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第三夜
第21話 心許せるもの
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台所で原田が湯を沸かすあいだに、夏目は睦月とともにあるだけの毛布を集めようと廊下を進んだ。奥座敷側にあるという、もうひとつの納戸に向かう道中、睦月はつとめて明るく振る舞っていた。あの父親を持ちながらも素直な子に育ったのだと夏目は感心する。
彼は彼で、夏目九重という人間が存外若いことに驚いたらしい。
「夏目先生って、著者近影とかに顔出さないでしょ。サイン会とかもないし。けっこうファンのあいだじゃミステリアスって言われているんですよ」
「そ、そうなの? 別に隠しているわけじゃないんだけどね。ただ、近影を出す理由もとくにないし……顔でイメージつけられても困るし。しいていうならそんな理由だよ」
嘘である。
編集部からは幾度か打診を受けた。リップサービスには違いないが「そのルックスなら近影を出した方が売れる」とかなんとか言われて。しかし夏目は頑なにこれを拒否した。顔出しはしたくない。夏目九重ではなく総一郎を知る人間に見られたらとおもうと、憂鬱を通り越して発狂しかねない。
そうなんだ、と睦月は残念そうにつぶやいた。
「夏目先生カッコいいから、きっと人気出ると思うんだけどな。まあでも、イメージついて作品にデバフかかっても困るか──」
「そうそう。だから、僕の見た目は秘密にしてね。カッコよかった、とかいう感想なら構わないけど」
あはは、と笑いを添えて言うと、彼はおなじように顔をくしゃりとつぶして笑った。が、すぐに真剣な顔に戻り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あの、すみません」
「なに?」
「いえ──父が、その。暴言を。お聞き苦しかっただろうなって」
「ああ」
もう忘れていた。
元より、他人にはそれほど興味のない人間である。
「実妹がころされたんだ。気も動転するさ」
「いや、あの人はすこしでも気に入らないことがあると、すぐにああやって激昂するんです。とくにこの家に来るといつもピリピリするんだ。まるで子どもの癇癪だよ」
「子どもか──子どもといえば、睦月くんは例の、座敷わらしには会ったことある?」
「わらし様?」
「そう」
「ないです。話には聞いてたけど。でも、心咲はどうかな」
「心咲ちゃんはあるの?」
「あ、…………その。ほら、あの奥座敷って立入禁止でしょう。でも昔、この家でかくれんぼをしたことがあって。俺が鬼で、心咲が隠れて。それであいつ、お祖母ちゃんの目を盗んで奥座敷に隠れたんです。お祖母ちゃんが生きているときは、口が裂けても言えなかったんですけどね」
というと、睦月はぶるりと身体をふるわせた。生前のミチ子刀自は凛々しくすました遺影のとおり、厳しい人だったとみえる。
「家中さがして見つからないから、もしかしてとおもって。俺、奥座敷を覗いたんです。心咲はいたけど、べつになにも見なかった。子ども用の箪笥とか文机なんかが置いてあったんですが、そのくらい。あっても鞠とかお手玉とか古いものばかりで、めぼしいものは何も。寂しい部屋でしたよ」
「そうなんだ」
「心咲は、俺が襖を開けた瞬間に泣きながら飛び出してきた。どうしたって聞いても泣くばかりでなんにも言わなくて……アイツ昔から、宏美さんにいろいろ言われてきたみたいだから、萎縮する癖があったんです。だから問い詰めれば詰めるほどなんにも喋らなくなっちゃって」
「分からずじまい」
「うん。そもそも親戚での集まりなんてほとんどなくて、隠れて電話で話す程度だったから──いつしかその話をするのも忘れてました。あとで合流したら聞いてみようかな」
頼もしいな、と夏目は微笑む。
親が味方にならない環境下において、近すぎず遠すぎずの親類縁者ほど信頼に足るものはいない。心咲の睦月に対する接し方を見るかぎり、相当心を開いているのは明白だった。
「心咲ちゃんにとって睦月くんは、なんでも相談できる兄妹のようなものなんだなぁ」
「相談……」
ふと、睦月の顔が曇った。
地雷を踏んだか、と夏目の心がひやりとする。しかし彼はむしろ食いつくように顔を寄せてきた。
「あの──俺、そうは思いたくないけど、でもひとつ、引っかかっていることがあって」
「引っかかっていること?」
「原田さんと心咲と三人で、散策に出ていたとき。心咲が、その──原田さんに相談していたんです。相談っていうのは、その、宏美さんのことで」
睦月の声はだんだんと尻すぼみに消えていく。と、そのときだった。
アレェ、と。
奥座敷の方から聞こえた声に振り返る。浅利将臣と藤宮恭太郎がいましがた奥座敷から出てくるところを見た。ふたりは悪びれもせずに堂々とこちらを見ている。
夏目はおもわず詰め寄った。
「な──ふたりとも、どうしてそこから。立入禁止だろう?」
「ネズミ」
「え?」
ネズミが、と恭太郎は至極当然と言いたげに鼻高々と答える。
