が藤井を狙う可能性は? いや、覆面をつけたなら相手がだれだかなんて割り出しようがない。被害届を出しとるとも考えにくいな。仮にそうだとしても少年をころす動機がない。やっぱり──藤井と少年の接点を探さへんと無理や」
といって両手で頭を抱えてから、胸の内ポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは一枚の写真。宮内少年の学生証写真である。
「おい、この少年の顔見たことあるか」
「え。いやぁ──知らないです」
「ほんまけ、このダァホ。よう見ィ」
「ほ、ほんとに知らないっす!」
「森谷さん。ほどほどに」
「────」
めずらしい。
三國が牽制の声をかけるのは初めてのことである。警視庁捜査一課のなかでも、森谷と三國はわりと穏やかなコンビとして有名なのだ。事情聴取中、容疑者に対して許せぬ気持ちから声を荒げる刑事はたまにいるが、ふたりに関してはこれまでまったくなかった。
やはりここ最近の森谷は、どこかおかしい。
これも禁煙のせいなのだろうか──とぼんやりおもったところで、森谷は「わかった」とため息をついた。
「とりあえず今日は釈放や。お前さんのこと、工場長もそれなりに認めてはったしな。もうアホなことしたらいかんぞ。金があらへんやったらしかるべきところに相談する。そもそも派手に使わない。社会人なんやから金勘定くらいしっかりせえ」
「はい──おっしゃるとおりで」
「真面目に生きれよ。ほな、聴取は終わりや」
がたりと立ち上がる。
萩原は心底ほっとした顔で「ありがとうございました」と頭を下げた。説教されてありがとうとは、やはりこいつ緊張感のない男らしい。三國は内心でわらいながら書記内容を保存する。
「ほんならオレ、このおっさん出口まで送ってくるわ」
「はい」
「お世話になりました──」
ぺこぺこと腰を低く頭を下げる萩原。
森谷につづいて部屋を出ようとした彼は、何かを思ったか「あっ」と立ち止まった。パソコン片手にそのうしろについていた三國が、ギョッと足を止める。あやうくぶつかるところだ。
「な、なんでい」
「すみません。あの、その女について藤井が言ってたのを思い出して」
「あ?」
と、前をゆく森谷も振り返る。
「女って、被害女性のことか」
「はい。なんか、依頼人にどういう女かもうすこし特徴を教えてほしいって連絡したらしいんすよ。人違いしてもイヤだからって」
「それで?」
森谷の声がわずかにいらだつ。
しかし萩原は、妙にさっぱりした顔で言った。
「『妊婦だ』って──言われたんだそうです」
──産婦人科か。
三國と森谷は、互いにおなじことをおもったのだろう。
おなじタイミングでゆっくりと顔を見合わせた。
萩原の言い分はこうである。
ひと月ほど前、借金が嵩み金が必要になったため、闇バイトのサイトを閲覧した。その中で低リスクかつてっとり早く稼げるものを──と選別したところ、一回の報酬が二百万という破格の募集を見つけたという。それこそが、此度供述した『女を犯す』という案件だった。
依頼主とは終始メールでのやり取り、複数応募があるとして、最終的にはふたりでの実行を指示された。それが今回の被害者となった藤井隆文だということらしい。
写真の男とは、と震え声でつづけた。
「顔合わせの機会があって、そのときに一回だけ会いました。その、向こうが指定した居酒屋で、分け前についての話とかをして。そのときはアイツ自分のこと“タカ”って言ってたんです」
タイピングする三國の手がぴくりと動いた。
自身もまほろばでおなじ呼び方をされるだけに、ぼんやりと嫌な気持ちが広がる。とはいえなるほど、萩原が藤井と聞いてもピンとこなかった理由はわかった。彼はそもそも藤井の本名を知らなかったのだ。
萩原はつづける。
「あとは対象の確認と、どうやるか、みたいな話を」
「対象? 無差別とちゃうんかい」
「それについては依頼元から指定があったんです。写真と、出現ポイントと──だから、この女に恨みがあんのかなぁなんて藤井と話してたんですけど」
鼻頭にシワを寄せた。
「話してみるとアイツすげえ嫌なヤツで──なんか、いっしょにやる気削げちゃったんス。どうせこのままじゃ分前も半分になるし、何より写真の女、たぶん四十歳前後だとおもうんですけどすごく幸薄そうで。なんか、いいやとおもって。実行日にバックレちまおうって、行かなかったんです。本当です!」
「────藤井はやったんか?」
「さぁ。でも、やったんじゃないですかね。依頼元からは“遂行事実確認しました”ってメールが来たんで。もちろん金は手に入らなかったけど、その翌日とかに工場長が賃金上げるって言ってくれて──俺、借金の相談して、そしたらあの人立て替えてくれて。俺、おれ馬鹿なことしたなって。だから、工場長に少しずつ返せるようにいま一生懸命やってるところなんです。本当なんです。信じてくださいッ」
半泣きの訴えだった。
この男が犯行したという証拠はない。闇バイトに手を出しかけて、直前になって怖気付きやめるというのはよく聞く話だ。あながち嘘とも言い切れない。なにより、萩原の表情から疑念は見えてこないのも事実だった。聴取担当の森谷はわずかに沈黙したのち、ずいと卓に身を乗り出した。