「奥座敷のなかに入っていくのを見たのです。こりゃあ良くない、とおもって、一応わらし様に断りを入れて入室しました。残念ながらネズミはすばしっこかったので取り逃しましたが──大丈夫。追い出しました」
「わらし様に断りを入れたって、どうやって」
「コイツの親父が謝罪云々出来たのだから、きっとコイツも出来るだろうと」
な、と恭太郎はにっこりと将臣へ笑みを向けた。対照的に彼はひどく疲れた顔をしている。夏目の胸奥が疼いた。
「それで──わらし様というのは、いたのかい」
「ええ、いましたよ。驚くほど──」
「感心しないな」
声が増えた。
振り返る。聴取部屋の方から歩いてきたふたつの影は、やがて宝泉寺住職と森谷茂樹を象ってあらわれた。先をゆく住職の顔はめずらしく険しいものである。おどろいて従弟を見ると、彼は苦々しげに一同を見渡してからちいさく舌打ちをした。
「部屋で待っとけと言わへんかったか? お?」
「誤解だよ。すこし冷えてきたから大広間に毛布を持っていこうとおもって、睦月くんとこうして納戸に向かうところだったんだ」
「……そっちは」
「トイレに行きたくなったから出てきた。ひとり行動はダメっていうから将臣も連れて、サ。いまはその帰りだよ」
「パチこくな。いま奥座敷で云々言うとったやないか! こんガキ、話聞いとったな」
「聞いたんじゃない、聞こえたんだ。そこを間違えるな!」
開き直っている。
が、それに対して茂樹が反論する間もなく住職が「まあ」とつぶやいた。
「彼の耳をふさぐことは現状不可能だ。それは仕方ないとして、……将臣」
「おれに隠し事をした結果を貴方に知らしめたかっただけです。お師僧」
「…………」
父子のあいだに不穏な空気が流れる。
立ち位置的に板挟み状態となった夏目は、視線を彷徨わせた末に睦月を見た。彼はわずかに蒼い顔をして立ちすくんでいる。警察官に怒られた、つまり自分が悪いことをしたとおもっているのだろう。高校生から見たら茂樹も一応りっぱな公僕に見えるらしい。
公僕といえば、彼らは事情聴取中ではなかっただろうか。夏目は眉をひそめた。
「そういうシゲこそ、どうしてこんなところに。聴取が終わったならつぎの人を呼んでくれよ。みんな早く解放されたがってるんだから」
「これも聴取の一環で出張ってきとんねん。気になること聞かされてもうたさかいに、確かめなあかん」
「それは、……」
「見たのか」
と、夏目を押しのけた住職が息子たちの前にずいと一歩進み出た。
恭太郎は将臣をちらと見た。視線を受けた将臣が、うなずく。
「いましたよ。ゴロゴロ」
「ゴロゴロ? ……」
何が。とは聞けぬ。
わらし様のことだろうか。しかし、ゴロゴロとは。
住職は宙を仰いだ。
「遅かれ早かれ分かること、か。いっそ早く解体すべきかもしれんな」
なんのことだか皆目さっぱりわからない。
彼は彼で、夏目九重という人間が存外若いことに驚いたらしい。
「夏目先生って、著者近影とかに顔出さないでしょ。サイン会とかもないし。けっこうファンのあいだじゃミステリアスって言われているんですよ」
「そ、そうなの? 別に隠しているわけじゃないんだけどね。ただ、近影を出す理由もとくにないし……顔でイメージつけられても困るし。しいていうならそんな理由だよ」
嘘である。
編集部からは幾度か打診を受けた。リップサービスには違いないが「そのルックスなら近影を出した方が売れる」とかなんとか言われて。しかし夏目は頑なにこれを拒否した。顔出しはしたくない。夏目九重ではなく総一郎を知る人間に見られたらとおもうと、憂鬱を通り越して発狂しかねない。
そうなんだ、と睦月は残念そうにつぶやいた。
「夏目先生カッコいいから、きっと人気出ると思うんだけどな。まあでも、イメージついて作品にデバフかかっても困るか──」
「そうそう。だから、僕の見た目は秘密にしてね。カッコよかった、とかいう感想なら構わないけど」
あはは、と笑いを添えて言うと、彼はおなじように顔をくしゃりとつぶして笑った。が、すぐに真剣な顔に戻り、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あの、すみません」
「なに?」
「いえ──父が、その。暴言を。お聞き苦しかっただろうなって」
「ああ」
もう忘れていた。
元より、他人にはそれほど興味のない人間である。
「実妹がころされたんだ。気も動転するさ」
「いや、あの人はすこしでも気に入らないことがあると、すぐにああやって激昂するんです。とくにこの家に来るといつもピリピリするんだ。まるで子どもの癇癪だよ」
「子どもか──子どもといえば、睦月くんは例の、座敷わらしには会ったことある?」
「わらし様?」
「そう」
「ないです。話には聞いてたけど。でも、心咲はどうかな」
「心咲ちゃんはあるの?」
「あ、…………その。ほら、あの奥座敷って立入禁止でしょう。でも昔、この家でかくれんぼをしたことがあって。俺が鬼で、心咲が隠れて。それであいつ、お祖母ちゃんの目を盗んで奥座敷に隠れたんです。お祖母ちゃんが生きているときは、口が裂けても言えなかったんですけどね」
というと、睦月はぶるりと身体をふるわせた。生前のミチ子刀自は凛々しくすました遺影のとおり、厳しい人だったとみえる。
「家中さがして見つからないから、もしかしてとおもって。俺、奥座敷を覗いたんです。心咲はいたけど、べつになにも見なかった。子ども用の箪笥とか文机なんかが置いてあったんですが、そのくらい。あっても鞠とかお手玉とか古いものばかりで、めぼしいものは何も。寂しい部屋でしたよ」
「そうなんだ」
「心咲は、俺が襖を開けた瞬間に泣きながら飛び出してきた。どうしたって聞いても泣くばかりでなんにも言わなくて……アイツ昔から、宏美さんにいろいろ言われてきたみたいだから、萎縮する癖があったんです。だから問い詰めれば詰めるほどなんにも喋らなくなっちゃって」
「分からずじまい」
「うん。そもそも親戚での集まりなんてほとんどなくて、隠れて電話で話す程度だったから──いつしかその話をするのも忘れてました。あとで合流したら聞いてみようかな」
頼もしいな、と夏目は微笑む。
親が味方にならない環境下において、近すぎず遠すぎずの親類縁者ほど信頼に足るものはいない。心咲の睦月に対する接し方を見るかぎり、相当心を開いているのは明白だった。
「心咲ちゃんにとって睦月くんは、なんでも相談できる兄妹のようなものなんだなぁ」
「相談……」
ふと、睦月の顔が曇った。
地雷を踏んだか、と夏目の心がひやりとする。しかし彼はむしろ食いつくように顔を寄せてきた。
「あの──俺、そうは思いたくないけど、でもひとつ、引っかかっていることがあって」
「引っかかっていること?」
「原田さんと心咲と三人で、散策に出ていたとき。心咲が、その──原田さんに相談していたんです。相談っていうのは、その、宏美さんのことで」
睦月の声はだんだんと尻すぼみに消えていく。と、そのときだった。
アレェ、と。
奥座敷の方から聞こえた声に振り返る。浅利将臣と藤宮恭太郎がいましがた奥座敷から出てくるところを見た。ふたりは悪びれもせずに堂々とこちらを見ている。
夏目はおもわず詰め寄った。
「な──ふたりとも、どうしてそこから。立入禁止だろう?」
「ネズミ」
「え?」
ネズミが、と恭太郎は至極当然と言いたげに鼻高々と答える。
「奥座敷のなかに入っていくのを見たのです。こりゃあ良くない、とおもって、一応わらし様に断りを入れて入室しました。残念ながらネズミはすばしっこかったので取り逃しましたが──大丈夫。追い出しました」
「わらし様に断りを入れたって、どうやって」
「コイツの親父が謝罪云々出来たのだから、きっとコイツも出来るだろうと」
な、と恭太郎はにっこりと将臣へ笑みを向けた。対照的に彼はひどく疲れた顔をしている。夏目の胸奥が疼いた。
「それで──わらし様というのは、いたのかい」
「ええ、いましたよ。驚くほど──」
「感心しないな」
声が増えた。
振り返る。聴取部屋の方から歩いてきたふたつの影は、やがて宝泉寺住職と森谷茂樹を象ってあらわれた。先をゆく住職の顔はめずらしく険しいものである。おどろいて従弟を見ると、彼は苦々しげに一同を見渡してからちいさく舌打ちをした。
「部屋で待っとけと言わへんかったか? お?」
「誤解だよ。すこし冷えてきたから大広間に毛布を持っていこうとおもって、睦月くんとこうして納戸に向かうところだったんだ」
「……そっちは」
「トイレに行きたくなったから出てきた。ひとり行動はダメっていうから将臣も連れて、サ。いまはその帰りだよ」
「パチこくな。いま奥座敷で云々言うとったやないか! こんガキ、話聞いとったな」
「聞いたんじゃない、聞こえたんだ。そこを間違えるな!」
開き直っている。
が、それに対して茂樹が反論する間もなく住職が「まあ」とつぶやいた。
「彼の耳をふさぐことは現状不可能だ。それは仕方ないとして、……将臣」
「おれに隠し事をした結果を貴方に知らしめたかっただけです。お師僧」
「…………」
父子のあいだに不穏な空気が流れる。
立ち位置的に板挟み状態となった夏目は、視線を彷徨わせた末に睦月を見た。彼はわずかに蒼い顔をして立ちすくんでいる。警察官に怒られた、つまり自分が悪いことをしたとおもっているのだろう。高校生から見たら茂樹も一応りっぱな公僕に見えるらしい。
公僕といえば、彼らは事情聴取中ではなかっただろうか。夏目は眉をひそめた。
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「これも聴取の一環で出張ってきとんねん。気になること聞かされてもうたさかいに、確かめなあかん」
「それは、……」
「見たのか」
と、夏目を押しのけた住職が息子たちの前にずいと一歩進み出た。
恭太郎は将臣をちらと見た。視線を受けた将臣が、うなずく。
「いましたよ。ゴロゴロ」
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何が。とは聞けぬ。
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