「その対象の女、顔は覚えとるか。藤井と打ち合わせた段階で犯行を企てたポイント地点があるなら教えてくれ。被害届が出とるかも分からん」
「顔は──たぶん、もう一度見ればわかると思いますけど。でも細かいところは覚えてないです、早く忘れたかったし。ポイントは新宿のなんとか記念病院近くから品川にある自宅までの複数駅です。なんでも、その病院に通ってるって話で」
「新宿の記念病院? どっかあったか」
と、森谷が三國に顔を向けた。
タイピングの手はそのままに、三國はいくつか名前をあげた。あの辺りは捜査でよく歩いた場所ゆえ、記憶に残っていた。
「でけエところだとメディカルセンター、有栖川記念病院──あたりかと。記念病院っつーんだから有栖川かな」
「ああ、そうです。有栖川記念病院。そこの何科か知らないですけど、通ってるって。家が品川だそうで、その帰り道を狙おうって話をしていました。アッ、い、いま考えるとなんてことをって思ってます──」
森谷の怒りに満ちた眼差しをうけ、萩原はあわてて弁解する。
有栖川記念病院といえばほぼすべての診療科を有する総合病院である。わが国において、多大な資産を有する有栖川の名を冠するだけあって評判はおおむねよく、信頼も篤い──と、以前聞き込み捜査時に聞いたことがある。
わからんな、と森谷が不機嫌につぶやいた。
「依頼元はどうしてその女を?」
「それは自分も知らないですよ。詮索はなしっていうのが条件のひとつでしたから。女の名前も聞いてないし、本当にただ写真と出現ポイントだけ教えてもらった感じで」
「それで、その女を強姦したあとはどうするつもりやったんや。殺せと言われたんか」
「いやっ。その条件のなかには不殺も入ってました。ただ凌辱してください、と。それだけ。藤井と話したのは、病院周辺は人目も多いから自宅近くまであとをつけて実行しようってのと、覆面マスクは各自用意ってのと」
「んなこと居酒屋で話しとったんか。頭おかしいんちゃうか?」
「申し訳ねえです──」
「んの、ドアホが」
萩原はしおらしくうつむいた。
どうやらこれ以上の情報は持っていないらしい。三國は、タイピングの手を止めて森谷の横顔を見た。彼はむずかしい顔で天井を仰ぎ、ひとり言をつぶやいている。
「──その被害女性が藤井を狙う可能性は? いや、覆面をつけたなら相手がだれだかなんて割り出しようがない。被害届を出しとるとも考えにくいな。仮にそうだとしても少年をころす動機がない。やっぱり──藤井と少年の接点を探さへんと無理や」
といって両手で頭を抱えてから、胸の内ポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは一枚の写真。宮内少年の学生証写真である。
「おい、この少年の顔見たことあるか」
「え。いやぁ──知らないです」
「ほんまけ、このダァホ。よう見ィ」
「ほ、ほんとに知らないっす!」
「森谷さん。ほどほどに」
「────」
めずらしい。
三國が牽制の声をかけるのは初めてのことである。警視庁捜査一課のなかでも、森谷と三國はわりと穏やかなコンビとして有名なのだ。事情聴取中、容疑者に対して許せぬ気持ちから声を荒げる刑事はたまにいるが、ふたりに関してはこれまでまったくなかった。
やはりここ最近の森谷は、どこかおかしい。
これも禁煙のせいなのだろうか──とぼんやりおもったところで、森谷は「わかった」とため息をついた。
「とりあえず今日は釈放や。お前さんのこと、工場長もそれなりに認めてはったしな。もうアホなことしたらいかんぞ。金があらへんやったらしかるべきところに相談する。そもそも派手に使わない。社会人なんやから金勘定くらいしっかりせえ」
「はい──おっしゃるとおりで」
「真面目に生きれよ。ほな、聴取は終わりや」
がたりと立ち上がる。
萩原は心底ほっとした顔で「ありがとうございました」と頭を下げた。説教されてありがとうとは、やはりこいつ緊張感のない男らしい。三國は内心でわらいながら書記内容を保存する。
「ほんならオレ、このおっさん出口まで送ってくるわ」
「はい」
「お世話になりました──」
ぺこぺこと腰を低く頭を下げる萩原。
森谷につづいて部屋を出ようとした彼は、何かを思ったか「あっ」と立ち止まった。パソコン片手にそのうしろについていた三國が、ギョッと足を止める。あやうくぶつかるところだ。
「な、なんでい」
「すみません。あの、その女について藤井が言ってたのを思い出して」
「あ?」
と、前をゆく森谷も振り返る。
「女って、被害女性のことか」
「はい。なんか、依頼人にどういう女かもうすこし特徴を教えてほしいって連絡したらしいんすよ。人違いしてもイヤだからって」
「それで?」
森谷の声がわずかにいらだつ。
しかし萩原は、妙にさっぱりした顔で言った。
「『妊婦だ』って──言われたんだそうです」
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